俺をフッた幼馴染が、トップアイドルになって「もう一度やり直したい」と言ってきた

夏見ナイ

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第4話:雨の日の再会

あの非通知の電話から一夜が明けても、藤堂蓮の頭の中を占拠するノイズは消えなかった。一睡もできずに迎えた朝は鉛のように重く、大学へ向かう足取りも覚束ない。講義室の椅子に座っても、教授の声は昨日の電話の残響にかき消されてしまう。

『……れん?』

たった一言。それだけの言葉が、繰り返し脳内で再生される。蓮はノートに意味もなく線を引いた。気のせいだ。幻聴だ。そう結論づけて忘れてしまおうとすればするほど、あの声の質感はリアルさを増していく。

ポケットの中でスマホが震えた。陽葵からのメッセージだ。

『先輩、今日の講義、ちゃんと起きてますかー?(笑)』

スタンプ付きの、いつも通りの明るい文面。蓮はそれにどう返信すべきか少しだけ迷い、結局『ああ』とだけ打ち込んで画面を閉じた。彼女の太陽のような明るさが、今の自分には少しだけ眩しすぎた。

最後の講義が終わる頃、空は蓮の心の内を映したかのように、分厚い灰色の雲に覆われていた。天気予報では晴れだと言っていたはずなのに、世界は急速に光を失っていく。

「まずいな……」

ぽつり、と蓮の頬に冷たい雫が落ちたかと思うと、次の瞬間には、バケツをひっくり返したような土砂降りが始まった。傘など持っているはずもない。蓮は舌打ちしながら、一番近くにあったバス停の屋根の下へと駆け込んだ。

ザーッという激しい雨音が、世界中の他の音を全てかき消していく。アスファルトに叩きつけられた雨粒が跳ね、白い飛沫を上げた。バス停の屋根は小さく、横殴りの雨が容赦なく蓮の肩を濡らす。

(最悪だ……)

バスを待つ気にもなれず、ただ立ち尽くす。冷たい雨が、火照った頭を少しだけ冷やしてくれた。蓮は濡れた前髪をかき上げ、ぼんやりと雨に煙る景色を眺める。

昨日の電話は、本当に瑠奈だったのだろうか。
もし、本当に彼女だったとしたら。一体、何のために。
自分を捨てて夢を追いかけたはずの彼女が、なぜ今さら連絡をしてくる必要がある?

分からないことだらけだった。考えるほどに、思考は迷宮に入り込んでいく。もしかしたら、テレビの向こう側で輝く彼女も、何かを抱えているのだろうか。トップアイドルとしての苦悩。誰にも言えない孤独。そんなありきたりな想像が頭をよぎるが、すぐに打ち消した。

(関係ない)

そうだ、もう関係ないことだ。彼女がどんな悩みを抱えていようと、それはもう俺の知ったことではない。俺たちは、あの日に別々の道を歩き始めたのだから。

そう自分に言い聞かせた時、ふと視界の端に人の気配を感じた。蓮が駆け込む前から、同じように雨宿りをしている先客がいたらしい。蓮は今まで、自分のことで頭がいっぱいで気づかなかった。

その人物は、蓮とは反対側の柱の陰に、気配を消すようにして立っていた。
深く被った黒いキャップ。顔の半分以上を覆う大きな白いマスク。グレーのパーカーに黒いパンツという、何の変哲もない服装。全体的に細身で、背丈は蓮よりずっと低い。女だろうか。

蓮は特に気に留めることもなく、再び視線を雨に戻した。雨脚は弱まる気配がない。しばらく止みそうにないな、と他人事のように思う。

その時だった。

「……あの」

か細い声が、激しい雨音の隙間を縫って蓮の耳に届いた。蓮は声のした方、柱の陰に立つ人物に視線を向ける。相手は少しだけ身じろぎし、こちらを窺うようにキャップのつばの隙間から視線を送ってきた。

蓮の心臓が、嫌な予感を告げてドクンと跳ねる。

まさか。そんなはずはない。あり得ない。

日本に一体何人いると思っているんだ。こんな場所で、こんな偶然があるものか。

蓮は無言のまま、相手を凝視した。相手は蓮の視線に怯んだように一歩後ずさる。だが、やがて意を決したように、ゆっくりと蓮の方へ一歩、歩み寄ってきた。

キャップとマスクで顔のほとんどは隠れている。だが、その隙間から覗く大きな瞳。不安そうに揺れる、長い睫毛。その瞳に、蓮はどこか見覚えがあるような気がした。いや、気のせいではない。この瞳を、忘れるはずがない。

脳が警鐘を鳴らす。逃げろ、と。ここから今すぐ走り去れ、と。しかし、蓮の足はコンクリートに縫い付けられたように動かなかった。

女が、おずおずと口を開く。雨音に消されそうなほど、震えた声で。

「蓮……だよね?」

その声。その呼び方。
昨日の電話で聞いたものと、寸分違わなかった。幻聴などではない。今、目の前で、現実の音として響いている。

蓮は息を呑んだ。全身の血が、急速に冷えていくのを感じる。時間が引き延ばされ、世界がスローモーションになる。ザーッという雨音だけが、遠くで響いていた。

目の前の女が、震える手でゆっくりとマスクに手をかける。そして、ほんの少しだけ、それを下にずらした。

現れたのは、小さな唇と、そのすぐ下にある小さなほくろ。
それは、蓮の記憶の中にあるものと、完全に一致していた。

「……っ」

声にならない声が、喉の奥で詰まる。

星宮瑠奈。

テレビの向こう側、数万人の歓声を浴びるステージの上ではなく、土砂降りの雨が降りしきる、古びたバス停の屋根の下に。
手の届かない世界の住人のはずの彼女が、今、確かにそこにいた。

瑠奈は、蓮の反応を窺うように、怯えた瞳でじっとこちらを見つめている。その瞳には、かつての幼馴染の面影が、はっきりと残っていた。

なぜ。どうして。お前が、ここにいるんだ。

聞きたいことは山ほどあるはずなのに、蓮の口からは何の言葉も出てこない。ただ、目の前の信じられない光景を、受け入れることも拒絶することもできずに立ち尽くすだけだった。

土砂降りの雨音だけが、二人の間に流れる途方もない時間と、気まずい沈黙を、ただただ打ち消すように鳴り響いていた。過去が、現実の姿を伴って、蓮の目の前に現れた瞬間だった。
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