破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第三十九話 影分身の習得

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舞踏会の夜から数日が過ぎ、俺の周囲には新たな緊張の糸が張り巡らされていた。カイウスは俺への警戒を強め、リリアーナは疑念の瞳で俺を追い続ける。彼らの視線は、無形だが確かに重い枷となって、俺の行動を少しずつ束縛し始めていた。
その変化を、俺は肌で感じていた。そして、その予感は、セラがもたらした情報によって確信へと変わった。
「アレン様。カイウス王子が、密偵を動かしたようです」
その夜、王都の屋敷の一室で、セラは淡々と報告した。
「レオナール・フォン・キルヒアイス。カイウス様の側近で、情報収集と隠密行動に長けた若手騎士。彼が、アレン様の身辺を嗅ぎ回り始めました。学園だけでなく、この屋敷の周辺にも、彼の部下の気配があります」
「……やはり、気づき始めたか」
俺は窓の外の闇を見つめながら呟いた。カイウスは、俺が演じる「無能な悪役」という仮面に、最初の亀裂を見つけたのだ。このままでは、俺が水面下で動くたびに、その尻尾を掴まれかねない。
「どうなさいますか? 必要とあらば、排除も……」
セラの言葉には、静かな殺気がこもっていた。彼女にとって、俺の障害となるものは全て排除対象でしかない。
「いや、まだその時ではない」
俺は首を横に振った。王子の側近を消せば、それはカイウスへの明確な敵対行動となり、ヴァルハハイト家と王家の全面対決に発展しかねない。それは、俺が最も避けたい筋書きだった。
「泳がせておけ。だが、奴らの動きは常に把握しておく必要がある。俺の行動が筒抜けになるのだけは、避けなければ」
現状のままでは、俺自身が動くことで、逆に情報を与えてしまうリスクがある。俺が図書館に行けば、何を調べているのか探られる。俺が裏通りに出向けば、誰と接触したのかを追われる。
俺には、新たな力が必要だった。
俺自身が安全な場所にいながら、まるで自分の手足のように、離れた場所で情報収集や工作を行える力。俺の「目」となり「耳」となる、もう一人の自分。
その答えを求め、俺は再びあの黒い禁書の世界へと深く潜っていった。

何日も、何時間も、俺は古代語で記された難解な魔法理論と格闘した。そして、ついにその記述を発見する。それは、「影の内界」の理論のさらに奥、応用編として記されていた一節だった。
『影は術者の写し身なり。影に形を与え、汝の意思の欠片を分け与うる時、影は第二の汝として、この世に立つであろう』
影分身。
その言葉の響きに、俺の全身が粟立った。これこそが、俺が求めていた力だ。
だが、その理論はこれまでのどの魔法よりも抽象的で、そして危険な香りを放っていた。「意思の欠片を分け与える」。それは、単なる魔力操作ではない。術者自身の魂、その精神の一部を切り離して、影に宿らせるという、ほとんど神の領域に近い所業だった。
失敗すれば、どうなるか。禁書には、そのリスクについてもおぞましい記述があった。分け与えた意思が暴走し、術者自身を蝕む怪物と化す。あるいは、精神が分裂し、二度と元に戻らない狂気に陥る。
(……だが、このリスクを冒さなければ、未来はない)
俺は覚悟を決めた。

最初の試みは、無惨な失敗に終わった。
俺は自室の床に広がる自分の影に、ありったけの魔力を注ぎ込み、人型に隆起させようと試みた。影は泥のように盛り上がり、ぼんやりとした人の形を作る。だが、それだけだった。それは、意思を持たないただの影の塊。俺が魔力の供給をやめれば、すぐに元の平面の影へと戻ってしまう。
「意思を……分け与える……」
俺は目を閉じ、自分の精神の奥深くへと意識を集中させた。自分の思考、記憶、感情。その一部を、ナイフで切り取るように分離し、影の人形へと移植する。そんなイメージを描いた。
途端に、頭を鈍器で殴られたかのような、激しい頭痛と吐き気に襲われた。
「ぐっ……う……!」
視界がぐらつき、立っていられない。俺はその場に膝をつき、荒い呼吸を繰り返した。精神が、この行為を本能的に拒絶しているのが分かった。自分の魂を分割するなど、生物としてあってはならない禁忌なのだ。
「アレン様!」
扉の向こうから、セラの心配そうな声が聞こえる。
「……大丈夫だ。少し、疲れただけだ」
俺は壁に手をつき、よろめきながら立ち上がった。
この方法では駄目だ。もっと、安全で、確実な方法があるはずだ。
俺は数日間、試行錯誤を繰り返した。その度に、激しい精神疲労に襲われ、俺の心は少しずつだが確実にすり減っていった。

そして、ある夜。修練に行き詰まり、疲れ果てた俺が、ぼんやりと姿見を眺めていた時のことだった。
鏡の中には、憔悴しきった俺自身の姿が映っている。当たり前の光景。だが、その瞬間、俺の脳裏に天啓が閃いた。
鏡に映る俺。あれは、俺であって、俺ではない。光の反射が生み出した、虚像だ。
影もまた、同じではないか?
光が物体に遮られることで生まれる、俺の写し身。俺の虚像。
ならば、「意思を分け与える」必要などないのかもしれない。
影は、最初から俺の写し身なのだ。必要なのは、その虚像に、俺という存在の情報を「上書き」し、自律行動可能なプログラムとして起動させること。
俺は再び、床に広がる自分の影と向き合った。
今度は、魂を切り取るような危険なイメージはしない。俺は、俺自身の全てを客観的に分析した。俺の思考パターン、行動原理、知識、記憶。その膨大なデータを、一つのパッケージとして圧縮する。
そして、そのデータパッケージを、影の人形へとインストールする。
俺は、細心の注意を払いながら、魔力と共に、俺という人間の設計図を影へと流し込んだ。
すると、影の人形に、これまでとは全く違う変化が現れた。
それは、ゆっくりと、本当にゆっくりと、自らの意思で立ち上がったのだ。
俺の目の前に、もう一人の俺が立っていた。全身が影で構成され、その輪郭は揺らめいている。顔も、のっぺらぼうのように平坦だ。だが、その佇まいは、紛れもなく俺自身だった。
俺が右手を上げると、影の分身も右手を上げた。俺が一歩下がると、影の分身も一歩下がる。まるで、鏡写しのようだ。
だが、次の瞬間。俺が何もしていないのに、影の分身は、ゆっくりと首を傾げた。そして、俺に向かって、無言のまま片手を上げた。それは、挨拶のようにも見えた。
「……成功、か」
声が震えた。成功だ。俺は、自律して動く影の分身を、ついに作り出したのだ。
俺はこの分身に、いくつかの簡単な命令を与えてみた。「部屋を一周しろ」「本を取ってこい」。分身は、少しぎこちないながらも、その命令を忠実に実行した。物理的な干渉はできないらしく、本を掴もうとした手は、するりと通り抜けてしまったが、問題ない。
この分身は、壁をすり抜け、影から影へと瞬時に移動できる。純粋な偵察と諜報に特化した、最強の斥候だ。

その夜、俺は早速、一体の影分身を屋敷の外へと放った。
分身の視界は、俺自身の視界と完全にリンクしていた。まるで、自分自身が闇に溶けて、王都の夜を滑空しているかのような、不思議な感覚だった。
分身は、カイウスの密偵たちが潜む建物の屋根裏へと易々と侵入した。そして、彼らが交わす会話、地図に記す俺の行動記録、その全てを、俺は屋敷の自室にいながら、リアルタイムで把握することができた。
「……見事です、アレン様」
俺の隣で、その報告を聞いていたセラが、感嘆の声を漏らした。
「ああ。これで、俺の目は王都の至る所に存在することになる」
俺は、影分身の視界を通して、きらびやかな王都の夜景を見下ろしていた。カイウスの王宮、貴族たちの屋敷、そして裏社会の闇。その全てが、今や俺の監視下にある。
「黄昏の蛇、そしてカイウス。お前たちの動きは、全て俺の手の内だ」
情報戦において、俺は絶対的な優位に立った。
孤独な戦いは、新たな仲間を得て、次のステージへと進む。その仲間が、俺自身であったとしても。
俺の口元に、冷たい、しかし確かな勝利を確信する笑みが浮かんだ。
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