破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第七十話 親子の共闘

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クーデター決行前夜。ヴァルハイトの本邸は静まり返っていた。だが、その静寂は圧縮された火薬のように、触れれば爆発しそうなほどの凄まじい緊張感を内包していた。庭には完全武装した数千の私兵たちが隊列を組んで夜明けを待っている。彼らの鎧が月明かりを鈍く反射していた。
俺はそんな屋敷の喧騒から離れた、西の塔の一室にいた。父ジークフリートに密かに呼び出されたのだ。
部屋には俺と父の二人だけ。窓の外にはこれから始まるであろう戦乱を予感させる、血のように赤い月が浮かんでいた。
「……準備は、できているか」
父は鎧姿で窓の外を見つめたまま、静かに問いかけた。その横顔には帝国の未来を一身に背負う男の深い覚悟が刻まれている。
「いつでも」
俺は短く答えた。俺の心は不思議なほどに落ち着いていた。
父はゆっくりとこちらに振り返った。そして初めて、俺の目をまっすぐに見据えて言った。
「アレンよ。お前を危険な役目に巻き込んでしまったこと……この父を、許せ」
その言葉は俺の予想を完全に裏切るものだった。冷酷非情の仮面の下に隠された、父親としてのほんのわずかな悔恨。
俺は何も答えられなかった。
「俺は、お前にヴァルハイトの血を継ぐ者としてのまともな愛情を、一度も与えてやることができなかった」
父は自嘲するように続けた。
「お前を『出来損ない』と突き放し続けたのも全ては芝居だ。お前をこの血塗られた家の運命から遠ざけるためのな。お前には力も野心もない。ならばいっそ誰からも期待されず、軽んじられることでこの家の破滅から生き延びられるのではないかと……そう、考えていた」
それは父が長年隠し続けてきた、不器用な愛情の形だった。俺を守るために俺を突き放していた。
だが、その芝居は俺が未来の記憶を思い出し、運命に抗い始めたことで意味をなさなくなった。
「皮肉なものだ。俺が守ろうとしたお前が、今やこの計画の最も重要な鍵を握る存在となった」
父は俺の前に歩み寄り、その大きな手を俺の肩に置いた。その手はゴツゴツとして無数の傷跡があったが、確かな温もりを持っていた。
「……すまなかった」
その一言に父の全ての想いが込められているのを、俺は感じた。
俺の心の奥底に長年澱のように溜まっていた、父への憎しみや不信感。それがゆっくりと溶けていくのを感じた。
「……いいえ」
俺は初めて父に向かって素直な言葉を口にした。
「感謝しています、父上。あなたが俺を突き放してくれたおかげで、俺は俺自身の力で戦う術を学ぶことができたのですから」
俺たちの間に初めて、本当の意味での親子の絆が生まれた瞬間だった。
だが、感傷に浸っている時間は残されていなかった。

「さて」と父はいつもの冷徹な当主の顔に戻った。「最後の作戦確認を行う」
彼は部屋の中央に置かれた大きな作戦盤を指差した。そこには王都の精密な立体模型が置かれている。
「明日の夜明けと共に、ゲオルグとベルトルトが率いる本隊が王都の正門に陽動攻撃を仕掛ける。奴らの目的はただ一つ。王宮を守る近衛騎士団の主力を、城壁の外へと引きずり出すことだ」
兄たちの役目はあくまで派手な囮。
「その隙に俺の率いる精鋭部隊が王宮の裏手にある秘密の通路から一気に玉座の間を目指す。そして皇帝陛下と、その側にいるであろう『蛇の首魁』の身柄を確保する」
それが父の描くクーデターの表向きの筋書き。
「そしてアレンよ。お前の役目はそのどちらでもない」
父は立体模型の、王宮のさらに地下を指差した。
「お前はこの混乱に乗じて王宮の最深部……聖教会が管理する『始祖の祭壇』へと単独で潜入しろ」
始祖の祭壇。聖教会が持つという「光の鍵」が保管されている場所。
「蛇どもは必ずそこを狙ってくるはずだ。奴らの真の目的は玉座ではなく『鍵』なのだからな。お前は奴らが現れるのを待ち伏せ、その正体を暴き、そして可能ならば奴らをそこで一網-打尽にしろ」
それはこの壮大な作戦の中で最も危険で、最も重要な役目だった。
「……御意」
俺は静かに頷いた。
「だが父上。一つだけ懸念があります」
「何だ」
「蛇の首魁は我々が思うよりも遥かに狡猾です。もし奴が始祖の祭壇に現れなかった場合……もし奴の真の狙いが別の場所にあったとしたら?」
俺の問いに、父は鋭い目で俺を見返した。
「……お前は、何かに気づいているのか」
「確証はありません。ですが……」
俺は学園で監視を続けていた、ある人物の名を口にした。それは父さえも予想していなかったであろう意外な人物の名だった。
俺の言葉を聞き終えた父は、しばらくの間沈黙していた。そしてやがてその口元に獰猛な笑みを浮かべた。
「……面白い。実に、面白い読みだ、アレン」
彼は作戦盤の上に置かれていたヴァルハイト家の駒の一つを、俺の示した場所へと静かに動かした。
「良かろう。その可能性にも備えておこう。もしお前の読みが正しければ……この戦い、我々の完全勝利となるやもしれんな」
父は俺の肩を再び強く叩いた。
「行け、アレン。お前のやり方で、お前の戦いをしろ。この父の思惑さえも超えてみせよ」
その言葉は俺に対する最大限の信頼の証だった。

俺は父の部屋を後にした。
廊下を歩いていると、前から完全武装した兄、ゲオルグとベルトルトがやってきた。
ベルトルトは俺の姿を見るなり、いつものように嘲りの言葉を口にした。
「なんだアレン。お前は出陣の準備もしないのか。ああそうか。お前のような出来損ないは、後方で震えているのがお似合いだったな」
だが、ゲオルグはそんなベルトルトを手で制した。そして初めて俺の目をまっすぐに見つめて言った。
「……死ぬなよ、アレン」
たった一言。
だが、その無骨な言葉の中には兄として弟を気遣う不器用な感情が、確かに込められていた。
俺は何も答えず、ただ小さく頷いた。
そして兄たちの横を通り過ぎる。
父と、兄たちと。
バラバラだったヴァルハイトの家族が、それぞれの覚悟を胸に今、初めて一つの目的のために手を取り合おうとしていた。
たとえそれが歴史に名を残す偽りのクーデターであったとしても。
俺は自室に戻ると、黒い戦闘服に身を包んだ。背中には一本の剣。そして懐にはセラが用意した数々の暗器。
俺の戦場は王宮の地下。
帝国の最も深い闇の中で、俺は俺だけの戦いを始める。
夜明けは、もうすぐそこまで来ていた。
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