この男子校の生徒が自分以外全員男装女子だということを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第55話 夏祭りに行こう

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地獄の宿題合宿を乗り越えた俺たちは、夏休み最後の夜を穏やかな虚脱感と共に過ごしていた。もう何もする気力がなく、全員がリビングの床にごろごろと転がっている。テレビから流れる夏の終わりの特番だけが、部屋に気だるく響いていた。

『……さて、続いてのニュースです。今夜、町の中心部にある白鷺神社では恒例の夏祭りが開催されており、多くの浴-衣姿の若者で賑わいを見せています』

テレビに映し出されたきらびやかな神社の境内。提灯の柔らかな明かり、屋台の数々、そして楽しそうに笑い合う浴衣姿の人々。それは俺たちが過ごしてきた夏休みとは、まるで別世界の光景だった。

「……夏祭り、か」
床に転がっていた葵がぽつりと呟いた。その声には羨望の色が滲んでいる。
「いいですねぇ……りんご飴、食べたいです」
湊がうっとりとした表情で画面を見つめている。
「……人混みは、嫌いだ」
雅はそっぽを向いているが、その瞳はテレビ画面に釘付けだ。
「……綺麗ね」
玲もため息のような声で呟いた。

そうだ。俺たちは夏休みらしいことをたくさんしてきた。プールも肝試しも、街へのお出かけも。でも夏祭りはまだだった。日本の夏の最大の風物詩。それを経験しないまま夏を終えてしまっていいのだろうか。

「……行きたいのか?」
俺がみんなの顔を見渡しながら尋ねると、四人は一斉に、しかしどこか遠慮がちにこくりと頷いた。その瞳は行きたいと雄弁に物語っていた。

だが問題は山積みだ。
まず今から行っても間に合うのか。そして最大の難関は服装だ。夏祭りといえば浴衣。だが彼女たちが女の子用の浴衣を着て外に出ることなどできるはずもない。かといって男物の浴衣など寮にあるわけがなかった。

「……無理、だよな」
葵が諦めたように呟いた。部屋の空気は再び沈みかける。

その時だった。
「……ふふふ」
玲が何かを思いついたように、悪戯っぽく微笑んだ。
「無理では、ないかもしれないわよ?」

彼女はすっと立ち上がると、自分の部屋のクローゼ-ットの奥から一つの大きな桐の箱を、よいしょ、と運び出してきた。
「これは?」
「私の実家から荷物と一緒に送られてきたものよ。いつか使うかもしれないと思って、念のためにね」
彼女がゆっくりと箱の蓋を開ける。
すると中から現れたのは、藍色や黒、灰色といった落ち着いた色合いの、四人分の真新しい男物の浴衣だった。

「うおおおお! マジかよ玲!」
「どうしてこんなものが……!」
俺たちが驚きに目を見開いていると、玲は得意げに胸を張った。
「橘家の者はいついかなる時も完璧な装いを求められるの。夏祭りに行く可能性も、もちろん想定済みよ」
さすがは橘財閥のご令嬢。その準備力は湊のハッキング能力に匹敵するかもしれない。

「でも、これじゃあ祐樹の分がないじゃないか」
「心配ご無用です、せんぱい!」
今度は湊がどこからか紙袋を取り出してきた。
「僕、せんぱいの浴衣姿も絶対に見たいと思って、ネット通販でこっそり注文しておいたんです! サイズも僕の3Dスキャンによれば完璧なはずです!」
いつの間にか俺の身体は三次元データ化されていたらしい。少し怖いが、今はありがたい。

こうして最大の難関だった浴衣問題は、二人の用意周到さによってあっけなくクリアされた。
残る問題は時間だけだ。
「祭りは夜の十時までだ! 今から急げばまだ間に合う!」
葵が時計を見て叫ぶ。

俺たちの最後の夏休みイベント、『秘密の夏祭りへ行こう大作戦』がここに緊急発動された。
俺たちは大急ぎで浴衣に着替えた。

男物の浴衣に身を包んだ彼女たちの姿は、息をのむほどに美しかった。
玲は濃紺の浴衣が彼女の白い肌と銀髪を際立たせ、凛とした色気を醸し出している。
葵は黒地に龍の柄が入った浴衣を少しやんちゃに着崩し、快活な中にも男の色気が漂っていた。
湊は淡いグレーの浴衣が彼の可愛らしさをさらに引き立て、見る者の庇護欲を掻き立てる。
そして雅。彼女は深い緑色の渋い柄の浴衣を見事に着こなし、孤高の美しさにどこか儚げな雰囲気をまとわせていた。

「……どう、かしら?」
「似合ってるか、祐樹?」
「せんぱい、僕、かっこいいですか?」
「……変じゃないか」

四人からの視線を一身に浴び、俺は正直に思ったままを口にした。
「……ああ。最高にかっこいいよ」

俺のその一言に、四人はそれぞれのやり方ではにかんだ。
俺も湊が用意してくれた黒の浴衣に着替える。慣れない下駄に足を通し、少しだけ背筋が伸びる思いがした。

「よし、行くか!」
葵の掛け声を合図に、俺たちは寮の裏口から誰にも見つからないようにそっと抜け出した。
向かう先は、提灯の明かりが夜空を染める白鷺神社の夏祭り。
夏休み最後の夜。俺たちの、一度きりの特別な夜が今、始まろうとしていた。
胸の高鳴りは祭りの太鼓の音か、それとも隣を歩く彼女たちのせいか。俺にはもう分からなくなっていた。
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