破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第十八話 平和的解決

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父の軍勢を足止めすることに成功した俺は、休む間もなく次の手を打った。それは、この情報戦を終わらせるための、最後の一手。
俺は一羽の伝書鳩を放った。宛先は、ブランタール辺境伯、ゲルハルト。差出人の名は記されていない。ただ、ヴァルハイト家の内情に詳しい和平派の人間を装った、短い文面が添えられているだけ。
『貴領の内乱、ヴァルハイト公爵の耳にも届いている。公爵は、貴殿の息子ルドルフ様を新たな領主として迎えることで、無用な流血を避けられると考えておられる。だが、私個人としては、貴殿のような実直な人物が治め続けてこそ、両家の真の友好が築けると信じている』
それは、ゲルハルトの心を揺さぶるための、巧妙な罠だった。息子の裏切りを示唆し、同時にゲルハルト個人を持ち上げる。そして、ヴァルハイト家が一枚岩ではないと信じ込ませる。
『もし貴殿に、無益な戦を避ける意思がおありなら、三日後の満月の夜、国境の古い監視塔にてお会いしたい。我が主には内密の、極秘の会談である。貴殿の英断を期待する』
この手紙が、彼の元に届けばいい。疑心暗鬼に陥った彼は、藁にもすがる思いで、この怪しげな会談の誘いに乗らざるを得なくなるはずだ。

その頃、ブランタール領の城内では、俺の筋書き通り、混乱が極まっていた。
セラが流した偽情報と、俺が送った手紙は、ゲルハルトの心を完全に打ち砕いていた。息子は敵と通じ、家臣は互いを罵り合う。もはや誰を信じていいのか分からない。そんな絶望的な状況下で届けられた謎の和平交渉の誘い。
彼は悩んだ末、ついに決断した。この会談に、たった一人で臨むことを。

そして、三日後の夜。
月が煌々と大地を照らす中、俺は約束の場所である古い監視塔にいた。ぼろぼろの外套で全身を包み、フードを目深に被っている。背後には、同じように気配を消したセラが控えていた。
やがて、遠くから一騎の馬が近づいてくるのが見えた。馬上の人物は、ブランタール辺境伯ゲルハルト、その人だった。彼は約束通り、供も連れず、たった一人でやってきた。
ゲルハルトは監視塔の前で馬から降りると、警戒しながらゆっくりとこちらに近づいてきた。その顔には、長年の心労が深い皺となって刻まれている。
「……お前が、手紙の主か」
ゲルハルトの低い声が、夜の静寂に響いた。
俺はフードを脱いだ。月明かりの下に晒された俺の顔を見て、ゲルハルトは驚愕に目を見開いた。
「なっ……貴様は、子供ではないか! まさか、ヴァルハイトの……!」
「アレン・フォン・ヴァルハイト。ヴァルハイト公爵が三男、アレンと申します」
俺は貴族の礼法に則り、優雅に一礼してみせた。その落ち着き払った態度に、ゲルハルトはさらに混乱したようだった。
「馬鹿な……! ヴァルハイトの出来損ないと噂の三男坊が、なぜここに……! これは罠か!」
ゲルハルトは、咄嗟に腰の剣の柄に手をかけた。その動きを見て、俺の背後にいたセラの気配が、一瞬だけ鋭い殺気を帯びる。俺はそれを、手で制した。
「罠ではありませんよ、辺境伯。これは、取引です」
俺は穏やかな口調で言った。
「あなたの領地が今、どのような状況にあるか。あなた自身が一番よくご存知のはずだ。息子に裏切られ、家臣は分裂。もはや、あなたの領地は内側から崩壊寸前だ」
「……貴様らの仕業か!」
「さて、どうでしょうな」
俺は肩をすくめてみせた。
「ですが、一つだけ言えることがあります。このまま戦になれば、あなたの領地は確実に滅びる。我が父、ジークフリートは、あなたが考えるよりも遥かに冷酷で、そして用意周到な男です」
ゲルハルトは唇を噛み締めた。俺の言葉が、紛れもない事実であることを、彼も理解していたからだ。
「では、どうしろと……! 降伏しろとでも言うのか!」
「いいえ」と俺は首を横に振った。
「私が提案するのは、降伏ではありません。吸収合併です」
「……何?」
「ブランタール領は、ヴァルハイト領の一部となる。ただし、領民の生活は保証し、これまでの暮らしを一切変えないことを約束する。そして、あなた、ゲルハルト殿には、引き続きこの地の代官として、統治を続けていただく」
それは、戦の敗者に対する条件としては、ありえないほど寛大なものだった。ゲルハルトは、信じられないという表情で俺を見つめる。
「……そんな条件を、あのジークフリート公が飲むとでも?」
「ええ、飲みますよ。なぜなら、この取引には、父上が喉から手が出るほど欲しがっているものが含まれていますから」
俺は続けた。
「鉄鉱山の採掘権の七割を、ヴァルハイト家に譲渡していただく。これが、唯一の条件です」
ゲルハルトは息を呑んだ。鉄鉱山。それこそが、この紛争の全ての根源だった。
「血を流すことなく、最大の目的を達成できる。父上がこの提案を断る理由がありません。そして、あなたも、領民を戦火に晒すことなく、その地位と生活を守ることができる。誰一人、損をしない取引だとは思いませんか?」
ゲルハルトは、俺の顔をじっと見つめていた。その瞳には、目の前の少年に対する畏怖と、そして、一筋の希望の光が宿り始めていた。
彼は、俺の背後にいるヴァルハイト公爵ジークフリートという巨大な影ではなく、俺、アレン・フォン・ヴァルハイトという十三歳の少年個人と、向き合い始めていた。
長い沈黙の後、ゲルハルトは深く、深く息を吐いた。そして、柄にかけた手をゆっくりと離す。
「……分かった。その取引、飲もう」
それは、事実上の降伏宣言だった。だが、彼の顔に屈辱の色はなかった。むしろ、長い悪夢からようやく解放されたかのような、安堵の表情さえ浮かんでいた。

翌日、俺はゲルハルトとの連名で、父ジークフリートへ書状を送った。そこには、今回の平和的吸収合併の全ての条件が、詳細に記されていた。
書状を届けさせたのは、昨夜俺を訝しんでいた、あの騎士団長だ。
数日後、父からの返書が届いた。
そこには、たった一言だけ、こう記されていた。
『……良かろう』
その簡潔な言葉の裏に、父の驚愕と、そしてほんのわずかな賞賛が滲んでいるのを、俺は感じ取った。

こうして、歴史書に記されていた「ブランタール領侵攻」という最初の破滅フラグは、血を一滴も流すことなく、回避された。
それどころか、ヴァルハイト家は最小限の労力で最大の利益を手に入れるという、歴史書にはなかった、より良い結果を手にしたのだ。
ロヴェルトの村に凱旋した俺を、村人たちは英雄として迎えた。彼らは、自分たちの領主が、戦争を止めさせ、平和を守ってくれたのだと心から信じていた。
俺は彼らの歓声に応えながら、静かに空を見上げた。
歴史は、変えられる。
その確信が、俺の中で揺るぎないものとなった瞬間だった。
俺の戦いは、まだ始まったばかりだ。だが、俺はもう、ただ運命に怯えるだけの無力な少年ではなかった。
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