破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第十七話 影の暗躍

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父からの書状を受け取ってから数日後。俺の部屋には、ロヴェルトの地とブランタール辺境伯領の広域地図が広げられていた。蝋燭の灯りが、国境線を示す赤いインクの線を不気味に照らし出している。
「作戦の第一段階を開始する」
俺は地図を見下ろしたまま、背後に控えるセラに告げた。
「お前には今から、ブランタール領へ潜入してもらう。目的は二つ。一つは情報収集。もう一つは、情報の汚染だ」
「汚染、でございますか」
セラの抑揚のない声が、静かに問い返す。
「そうだ。ブランタール領は今、一枚岩ではない。頑固だが実直な領主、ゲルハルト。その名を汚す放蕩息子のルドルフ。そして、領地の富を巡って水面下で争う二つの家臣派閥。このバラバラな連中を、さらに疑心暗鬼でかき乱す」
俺は地図の上で、いくつかの場所に指を置いた。城下町の酒場、貴族の屋敷、そして鉄鉱山。
「お前には、複数の人間に扮して、それぞれに異なる偽情報を流してもらいたい。例えば、放蕩息子のルドルフには、『ヴァルハイト家は穏健派の君が跡を継ぐなら、和平もやぶさかではないと考えている』と囁け。家臣の派閥Aには、『派閥Bがヴァルハイトと密通し、領地を売り渡そうとしている』という証拠を捏造して見せつけろ。そして、領主ゲルハルトの耳には、『ヴァルハイト内にも和平を望む声があるが、公爵がそれを押さえつけている』という噂を届けろ」
それは、敵の内部に無数の不信の種を蒔き、その芽が出るのを待つという、陰湿で緻密な作戦だった。力でねじ伏せるのではなく、情報という毒で内側から腐らせる。まさに、影の戦い方だった。
「承知いたしました」
セラは短く答えた。その紫の瞳には、困難な任務への挑戦を前にして、かすかな興奮の色さえ浮かんでいるように見えた。
「頼んだぞ、セラ。これは時間との戦いだ。父が本格的な侵攻を決断する前に、ブランタールを交渉のテーブルに着かせなければならない」
「御心のままに」
セラは音もなく一礼すると、その姿をすっと部屋の影の中へと沈ませた。まるで、水にインクが溶けていくかのように、彼女の存在は完全に闇と同化した。影魔法ではない。暗殺者として培った、究極の隠形術だった。
俺は一人残された部屋で、地図を睨みつけた。駒は、放たれた。

一方、俺は俺で、表向きの仕事を進めなければならない。
翌日から、俺はロヴェルトの村で徴兵のための訓練を開始した。村の若者たちを集め、槍の代わりに木の棒を持たせる。
当然、村人たちの顔には不安と恐怖が浮かんでいた。
「領主様、我々は本当に戦に行かねばならんのですか」
「俺たち、畑仕事しかしたことねえだ」
そんな声に対し、俺は集まった彼らの前で、はっきりと宣言した。
「これは、戦に行くための訓練ではない」
俺の言葉に、若者たちが顔を上げる。
「ブランタールの連中が、我々の豊かな畑を狙っているという情報が入った。この訓練は、奴らが攻めてきた時に、お前たち自身が、お前たちの家族と畑を守るためのものだ。俺がお前たちを、犬死になどさせるものか」
その言葉は、村人たちの心を強く打った。領主様は、俺たちを使い捨てるのではなく、守ろうとしてくれている。その事実が、彼らの士気を奮い立たせた。訓練は、侵略のためのものではなく、防衛のためのものへとその意味合いを変えた。
もちろん、父へ送る報告書には、『徴兵は順調。若者たちの士気は高く、いつでも出兵可能』と、都合のいい嘘を書き連ねておいた。父は、出来損ないの俺が提出する報告書など、ろくに目を通しもしないだろう。

セラがブランタール領へ潜入してから、十日が過ぎた。
彼女からの連絡は、伝書鳩によって定期的に届けられた。短い文面には、作戦の進捗が暗号で記されている。
『商人A、噂を拡散中』
『貴族B、Cへの不信を募らせる』
『息子、父への反発を強める』
全て、計画通りに進んでいた。
セラの暗躍は、俺の想像以上だった。彼女は時に旅の芸人に、時に酒場の女給に、時に貴族の侍女にと、その姿を幻のように変えながら、ブランタールの中心部へと深く静かに浸透していった。
彼女が蒔いた毒は、確実にブランタール領を蝕み始めていた。
嫡男ルドルフは、「父が頑固だからヴァルハイトとの和平交渉が進まない」と公言して派閥を作り始め、家臣たちは互いを「ヴァルハイトのスパイではないか」と疑い、足の引っ張り合いを演じるようになった。領主ゲルハルトは、まとまらない家臣と反抗的な息子に心労を重ね、その判断力は日に日に鈍っていった。
ヴァルハイト家との開戦を主張する強硬派の声は、内輪の揉め事にかき消され、力を失っていった。

そして、作戦開始から二週間後の夜。
俺の元に、父からの新たな書状を携えた騎士が到着した。ロヴェルトの村に来るのは二度目となる、あの厳つい顔の騎士団長だ。
だが、今回、彼の俺を見る目には、以前のような侮蔑の色はなかった。代わりに、困惑と、ほんのわずかな畏怖のようなものが混じっている。
「アレン様。公爵様より、新たなご命令です」
俺が受け取った書状には、こう記されていた。
『ブランタール側の内情が、奇妙なことになっている。内部で深刻な対立が起きているとの報告が相次いでいる。戦の準備は怠るな。だが、侵攻は一時保留とする。まずは、奴らの真意を探る』
俺は書状を静かに丸め、口の端に笑みを浮かべた。
勝った。
俺は血を一滴も流すことなく、たった一人の少女の力だけで、父の軍勢を足止めしてみせたのだ。
騎士団長は、そんな俺の様子を訝しげに見つめていた。彼には理解できないのだろう。なぜ、こんな辺境の地で泥にまみれているはずの三男坊が、まるで全てを知っていたかのように落ち着き払っているのか。
「承知した、と父上にお伝えしろ」
俺は短く答えた。
「それから、こうも付け加えてくれ。『戦わずして勝つことこそ、最善の策と心得ます』とな」
俺の言葉に、騎士団長は目を見開いた。それは、ただの出来損ないの少年が口にするには、あまりにも不釣り合いな言葉だったからだ。
彼は複雑な表情で一礼すると、慌ただしく馬上の人となった。
去っていく騎士の後ろ姿を見送りながら、俺は夜空を見上げた。
第一段階は終わった。敵の戦意を削ぎ、動きを止めた。
次はいよいよ、最終段階だ。
この混乱に乗じて、俺自身が「交渉役」として乗り込み、ブランタール領を、そして鉄鉱山を、平和的に手に入れる。
破滅フラグは、へし折るためにある。俺は、歴史に記された未来を、この手で塗り替えてみせる。
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