ドラゴンに攫われた聖女ですが、このドラゴン、めちゃくちゃ過保護でイケメンです

夏見ナイ

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第九十話 邪神、復活

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空間の裂け目は、もはやただの裂け目ではなかった。
それは異次元へと通じる巨大な門(ゲート)だった。
門の奥は完全な闇。光も音も時間さえも存在しないかのような、絶対的な虚無。
その虚無の中心から、ゆっくりと何かが滲み出してくる。
それは定まった形を持たなかった。
黒い霧のようでもあり、粘つく泥のようでもあり、無数の触手の塊のようでもあった。
ただ、その不定形の混沌の中心に一つだけ、確かなものがあった。
それは一つ目の巨大な瞳。
血のように赤いその瞳は、悪意と憎悪と、そして数万年の飢餓に満ちていた。
その瞳が、ゆっくりと私たちを捉えた。
瞬間。
ズンッ、と。
魂の芯を直接握り潰されるかのような、凄まじいプレッシャー。
それはカイザーの竜王としての威圧感さえも児戯に等しいと思わせるほどの、絶対的な存在感だった。
「……ぐっ……ぁ……!」
レオンとゼノヴィアがその場に膝をついた。その顔は蒼白になり、全身から冷や汗が噴き出している。
彼らほどの英雄でさえ、ただその視線に晒されただけで立っていることさえままならないのだ。
私も例外ではなかった。
心臓が氷の手で鷲掴みにされたかのように痛み、呼吸ができなくなる。
聖なる力がその存在を拒絶して、体の中で暴れ回っていた。
「……アリア!」
カイザーが叫ぶ。
彼は消耗しきっているはずなのに、その精神力だけで邪神のプレッシャーに抗っていた。
彼は私の前に立ちはだかり、その盾となろうとする。
だが、もう遅い。
邪神の赤い瞳が不気味に細められた。
そして、その混沌の体の一部が一本の黒い槍となって、凄まじい速度で射出された。
狙いは私たち四人。
その全て。
槍は空間を跳躍したかのように、一瞬で私たちの目の前に迫っていた。
速すぎる。
避けられない。
死。
その絶対的な予感。
だが、その死の槍が私たちを貫く寸前。
私たちの背後から、凄まじい咆哮が轟いた。
グオオオオオオオオオオッ!!!
それはバルドスたち援軍の竜たちの声だった。
彼らは遺跡の崩壊を感じ取り、カイザーの命令を破ってここまで駆けつけてきてくれたのだ。
数十頭の竜たちが私たちを守るように壁となり、その口から一斉に炎のブレスを放った。
炎の奔流が邪神の黒い槍と激突する。
凄まじい爆発。
だが、結果はあまりにも無残だった。
竜たちの全力のブレスは黒い槍の勢いをほんのわずかに鈍らせただけで、いとも簡単に貫かれ霧散してしまう。
「なっ……!?」
バルドスが驚愕の声を上げる。
そして槍は容赦なく、竜たちの壁へと突き刺さった。
悲鳴を上げる間もなかった。
槍に触れた竜たちの屈強な体は、まるで黒い酸に溶かされるかのように、シュウウウウという音を立てて崩れ落ち、消滅していった。
たった一撃。
それだけで援軍に来てくれた勇敢な竜たちの半数以上が、その命を散らした。
「バルドス……! 皆……!」
カイザーの悲痛な叫び。
だが、邪神の攻撃は止まらない。
最初の槍を防いだことで生まれたほんのわずかな時間。
それを使って私たちはかろうじてその場から飛び退いていた。
だが、次の一撃が来る。
今度は槍ではない。
邪神の混沌の体そのものが、津波のように私たちに向かって殺到してきたのだ。
もはや逃げ場はない。
「―――ここまで、か」
レオンが血反吐を吐きながら呟いた。
その瞳には初めて、完全な諦めの色が浮かんでいる。
ゼノヴィアもレイピアを杖のようにして、かろうじて立っているのがやっとだった。
私もカイザーも、もう満身創痍。
万策尽きた。
邪神、復活。
それは世界の終わり。
私たちの物語の終焉。
混沌の津波が私たちを飲み込もうと迫ってくる。
その絶望的な光景を前にして。
私の脳裏に浮かんだのは、カイザーと過ごした穏やかな日々の記憶だった。
初めて作ってくれた温かい食事。
初めて贈ってくれた美しいドレス。
そして、決戦の前夜に交わした愛の誓い。
(……まだ、番(つがい)になれていないのに)
こんなところで終われない。
こんな理不尽な終わり方、認めるわけにはいかない。
その小さな、しかし何よりも強い想い。
それが私の心の最後の灯火だった。
だが、その灯火もまた、絶対的な絶望の津波の前に、今、消え去ろうとしていた。
混沌が、すぐそこまで迫っていた。
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