破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第十三話 打ち捨てられた領地へ

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セラに手当てをしたあの夜を境に、俺たちの関係は微妙に、しかし確実に変化していた。
彼女は相変わらず感情を表に出すことはなく、訓練も以前と同じく容赦がない。だが、俺を見るその昏い紫の瞳の奥に、以前はなかった確かな信頼の色が宿るようになった。俺が床に倒れ伏せば、何も言わずに薬の壺を持ってくる。俺が無理をしすぎれば、「本日はここまでです」と、有無を言わせぬ響きで訓練を打ち切るようになった。
彼女は俺を主として認め、そして俺の体を「守るべきもの」として認識し始めたのだ。それは、孤独な戦いを続ける俺にとって、何よりも心強い支えとなった。

そうして一年が過ぎ、俺が十三歳になったある日のこと。
夜の訓練を終え、汗を拭いながら、俺は新たな計画を実行に移す時が来たと判断した。
影魔法と暗殺術。その二つは、俺が破滅の運命から生き残るための牙だ。だが、牙だけでは戦えない。戦うためには、揺るぎない地盤が必要だ。兵士を養い、情報を集め、いざという時に立てこもるための拠点。つまり、俺自身の「領地」が。
ヴァルハイト公爵家は、帝国でも有数の広大な領地を保有している。その中には、当然ながら豊かで実りの多い土地もあれば、誰も見向きもしない不毛の地も存在した。
俺の狙いは後者だ。
兄たちが欲しがるような豊かな土地は、手を出せば必ず警戒される。だが、誰もが価値がないと見捨てる土地ならば、出来損ないの三男が気まぐれに欲しがっても、誰も気に留めないだろう。

翌日、俺は父ジークフリートの書斎の前に立っていた。ここを訪れるのは、忌み属性の烙印を押されて以来、初めてのことだった。
扉をノックし、中から響く威圧的な声に応えて部屋に入る。父は巨大な執務机の向こうで、相変わらず書類の山に埋もれていた。俺が入室しても、顔を上げようともしない。
「……何の用だ、アレン」
その声には、息子に対する親愛の情など微塵もなかった。ただ、貴重な時間を邪魔されたことへの苛立ちだけが滲んでいる。
「父上にお願いがあり、参りました」
俺はわざと、少しおどおどとした態度で切り出した。これも計算のうちだ。
「領地を一つ、私にお与えください」
その言葉に、父のペンが初めて止まった。ゆっくりと顔を上げた彼の鷲のような瞳が、俺を射抜く。その視線は、俺の真意を探るように鋭い。
「……領地だと?」
「はい。ヴァルハイト家の領地の中で、まだ誰も治めていない土地があると聞き及んでおります。どのような場所でも構いません。私自身の領地として、治めてみたいのです」
俺の言葉を聞き終えると、父は鼻で笑った。それは、心底から俺を侮蔑している者の笑いだった。
「貴様に、領地経営ができるとでも言うのか。剣も魔法も中途半端な出来損ないが、領主ごっこか。片腹痛いわ」
予想通りの反応。俺は内心で安堵しながら、さらに芝居を続けた。
「い、いえ、そのような大それたことでは……ただ、このまま屋敷で無為に過ごすよりは、何か家の役に立つことを考えまして……」
しどろもどろに言い訳をする俺の姿を見て、父の目から警戒の色が消え、代わりに深い失望と無関心の色が戻ってきた。どうやら、俺の演技は成功したらしい。
父は再び書類に視線を落とすと、吐き捨てるように言った。
「……西の果てに、ロヴェルトの地がある」
ロヴェルト。その名を聞いて、俺は心の中で勝利を確信した。歴史書にも記された、ヴァルハイト領きっての不毛の地だ。
「かつては鉱山で栄えたが、それもとうに掘り尽くされた。今は痩せた土地と、僅かばかりの村が残るだけの打ち捨てられた場所だ。誰も欲しがらん、まさにお前に相応しい土地だろう」
「は、はい……」
「くれてやる。好きにしろ。ただし、公爵家からの援助は一切ないものと思え。己の才覚のなさを、その身で思い知るがいい」
父はそう言うと、まるで俺の存在を忘れたかのように、再びペンを走らせ始めた。謁見は終わりだという無言の宣告だった。
俺は深々と頭を下げ、書斎を退出した。扉を閉めた瞬間、俺の顔から怯えの色は消え、冷たい笑みが浮かんだ。
手に入れた。俺だけの国を築くための、最初の土地を。

俺がロヴェルトの地を与えられたという話は、すぐに屋敷中に広まった。
「聞いたか? あの出来損ないが、ロヴェルトの領主様になるそうだ」
「正気とは思えんな。思いつきで何ができるというのだ」
「まあ、せいぜい頑張ることだな。領民に石でも投げられて、泣いて帰ってくるのが関の山だろうが」
次兄ベルトルトは、わざわざ俺の部屋までやって来て、腹を抱えて笑い転げていった。
俺はそんな周囲の嘲笑を、心地よいBGMのように聞き流していた。笑えばいい。お前たちが俺を無能な愚か者だと信じ込むほど、俺の計画は滞りなく進むのだから。
俺は旅の準備を始めた。と言っても、大したものではない。最低限の着替えと、貯め込んだなけなしの金貨。そして、護衛としてセラを一人連れて行くだけだ。大仰な騎士団など連れていけば、父の真意を探るための密偵を紛れ込まされるのがオチだ。
出発の朝、俺とセラは誰に見送られることもなく、一頭の馬に荷物を積んで屋敷の裏門から静かに旅立った。

ロヴェルトの地までは、馬車でも数日かかる距離だ。俺たちは野営をしながら、ゆっくりと西を目指した。
そして旅を始めて五日目。俺たちの目の前に、目的の土地がその姿を現した。
そこは、俺の想像を、そして歴史書の記述を、さらに下回るほどに荒廃した場所だった。
地平線まで続くのは、赤茶けた痩せた大地。まばらに生える草は枯れ、風が吹くたびに乾いた土埃が舞い上がる。かつての鉱山の名残なのか、ごつごつとした岩肌が剥き出しになった丘が点在し、荒涼とした風景に拍車をかけていた。
やがて、小さな村が見えてきた。それが、この地の中心となる村らしい。だが、そこに活気というものは微塵もなかった。家の壁は崩れ、屋根には穴が空いている。道行く村人たちの服は擦り切れ、その顔には深い疲労と、全てを諦めきったような無気力な表情が浮かんでいた。
俺とセラが村に入ると、村人たちは怯えと猜疑心に満ちた目で、俺たちを遠巻きに見つめるだけだった。ヴァルハイト家の紋章が入った俺の服が、彼らにとって恐怖の対象でしかないことを物語っている。
馬を降り、村の中心と思われる広場に立つ。俺の隣に立ったセラが、初めて口を開いた。
「……ひどい場所ですね」
その声には、珍しくわずかな感情が滲んでいた。おそらく、彼女が育った暗殺者の一族の隠れ里よりも、さらに過酷な環境なのだろう。
「ああ、ひどいな」
俺はセラの言葉に同意した。だが、その声に絶望の色はなかった。俺の目には、この荒れ果てた土地が、全く違う風景に見えていたからだ。
俺は赤茶けた大地を見つめた。
(この土地は、水捌けが悪く、塩分を多く含んでいる。だから普通の作物は育たない。だが、歴史書によれば、ある特定の種類の芋と豆は、この土壌でも育つどころか、逆に土壌を改善する効果さえ持つ。その作物は、まだこの大陸には伝わっていない)
俺は乾いた風が吹き抜ける丘に目を向けた。
(この風は一年を通して安定して吹き続ける。ここに、未来の技術である「風車」を設置すれば、安定した動力を確保できる。井戸を掘り、穀物を挽き、やがては鍛冶にも利用できる)
俺は希望を失った村人たちの顔を見た。
(彼らは今、生きる気力さえ失っている。だが、腹一杯の食事と、まともな仕事を与えれば、彼らは誰よりも勤勉な働き手になるだろう)
俺の頭の中には、この不毛の地を、帝国有数の穀倉地帯へと変貌させるための、完璧な設計図が描かれていた。
「セラ」
俺は隣に立つ少女に声をかけた。
「ここが、俺の国になる」
その言葉に、セラは何も答えなかった。だが、彼女は俺の横顔をじっと見つめ、そして、かすかに頷いた。その紫の瞳には、この荒れ果てた土地に未来を見ている主への、絶対的な信頼が宿っていた。
領地改革。それは、剣や魔法の戦いとは全く違う、だが、より困難で、より重要な戦いだ。
俺は乾いた土をひと掴みし、その感触を確かめた。
ここからだ。俺の本当の成り上がりは、この絶望の土地から始まる。
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