破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第三十一話 一撃離脱

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カイウスは、己の無力さを痛感していた。
目の前の巨獣、オーガ・リーダー。その一撃は、鋼鉄の城壁をも砕かんばかりの破壊力を秘めていた。炎の剣で受け流すのがやっとで、反撃の隙など微塵も見出せない。仲間たちの魔法は分厚い皮膚に弾かれ、リリアーナの聖なる光さえも、胸の黒い水晶が放つ邪悪な瘴気に阻まれて届かない。
(ここまでなのか……!)
棍棒が、風を切り裂いてすぐ横の岩壁に叩きつけられた。轟音と共に岩が砕け散り、その破片がカイウスの頬を掠める。じりじりと後退させられ、背後はもう壁だ。逃げ場はない。
オーガが、勝利を確信したかのように、濁った目でカイウスを見下ろし、ニタリと醜い笑みを浮かべた。そして、とどめの一撃とばかりに、巨大な棍棒を天高く振り上げる。
カイウスは、死を覚悟した。

だが、その一撃が振り下ろされることはなかった。
オーガの動きが、不自然に、ぴたりと止まったのだ。
「……?」
カイウスは何が起こったのか分からず、呆然とオーガを見上げる。オーガは、何かを探すようにきょろきょろと周囲を見回していた。その巨体に、明らかな困惑の色が浮かんでいる。
その原因は、オーガの足元に広がる影にあった。
俺は、影の中から無数の「影の針」を生成していた。それは一本一本が髪の毛ほどの細さだが、極限まで圧縮された魔力によって鋼鉄以上の硬度を持つ。その針を、オーガの足の裏、神経が集中する部分へと、音もなく突き刺したのだ。
それは致命傷にはならない。だが、耐え難い痛みと、麻痺にも似た不快感が、オーガの巨体を内側から蝕んでいた。オーガは、見えない敵からの攻撃に混乱し、カイウスへの攻撃を中断せざるを得なかったのだ。
「今のは……?」
リリアーナも、オーガの不審な動きに気づいていた。彼女の鋭い感受性が、この空間に自分たち以外の「何か」が存在することを、かすかに感じ取っていた。
オーガは、苛立ちの咆哮を上げながら、自分の足元を滅茶苦茶に踏みつけた。だが、影の針は実体を持たない。オーガの攻撃は、ただ空しく地面を叩くだけだった。

俺は、さらなる一手を打った。
オーガの注意が完全に足元に向いている、その隙。俺は「影の延長」を最大限に活用し、数十本の影の触手を生成した。そして、それを天井の鍾乳石へと伸ばし、複雑に絡みつかせる。即席の、影のワイヤーネットだ。
俺は、ワイヤーで吊り下げられた巨大な鍾乳石の一つに、狙いを定めた。そして、その根元を、影の刃で少しずつ、慎重に削り取っていく。
ギシ、ギシ、と。岩が軋む、嫌な音が響き始めた。
「上だ! 何か来るぞ!」
カイウスが、いち早くその異変に気づき、叫んだ。
次の瞬間。俺は、鍾乳石を支えていた最後の部分を、完全に断ち切った。
ゴゴゴゴゴ……!
凄まじい地響きと共に、家ほどもある巨大な鍾乳石の塊が、オーガ・リーダーの頭上へと落下を始めた。
「グオオオッ!?」
オーガは、ようやく頭上の脅威に気づき、慌てて棍棒を盾にするように構えた。
ズゥゥゥゥンッ!
天地を揺るがすような、凄まじい衝撃音。
落下の直撃を受けたオーガの巨体は、そのパワーをもってしても支えきれず、片膝をついて大きく体勢を崩した。棍棒を持つ腕はあらぬ方向に曲がり、口からは苦悶の呻きが漏れている。
そして何より、落下の衝撃で、オーガの胸に埋め込まれていた黒い水晶に、大きな亀裂が入っていた。水晶から漏れ出す邪悪な瘴気が、以前よりも明らかに弱まっている。
「……今だ!」
その千載一遇の好機を、俺は見逃さなかった。
俺は、影の中で静かに、しかしはっきりと呟いた。その声は、なぜかカイウスの脳内にだけ、直接響き渡る。
『――胸の水晶を、狙え!』
「……!」
カイウスは、頭の中に響いた謎の声に驚きながらも、迷わなかった。この好機は、天が、あるいは見えざる協力者が与えてくれたものだと、彼は直感したのだ。
「うおおおおおおっ!」
カイウスは、残された最後の魔力を、その身に宿す全ての闘志を、右腕に持つ炎の剣へと注ぎ込んだ。剣の炎は、これまでで最も激しく、眩い光を放って燃え盛る。
彼は、片膝をついて動けないオーガの懐へと、一気に踏み込んだ。そして、亀裂の入った黒い水晶めがけて、渾身の力を込めて剣を突き立てた。
ズブリ、と。肉を貫く、鈍い感触。
炎の剣は、黒い水晶を、その根元にあるオーガの心臓ごと、完全に貫いていた。
「グ……ア……ア……」
オーガ・リーダーは、信じられないというように、自分の胸に突き刺さった剣を見下ろした。その濁った瞳から、ゆっくりと破壊衝動の光が消えていく。そして、最期に、どこか安らかな表情を浮かべたかのように、その巨体はゆっくりと後方へと倒れ込み、二度と動かなくなった。

広間に、静寂が戻った。
残されたのは、荒い呼吸を繰り返すカイウスたちと、巨大な魔物の亡骸だけだった。
「……やった」
「俺たち、勝ったのか……?」
仲間たちは、まだ信じられないというように、その場にへたり込んでいる。
リリアーナは、胸の前で安堵の祈りを捧げながらも、その翡翠色の瞳で、必死に周囲を探っていた。
(今の声は……? そして、この不思議な助けは、一体誰が……?)
彼女の脳裏に、一人の少年の姿が浮かびかけていた。無能なはずの、あの冷たい瞳を持つ少年の姿が。
カイウスは、オーガの亡骸に突き立った剣を引き抜くと、その場に膝をついた。体力も魔力も、完全に限界だった。だが、彼の顔には、仲間を守り抜き、強大な敵を打ち破ったという、確かな達成感が浮かんでいた。
彼は、英雄となったのだ。歴史書の記述通りに。
そして、その英雄劇の脚本を書き、舞台装置を動かし、最高の見せ場を演出した脚本家の存在に、まだ誰も気づいてはいない。

俺は、彼らが勝利の余韻に浸っている隙に、影の中からそっと抜け出した。そして、音もなく、来た道を引き返し始める。
俺の役目は終わった。これ以上、ここに長居するのは危険だ。
俺は四階層、三階層と、誰にも気づかれずに上層階へと戻っていく。
途中で、教師たちが率いる上級生の救援部隊とすれ違った。彼らは、深層で起きた大規模な魔力反応を感知し、慌てて駆けつけたのだろう。
彼らが、俺の姿を見つけることはなかった。

俺は、ダンジョンの入り口近く、最初に教師から指示された「安全な待機場所」である一階層の広場で、わざとらしく壁に寄りかかって座り込んだ。そして、土や埃を自分の顔や服に念入りに塗りたくる。まるで、魔物に怯えて、ずっとここに隠れていました、という完璧な状況を作り上げるためだ。
やがて、ダンジョンの奥から、カイウスたちが救援部隊に付き添われて戻ってきた。彼らの姿はボロボロだったが、その表情は英雄のそれだった。
彼らは、隅で縮こまっている俺の姿を見つけた。
「アレン君! 無事だったのか!」
カイウスが、安堵の声を上げる。
俺は、わざと怯えた演技をしながら、顔を上げた。
「……ああ。怖くて、ずっとここに隠れていたんだ。何もできなくて、すまない……」
俺の情けない姿を見て、カイウスの仲間たちは、侮蔑とも憐れみともつかない表情を浮かべた。
「まあ、無理もないか。あんな事態だったからな」
「口先だけの奴が、いざとなるとこの様だ」
カイウスだけは、何か言いたげな、複雑な表情で俺を見つめていた。頭の中に響いた、あの声。そして、あまりにも都合の良すぎる、奇跡的な助け。目の前の情けない少年と、それらがどうしても結びつかない。
「……そうか。無事なら、それでいい」
彼は、それ以上何も言わなかった。
こうして、ダンジョンでの異常事態は、表向きは「第一王子カイウスの英雄的な活躍によって解決した」ということになった。
俺は、「怖くて隠れていただけの臆病者」として、誰からも功績を気づかれることなく、この事件の幕引きを見届けた。
それでいい。それが、俺の望んだ結末なのだから。
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