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第20話:噂、王都へ
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王都アステリア。大陸の中心に位置するこの都市は、政治、経済、そして文化の集積地だ。高い城壁に囲まれた街には、富と権力を求める者たちが絶えず集まり、日夜様々な情報が駆け巡っていた。
その日、王都の情報屋ギルドが集まる一角、「囁きの路地」にある一軒の酒場は、いつになく熱気に包まれていた。情報屋たちは、信じられないといった表情で一つの噂話を肴に、議論を交わしている。
「おい、聞いたか? 辺境のカームとかいうクソ田舎に、『聖人』が現れたって話だ」
一人の情報屋が声を潜めて言うと、別の男が鼻で笑った。
「ああ、聞いた聞いた。行商人のマルコが吹聴して回ってる与太話だろ? なんでも、大地を割って天候を操る農夫がいるとか。馬鹿馬鹿しい」
「だが、マルコは嘘をつくような男じゃないぜ。それに、話が妙に具体的すぎる。水車を半日で直したとか、駆け出しの小娘を一月で達人にしたとか…」
噂は、マルコが王都に到着して以来、瞬く間に情報屋たちの間に広まっていた。最初は誰もが一笑に付した。だが、話の出所が信頼できるベテラン行商人であること、そして複数のルートから同じような情報が断片的に入ってきたことで、ただの与太話として片付けられない空気が生まれ始めていた。
「面白いのは、王国騎士団の方からも、そのカーム村に関する奇妙な報告が上がっているってことだ」
ギルドでも古株の情報屋が、意味深に口を挟んだ。
「なんでも、元騎士のガレスとかいう堅物が送ってきた定期報告書に、『特記事項』として謎の人物のことが書かれていたらしい。内容は極秘だが、その報告書を読んだ騎士団の上層部が、今、蜂の巣をつついたような騒ぎになってるって話だぜ」
行商人が広める荒唐無稽な噂話と、王国騎士団からの極秘報告。
全く異なる二つの情報源が、奇しくも同じ場所、同じ人物を指し示している。この事実は、情報屋たちの嗅覚を鋭く刺激した。
「その『聖人』、名前はなんて言うんだ?」
「アラン、とか言ったか。年は四十過ぎの、どこにでもいるようなおっさんらしい」
「アラン…聞いたことねえ名だ。だが、その歳でそれだけの実力者となると、偽名の可能性が高いな。何者なんだ、そいつは…」
情報屋たちの間で、様々な憶測が飛び交う。
「十年前に姿を消した、伝説の剣聖『無明』の生き残りじゃないか?」
「いや、魔導王国の実験で生み出された、最強の魔法兵士という線もあるぞ」
「どちらにせよ、ただ者じゃないことだけは確かだ。こんな大物が、なぜ今頃になって辺境の村に…?」
彼らの議論は、熱を帯びて尽きることがなかった。
この「辺境に潜む謎の超人」の噂は、彼ら情報屋の手によって、さらに洗練され、尾ひれをつけられ、王都の裏社会から表社会へと、じわじわと浸透していくことになる。
――王宮、騎士団総長の執務室。
騎士団総長デュランは、眉間に深い皺を刻み、机の上に広げられた一枚の報告書を睨みつけていた。ガレスから送られてきた、問題の報告書だ。
「“神の影”、だと…?」
デュランは、呻くようにその名を呟いた。
十年前に、忽然と姿を消した伝説の暗殺者。その存在は、当時の騎士団や王族にとって悪夢そのものだった。神出鬼没、痕跡を残さず、確実に標的を仕留める。その手にかかった要人は数知れない。彼がその気になれば、この国の王の首を取ることすら不可能ではないと、誰もが恐れていた。
その悪夢が、再び蘇ったというのか。
「ガレスの報告は、常に正確で私情を挟まない。彼がここまで書くからには、相応の根拠があるのだろう。だが、にわかには信じがたい…」
報告書に書かれた内容は、荒唐無稽としか言いようがなかった。気配だけで人を倒し、森と会話し、機械を魔法のように修理する。そして、弟子を怪物のような強さに育て上げる。
「もし、これが全て事実だとしたら…奴は、十年の間にさらにその力を増しているということか…」
デュランの背筋を、冷たい汗が伝った。
コンコン、と執務室のドアがノックされる。
「総長、失礼いたします」
入ってきたのは、彼の副官である若きエリート騎士、マーカスだった。
「どうした?」
「はっ。街で流れている噂の件で、ご報告が」
マーカスは、情報屋たちの間で囁かれている「辺境の聖人」の噂を、デュランに報告した。
「…行商人から広まった噂、か。内容がガレスの報告と酷似しているな」
「はい。偶然にしては、あまりに出来すぎています。何者かが、意図的に情報を流している可能性も…」
「あるいは、その逆かもしれん」
デュランは、深く息を吐いた。
「噂も、報告書も、全てが真実だとしたら…」
その可能性を考えると、デュランは身震いを禁じ得なかった。
大陸最強の暗殺者が、今は聖人として崇められている。その矛盾。その不気味さ。彼の目的は一体何なのか。王国への復讐か、あるいは何か別の、さらに巨大な陰謀か。
「マーカス」
「はっ」
「至急、調査部隊を編成しろ。お前が隊長だ。カーム村へ向かい、この報告と噂の真偽を、お前のその目で確かめてこい」
「…よろしいのですか? 相手が本当に“神の影”だとしたら、我々では…」
「だからこそ、お前に行くのだ。お前は冷静で、観察眼も鋭い。決して深入りはするな。ただ、事実を確認し、ありのままを報告するのだ。良いな?」
「…御意」
マーカスは騎士の礼を取ると、緊張した面持ちで執務室を辞していった。
一人残されたデュランは、窓の外に広がる王都の街並みを見下ろした。
平和に見えるこの街の地下で、今、巨大なマグマが動き出そうとしている。その震源地は、誰もが忘れ去っていた辺境の小さな村。
最初の火種は、燻り始めた。
それはまだ、王都の一部の人間だけが知る、小さな火種に過ぎない。
だが、この火がやがて大陸全土を巻き込む大火となり、自分たちの運命を根底から揺るがすことになるとは、この時のデュランも、まだ予想だにしていなかった。
その頃、火種の中心人物であるアランは、自宅の縁側で暢気に鼻をほじっていた。
「うーむ、明日の天気はどうかな。そろそろトマトの支柱を立ててやらんとならんのだが」
彼の頭の中には、国家の動乱も、伝説の復活も、一切存在しない。
ただ、愛するトマトの成長だけが、彼の最大の関心事であった。
その日、王都の情報屋ギルドが集まる一角、「囁きの路地」にある一軒の酒場は、いつになく熱気に包まれていた。情報屋たちは、信じられないといった表情で一つの噂話を肴に、議論を交わしている。
「おい、聞いたか? 辺境のカームとかいうクソ田舎に、『聖人』が現れたって話だ」
一人の情報屋が声を潜めて言うと、別の男が鼻で笑った。
「ああ、聞いた聞いた。行商人のマルコが吹聴して回ってる与太話だろ? なんでも、大地を割って天候を操る農夫がいるとか。馬鹿馬鹿しい」
「だが、マルコは嘘をつくような男じゃないぜ。それに、話が妙に具体的すぎる。水車を半日で直したとか、駆け出しの小娘を一月で達人にしたとか…」
噂は、マルコが王都に到着して以来、瞬く間に情報屋たちの間に広まっていた。最初は誰もが一笑に付した。だが、話の出所が信頼できるベテラン行商人であること、そして複数のルートから同じような情報が断片的に入ってきたことで、ただの与太話として片付けられない空気が生まれ始めていた。
「面白いのは、王国騎士団の方からも、そのカーム村に関する奇妙な報告が上がっているってことだ」
ギルドでも古株の情報屋が、意味深に口を挟んだ。
「なんでも、元騎士のガレスとかいう堅物が送ってきた定期報告書に、『特記事項』として謎の人物のことが書かれていたらしい。内容は極秘だが、その報告書を読んだ騎士団の上層部が、今、蜂の巣をつついたような騒ぎになってるって話だぜ」
行商人が広める荒唐無稽な噂話と、王国騎士団からの極秘報告。
全く異なる二つの情報源が、奇しくも同じ場所、同じ人物を指し示している。この事実は、情報屋たちの嗅覚を鋭く刺激した。
「その『聖人』、名前はなんて言うんだ?」
「アラン、とか言ったか。年は四十過ぎの、どこにでもいるようなおっさんらしい」
「アラン…聞いたことねえ名だ。だが、その歳でそれだけの実力者となると、偽名の可能性が高いな。何者なんだ、そいつは…」
情報屋たちの間で、様々な憶測が飛び交う。
「十年前に姿を消した、伝説の剣聖『無明』の生き残りじゃないか?」
「いや、魔導王国の実験で生み出された、最強の魔法兵士という線もあるぞ」
「どちらにせよ、ただ者じゃないことだけは確かだ。こんな大物が、なぜ今頃になって辺境の村に…?」
彼らの議論は、熱を帯びて尽きることがなかった。
この「辺境に潜む謎の超人」の噂は、彼ら情報屋の手によって、さらに洗練され、尾ひれをつけられ、王都の裏社会から表社会へと、じわじわと浸透していくことになる。
――王宮、騎士団総長の執務室。
騎士団総長デュランは、眉間に深い皺を刻み、机の上に広げられた一枚の報告書を睨みつけていた。ガレスから送られてきた、問題の報告書だ。
「“神の影”、だと…?」
デュランは、呻くようにその名を呟いた。
十年前に、忽然と姿を消した伝説の暗殺者。その存在は、当時の騎士団や王族にとって悪夢そのものだった。神出鬼没、痕跡を残さず、確実に標的を仕留める。その手にかかった要人は数知れない。彼がその気になれば、この国の王の首を取ることすら不可能ではないと、誰もが恐れていた。
その悪夢が、再び蘇ったというのか。
「ガレスの報告は、常に正確で私情を挟まない。彼がここまで書くからには、相応の根拠があるのだろう。だが、にわかには信じがたい…」
報告書に書かれた内容は、荒唐無稽としか言いようがなかった。気配だけで人を倒し、森と会話し、機械を魔法のように修理する。そして、弟子を怪物のような強さに育て上げる。
「もし、これが全て事実だとしたら…奴は、十年の間にさらにその力を増しているということか…」
デュランの背筋を、冷たい汗が伝った。
コンコン、と執務室のドアがノックされる。
「総長、失礼いたします」
入ってきたのは、彼の副官である若きエリート騎士、マーカスだった。
「どうした?」
「はっ。街で流れている噂の件で、ご報告が」
マーカスは、情報屋たちの間で囁かれている「辺境の聖人」の噂を、デュランに報告した。
「…行商人から広まった噂、か。内容がガレスの報告と酷似しているな」
「はい。偶然にしては、あまりに出来すぎています。何者かが、意図的に情報を流している可能性も…」
「あるいは、その逆かもしれん」
デュランは、深く息を吐いた。
「噂も、報告書も、全てが真実だとしたら…」
その可能性を考えると、デュランは身震いを禁じ得なかった。
大陸最強の暗殺者が、今は聖人として崇められている。その矛盾。その不気味さ。彼の目的は一体何なのか。王国への復讐か、あるいは何か別の、さらに巨大な陰謀か。
「マーカス」
「はっ」
「至急、調査部隊を編成しろ。お前が隊長だ。カーム村へ向かい、この報告と噂の真偽を、お前のその目で確かめてこい」
「…よろしいのですか? 相手が本当に“神の影”だとしたら、我々では…」
「だからこそ、お前に行くのだ。お前は冷静で、観察眼も鋭い。決して深入りはするな。ただ、事実を確認し、ありのままを報告するのだ。良いな?」
「…御意」
マーカスは騎士の礼を取ると、緊張した面持ちで執務室を辞していった。
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最初の火種は、燻り始めた。
それはまだ、王都の一部の人間だけが知る、小さな火種に過ぎない。
だが、この火がやがて大陸全土を巻き込む大火となり、自分たちの運命を根底から揺るがすことになるとは、この時のデュランも、まだ予想だにしていなかった。
その頃、火種の中心人物であるアランは、自宅の縁側で暢気に鼻をほじっていた。
「うーむ、明日の天気はどうかな。そろそろトマトの支柱を立ててやらんとならんのだが」
彼の頭の中には、国家の動乱も、伝説の復活も、一切存在しない。
ただ、愛するトマトの成長だけが、彼の最大の関心事であった。
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