「お前の戦い方は地味すぎる」とギルドをクビになったおっさん、その正体は大陸を震撼させた伝説の暗殺者。

夏見ナイ

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第19話:師匠の教え(語録)

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リリアの自室は、カーム村に一つだけある宿屋の屋根裏部屋だ。
冒険者としての稼ぎはまだ少なく、贅沢はできない。だが、彼女にとってこの狭い部屋は、自分だけの城であり、聖域でもあった。

その日も、アランとの「修行」を終えたリリアは、興奮冷めやらぬまま部屋に戻ると、すぐに机に向かった。机の上には、彼女が大切にしている一冊の革張りの手帳と、インク壺、そして羽ペンが置かれている。

彼女は丁寧に手帳を開くと、今日の修行でア-ランから授かった「教え」を、一言一句違えぬように書き記し始めた。

『師匠語録 其の十九』
『トマトが赤くなるのも、雑草が伸びるのも、全ては理屈だ。それを知らずして、ただ結果だけを求めるのは愚者のすることだ』

リリアは書き終えると、うっとりとした表情でその言葉を眺めた。
(深い…深すぎる…! 剣の修行も同じだ。ただ闇雲に剣を振るうのではなく、なぜその動きが必要なのか、どうすれば最小の力で最大の効果を得られるのか。その理屈、つまり『理(ことわり)』を理解しろという教えなんだわ…!)

この「師匠語録」は、リリアがアランの弟子になった(と思い込んだ)日から、一日も欠かさずつけられている彼女の聖典(バイブル)だ。
そこには、彼女がアランの何気ない一言を、独自の解釈で昇華させた珠玉の教えがびっしりと書き込まれていた。

ページを遡ると、記念すべき最初の教えが記されている。
『其の一:自分の足元をよく見ることだ。全ての物事には理屈がある』
これは、アランが畑の雑草を指して言った言葉だ。だが、リリアの中では「戦場において、常に自分の立ち位置と周囲の環境を把握し、戦況の理を読め」という、高度な戦術指南に変換されていた。

『其の二:無駄な動きは疲れるだけだ。一つの動きで、一つの目的を果たす』
これも、農作業の効率についてア-ランが呟いた一言に過ぎない。しかし、リリアにとっては「一挙手一投足に明確な殺意を込め、最短・最速で敵を無力化せよ」という、暗殺剣の極意そのものだった。

『其の三:相手の嫌がることを考えろ』
雑草の種類によって抜き方を変えるべきだ、という意味でアランが言った言葉は、「敵の弱点を徹底的に突き、肉体的苦痛だけでなく、精神的にも相手を追い詰めろ」という、非情な戦闘哲学として記録されていた。

語録は、戦闘に関することだけではない。
アランが水車を修理した際に呟いた「構造を理解すれば、壊すのも直すのも同じだ」という言葉は、
『其の八:万物の構造を理解せよ。そうすれば、世界さえも作り変えることができる』
という、もはや神の領域に達する教えとして記されている。

収穫祭のスープを作った時の「猪肉は臭みが強いからな」という一言は、
『其の十四:敵を知り、己を知れば百戦殆うからず。敵の特性を完全に把握し、それに応じた策を講じよ』
という、孫子の兵法もかくやという格言になっていた。

リリアは、自分が書き溜めた語録を読み返すたびに、感動で打ち震えた。
(師匠の言葉は、なんて簡潔で、そして奥深いんだろう…。最初はただの農作業の心得のように聞こえるのに、よくよく考えてみると、その全てが戦闘、戦術、果ては生き方そのものに通じているんだわ…!)

彼女は知らない。
それらが本当に、ただの農作業の心得であるという事実を。

リリアは、アランの日常の全てが修行の一環だと信じて疑わなかった。
彼が黙って空を眺めているのは、雲の動きから天候を読み、明日の戦いに備えているのだと解釈した。
彼が昼寝をしているのは、精神を統一し、無意識の領域で敵の動きをシミュレートしているのだと信じた。
彼が釣りをしているのは、水の流れと魚の気配を読むことで、気配察知の精度を高める訓練なのだと確信していた。

ア-ランがただぼーっとしているだけだったり、本当に眠いだけだったり、夕飯のおかずが欲しかっただけだとは、夢にも思わなかった。

「よし、今日の復習は終わり!」
リリアは満足げに手帳を閉じると、立ち上がって剣を抜いた。
狭い屋根裏部屋で、彼女は師匠語録の教えを体に叩き込むべく、素振りを始める。

「足元を見る…!」
彼女は床板のきしむ音に集中し、自分の体重移動を完璧にコントロールする。

「無駄な動きは疲れるだけ…!」
剣を振るう軌道を、ミリ単位で修正していく。

「相手の嫌がることを考えろ…!」
部屋の隅に置かれた薪を仮想の敵に見立て、その弱点である木目を的確に斬りつけるイメージを固める。

汗が床に滴り落ちる。
だが、リリアの顔は充実感に満ち溢れていた。
(師匠に出会えて、本当に良かった…。私の人生は、あの日、あの森で完全に変わったんだ)

彼女は、自分が急速に強くなっていることを実感していた。
以前はあれほど重く感じた剣が、今では自分の手足のように馴染んでいる。
ゴブリンの群れを前にしても、恐怖よりも先に、どうすれば効率的に殲滅できるかという思考が働くようになった。

これも全て、師匠の偉大なる教えのおかげだ。
リリアは、師であるアランへの感謝と尊敬の念を、改めて強く胸に刻んだ。

その頃、アランは自宅の縁側で、ぼんやりと月を眺めていた。
手には、イーニッドさんが差し入れてくれた温かいミルクが入ったカップがある。

「ふぁ…眠いな。明日も早いし、もう寝るか」

彼は大きく一つ欠伸をすると、戸締まりをして寝床についた。
自分の何気ない日常の言動が、一人の少女の中で壮大な勘違いと共に聖典化され、彼女を人外の領域へと導きつつあることなど、彼は全く知らない。

師匠はただ眠り、弟子はただ強くなる。
二人の間に横たわる、天と地ほどに離れた認識の差。
そのアンバランスな関係性が、やがて大陸の運命さえも左右する巨大なうねりを生み出すことを、まだ誰も知る由もなかった。
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