破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第五十八話 計画実行の夜

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帝国暦千二百三十八年、水の月、二十一日。
エルドラント帝国の建国記念祭当日。王都グランフェリアは建国以来の繁栄を祝う人々の熱気で、朝から沸騰していた。大通りは色とりどりの衣装をまとった民衆で埋め尽くされ、楽団の奏でる陽気な音楽と露天商の威勢のいい呼び声が、祝祭の雰囲気を掻き立てる。
その喧騒の只中、俺は王都を見下ろす時計塔の尖塔、その影の中にいた。影分身を介して、俺の視界は王都のあらゆる場所と繋がっている。
大聖堂ではリリアーナが荘厳なミサを執り行っていた。純白の祭服に身を包み、民の平和を祈るその姿はまさしく聖女そのものだった。彼女の周囲には近衛騎士団による鉄壁の警備網が敷かれている。
王宮ではカイウスが祝賀パレードの準備に追われていた。金色の装飾が施された真紅のマントを羽織り、その表情には王子としての威厳と責任感が満ち溢れている。
そして職人街の薄汚い裏路地。闇ギルド「黒曜石の牙」のアジトからは、構成員たちが一人、また一人と人混みに紛れるように姿を消していく。彼らの目には大仕事の前の、ぎらついた興奮の色が浮かんでいた。
全ての駒が盤上に配置された。あとは運命の時を待つだけだ。

昼過ぎ、祝賀パレードが始まった。
王宮の正門から現れたのは、カイウス王子が騎乗する白馬を先頭にした壮麗な騎士団の行列だ。沿道に詰めかけた民衆から、割れんばかりの歓声が上がる。
その後ろを豪華な装飾が施された馬車が続く。その窓からリリアーナが民衆に優しく微笑み、手を振っていた。彼女の姿が見えるたびに歓声はさらに大きくなる。
パレードの行列はゆっくりと、しかし着実に計画の舞台である職人街へと近づいていった。
俺は時計塔の影の中から、その光景を冷徹に見つめていた。
(……来るぞ)
職人街の入り口。道幅が急に狭くなるその場所でパレードの速度がわずかに落ちた。見物客も最高潮に達し、人々がもみ合い押し合うほどの混雑ぶりだ。警備の騎士たちも群衆を捌くのに手一杯になっている。
完璧な状況。奴らが動くには、これ以上ない舞台だ。
その瞬間だった。
通りの向かいの建物の屋上から数本の矢が、空気を切り裂いて放たれた。矢の先端には煙玉が括り付けられている。
ヒュン、という音と共に矢はパレードの行列のど真ん中に突き刺さった。次の瞬間、パンッという破裂音と共に周囲一帯が真っ白な濃い煙に包まれる。
「な、何だ!?」
「敵襲か!?」
民衆はパニックに陥り、悲鳴を上げて逃げ惑い始めた。楽団の演奏は止み、歓声は阿鼻叫喚の叫びへと変わる。
「落ち着け! 陣形を乱すな!」
カイウスが馬上から叫ぶが、混乱の渦の中ではその声も虚しく響くだけだった。
濃い煙がリリアーナの乗る馬車を完全に覆い隠す。
「リリアーナ!」
カイウスが叫び馬を駆けさせようとするが、逃げ惑う群衆に阻まれて進めない。
俺は影分身の視界を、煙の中へと集中させた。
煙の中、数人の黒装束の男たちが音もなくリリアーナの馬車に群がっていた。彼らは手際よく扉をこじ開け、驚きに目を見開くリリアーナを、有無を言わさず馬車から引きずり出す。
「……!」
リリアーナは声なき悲鳴を上げ抵抗しようとするが、屈強な男たちの力には敵わない。その口はすぐに布で塞がれた。
そして男の一人が、足元のマンホールの蓋をこじ開ける。そこには王都の地下へと続く暗い穴が口を開けていた。
男たちはリリアーナの体を担ぎ上げると、次々とその闇の中へと姿を消していく。
全てはほんの数十秒の出来事だった。
やがて煙が晴れた時。そこに残されていたのはもぬけの殻となった馬車と、呆然と立ち尽くす騎士たちだけだった。
聖女リリアーナは、忽然とその姿を消した。
歴史書に記された運命の事件が、ついに現実のものとなったのだ。

「聖女様が攫われたぞ!」
誰かの絶叫がパニックにさらに油を注ぐ。
カイウスは血の気の引いた顔で空っぽの馬車を見つめていた。
「……僕の、責任だ……!」
彼は自らを責めるように唇を噛み締めた。
だが、俺には感傷に浸っている暇はなかった。
俺はリリアーナを拉致した犯人たちの一人、その男の足元の影に、あらかじめ仕込んでおいた俺の影分身を一体、密着させていた。それはどんな追跡魔法よりも確実な、影のマーキングだ。
俺の脳内には暗く湿った地下水道を、犯人たちがリリアーナを担いで逃走する光景がリアルタイムで映し出されていた。
(……追跡開始)
俺は時計塔の影から静かに立ち上がった。
そして俺自身の体もまた、王都の屋根から屋根へと音もなく駆け出す。
犯人たちを追うのではない。俺は彼らが向かうであろうアジトへと、先回りするのだ。
セラが集めた情報によれば「黒曜石の牙」のアジトは、王都の廃墟区画にある古い教会跡の地下。地下水道網は、その場所へと繋がっているはずだ。

俺がアジトである教会跡の屋根に、鳥のように軽やかに降り立った頃。
王宮では緊急対策会議が開かれ、カイウスが騎士団の精鋭を率いて大規模な捜索を開始していた。
だが、彼らの捜索は難航を極めることになる。
「黄昏の蛇」は周到だった。彼らは王都の各地に聖女の誘拐をほのめかす偽情報をいくつもばら撒いていたのだ。
『聖女は、東の港から船で国外へ』
『いや、西の貴族の屋敷に監禁されている』
カイウス率いる騎士団は、その偽情報に翻弄され全く見当違いの場所を駆けずり回ることになる。これもまた、歴史書の記述通りだった。
彼らが真のアジトにたどり着くには、まだかなりの時間が必要だろう。

俺は教会跡のステンドグラスが割れた窓から、地下へと続く階段を静かに見下ろしていた。
やがて地下から複数の足音が聞こえ、リリアーナを担いだ犯人たちが姿を現した。彼らは作戦の成功に安堵の表情を浮かべている。
「……よし。これで第一段階は完了だ」
リーダー格の男が満足げに呟いた。
「あとは王子様御一行が、我々の用意した別の『舞台』で踊ってくれるのを待つだけだな」
やはり騎士団を翻弄する偽情報も、彼らの計画の一部だった。
俺は全ての情報を揃え、静かにその場を離れた。
リリアーナはまだ無事だ。
カイウスはまだ真実にたどり着けない。
役者は揃った。舞台も整った。
だが、この物語の脚本家はもはや「黄昏の蛇」でも「歴史」でもない。
この俺、アレン・フォン・ヴァルハイトだ。
俺は王都の夜景を見下ろしながら、次の行動計画を練り始めていた。
それはカイウスを正しい場所へと導き、リリアー-ナを救出させ、そして俺自身は誰にも気づかれずに蛇の巣穴を内側から食い破るという、複雑で危険極まりない計画。
悪役はヒーローの登場を待つ舞台裏で、静かに牙を研ぎ始める。
この夜、王都は歴史上最も長く、そして最も重要な夜を迎えようとしていた。
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