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第69話:アシュレイの想い
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騎士からの緊急の報せは、祭りの夜の甘い空気を一瞬にして凍てつかせた。
アシュレイの心の中にあったリナリアへの溢れ出しそうになる想いは、領主としての冷徹な仮面の下に再び深く押し込められた。
(……あとほんの少しだったというのに)
内心で悪態をつきながらも、彼は完璧に落ち着き払った態度で騎士に向き直った。
「詳細を話せ」
「はっ。王宮内部で何者かによる陰謀が発覚したとの報せでございます。詳細は不明ですが、陛下は公爵閣下に可及的速やかなる帰還を要請されておられる、と」
王宮での陰謀。
その言葉に、アシュレイの脳裏には数週間前に自らが断罪したあの二人の顔が浮かんだ。第二王子エドワードと、イザベラ・エルフィールド。
(あの者たちが、まだ何かを企んでいるというのか……)
アシュレイの思考は瞬時に領主としてのものに切り替わる。状況を分析し、最善の行動を選択する。それは彼が長年、戦場と宮廷で培ってきた彼の最も得意とするところだった。
「……分かった。夜が明け次第ただちに出発する。準備を整えよ」
「御意!」
騎士は敬礼すると、素早くその場を去っていった。
後に残されたのは、私と、そして再び冷徹な領主の貌に戻ってしまったアシュレイ様だけだった。先ほどまでの甘い雰囲気はどこにもなかった。
私は不安で胸がいっぱいになった。
王都で何か大変なことが起きている。そして、私たちのこの穏やかな旅はここで終わりを告げるのだ。
「……アシュレイ様」
私が心配そうに声をかけると、彼ははっとしたように私を振り返った。そして、自分が纏っていた冷たい空気が私を不安にさせていることに気づいたのだろう。彼は意識してその表情を和らげた。
「……すまない、リナリア。驚かせたな」
彼は私の隣に戻ると、先ほどのようにそっと私の肩を抱いた。
「王都で少しばかり面倒事が起きたようだ。だが、君が心配するようなことではない。私がすぐに解決する」
その声はどこまでも頼もしかった。けれど、私はもうただ守られているだけの少女ではなかった。
「私もお力になれることはありますか」
「君は、何もしなくていい」
彼はきっぱりと言った。
「君の役目は私の傍で、ただ穏やかに、そして安全でいてくれることだ。それだけで私はどんな困難にも立ち向かうことができる」
その言葉は彼の本心だった。
リナリアの存在こそが彼にとっての力の源であり、守るべき光だった。彼女を王宮のどす黒い陰謀にこれ以上巻き込みたくはない。それが彼の偽らざる気持ちだった。
私たちはその後、言葉少なに滞在先の館へと戻った。
祭りの喧騒はまだ遠くで聞こえている。しかし、その音はもはや私たちの心には届いていなかった。
侍女に促され、私は自室へと戻った。アシュレイ様はすぐに騎士団長たちを集め、深夜まで続くであろう緊急の会議へと向かっていった。
一人きりになった部屋で、私は先ほどの丘の上での出来事を思い出していた。
花火を見上げる私の横顔。
そして、それを熱のこもった瞳で見つめていた彼。
ゆっくりと近づいてきた彼の顔。
もしあの時、騎士が来なかったら。
私たちはどうなっていたのだろう。
そう考えると、私の顔はりんごのように真っ赤になった。心臓が甘く、そして少しだけ切なく、きゅんと音を立てる。
私はこの旅を通じて、彼への想いが恋心なのだとはっきりと自覚した。
では、彼は?
彼は私のことをどう思っているのだろう。
もちろん、彼は私を「大切な人」だと言ってくれる。私を生涯かけて守るとも言ってくれた。
けれど、それは彼の持つ深い責任感や私への同情から来るものではないのだろうか。聖女である私を庇護下に置くという、公爵としての義務感からではないのだろうか。
彼は私を、一人の女性として愛してくれているのだろうか。
その答えが、先ほどの彼のあの瞳の中にあったような気がした。
あの瞳に宿っていたのは、ただの庇護欲や責任感ではなかった。
それは一人の男性が愛する女性に向ける、どうしようもなく切実で、そして熱い欲望の色をしていた。
その事実に気づいた瞬間、私の心は喜びと恥ずかしさで張り裂けそうになった。
アシュレイ様も私と同じ気持ちでいてくれるのかもしれない。
その可能性が、私の胸を甘い期待でどこまでも、どこまでも満たしていく。
王都に戻れば、また困難な現実が待っているのかもしれない。
けれど、もう怖くはなかった。
この旅で私は彼との絆をさらに深く、確かなものにすることができたのだから。
そして彼もまた私と同じ想いを抱いてくれているのだとしたら。
それ以上に心強いことがあるだろうか。
私はベッドに潜り込むと、まだ遠くで聞こえる祭りの音楽に耳を澄ませた。
それは私の心の中で芽生えた甘い恋心のBGMのように、優しく、そして温かく響いていた。
一方、アシュレイもまた深夜の会議室で、部下たちと厳しい表情で議論を交わしながらも、その心の片隅ではずっとリナリアのことだけを考えていた。
祭りの喧騒の中で無邪気に笑っていた彼女の顔。
初めて見る花火に子供のように目を輝かせていた彼女の横顔。
その一つ一つが彼の胸をどうしようもなく締め付ける。
愛おしい。
ただひたすらに、愛おしくて仕方がなかった。
あの瞬間、彼は確かに彼女の唇を奪おうとしていた。
長年呪いによって凍てついていた彼の心の中で、唯一消えることなく灯り続けていた彼女への想い。それがこの旅を通じて、もはや抑えきれないほどの激しい炎となって燃え上がっていたのだ。
騎士に邪魔をされたことには心底腹が立った。しかし、同時に少しだけ安堵している自分もいた。
まだ早い。
まだ彼女を自分の欲望に巻き込むべきではない。
彼女が全ての過去を乗り越え、心からの笑顔で自分の未来を歩き出せるようになるまでは。
その時が来たら、必ず。
自分のこの想いの全てを彼女に伝えよう。
アシュレイは窓の外に広がる領地の深い闇を見つめながら、心の中で固く、固く誓った。
王都に戻れば、また戦いが待っている。
だが、今度の彼はもう一人ではない。
守るべき光が、そして共に戦うべき愛する人が、彼の隣にはいるのだから。
彼の心にもまた、リナリアへの愛おしさが日に日に増していくのをはっきりと感じていた。
祭りの夜は、二人それぞれの心に甘く、そして確かな想いを深く、深く刻み込んで、静かに更けていった。
アシュレイの心の中にあったリナリアへの溢れ出しそうになる想いは、領主としての冷徹な仮面の下に再び深く押し込められた。
(……あとほんの少しだったというのに)
内心で悪態をつきながらも、彼は完璧に落ち着き払った態度で騎士に向き直った。
「詳細を話せ」
「はっ。王宮内部で何者かによる陰謀が発覚したとの報せでございます。詳細は不明ですが、陛下は公爵閣下に可及的速やかなる帰還を要請されておられる、と」
王宮での陰謀。
その言葉に、アシュレイの脳裏には数週間前に自らが断罪したあの二人の顔が浮かんだ。第二王子エドワードと、イザベラ・エルフィールド。
(あの者たちが、まだ何かを企んでいるというのか……)
アシュレイの思考は瞬時に領主としてのものに切り替わる。状況を分析し、最善の行動を選択する。それは彼が長年、戦場と宮廷で培ってきた彼の最も得意とするところだった。
「……分かった。夜が明け次第ただちに出発する。準備を整えよ」
「御意!」
騎士は敬礼すると、素早くその場を去っていった。
後に残されたのは、私と、そして再び冷徹な領主の貌に戻ってしまったアシュレイ様だけだった。先ほどまでの甘い雰囲気はどこにもなかった。
私は不安で胸がいっぱいになった。
王都で何か大変なことが起きている。そして、私たちのこの穏やかな旅はここで終わりを告げるのだ。
「……アシュレイ様」
私が心配そうに声をかけると、彼ははっとしたように私を振り返った。そして、自分が纏っていた冷たい空気が私を不安にさせていることに気づいたのだろう。彼は意識してその表情を和らげた。
「……すまない、リナリア。驚かせたな」
彼は私の隣に戻ると、先ほどのようにそっと私の肩を抱いた。
「王都で少しばかり面倒事が起きたようだ。だが、君が心配するようなことではない。私がすぐに解決する」
その声はどこまでも頼もしかった。けれど、私はもうただ守られているだけの少女ではなかった。
「私もお力になれることはありますか」
「君は、何もしなくていい」
彼はきっぱりと言った。
「君の役目は私の傍で、ただ穏やかに、そして安全でいてくれることだ。それだけで私はどんな困難にも立ち向かうことができる」
その言葉は彼の本心だった。
リナリアの存在こそが彼にとっての力の源であり、守るべき光だった。彼女を王宮のどす黒い陰謀にこれ以上巻き込みたくはない。それが彼の偽らざる気持ちだった。
私たちはその後、言葉少なに滞在先の館へと戻った。
祭りの喧騒はまだ遠くで聞こえている。しかし、その音はもはや私たちの心には届いていなかった。
侍女に促され、私は自室へと戻った。アシュレイ様はすぐに騎士団長たちを集め、深夜まで続くであろう緊急の会議へと向かっていった。
一人きりになった部屋で、私は先ほどの丘の上での出来事を思い出していた。
花火を見上げる私の横顔。
そして、それを熱のこもった瞳で見つめていた彼。
ゆっくりと近づいてきた彼の顔。
もしあの時、騎士が来なかったら。
私たちはどうなっていたのだろう。
そう考えると、私の顔はりんごのように真っ赤になった。心臓が甘く、そして少しだけ切なく、きゅんと音を立てる。
私はこの旅を通じて、彼への想いが恋心なのだとはっきりと自覚した。
では、彼は?
彼は私のことをどう思っているのだろう。
もちろん、彼は私を「大切な人」だと言ってくれる。私を生涯かけて守るとも言ってくれた。
けれど、それは彼の持つ深い責任感や私への同情から来るものではないのだろうか。聖女である私を庇護下に置くという、公爵としての義務感からではないのだろうか。
彼は私を、一人の女性として愛してくれているのだろうか。
その答えが、先ほどの彼のあの瞳の中にあったような気がした。
あの瞳に宿っていたのは、ただの庇護欲や責任感ではなかった。
それは一人の男性が愛する女性に向ける、どうしようもなく切実で、そして熱い欲望の色をしていた。
その事実に気づいた瞬間、私の心は喜びと恥ずかしさで張り裂けそうになった。
アシュレイ様も私と同じ気持ちでいてくれるのかもしれない。
その可能性が、私の胸を甘い期待でどこまでも、どこまでも満たしていく。
王都に戻れば、また困難な現実が待っているのかもしれない。
けれど、もう怖くはなかった。
この旅で私は彼との絆をさらに深く、確かなものにすることができたのだから。
そして彼もまた私と同じ想いを抱いてくれているのだとしたら。
それ以上に心強いことがあるだろうか。
私はベッドに潜り込むと、まだ遠くで聞こえる祭りの音楽に耳を澄ませた。
それは私の心の中で芽生えた甘い恋心のBGMのように、優しく、そして温かく響いていた。
一方、アシュレイもまた深夜の会議室で、部下たちと厳しい表情で議論を交わしながらも、その心の片隅ではずっとリナリアのことだけを考えていた。
祭りの喧騒の中で無邪気に笑っていた彼女の顔。
初めて見る花火に子供のように目を輝かせていた彼女の横顔。
その一つ一つが彼の胸をどうしようもなく締め付ける。
愛おしい。
ただひたすらに、愛おしくて仕方がなかった。
あの瞬間、彼は確かに彼女の唇を奪おうとしていた。
長年呪いによって凍てついていた彼の心の中で、唯一消えることなく灯り続けていた彼女への想い。それがこの旅を通じて、もはや抑えきれないほどの激しい炎となって燃え上がっていたのだ。
騎士に邪魔をされたことには心底腹が立った。しかし、同時に少しだけ安堵している自分もいた。
まだ早い。
まだ彼女を自分の欲望に巻き込むべきではない。
彼女が全ての過去を乗り越え、心からの笑顔で自分の未来を歩き出せるようになるまでは。
その時が来たら、必ず。
自分のこの想いの全てを彼女に伝えよう。
アシュレイは窓の外に広がる領地の深い闇を見つめながら、心の中で固く、固く誓った。
王都に戻れば、また戦いが待っている。
だが、今度の彼はもう一人ではない。
守るべき光が、そして共に戦うべき愛する人が、彼の隣にはいるのだから。
彼の心にもまた、リナリアへの愛おしさが日に日に増していくのをはっきりと感じていた。
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