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第10話:暗殺流・農耕術
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カーム村で迎える朝はいつも静かだ。
だが、その日の朝は違った。俺が家の扉を開けると、そこには朝日を浴びて仁王立ちする少女の姿があった。赤いポニーテールが、朝日に燃えるように輝いている。リリアだ。
「おはようございます、師匠! 本日から、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
彼女は九十度の完璧なお辞儀と共に、腹の底から出したような声で挨拶した。その手には昨日使っていた片手剣ではなく、どこで手に入れたのか、真新しいクワが握られている。やる気だけは十分らしい。
俺は無言で扉を閉めようとした。
昨日のことは悪い夢だった。そうに違いない。
しかし、扉はガシリと力強く押さえつけられた。
「師匠! 修行から逃げるのは感心しません!」
「誰が師匠だ。帰れ」
「いえ、帰りません! 私はここで師匠の教えを乞うと決めたんです!」
リリアの瞳は、一点の曇りもなく俺を射抜いていた。その純粋な熱意は、あらゆる理屈を焼き尽くす炎のようだ。俺は早々に説得を諦めた。この手の人間は、一度思い込んだら梃子でも動かない。下手に刺激すれば、さらに面倒なことになるだけだ。
俺は大きく、そして深くため息をつくと、家の中から自分のクワを持ち出した。
「…好きにしろ。だが、俺は畑仕事をするだけだ。お前の修行に付き合うつもりはない」
「はい! 師匠の日常そのものが、私にとっては最高の修行ですから!」
もう駄目だ。こいつの頭の中はどうなっているんだ。
俺は会話を打ち切り、黙々と畑へと向かった。リリアは子犬のように、その後ろをついてくる。
畑に着くと、俺はまず土の状態を確かめた。
膝をつき、黒い土を一つまみ指でつまみ上げる。指先でその湿度と粒子の細かさを確認し、鼻に近づけて僅かな匂いを嗅いだ。
(ふむ。昨日の雨で水分は十分だが、少し土が固いな。養分も足りない。今日は堆肥を混ぜ込むか)
ごく当たり前の、農夫の作業だ。
だが、俺の背後で見守っていたリリアは、息を呑んでいた。
(すごい…! 土を少し手に取っただけで、この土地の全ての情報を読み取っているんだ! 地面の硬さ、水分量、風が運んでくる匂い。それらから敵の数や配置、罠の有無まで瞬時に分析しているに違いない。これが師匠が言っていた『物事の理を理解する』ということ…!)
俺はリリアの熱い視線など気にも留めず、作業を開始した。まずは雑草抜きだ。俺は畑の中を歩き回り、特定の草だけを選んで抜いていく。
「師匠! なぜその草は抜かないのですか?」
リリアが不思議そうに尋ねる。彼女が指差したのは、細長い葉を持つクローバーに似た雑草だった。
「あれは根が深く張って、固い土を柔らかくしてくれる。それに、根に養分を溜め込む性質があるから、枯れた後も良い肥料になるんだ」
俺は面倒くさそうに、事実だけを告げた。
リリアは、はっと目を見開いた。
(そうか…! 一見、無価値に見えるものでも、使い方次第で武器になる。敵の罠を逆利用したり、周囲の環境を味方につけたり…。抜くべき脅威と、利用すべき要素を瞬時に見極めているんだ! これが『無駄な動きは疲れるだけ』の実践…! 深い!)
彼女は何かを悟ったように力強く頷くと、自分も雑草を抜き始めた。だが、その手つきは乱暴で、必要な草まで構わず引っこ抜いていく。
「おい、それは残せと言っただろう」
「はっ! すみません! つい、目の前の敵を排除することばかりに…!」
敵じゃない、草だ。
俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。もう何を言っても無駄な気がした。
午前中いっぱい、俺たちは畑仕事に汗を流した。いや、俺が汗を流し、リリアは勝手に修行に励んでいただけだが。
昼になり、俺が家の補修で余った木材で薪割りを始めると、リリアは目を輝かせて駆け寄ってきた。
俺は手頃な丸太を台座に置くと、斧を振り上げた。
狙うのは、木の繊維が走る中心線。そこを正確に捉えれば、力はほとんどいらない。俺は腰を落とし、体全体の捻りを利用して斧を振り下ろした。
スパンッ、と乾いた音が響く。
丸太は綺麗に真っ二つに割れ、地面に落ちた。一連の動作に力みはない。ただ、斧の重さと遠心力を利用しただけだ。
リリアは、その場に釘付けになっていた。
(なっ…! 今の動きは…! ただの薪割りじゃない! あれは剣の型だ! 力の流れを完全に読み切り、最小の動きで最大の破壊力を生み出す体捌き。無駄な筋肉を一切使わず、全身を連動させて一撃を放つ。あれこそが、師匠の暗殺剣の真髄…!)
「し、師匠! 私にもやらせてください!」
目を爛々と輝かせ、リリアが志願する。
俺は少し考えた。初心者に斧は危ない。だが、ここで断れば、また面倒な問答が始まるだろう。
「…好きにしろ。怪我をしても知らんぞ」
俺は斧を差し出した。リリアはそれを、まるで聖剣でも受け取るかのように恭しく両手で受け取った。
「うおおお!」
リリアは気合一閃、力任せに斧を丸太に叩きつけた。
ガギン! と甲高い音が響き、斧の刃は丸太に弾かれる。その衝撃で、リリアはたたらを踏んで尻餅をついた。
「くっ…! なんて硬い丸太なんだ…!」
「馬鹿者。力が入りすぎだ」
俺は思わず、低い声で叱責していた。
「力を抜け。斧の重みを利用するんだ。腕で叩きつけるんじゃない。腰で、体で斬るんだ」
それは、昔、新米の暗殺者にナイフの使い方を教えた時と、全く同じ言葉だった。言ってしまってから、俺は内心で舌打ちした。
だが、リリアは打ちのめされるどころか、感涙にむせびそうな表情で俺を見上げた。
(力を抜け…斧の重みを利用しろ…! これは、武器と一体になるための極意…! 敵を倒すという雑念を捨て、ただ『斬る』という純粋な行為に集中しろということか…! 師匠…! ありがとうございます!)
彼女は再び立ち上がると、俺の言葉を反芻するように何度も頷き、再び斧を構えた。その構えは、先程よりずっと様になっている。
結局その日、リリアは夕暮れまで俺の家にいた。
畑の土にまみれ、薪割りの衝撃で手を真っ赤にしながらも、彼女の顔は不思議なほど晴れやかだった。
「師匠! 本日もご指導、ありがとうございました! とても勉強になりました!」
泥だらけの顔で満面の笑みを浮かべ、彼女は深々と頭を下げた。そして、覚えたての薪割りの動きを確かめるように、空中で素振りをしながら帰って行った。
一人残された俺は、どっと疲労を感じてその場に座り込んだ。
ただいつも通りの日常を過ごしただけのはずなのに、精神的な消耗が激しい。監視者が一人いるだけで、これほど疲れるものか。
視線の先には、リリアが割った薪が転がっていた。
いびつな形に裂け、ささくれだっている。お世辞にも上手いとは言えない。だが、それは確かに彼女が流した汗の結晶だった。
「……はぁ」
俺の平穏なスローライフは、どうやら一人だけの静かなものではなくなってしまったらしい。
俺は頭を抱えながら、騒がしい弟子(仮)が置いていった奇妙な達成感を、どう処理すればいいのか分からずにいた。
だが、その日の朝は違った。俺が家の扉を開けると、そこには朝日を浴びて仁王立ちする少女の姿があった。赤いポニーテールが、朝日に燃えるように輝いている。リリアだ。
「おはようございます、師匠! 本日から、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
彼女は九十度の完璧なお辞儀と共に、腹の底から出したような声で挨拶した。その手には昨日使っていた片手剣ではなく、どこで手に入れたのか、真新しいクワが握られている。やる気だけは十分らしい。
俺は無言で扉を閉めようとした。
昨日のことは悪い夢だった。そうに違いない。
しかし、扉はガシリと力強く押さえつけられた。
「師匠! 修行から逃げるのは感心しません!」
「誰が師匠だ。帰れ」
「いえ、帰りません! 私はここで師匠の教えを乞うと決めたんです!」
リリアの瞳は、一点の曇りもなく俺を射抜いていた。その純粋な熱意は、あらゆる理屈を焼き尽くす炎のようだ。俺は早々に説得を諦めた。この手の人間は、一度思い込んだら梃子でも動かない。下手に刺激すれば、さらに面倒なことになるだけだ。
俺は大きく、そして深くため息をつくと、家の中から自分のクワを持ち出した。
「…好きにしろ。だが、俺は畑仕事をするだけだ。お前の修行に付き合うつもりはない」
「はい! 師匠の日常そのものが、私にとっては最高の修行ですから!」
もう駄目だ。こいつの頭の中はどうなっているんだ。
俺は会話を打ち切り、黙々と畑へと向かった。リリアは子犬のように、その後ろをついてくる。
畑に着くと、俺はまず土の状態を確かめた。
膝をつき、黒い土を一つまみ指でつまみ上げる。指先でその湿度と粒子の細かさを確認し、鼻に近づけて僅かな匂いを嗅いだ。
(ふむ。昨日の雨で水分は十分だが、少し土が固いな。養分も足りない。今日は堆肥を混ぜ込むか)
ごく当たり前の、農夫の作業だ。
だが、俺の背後で見守っていたリリアは、息を呑んでいた。
(すごい…! 土を少し手に取っただけで、この土地の全ての情報を読み取っているんだ! 地面の硬さ、水分量、風が運んでくる匂い。それらから敵の数や配置、罠の有無まで瞬時に分析しているに違いない。これが師匠が言っていた『物事の理を理解する』ということ…!)
俺はリリアの熱い視線など気にも留めず、作業を開始した。まずは雑草抜きだ。俺は畑の中を歩き回り、特定の草だけを選んで抜いていく。
「師匠! なぜその草は抜かないのですか?」
リリアが不思議そうに尋ねる。彼女が指差したのは、細長い葉を持つクローバーに似た雑草だった。
「あれは根が深く張って、固い土を柔らかくしてくれる。それに、根に養分を溜め込む性質があるから、枯れた後も良い肥料になるんだ」
俺は面倒くさそうに、事実だけを告げた。
リリアは、はっと目を見開いた。
(そうか…! 一見、無価値に見えるものでも、使い方次第で武器になる。敵の罠を逆利用したり、周囲の環境を味方につけたり…。抜くべき脅威と、利用すべき要素を瞬時に見極めているんだ! これが『無駄な動きは疲れるだけ』の実践…! 深い!)
彼女は何かを悟ったように力強く頷くと、自分も雑草を抜き始めた。だが、その手つきは乱暴で、必要な草まで構わず引っこ抜いていく。
「おい、それは残せと言っただろう」
「はっ! すみません! つい、目の前の敵を排除することばかりに…!」
敵じゃない、草だ。
俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。もう何を言っても無駄な気がした。
午前中いっぱい、俺たちは畑仕事に汗を流した。いや、俺が汗を流し、リリアは勝手に修行に励んでいただけだが。
昼になり、俺が家の補修で余った木材で薪割りを始めると、リリアは目を輝かせて駆け寄ってきた。
俺は手頃な丸太を台座に置くと、斧を振り上げた。
狙うのは、木の繊維が走る中心線。そこを正確に捉えれば、力はほとんどいらない。俺は腰を落とし、体全体の捻りを利用して斧を振り下ろした。
スパンッ、と乾いた音が響く。
丸太は綺麗に真っ二つに割れ、地面に落ちた。一連の動作に力みはない。ただ、斧の重さと遠心力を利用しただけだ。
リリアは、その場に釘付けになっていた。
(なっ…! 今の動きは…! ただの薪割りじゃない! あれは剣の型だ! 力の流れを完全に読み切り、最小の動きで最大の破壊力を生み出す体捌き。無駄な筋肉を一切使わず、全身を連動させて一撃を放つ。あれこそが、師匠の暗殺剣の真髄…!)
「し、師匠! 私にもやらせてください!」
目を爛々と輝かせ、リリアが志願する。
俺は少し考えた。初心者に斧は危ない。だが、ここで断れば、また面倒な問答が始まるだろう。
「…好きにしろ。怪我をしても知らんぞ」
俺は斧を差し出した。リリアはそれを、まるで聖剣でも受け取るかのように恭しく両手で受け取った。
「うおおお!」
リリアは気合一閃、力任せに斧を丸太に叩きつけた。
ガギン! と甲高い音が響き、斧の刃は丸太に弾かれる。その衝撃で、リリアはたたらを踏んで尻餅をついた。
「くっ…! なんて硬い丸太なんだ…!」
「馬鹿者。力が入りすぎだ」
俺は思わず、低い声で叱責していた。
「力を抜け。斧の重みを利用するんだ。腕で叩きつけるんじゃない。腰で、体で斬るんだ」
それは、昔、新米の暗殺者にナイフの使い方を教えた時と、全く同じ言葉だった。言ってしまってから、俺は内心で舌打ちした。
だが、リリアは打ちのめされるどころか、感涙にむせびそうな表情で俺を見上げた。
(力を抜け…斧の重みを利用しろ…! これは、武器と一体になるための極意…! 敵を倒すという雑念を捨て、ただ『斬る』という純粋な行為に集中しろということか…! 師匠…! ありがとうございます!)
彼女は再び立ち上がると、俺の言葉を反芻するように何度も頷き、再び斧を構えた。その構えは、先程よりずっと様になっている。
結局その日、リリアは夕暮れまで俺の家にいた。
畑の土にまみれ、薪割りの衝撃で手を真っ赤にしながらも、彼女の顔は不思議なほど晴れやかだった。
「師匠! 本日もご指導、ありがとうございました! とても勉強になりました!」
泥だらけの顔で満面の笑みを浮かべ、彼女は深々と頭を下げた。そして、覚えたての薪割りの動きを確かめるように、空中で素振りをしながら帰って行った。
一人残された俺は、どっと疲労を感じてその場に座り込んだ。
ただいつも通りの日常を過ごしただけのはずなのに、精神的な消耗が激しい。監視者が一人いるだけで、これほど疲れるものか。
視線の先には、リリアが割った薪が転がっていた。
いびつな形に裂け、ささくれだっている。お世辞にも上手いとは言えない。だが、それは確かに彼女が流した汗の結晶だった。
「……はぁ」
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