破滅の運命を覆すため、悪役貴族は影で最強を目指す 〜歴史書では断罪される俺だが、未来知識と禁忌の魔法で成り上がってみせる〜

夏見ナイ

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第六十八話 帝国の膿

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父ジークフリートは窓の外に広がるヴァルハイトの領地を眺めながら、重い口を開いた。その声はいつものような冷徹な響きではなく、まるで古い歴史書を紐解く語り部のような、静かでどこか物悲しい色を帯びていた。
「アレンよ。お前が生きるこのエルドラント帝国は、外見は壮麗だがその内部はもはや手の施しようがないほどに膿み爛れている」
父の言葉は衝撃的なものから始まった。
「お前は、この国が初代皇帝グランツによって建国され、以来栄光の歴史を歩んできたと教えられてきただろう。だが、それは半分が真実で、半分が巧妙に作られた嘘だ」
父は俺に向き直った。その鷲のような瞳には帝国の深い闇を長年見つめ続けてきた者だけが持つ、疲労と覚悟が浮かんでいた。
「初代皇帝がこの大陸を統一できたのは彼一人の力ではない。その裏には二つの強大な力の助けがあった。一つは光と秩序を司る『聖教会』。そしてもう一つが、影と混沌を操る我らが祖先『闇の魔術師の一族』だ」
ヴァルハイト家の真の起源。それはただの武門の名家などではなかった。
「初代皇帝は聖教会の『聖なる力』と我らが祖の『禁忌の力』、その両輪を以て大陸を平定した。そして建国後、彼は恐れたのだ。自らの玉座を脅かしかねない、我らがヴァルハイトのそのあまりにも強大で異質な力をな」
父は自嘲するように唇の端を歪めた。
「そこで皇帝と聖教会は密約を交わした。ヴァルハイト家には『帝国の盾』という名誉ある地位を与える。だが、その裏で我らの力を常に監視し、決して歴史の表舞台には立たせない、と。我らは帝国の栄光を守るための必要悪。帝国の光が輝けば輝くほど、深く濃くなることを宿命づけられた影の一族なのだ」
俺は息を呑んで父の話に聞き入っていた。それは俺が知るどの歴史書にも記されていない、帝国の創生に関わる血塗られた真実だった。
「そしてその密約の証として、我らヴァルハイト家には一つの重大な役目が課せられた。それは初代皇帝が我らが祖の力を借りて創り出した究極のアーティファクト……『始祖の遺産』を永久に守護し、封印し続けることだ」
始祖の遺産。
ついにその名が、父の口から語られた。
「それは一体……何なのですか」
「一言で言えば『世界の理を書き換える力』だ」
父の答えは俺の想像を遥かに超えていた。
「それは天候を操り、大地を隆起させ、死者さえも蘇らせると言われる神の領域の魔道具だ。初代皇帝はその力を恐れ、世界のどこにも存在しない異次元の狭間にそれを封印した。そしてその封印を解く唯一の鍵の在処を、我らヴァルハイト家と聖教会にのみ、半分ずつ伝えたのだ」
鍵は二つ。ヴァルハイト家が持つ『闇の鍵』と、聖教会が持つ『光の鍵』。その二つが揃わなければ、始祖の遺産への道は決して開かれない。
「では『黄昏の蛇』の目的は……」
「そうだ」と父は頷いた。「奴らの真の目的は、その二つの鍵を奪い始祖の遺産をその手に収めること。そしてその力を使って、この腐りきった帝国を一度完全に破壊し、自分たちの理想郷を築き上げることだ」
父は再び窓の外へと視線を向けた。
「……奴らの気持ちが分からんでもない。今の帝国は確かに腐っている。貴族は私腹を肥やすことしか考えず、帝室の権威は地に落ち、民は貧困に喘いでいる。この国は緩やかな死に向かっているのだ」
「だから父上は……」
「ああ」
父は静かに、しかし力強く言った。
「蛇どもに先んじて、俺がこの国を『浄化』する。奴らのような混沌とした破壊ではなく、俺自身の秩序の下にこの帝国を一度解体し、再構築するのだ。クーデターはそのための狼煙だ。俺が悪役となり帝国の全ての膿を白日の下に晒すことで、初めて真の改革が可能となる」
俺はようやく父の壮大な計画の、その全貌を理解した。
彼は帝国を救うために帝国最大の反逆者となろうとしているのだ。歴史に汚名を残すことを覚悟の上で。
「だが」と父は続けた。「その計画の前に邪魔者がいる。『黄昏の蛇』だ。奴らは俺の計画を嗅ぎつけ、その混乱に乗じて『鍵』を奪おうと暗躍している。ロラン教授もヴォルグも、奴らが放った駒の一つに過ぎん。その本体は未だに闇の中だ」
父は俺に再び向き直った。その瞳には初めて俺を「共犯者」として認める鋭い光が宿っていた。
「アレンよ。お前の力が必要だ。お前のその影に潜み、人の心の裏をかく力こそが、蛇の本体を炙り出すための最高の武器となる」
父は机の上の地図を指差した。
「俺がクーデターの準備を進め、奴らの注意を地上に引きつけている間に、お前は地下に潜れ。王都の闇に紛れ、奴らの正体を、そしてその首魁が誰なのかを突き止めるのだ。それがお前に与える真の役目だ」
それはあまりにも重く、危険な任務だった。
だが、俺の心は不思議と燃えていた。
父と初めて同じ戦場に立つ。目的は違えど、倒すべき敵は同じ。
「……一つ、よろしいでしょうか」
俺は静かに問いかけた。
「『黄昏の蛇』の首魁。父上は、その正体にすでに目星をつけているのではありませんか?」
俺の問いに父は答えなかった。
だが、その沈黙と一瞬だけ瞳に宿った深い苦悩の色が、俺に答えを教えていた。
父は知っているのだ。帝国の最も深い場所に巣食う、真の裏切り者の名を。そしてその相手が、彼にとってもあまりにも巨大で、あまりにも近しい存在であることを。
俺はそれ以上は問わなかった。
「――御意に」
俺は深く、深く頭を下げた。
「このアレン・フォン・ヴァルハイト。父上の剣となり影となりて、必ずや蛇の首を御前に差し出してみせましょう」
それは息子が父に誓う、血塗られた忠誠の言葉。
だが、その言葉の裏で俺は静かに、もう一つの誓いを立てていた。
(父上。あなたの計画通りには動かない。俺はあなたさえも利用し、あなたが見ている未来とは違う、俺だけの未来をこの手で掴み取ってみせる)
帝国の膿を巡る三つ巴の戦い。
父の野望、蛇の陰謀、そして俺の生存戦略。
その全てが王都という舞台の上で、破滅のクライマックスへと向かって今、大きく動き出した。
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