「お前の戦い方は地味すぎる」とギルドをクビになったおっさん、その正体は大陸を震撼させた伝説の暗殺者。

夏見ナイ

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第50話:ただの石ころ

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リリアに止めを刺そうとボルガが傷ついた体を動かした、その瞬間。
戦場の誰もが息を呑んだ、その刹那。

カツン。

乾いた音が静まり返った戦場に、奇妙なほど大きく響いた。
それはほんの小さな音だった。
だが、その音は全ての者の動きを止めた。

ボルガの巨体がぴたりと静止する。
彼の顔から勝利を確信した残忍な笑みが消え、代わりに信じられないといった驚愕の表情が浮かんでいた。
彼はゆっくりと自分の右肩を見た。
そこに小さな石ころが、まるで意志を持っているかのようにめり込んでいた。

石ころは彼の分厚い筋肉を貫き、肩の関節を完璧に砕いていた。
激痛が遅れて彼の脳を焼く。

「ぐ…あ…あああああああああっ!?」

狂戦士の絶叫が夜空に木霊した。
それは怒りや憎しみによるものではない。純粋な、そして理解を超えた現象に対する恐怖の叫びだった。

どこから?
いつの間に?
誰が?

ボルガの混乱した思考が答えを探して周囲を彷徨う。
そして、彼の視線はゆっくりと背後に立つ一つの人影を捉えた。

そこに俺は立っていた。
いつからそこにいたのか、誰にも分からなかった。
音もなく、気配もなく。まるで闇そのものが人の形を取ったかのように。
その手にはまだ数個の石ころが握られている。

「…てめえ…」
ボルガの喉から掠れた声が漏れた。
俺は何も答えなかった。
ただ、冷たい目で彼を見下ろしているだけだ。

俺の視線はボルガではなく、その先に倒れているリリアに向けられていた。
彼女は薄っすらと目を開け、俺の姿を認めると安堵したように、そして申し訳なさそうに小さく微笑んだ。

その表情を見た瞬間、俺の中で最後の枷が外れた。

(よくやった、リリア)
俺は心の中で呟いた。
(お前は十分に戦った。お前の覚悟、確かに俺が受け取った。…ここから先は俺の仕事だ)

俺はゆっくりとボルガに向き直った。
その瞳にはもはや一切の感情が映っていなかった。
あるのは、ただ目的を遂行するための絶対零度の意志だけ。

「…殺す」

俺の口から地を這うような低い声が漏れた。
それはこの戦場で俺が発した最初の言葉だった。

その一言がボルガの闘争本能を、恐怖の上から無理やり再燃させた。
「う…うおおおおおお! なめるな、“神の影”ぃぃぃ!」

ボルガは残された左腕一本で、近くに転がっていた自警団員の槍を掴み取ると、獣のような雄叫びを上げて俺に突進してきた。
傷だらけの体とは思えない、最後の力を振り絞った捨て身の突撃。

だが、俺の目にはその動きの全てが、あまりにも遅く、そして単純に見えていた。
筋肉の収縮、重心の移動、槍の穂先が描く軌道。
その全てが完璧に予測できる。

俺は一歩も動かなかった。
ただ、ボルガが俺の間合いに入る、その寸前。
俺の体がふっとその場から消えた。

いや、消えたのではない。
俺はボルガの突進の勢いをまるで柳のように受け流し、彼の体の側面へと滑り込むように移動しただけだ。
その動きには一切の無駄がない。俺がリリアに薪割りで教えた(つもりの)体捌き、その完成形だった。

空を切ったボルガの巨体は勢いを殺しきれず、前のめりによろめく。
その背中は完全に無防備だった。

俺は、そのがら空きの背中に向かって手に持っていた最後の石ころを投げつけたのではない。
ただ、そっと「置いた」。

トン、と軽い音がした。
石ころはボルガの背骨、その第七頸椎のすぐ下にある神経の集中点に吸い付くように置かれた。
そして俺は、その石ころを人差し指一本で軽く押し込んだ。

ほんの数ミリ。
だが、それだけで十分だった。

俺の指先から放たれた凝縮された衝撃波が、石ころを通じてボルガの神経中枢を直撃する。
それは彼の全身を支配する全ての指令系統を、内側から破壊した。

「……あ?」

ボルガの口から間抜けな声が漏れた。
彼の体から急速に力が失われていく。
腕も足も、まるで自分のものではないかのように感覚がなくなっていく。

彼は自分がどうなったのか理解できないまま、ゆっくりと糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
巨体が地響きを立てて倒れる。
その目は大きく見開かれたまま虚空を見つめていた。
意識はある。だが、指一本動かすことはできない。

狂戦士ボルガは死んだのではない。
ただ、生きたまま自分の体の牢獄に永遠に閉じ込められたのだ。

静寂。
戦場を支配していたのは絶対的な静寂だった。
黄昏の蛇の構成員たちは自分たちのリーダーが、石ころ一つで赤子のように無力化された光景をただ呆然と見つめている。

俺は倒れるボルガには一瞥もくれず、リリアの元へと歩み寄った。
そして彼女の体を優しく、しかし力強く抱き上げる。
「…師匠…ごめんなさい…私…」
「喋るな。よくやった」

俺はそれだけ言うと、彼女を抱えたまま教会の野戦病院へと向かって歩き始めた。
俺の背後で黄昏の蛇の構成員たちが武器を捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく音が聞こえた。
もはや彼らを追う必要はなかった。
王を失い、伝説の恐怖をその目に焼き付けた彼らに、もはや戦う力は残っていないだろう。

戦いは終わった。
俺は誰一人、殺さなかった。
ただ、石ころを一つ使っただけだ。

俺の腕の中でリリアが安堵したように意識を失っていく。
その寝顔はひどく穏やかだった。

俺はカーム村の静かな夜空を見上げた。
そこには満天の星が美しく輝いていた。

俺の長かった夜が、ようやく終わろうとしていた。
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