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第三十四話 無力な私
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夕日が破壊されたテラスを血の色に染めていた。
アルフォンス王子が逃げ去った後、私たちは言葉もなく、ただその惨状を見つめていた。両断された石柱の残骸。ひび割れた床。戦いの爪痕はあまりにも生々しく、私たちの穏やかだった日常がもう過去のものであることを突きつけていた。
カイザーは魔法で瓦礫を片付け始めた。彼の指先から放たれる淡い光が、砕けた石を元の場所へと戻していく。けれど、私の心に刻まれた傷跡は魔法では修復できそうになかった。
その夜、私は自室で一人、膝を抱えて座り込んでいた。
夕食に手を付ける気にもなれず、ただ暗闇の中で今日の出来事を何度も反芻していた。
私のせいだ。
全て、私のせい。
私がカイザーの忠告を聞かずにアルフォンス王子に情けをかけたから。
私が自分の甘さを押し通し、彼に「殺さない」などという誓いを立てさせたから。
その結果、カイザーは私を人質に取られ絶体絶命の窮地に立たされた。彼に私との約束を破らせ、人殺しにさせてしまう一歩手前まで。
「聖なる盾」が発動したのだって、ただの偶然だ。私の意思ではない。無意識の力がたまたま私を守っただけ。結局、私は自分の意思では何もできなかった。
守られるだけじゃ嫌だ、と誓ったはずなのに。
強くなりたい、と願ったはずなのに。
私は結局、何も変わっていなかった。
無力で、甘くて、そして彼の足手まといになるだけの存在。
私がここにいなければ、カイザーはこんな戦いに巻き込まれることもなかった。数千年の穏やかな孤独を、私が乱してしまったのだ。
私は彼にとって、厄災そのものなのではないか。
暗い思考がぐるぐると頭の中を巡る。涙はもう枯れ果てていた。ただ、心の奥底が氷のように冷えていくのを感じるだけだった。
コン、コン。
控えめなノックの音が静寂を破った。
びくりと、私の肩が跳ねる。扉の向こうにいるのが誰なのかは分かっていた。
「……アリア」
カイザーの静かな声がした。
「食事に手を付けていないようだな。少し話をしないか」
私は返事ができなかった。どんな顔をして彼に会えばいいのか、分からなかった。
沈黙は肯定と受け取られたらしい。扉がゆっくりと開かれた。
部屋に入ってきたカイザーは、蝋燭の灯りもつけずに暗闇に座り込んでいる私を見ると、わずかに眉をひそめた。
彼は何も言わずに、暖炉に魔法で火を灯した。ぱちぱちと薪が爆ぜる音と共に、柔らかなオレンジ色の光が部屋を、そして私の顔を照らし出す。
彼は私の前に静かに屈み込んだ。
「……顔色がひどいな」
その声には心からの心配が滲んでいた。その優しさが今の私には針のように突き刺さる。
「……ごめんなさい」
ようやく絞り出したのは、また謝罪の言葉だった。
「私が弱いから。私が甘いから。あなたを危険な目に遭わせてしまいました」
「違う」
カイザーは私の言葉をきっぱりと否定した。
「お前は弱くなどない」
「弱いです! 結局、私は何もできずにあなたに守られていただけじゃないですか! あなたの足手まといになっていただけ……!」
「違うと言っている」
彼の声が少しだけ強くなる。
「お前があの時、無意識に展開した光の盾。あれがなければ、俺はあの男を殺していた」
「……え?」
「お前を人質に取られた瞬間、俺の思考は、お前を救うこととあの男を殺すこと、その二つしかなくなっていた。お前との約束などとうに頭から消え失せていた。それほど俺は冷静さを失っていたのだ」
彼は自らの未熟さを認めるように、静かに語った。
「だが、お前の盾が発動した。あの絶対的な守りの光が俺にほんのわずかな時間を与えてくれた。冷静さを取り戻し、約束を思い出すための時間をな」
彼の言葉は私にとって全く予想外のものだった。
私の力が、彼を救った?
「結果的に、お前は自分自身と、そして俺の心をも守ったのだ。それは決して偶然などではない。お前の魂の奥底にある強い祈りが起こした奇跡だ」
彼は私の冷え切った手を、その大きな両手で包み込んだ。
「お前は決して、足手まといなどではない」
その声はどこまでも優しかった。
「俺は、お前と出会って初めて感情というものを知った。喜びも、安らぎも、そして誰かを失うことへの恐怖も。それは数千年の孤独の中では決して得ることのできなかった、かけがえのない宝だ」
彼の黒曜石の瞳が暖炉の光を映して、きらきらと輝いている。
「お前は俺の光だ、アリア。お前がいるだけで俺の世界は色づいて見える。だから……」
彼は言葉を区切ると、私の手をそっと自分の胸へと導いた。
「二度と、自分のことをそんなふうに言うな」
とくん、とくん。
彼の胸から力強い鼓動が伝わってくる。彼が生きている。私のために心を痛め、心を砕いてくれている。
その、あまりにも大きな愛情。
私の心を満たしていた冷たい氷が、温かい涙となって溶けていく。
「……はい」
私は涙で濡れた声で、かろうじてそう答えた。
「でも……私、もっと強くなりたいです。今度こそ偶然や奇跡ではなくて、私の意思であなたを守れるように」
私の決意を聞いて、カイザーは満足そうに深く頷いた。
「ああ。俺がお前を誰よりも強い聖女にしてやる」
彼はそう言うと、私の体を優しく、しかし力強く抱きしめた。
その腕の中で、私は自分の居場所を再確認していた。
私は彼の厄災ではない。
私は彼の光なのだ。
その事実だけを今は信じよう。
そして、いつか本当に彼を照らすことができる本物の光になるために。
私は彼の胸の中で、静かに、しかし固くそう誓った。
長い長い夜が、ようやく明けようとしていた。
アルフォンス王子が逃げ去った後、私たちは言葉もなく、ただその惨状を見つめていた。両断された石柱の残骸。ひび割れた床。戦いの爪痕はあまりにも生々しく、私たちの穏やかだった日常がもう過去のものであることを突きつけていた。
カイザーは魔法で瓦礫を片付け始めた。彼の指先から放たれる淡い光が、砕けた石を元の場所へと戻していく。けれど、私の心に刻まれた傷跡は魔法では修復できそうになかった。
その夜、私は自室で一人、膝を抱えて座り込んでいた。
夕食に手を付ける気にもなれず、ただ暗闇の中で今日の出来事を何度も反芻していた。
私のせいだ。
全て、私のせい。
私がカイザーの忠告を聞かずにアルフォンス王子に情けをかけたから。
私が自分の甘さを押し通し、彼に「殺さない」などという誓いを立てさせたから。
その結果、カイザーは私を人質に取られ絶体絶命の窮地に立たされた。彼に私との約束を破らせ、人殺しにさせてしまう一歩手前まで。
「聖なる盾」が発動したのだって、ただの偶然だ。私の意思ではない。無意識の力がたまたま私を守っただけ。結局、私は自分の意思では何もできなかった。
守られるだけじゃ嫌だ、と誓ったはずなのに。
強くなりたい、と願ったはずなのに。
私は結局、何も変わっていなかった。
無力で、甘くて、そして彼の足手まといになるだけの存在。
私がここにいなければ、カイザーはこんな戦いに巻き込まれることもなかった。数千年の穏やかな孤独を、私が乱してしまったのだ。
私は彼にとって、厄災そのものなのではないか。
暗い思考がぐるぐると頭の中を巡る。涙はもう枯れ果てていた。ただ、心の奥底が氷のように冷えていくのを感じるだけだった。
コン、コン。
控えめなノックの音が静寂を破った。
びくりと、私の肩が跳ねる。扉の向こうにいるのが誰なのかは分かっていた。
「……アリア」
カイザーの静かな声がした。
「食事に手を付けていないようだな。少し話をしないか」
私は返事ができなかった。どんな顔をして彼に会えばいいのか、分からなかった。
沈黙は肯定と受け取られたらしい。扉がゆっくりと開かれた。
部屋に入ってきたカイザーは、蝋燭の灯りもつけずに暗闇に座り込んでいる私を見ると、わずかに眉をひそめた。
彼は何も言わずに、暖炉に魔法で火を灯した。ぱちぱちと薪が爆ぜる音と共に、柔らかなオレンジ色の光が部屋を、そして私の顔を照らし出す。
彼は私の前に静かに屈み込んだ。
「……顔色がひどいな」
その声には心からの心配が滲んでいた。その優しさが今の私には針のように突き刺さる。
「……ごめんなさい」
ようやく絞り出したのは、また謝罪の言葉だった。
「私が弱いから。私が甘いから。あなたを危険な目に遭わせてしまいました」
「違う」
カイザーは私の言葉をきっぱりと否定した。
「お前は弱くなどない」
「弱いです! 結局、私は何もできずにあなたに守られていただけじゃないですか! あなたの足手まといになっていただけ……!」
「違うと言っている」
彼の声が少しだけ強くなる。
「お前があの時、無意識に展開した光の盾。あれがなければ、俺はあの男を殺していた」
「……え?」
「お前を人質に取られた瞬間、俺の思考は、お前を救うこととあの男を殺すこと、その二つしかなくなっていた。お前との約束などとうに頭から消え失せていた。それほど俺は冷静さを失っていたのだ」
彼は自らの未熟さを認めるように、静かに語った。
「だが、お前の盾が発動した。あの絶対的な守りの光が俺にほんのわずかな時間を与えてくれた。冷静さを取り戻し、約束を思い出すための時間をな」
彼の言葉は私にとって全く予想外のものだった。
私の力が、彼を救った?
「結果的に、お前は自分自身と、そして俺の心をも守ったのだ。それは決して偶然などではない。お前の魂の奥底にある強い祈りが起こした奇跡だ」
彼は私の冷え切った手を、その大きな両手で包み込んだ。
「お前は決して、足手まといなどではない」
その声はどこまでも優しかった。
「俺は、お前と出会って初めて感情というものを知った。喜びも、安らぎも、そして誰かを失うことへの恐怖も。それは数千年の孤独の中では決して得ることのできなかった、かけがえのない宝だ」
彼の黒曜石の瞳が暖炉の光を映して、きらきらと輝いている。
「お前は俺の光だ、アリア。お前がいるだけで俺の世界は色づいて見える。だから……」
彼は言葉を区切ると、私の手をそっと自分の胸へと導いた。
「二度と、自分のことをそんなふうに言うな」
とくん、とくん。
彼の胸から力強い鼓動が伝わってくる。彼が生きている。私のために心を痛め、心を砕いてくれている。
その、あまりにも大きな愛情。
私の心を満たしていた冷たい氷が、温かい涙となって溶けていく。
「……はい」
私は涙で濡れた声で、かろうじてそう答えた。
「でも……私、もっと強くなりたいです。今度こそ偶然や奇跡ではなくて、私の意思であなたを守れるように」
私の決意を聞いて、カイザーは満足そうに深く頷いた。
「ああ。俺がお前を誰よりも強い聖女にしてやる」
彼はそう言うと、私の体を優しく、しかし力強く抱きしめた。
その腕の中で、私は自分の居場所を再確認していた。
私は彼の厄災ではない。
私は彼の光なのだ。
その事実だけを今は信じよう。
そして、いつか本当に彼を照らすことができる本物の光になるために。
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長い長い夜が、ようやく明けようとしていた。
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