破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第三十五話 王都の休日

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ダンジョンでの一件が公式に「事故」として処理されてから、二週間が過ぎた。学園は週末を迎え、生徒たちはそれぞれの休日を謳歌していた。貴族の子息たちは華やかな繁華街へ繰り出し、真面目な生徒は寮に残って勉学に励む。そんな中、俺は誰にも行き先を告げることなく、たった一人、セラだけを伴ってヴァルハイト家の屋敷を抜け出した。
目的は、もちろん「黄昏の蛇」に関する情報収集だ。
表向きの世界で尻尾を掴めないのなら、裏側の世界からアプローチするしかない。俺は悪役貴族の豪奢な服を脱ぎ捨て、どこにでもいる平民の少年のような、くたびれたシャツとズボンに着替えていた。セラもまた、侍女服ではなく、旅の娘のような質素なワンピースに身を包んでいる。二人ともフードを目深に被れば、俺たちがヴァルハイト家の人間だと気づく者はいまい。
「行くぞ、セラ」
「はい、アレン様」
俺たちは、きらびやかな貴族街や大通りを避け、王都の影とも言うべき下層地区へと足を踏み入れた。道は狭く、石畳はひび割れている。建物の間からは淀んだ生活排水の匂いが漂い、すれ違う人々の目には警戒心と諦めが浮かんでいた。
だが、セラにとっては、この淀んだ空気こそが故郷のようなものらしかった。彼女の足取りには迷いがなく、その紫の瞳は、普段の学園生活では見せない鋭い輝きを宿している。
「この先に、情報が集まりやすい場所があります」
セラは、まるで自分の庭を歩くかのように、入り組んだ路地を迷いなく進んでいく。やがて、俺たちはひときわ古びた、蔦の絡まる建物の前で足を止めた。看板には『嘆きのグリフォン亭』と掠れた文字で書かれている。昼間だというのに、中からは酔っ払いの怒声や下品な笑い声が漏れ聞こえていた。
「ここは?」
「王都の裏社会に生きる者たちの、溜まり場の一つです。情報屋、傭兵、盗賊……あらゆる悪党が、仕事と酒を求めて集まります」
「うってつけの場所だな」
俺は頷き、重い木製の扉を押し開けた。途端に、むっとするような酒と汗の匂い、そして微かな血の匂いが鼻をついた。薄暗い店内は紫煙で霞み、あちこちのテーブルで柄の悪い男たちが賭け事に興じたり、大声で自慢話をしたりしている。
俺とセラが店に入ると、いくつかの視線がこちらに向けられた。子供、それも身なりの貧しい子供が二人。場違いな闖入者に、彼らの目は好奇と侮蔑の色を浮かべていた。だが、俺たちの隣をセラが音もなく歩き、その腰に下げた短剣の柄に指をかけているのを見ると、彼らは興味を失ったように視線を逸らした。セラが放つ、只者ではない気配を察したのだろう。
俺たちは、店の最も奥まった、薄暗い隅のテーブルを選んで腰を下ろした。愛想の悪い女主人が持ってきた、水で薄められたエールを注文し、周囲の会話に意識を集中させる。
「聞いたか? 南の商業ギルドの金庫が、また破られたらしいぜ」
「ちげえねえ、あれは『影猫』一味の仕業だ」
「それより、北の国境がきな臭い。傭兵の仕事が増えそうだ」
飛び交うのは、ありふれた噂話や犯罪自慢ばかり。俺たちが求める「蛇」に繋がるような情報は、すぐには見つからなかった。
だが、俺は焦らなかった。ここにあるのは、情報だけではない。帝国の光が当たらない場所で、人々が何を考え、何を求め、何に怯えているのか。その生々しい空気そのものが、俺にとっては貴重な情報源だった。
一時間ほどが過ぎ、俺がそろそろ場所を変えようかと考え始めた、その時だった。
店の入り口近くのテーブルで、二人の男が声を潜めて話しているのが、俺の耳に届いた。一人は、痩せて神経質そうな、いかにも情報屋といった風体の男。もう一人は、顔をフードで隠した依頼人らしき人物だ。
俺は、何気なくエールのグラスを傾けるふりをしながら、「影の延長」を発動させた。俺のテーブルの脚から伸びた影の触手が、床の闇を這い、彼らのテーブルの下まで到達する。
『――報酬は確かだろうな?』
依頼人らしき男の声が、頭の中に直接響いてきた。
『もちろんです。ただし、ブツは確実に手に入れていただきたい。失敗は許されません』
情報屋の男の声。
『分かっている。だが、あんたたちの依頼は、どうも気味が悪い。あの『蛇』の紋章を見せられると、断るに断れんが……後始末が面倒なことになるのは、ごめんだぜ』
蛇の紋章。
俺とセラは、顔を見合わせた。間違いない。こいつらだ。
やがて、依頼人らしき男は金を払うと、足早に店を出て行った。残されたのは、情報屋の男だけ。彼は手に入れた金貨を数え、卑しい笑みを浮かべていた。
俺は静かに立ち上がり、その男のテーブルへと向かった。
「少し、よろしいかな」
俺が声をかけると、情報屋は鬱陶しそうに顔を上げた。そして、俺の姿を見ると、あからさまに馬鹿にしたような顔になる。
「なんだ、小僧。物乞いなら他を当たりな。俺は今、機嫌が……」
俺は、彼の言葉を遮り、テーブルの上に金貨を一枚、滑らせた。それは、ロヴェルトの地で得た利益の一部だ。
情報屋の目が、金貨に釘付けになる。だが、彼はすぐに警戒した表情に戻った。
「……何の真似だ。こんな大金、お前のようなガキが持っているはずがねえ」
「持っているから、ここにある」
俺はフードを少しだけ上げ、自分の顔を見せた。まだ幼さの残る、しかしその瞳には年齢不相応の冷たい光を宿した、少年の顔。
「あんたに、仕事の依頼だ。『蛇』について、知っていることを全て話してもらいたい」
俺の口から出た「蛇」という言葉に、情報屋の顔色が変わった。血の気が引き、その目に恐怖の色が浮かぶ。
「なっ……お、お前、一体何者だ! なぜ、その名を……!」
「質問に答えるのは、こちらだ」
俺はさらに金貨を数枚、テーブルに積み上げた。金の輝きと、俺が放つ異様な威圧感。その二つの間で、情報屋の心は激しく揺れ動いていた。
彼はしばらく逡巡した後、ついに観念したように、深くため息をついた。
「……分かった。話そう。だが、これで俺は命を狙われるかもしれん。それ相応の対価はもらうぞ」
「構わん」
そこから数十分、俺は情報屋から「黄昏の蛇」に関する断片的な情報を、ありったけの金で買い漁った。
彼らが王都の複数の闇ギルドと接触し、様々な非合法活動を行わせていること。その中核を担っているのが、「黒曜石の牙」という、最も凶暴で規模の大きいギルドであること。そして、彼らの当面の目的が、カイウス王子に近い有力貴族たちの失脚工作であること。
俺は、次の標的を定めた。
「『黒曜石の牙』。奴らのアジトはどこだ」
「そ、それは……!」
「話せば、お前の命は保証してやる」
それは、約束であり、同時に脅迫でもあった。
情報屋からアジトの場所を聞き出すと、俺はセラと共に席を立った。
「今日のことは、誰にも言うな。もし、俺たちのことを漏らせば、お前は蛇に喰われる前に、影に飲み込まれることになる」
その言葉を残し、俺たちは店を出た。情報屋は、恐怖に震えながら、ただ呆然と俺たちの背中を見送るだけだった。

夕暮れの裏路地を歩きながら、セラが口を開いた。
「アレン様、お見事でした。まるで、長年裏社会を生きてきた人間のようです」
「悪役貴族だからな。この程度の交渉術は、嗜みの一つだ」
俺は肩をすくめてみせた。
だが、俺の心は晴れやかではなかった。今日得た情報は、「黄昏の蛇」という巨大な組織の、ほんの末端の尻尾に過ぎない。その本体は、まだ深い闇の中に隠れている。
この帝国の闇は、俺が想像していたよりも、遥かに深く、そして根が広い。
悪役の仮面を被った、孤独な戦い。その本当の始まりを、俺は王都の黄昏の中で、静かに実感していた。
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