破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第四十四話 ヴァルハイト家の闇

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ベルトルトが去った後も、俺はしばらく応接室のソファから動けなかった。手の中で、父からの手紙がくしゃりと音を立てる。その紙片が、まるで俺の心を握り潰す父の手そのものであるかのように感じられた。
村長が、スパイだった。
ロヴェルトの地で、初めて俺を「領主様」と呼び、涙を流して感謝してくれた、あの老人が。
俺の脳裏に、ロヴェルトでの日々が蘇る。泥まみれになって水路を整備した時、黙って鍬を手に取ってくれた彼の手。収穫祭の夜、村の未来を語りながら酌み交わした、安いエールの味。その全てが、父の筋書き通りの、計算され尽くした芝居だったというのか。
「……はっ」
乾いた笑いが、喉の奥から漏れた。
馬鹿みたいだ。俺は、あの村人たちの笑顔を、本物だと信じていた。初めて手に入れた、自分の居場所。守るべき民。その温かい繋がりさえも、父が仕掛けた巧妙な罠の一部だった。
そして、用済みになった駒は、消される。
『病で死んだそうだ』
ベルトルトの言葉が、頭の中で不気味に反響する。都合の良すぎるタイミング。あれは、病死などではない。口封じのための、暗殺だ。父は、俺の僅かな成功を認める一方で、その成功の裏にあった俺の甘さを、こうして無慈悲に突きつけてきたのだ。
これが、ヴァルハイト家のやり方。これが、父ジークフリートという男の本質。
俺は、この巨大で冷酷な家の闇の深さを、今更ながら思い知らされていた。怒りを通り越し、背筋が凍るような恐怖が、ゆっくりと心を侵食してくる。俺は、この巨大な蜘蛛の巣に絡め取られた、一匹の蝶に過ぎないのではないか。

どれくらいの時間が経っただろうか。俺は、震える足で立ち上がり、自分の部屋へと戻った。
扉を開けると、そこにはセラが静かに控えていた。彼女は俺の顔を見るなり、その紫の瞳をわずかに見開いた。俺が、これまでにないほど打ちのめされていることを、瞬時に察したのだろう。
「アレン様……」
「……セラ」
俺は、かろうじて彼女の名を呼んだ。
「少し、話がある」
俺はソファに深く沈み込み、父からの手紙の内容を、セラに語り始めた。俺が監視されていたこと。村長が密偵だったこと。そして、父が「黄昏の蛇」の存在を知っており、俺に調査を命じてきたこと。「始祖の遺産」という、謎の言葉。
俺は、全てを話した。この世界で、俺が唯一、心の底から信頼できる共犯者に。
セラは、俺の話を黙って聞いていた。その表情は、いつもと変わらず無感情に見える。だが、固く握られた彼女の拳が、その内心の激しい動揺を物語っていた。
俺が全てを語り終えると、部屋に重い沈黙が落ちた。
やがて、セラはゆっくりと俺の前に進み出ると、その場に片膝をついた。そして、騎士が主に忠誠を誓うように、深く頭を垂れる。
「……申し訳、ございません」
その声は、震えていた。
「私は、アレン様の最も近くにありながら、そのような監視の目に気づくことすらできませんでした。護衛失格です。どうか、罰を」
「お前のせいではない」
俺は、力なく首を横に振った。
「相手は、ヴァルハイト公爵だ。俺たちの想像を、遥かに超える場所にいる。お前が気づけなくて当然だ」
俺の言葉に、セラは顔を上げない。
「ですが……アレン様のお心が、どれほど傷ついたか……」
その時、俺は初めて気づいた。彼女が、俺の身の安全だけでなく、俺の「心」を心配していることに。
俺がロヴェルトの地で得たものが、全て偽りだったと知った時の、絶望を。
その事実に、凍りついていた俺の心に、小さな温かい火が灯るのを感じた。
そうだ。全てが嘘だったわけじゃない。
目の前にいる、この少女の忠誠だけは、本物だ。父の筋書きにはない、俺自身が手に入れた、唯一無二の絆だ。
「……顔を上げろ、セラ」
俺の声には、少しだけ力が戻っていた。
セラが、おそるおそる顔を上げる。その紫の瞳には、珍しく涙の膜が張っていた。
「たとえ、世界中の人間が俺を裏切ろうとも」
俺は、彼女の瞳をまっすぐに見つめ、言った。
「お前だけは、俺のそばにいる。そうだろう?」
「……はい」
セラは、力強く頷いた。
「この命尽きるまで。たとえ、アレン様の敵が、世界そのものであろうとも」
それで、十分だった。
人間不信に陥りかけた俺の心は、彼女のその一言で、再び繋ぎ止められた。

俺は、大きく息を吸い、そして吐き出した。怒りも、絶望も、その息と共にかすかな熱となって消えていく。残ったのは、氷のように冷たく、研ぎ澄まされた覚悟だけだった。
父の真意。それは、もはや明白だ。
父は、「黄昏の蛇」という帝国の癌を、根絶やしにするつもりなのだ。その目的のためなら、あらゆるものを利用し、切り捨てる。俺もまた、そのための便利な駒の一つに過ぎない。俺を学園に送ったのも、悪評高い俺ならば、蛇たちが警戒せずに近づいてくると踏んだからだろう。
「始祖の遺産」。それが、奴らの、そしておそらくは父の最終目的。
ならば、俺のやるべきことは変わらない。
「セラ。俺は、父の駒として動く」
俺は、立ち上がった。その瞳には、もはや迷いはなかった。
「だが、それはあくまで、見せかけだ。父の命令に従うふりをしながら、俺は俺自身の目的を果たす。父も、『黄昏の蛇』も、カイウス王子さえも、全て俺の手の内の駒として利用し、出し抜いてやる」
俺は、手の中の手紙を、蝋燭の炎で静かに燃やした。
父からの命令は、確かに受け取った。
『学園に潜む、もう一人の蛇を探し出せ』
それは、俺自身の目的とも完全に一致する。
「父の監視、カイウスの監視、そして蛇の陰謀。三重の網の中で、俺は踊ってみせるさ。誰にも糸を引かせない、俺だけの舞をな」
炎が、父の文字を黒い灰に変えていく。
それは、父との、そしてヴァルハイト家という運命そのものとの、見えざる戦いの始まりを告げる、静かな狼煙だった。
俺の戦いは、新たな次元へと突入した。その先に待つのが破滅か、あるいは栄光か。
それは、俺自身の策略と覚悟だけが、知っている。
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