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第68話:祭りの夜に
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昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、アイゼンブルクの街が深い藍色の闇に包まれる頃、祭りはクライマックスを迎えた。
広場の中央には大きなががり火が焚かれ、そのオレンジ色の炎が集まった人々の顔を幻想的に照らし出している。
昼間の陽気な踊りとは違う、もっとゆったりとした、古くからこの土地に伝わるという伝統的な音楽が、吟遊詩人のリュートによって静かに奏でられていた。
私とアシュレイ様は少しだけ人混みから離れた、広場を見下ろす小さな丘の上からその光景を眺めていた。
昼間に買った少し甘い果実酒を、二人で分け合いながら。
「……綺麗」
私は思わずぽつりと呟いた。
かがり火の周りで人々が静かに揺れている。その影がまるで古代の壁画のように、地面に長く伸びていた。それはどこまでも平和で、そして神聖でさえある光景だった。
「ああ」
隣に座るアシュレイ様が静かに相槌を打った。
「これは先祖代々受け継がれてきた、収穫への感謝と来年の豊穣を祈るための大切な儀式なのだ」
その横顔は領主としての深い責任感と、自らの土地への愛情に満ちていた。
私はそんな彼の横顔をそっと盗み見た。
かがり火の光に照らされた彼の貌は神々しいほどに美しく、その紫の瞳は遠い昔を見つめるように深く、そして穏やかだった。
私の心臓が、きゅう、と甘く締め付けられるのを感じた。
ああ、私。
この人が好きなのだ。
それはもうずっと前から分かっていたことだった。
私を絶望の淵から救い出してくれた王子様。
私に居場所と温もりと、そして自分を信じる心を教えてくれた恩人。
私を絶対的な力で守り、そして過保護なまでに甘やかしてくれる守護者。
彼に対して抱く感情は、感謝や尊敬や憧れや、色々なものが複雑に混じり合っていた。
けれど今、この瞬間に私の心の中にあるのは、もっとずっとシンプルで、そしてどうしようもなく強い一つの感情だった。
ただ一人の男性として、アシュレイ・フォン・アイゼンベルクという人を愛している。
その想いが、恋心なのだと。
私はこの祭りの夜に、はっきりと、そして何の疑いもなく自覚した。
その自覚は私の頬をじわりと熱くさせた。隣にいる彼のことを急に意識してしまい、今までのように自然に顔を見ることができなくなってしまう。
私はごまかすように、手の中の杯に残っていた果実酒を一気に飲み干した。甘酸っぱい液体が喉を通り過ぎていく。
その時だった。
ヒュウウウウウ、という空気を切り裂くような音が夜空に響き渡った。
そして次の瞬間。
ドン!
という大きな音と共に、夜空に巨大な光の花が咲き誇った。
「……わあ……!」
私は思わず空を見上げた。
赤、青、緑、金。
色とりどりの光の粒が漆黒のキャンバスに美しい紋様を描き出しては、きらきらと輝きながら儚く消えていく。
花火だった。
私は生まれて初めて、花火というものをこの目で見た。
物語の本の中ではその存在を知っていた。けれど本物の花火がこれほどまでに美しく、そして心を揺さぶるものだとは思ってもみなかった。
次から次へと打ち上げられる光の芸術に、私は完全に心を奪われていた。広場からも人々の大きな歓声が上がっている。
私は隣にいる彼のことも忘れ、ただ子供のように夢中で夜空を見上げていた。
その私の横顔を。
アシュレイ様がどんな表情で見つめていたのか。
この時の私はまだ気づいていなかった。
やがて、最後のひときわ大きく美しい花火が夜空を真昼のように照らし出し、静かに消えていくと、後に残されたのは深い静寂と、そして私たちの心の中に灯った温かい感動の余韻だけだった。
「……綺麗でした」
私はまだ夜空を見上げたまま、夢見心地で呟いた。
「……ああ」
隣から静かな、そしてどこか熱を帯びた声がした。
私はようやく彼の方へと振り返った。
そしてその視線に、はっと息をのんだ。
彼は花火が上がっていた夜空ではなく。
ただまっすぐに、私だけを見つめていた。
その紫の瞳にはこれまで見たこともないほどに深く、そして燃えるような強い想いが宿っている。それはまるで、抑えきれない感情の奔流がその瞳の奥で渦巻いているかのようだった。
「……アシュレイ様?」
そのただならぬ雰囲気に、私は少しだけ戸惑いながら彼の名前を呼んだ。
彼は何も答えなかった。
ただゆっくりと私の頬にその大きな手を伸ばしてきた。そして、まるで壊れ物を扱うかのように優しく私の顔を包み込む。
彼の指先は少しだけ震えていた。
そして彼はゆっくりとその顔を私に近づけてきて――
その瞬間だった。
「公爵閣下!」
丘の下から、私たちを探していたのであろう護衛の騎士の切羽詰まった声が響き渡った。
その声に私たちは、はっと我に返る。
アシュレイ様は名残惜しそうに、しかし素早く私から手を離した。彼の頬が月明かりの下でほんのりと赤く染まっているように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
「……何事だ」
彼は平静を装いながら騎士に問いかける。
「はっ! 緊急の伝令でございます! 王都より早馬が!」
その言葉に、祭りの夜の甘やかで穏やかだった空気は一瞬にして霧散した。
王都から、緊急の伝令。
それは、私たちのこの穏やかな旅の終わりを告げる不吉な響きを持っていた。
私の胸の中に芽生えたばかりの甘い恋心は、これから訪れるであろう新たな嵐の予感に、静かに、そして不安げに揺らめいていた。
広場の中央には大きなががり火が焚かれ、そのオレンジ色の炎が集まった人々の顔を幻想的に照らし出している。
昼間の陽気な踊りとは違う、もっとゆったりとした、古くからこの土地に伝わるという伝統的な音楽が、吟遊詩人のリュートによって静かに奏でられていた。
私とアシュレイ様は少しだけ人混みから離れた、広場を見下ろす小さな丘の上からその光景を眺めていた。
昼間に買った少し甘い果実酒を、二人で分け合いながら。
「……綺麗」
私は思わずぽつりと呟いた。
かがり火の周りで人々が静かに揺れている。その影がまるで古代の壁画のように、地面に長く伸びていた。それはどこまでも平和で、そして神聖でさえある光景だった。
「ああ」
隣に座るアシュレイ様が静かに相槌を打った。
「これは先祖代々受け継がれてきた、収穫への感謝と来年の豊穣を祈るための大切な儀式なのだ」
その横顔は領主としての深い責任感と、自らの土地への愛情に満ちていた。
私はそんな彼の横顔をそっと盗み見た。
かがり火の光に照らされた彼の貌は神々しいほどに美しく、その紫の瞳は遠い昔を見つめるように深く、そして穏やかだった。
私の心臓が、きゅう、と甘く締め付けられるのを感じた。
ああ、私。
この人が好きなのだ。
それはもうずっと前から分かっていたことだった。
私を絶望の淵から救い出してくれた王子様。
私に居場所と温もりと、そして自分を信じる心を教えてくれた恩人。
私を絶対的な力で守り、そして過保護なまでに甘やかしてくれる守護者。
彼に対して抱く感情は、感謝や尊敬や憧れや、色々なものが複雑に混じり合っていた。
けれど今、この瞬間に私の心の中にあるのは、もっとずっとシンプルで、そしてどうしようもなく強い一つの感情だった。
ただ一人の男性として、アシュレイ・フォン・アイゼンベルクという人を愛している。
その想いが、恋心なのだと。
私はこの祭りの夜に、はっきりと、そして何の疑いもなく自覚した。
その自覚は私の頬をじわりと熱くさせた。隣にいる彼のことを急に意識してしまい、今までのように自然に顔を見ることができなくなってしまう。
私はごまかすように、手の中の杯に残っていた果実酒を一気に飲み干した。甘酸っぱい液体が喉を通り過ぎていく。
その時だった。
ヒュウウウウウ、という空気を切り裂くような音が夜空に響き渡った。
そして次の瞬間。
ドン!
という大きな音と共に、夜空に巨大な光の花が咲き誇った。
「……わあ……!」
私は思わず空を見上げた。
赤、青、緑、金。
色とりどりの光の粒が漆黒のキャンバスに美しい紋様を描き出しては、きらきらと輝きながら儚く消えていく。
花火だった。
私は生まれて初めて、花火というものをこの目で見た。
物語の本の中ではその存在を知っていた。けれど本物の花火がこれほどまでに美しく、そして心を揺さぶるものだとは思ってもみなかった。
次から次へと打ち上げられる光の芸術に、私は完全に心を奪われていた。広場からも人々の大きな歓声が上がっている。
私は隣にいる彼のことも忘れ、ただ子供のように夢中で夜空を見上げていた。
その私の横顔を。
アシュレイ様がどんな表情で見つめていたのか。
この時の私はまだ気づいていなかった。
やがて、最後のひときわ大きく美しい花火が夜空を真昼のように照らし出し、静かに消えていくと、後に残されたのは深い静寂と、そして私たちの心の中に灯った温かい感動の余韻だけだった。
「……綺麗でした」
私はまだ夜空を見上げたまま、夢見心地で呟いた。
「……ああ」
隣から静かな、そしてどこか熱を帯びた声がした。
私はようやく彼の方へと振り返った。
そしてその視線に、はっと息をのんだ。
彼は花火が上がっていた夜空ではなく。
ただまっすぐに、私だけを見つめていた。
その紫の瞳にはこれまで見たこともないほどに深く、そして燃えるような強い想いが宿っている。それはまるで、抑えきれない感情の奔流がその瞳の奥で渦巻いているかのようだった。
「……アシュレイ様?」
そのただならぬ雰囲気に、私は少しだけ戸惑いながら彼の名前を呼んだ。
彼は何も答えなかった。
ただゆっくりと私の頬にその大きな手を伸ばしてきた。そして、まるで壊れ物を扱うかのように優しく私の顔を包み込む。
彼の指先は少しだけ震えていた。
そして彼はゆっくりとその顔を私に近づけてきて――
その瞬間だった。
「公爵閣下!」
丘の下から、私たちを探していたのであろう護衛の騎士の切羽詰まった声が響き渡った。
その声に私たちは、はっと我に返る。
アシュレイ様は名残惜しそうに、しかし素早く私から手を離した。彼の頬が月明かりの下でほんのりと赤く染まっているように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
「……何事だ」
彼は平静を装いながら騎士に問いかける。
「はっ! 緊急の伝令でございます! 王都より早馬が!」
その言葉に、祭りの夜の甘やかで穏やかだった空気は一瞬にして霧散した。
王都から、緊急の伝令。
それは、私たちのこの穏やかな旅の終わりを告げる不吉な響きを持っていた。
私の胸の中に芽生えたばかりの甘い恋心は、これから訪れるであろう新たな嵐の予感に、静かに、そして不安げに揺らめいていた。
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