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第三十四話 謎の組織の影
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ダンジョンでの異常事態から一週間が過ぎた。学園は表向きには落ち着きを取り戻していたが、水面下では帝国騎士団と学園の魔法使いたちによる合同調査団が組織され、事件の真相究明が進められていた。
カイウスは英雄として称賛される一方で、王族としての責任感から、調査の進捗を固唾を飲んで見守っているようだった。リリアーナもまた、聖女として多くの負傷者の治癒にあたりながら、事件の裏に隠された何かを感じ取っているのか、その表情は晴れなかった。
俺は、そんな彼らの動きを意にも介さず、ただ静かに調査結果の公表を待っていた。俺自身の目で見た、あのオーガ・リーダーの異常性。胸に埋め込まれた黒い水晶。あれが、ただの自然現象で生まれるものとは到底思えなかったからだ。
やがて、学園から公式の見解が発表された。
『今回の事件は、ダンジョン深部に発生した稀な高密度魔力溜まりの影響で、一部の魔物が異常変異を起こし、連鎖的なパニックを引き起こしたことが原因と断定。現在は魔力溜まりも安定しており、危険はない』
あまりにも出来すぎた、当たり障りのない結論。責任の所在を曖昧にし、生徒たちの不安を煽らないための、典型的なお役所仕事の発表だった。
多くの生徒たちは、その言葉に安堵し、胸を撫で下ろした。だが、俺はその報告書の文面を読みながら、冷たい笑みを浮かべていた。
(嘘だな)
あの邪悪で、明確な悪意に満ちた魔力の流れが、ただの自然現象? 馬鹿馬鹿しい。これは、何者かが真実を隠蔽しようとしている証拠だ。帝国の上層部、あるいは調査団の中に、黒幕と通じている者がいる可能性さえあった。
その日の夜、王都の屋敷。俺は自室で、闇に溶け込むように佇むセラに向き合っていた。
「セラ。お前の出番だ」
俺は、公式発表が記された新聞を、机の上に放り投げた。
「この調査結果は、嘘で塗り固められている。真実は、闇に葬られようとしている。それを、こじ開けろ」
「具体的には」
「調査団のメンバーに接触しろ。特に、口が軽そうで、酒好きな下級騎士あたりが狙い目だ。あるいは、功名心に逸る若い魔法使いでもいい。彼らから、非公式の、本当の調査結果を聞き出すんだ」
「承知いたしました」
セラは一礼すると、音もなく部屋を出て行った。彼女は、王都の下町にいくつかある情報屋や、傭兵たちが集う酒場に顔が利く。侍女の姿を脱ぎ捨て、闇の世界の住人として情報を集めることなど、彼女にとっては朝飯前のことだろう。
セラが動いている間、俺は図書館で古代魔道具に関する文献を徹底的に洗い直していた。あの黒い水晶に刻まれていたという、未知の魔法陣。それに類似するものがないか、探していたのだ。
だが、手掛かりは全く掴めなかった。それは、現代の魔法体系とは全く異なる、失われた技術である可能性が高い。
三日後の深夜。セラが、俺の部屋に影のように現れた。その手には、一枚の羊皮紙が握られている。
「報告します、アレン様」
彼女がもたらした情報は、俺の推測が正しかったことを証明する、戦慄すべき内容だった。
「調査団がオーガの死骸から摘出した黒い水晶。あれは、やはり自然物ではありませんでした。極めて高度な古代錬金術によって精製された、呪いの魔道具。『狂乱の魔石』と呼ばれるものに酷似している、と調査団の一部の魔法使いが結論づけたそうです。ですが、その報告は、何者かの圧力によって握りつぶされました」
狂乱の魔石。対象の魔力を強制的に増幅させ、代わりに理性を破壊する禁忌のアーティファクト。
「さらに、ダンジョンの最深部。オーガがいた広場から、複数の人間の足跡と、特殊な薬草を調合した痕跡が発見されたとのこと。その薬草は、魔物の凶暴性を増す効果があるものです」
やはり、人為的だ。黒幕は、オーガを捕らえ、魔石を埋め込み、さらに薬物で凶暴化させた上で、あの場に解き放ったのだ。
「そして、これが最も重要な情報です」
セラは、声のトーンをわずかに落とした。
「水晶の破片を極秘に調査した一人の老魔法使いが、酒に酔った席で弟子に漏らしたそうです。水晶の内部に、ごく微小な紋章のようなものが刻まれていた、と」
「紋章だと?」
「はい。それは、『蛇が己の尾を喰らう』姿をしていた、と」
蛇が、己の尾を喰らう。ウロボロス。錬金術において、完全性や永続性を象徴する紋章。
俺は、脳内の「歴史書」のページを、凄まじい速度でめくった。ヴァルハイト家の歴史、帝国の歴史、大陸全体の歴史。そのどこを探しても、「蛇」をシンボルとする組織の名は、見つからなかった。
なぜだ? これほどの大事件を裏で操る組織が、歴史に一切名を残していないなど、あり得るのか?
その瞬間、俺はある可能性に行き着き、背筋が凍るのを感じた。
歴史書は、万能ではない。
俺の知る歴史は、あくまで「表」の歴史だ。勝者によって編纂され、後世に残された記録。その水面下で、歴史の影で暗躍し、決して名を残さなかった秘密結社のような存在がいたとしても、何ら不思議ではない。
あるいは、もっと恐ろしい可能性。
俺がブランタール領との戦争を回避し、歴史を書き換えた。その「バタフライエフェクト」によって、本来はまだ歴史の表舞台に登場しないはずだった組織が、予定よりも早く、そして過激な形で活動を開始したのではないか?
だとしたら、俺の持つ未来知識という最大のアドバンテージは、絶対的なものではなくなる。
「……セラ。その組織の名は、分からなかったか」
「いえ。その老魔法使いも、紋章を見たことがある、というだけで、組織の正体までは掴めていないようでした」
そうか。ならば、こちらで名前を付けてやる。
「『黄昏の蛇』」
俺は、静かに呟いた。
帝国の栄光という光が落とす、深い黄昏の影。その中で蠢く、狡猾で、致死の毒を持つ蛇。
「我々がこれから戦うべき、新たな敵だ」
俺は立ち上がり、窓の外に広がる王都の夜景を見下ろした。無数の光が輝くこの都の、どこか深い闇の中で、「黄昏の蛇」は次の牙を研いでいる。
歴史書に載っていない、未知なる脅威。
それは、俺の計画を、そして俺の生存そのものを脅かす、最大の障害となるだろう。
「面白い」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。
「運命との戦いだと思っていたが、どうやら、歴史そのものに隠された亡霊とも戦わなければならないらしい」
俺の戦いは、新たな局面へと突入した。もはや、ただ破滅フラグを回避するだけの、受け身の戦いでは生き残れない。
俺は、自らこの帝国の闇へと飛び込み、蛇の首を掴み出さなければならない。
そのための第一歩として、俺は何をすべきか。答えは、すでに出ていた。
カイウスは英雄として称賛される一方で、王族としての責任感から、調査の進捗を固唾を飲んで見守っているようだった。リリアーナもまた、聖女として多くの負傷者の治癒にあたりながら、事件の裏に隠された何かを感じ取っているのか、その表情は晴れなかった。
俺は、そんな彼らの動きを意にも介さず、ただ静かに調査結果の公表を待っていた。俺自身の目で見た、あのオーガ・リーダーの異常性。胸に埋め込まれた黒い水晶。あれが、ただの自然現象で生まれるものとは到底思えなかったからだ。
やがて、学園から公式の見解が発表された。
『今回の事件は、ダンジョン深部に発生した稀な高密度魔力溜まりの影響で、一部の魔物が異常変異を起こし、連鎖的なパニックを引き起こしたことが原因と断定。現在は魔力溜まりも安定しており、危険はない』
あまりにも出来すぎた、当たり障りのない結論。責任の所在を曖昧にし、生徒たちの不安を煽らないための、典型的なお役所仕事の発表だった。
多くの生徒たちは、その言葉に安堵し、胸を撫で下ろした。だが、俺はその報告書の文面を読みながら、冷たい笑みを浮かべていた。
(嘘だな)
あの邪悪で、明確な悪意に満ちた魔力の流れが、ただの自然現象? 馬鹿馬鹿しい。これは、何者かが真実を隠蔽しようとしている証拠だ。帝国の上層部、あるいは調査団の中に、黒幕と通じている者がいる可能性さえあった。
その日の夜、王都の屋敷。俺は自室で、闇に溶け込むように佇むセラに向き合っていた。
「セラ。お前の出番だ」
俺は、公式発表が記された新聞を、机の上に放り投げた。
「この調査結果は、嘘で塗り固められている。真実は、闇に葬られようとしている。それを、こじ開けろ」
「具体的には」
「調査団のメンバーに接触しろ。特に、口が軽そうで、酒好きな下級騎士あたりが狙い目だ。あるいは、功名心に逸る若い魔法使いでもいい。彼らから、非公式の、本当の調査結果を聞き出すんだ」
「承知いたしました」
セラは一礼すると、音もなく部屋を出て行った。彼女は、王都の下町にいくつかある情報屋や、傭兵たちが集う酒場に顔が利く。侍女の姿を脱ぎ捨て、闇の世界の住人として情報を集めることなど、彼女にとっては朝飯前のことだろう。
セラが動いている間、俺は図書館で古代魔道具に関する文献を徹底的に洗い直していた。あの黒い水晶に刻まれていたという、未知の魔法陣。それに類似するものがないか、探していたのだ。
だが、手掛かりは全く掴めなかった。それは、現代の魔法体系とは全く異なる、失われた技術である可能性が高い。
三日後の深夜。セラが、俺の部屋に影のように現れた。その手には、一枚の羊皮紙が握られている。
「報告します、アレン様」
彼女がもたらした情報は、俺の推測が正しかったことを証明する、戦慄すべき内容だった。
「調査団がオーガの死骸から摘出した黒い水晶。あれは、やはり自然物ではありませんでした。極めて高度な古代錬金術によって精製された、呪いの魔道具。『狂乱の魔石』と呼ばれるものに酷似している、と調査団の一部の魔法使いが結論づけたそうです。ですが、その報告は、何者かの圧力によって握りつぶされました」
狂乱の魔石。対象の魔力を強制的に増幅させ、代わりに理性を破壊する禁忌のアーティファクト。
「さらに、ダンジョンの最深部。オーガがいた広場から、複数の人間の足跡と、特殊な薬草を調合した痕跡が発見されたとのこと。その薬草は、魔物の凶暴性を増す効果があるものです」
やはり、人為的だ。黒幕は、オーガを捕らえ、魔石を埋め込み、さらに薬物で凶暴化させた上で、あの場に解き放ったのだ。
「そして、これが最も重要な情報です」
セラは、声のトーンをわずかに落とした。
「水晶の破片を極秘に調査した一人の老魔法使いが、酒に酔った席で弟子に漏らしたそうです。水晶の内部に、ごく微小な紋章のようなものが刻まれていた、と」
「紋章だと?」
「はい。それは、『蛇が己の尾を喰らう』姿をしていた、と」
蛇が、己の尾を喰らう。ウロボロス。錬金術において、完全性や永続性を象徴する紋章。
俺は、脳内の「歴史書」のページを、凄まじい速度でめくった。ヴァルハイト家の歴史、帝国の歴史、大陸全体の歴史。そのどこを探しても、「蛇」をシンボルとする組織の名は、見つからなかった。
なぜだ? これほどの大事件を裏で操る組織が、歴史に一切名を残していないなど、あり得るのか?
その瞬間、俺はある可能性に行き着き、背筋が凍るのを感じた。
歴史書は、万能ではない。
俺の知る歴史は、あくまで「表」の歴史だ。勝者によって編纂され、後世に残された記録。その水面下で、歴史の影で暗躍し、決して名を残さなかった秘密結社のような存在がいたとしても、何ら不思議ではない。
あるいは、もっと恐ろしい可能性。
俺がブランタール領との戦争を回避し、歴史を書き換えた。その「バタフライエフェクト」によって、本来はまだ歴史の表舞台に登場しないはずだった組織が、予定よりも早く、そして過激な形で活動を開始したのではないか?
だとしたら、俺の持つ未来知識という最大のアドバンテージは、絶対的なものではなくなる。
「……セラ。その組織の名は、分からなかったか」
「いえ。その老魔法使いも、紋章を見たことがある、というだけで、組織の正体までは掴めていないようでした」
そうか。ならば、こちらで名前を付けてやる。
「『黄昏の蛇』」
俺は、静かに呟いた。
帝国の栄光という光が落とす、深い黄昏の影。その中で蠢く、狡猾で、致死の毒を持つ蛇。
「我々がこれから戦うべき、新たな敵だ」
俺は立ち上がり、窓の外に広がる王都の夜景を見下ろした。無数の光が輝くこの都の、どこか深い闇の中で、「黄昏の蛇」は次の牙を研いでいる。
歴史書に載っていない、未知なる脅威。
それは、俺の計画を、そして俺の生存そのものを脅かす、最大の障害となるだろう。
「面白い」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。
「運命との戦いだと思っていたが、どうやら、歴史そのものに隠された亡霊とも戦わなければならないらしい」
俺の戦いは、新たな局面へと突入した。もはや、ただ破滅フラグを回避するだけの、受け身の戦いでは生き残れない。
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