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第2話 未来からの使者、あるいはあり得ない告白
雪城冬花が隣の席になってから、数日が過ぎた。
俺の日常は、静かな緊張感に支配されるようになった。まるで猛獣の檻の隣に住むことになった草食動物の気分だ。いつ吠えられるか、いつ噛みつかれるか。そんな不安に常に晒されている。まあ、彼女が吠えたり噛みついたりする姿は全く想像できないが。
彼女の『氷の女王』という称号は、もはやクラス内で完全に定着していた。
話しかけようと試みた勇者はことごとく玉砕。その絶対零度のオーラの前では、どんな軽口も世間話も凍り付いて霧散してしまう。結果、彼女の周りだけ空気が違う。そこはまるで神聖な聖域か、あるいは侵入不可能な永久凍土のようだった。
そんな彼女の隣に座る俺に向けられる視線は、日に日に同情の色を濃くしていく。
「なあ優斗、息できてるか?」
昼休み、陽平が心配そうに俺の席までやってきた。
「見ての通り、かろうじてな。エベレストの山頂って、多分こんな感じだと思う」
「酸素薄いもんなあ。それにしても、雪城さんマジですげえよな。誰とも話さねえ、笑わねえ、休み時間は常に読書。隙がなさすぎる」
「完璧すぎて逆に怖い」
「だよな。でもさ、超美人じゃん。お前、なんとか落とせないのか? 隣の席っていう神ポジションなんだからさ」
陽平がニヤニヤと肘で俺の脇腹を突く。俺は乾いた笑いを返すしかなかった。
「無理に決まってるだろ。見てみろよ、俺と彼女の間に流れるこの見えない川を。アマゾン川より広くて深いぞ」
「川っていうか、マリアナ海溝くらいあるかもな」
「だろ? 下手に近づいたら水圧で潰される」
俺たちがひそひそ話している間も、雪城さんは静かに文庫本の世界に没頭している。その完璧な横顔は、俺たちの存在など最初から認識していないかのようだった。
そんな日々の中、ほんの些細な出来事があった。
古典の授業中だったか。ぼんやりとしていた俺は、うっかり机の上から消しゴムを落としてしまった。コロコロと転がった消しゴムは、運悪く彼女の足元へ。
最悪だ。声をかけるべきか。でも、授業中だぞ。かといって、無視するわけにもいかない。俺が内心で葛藤していると、雪城さんがすっと身を屈めた。
そして、白い指先で俺の消しゴムを拾い上げ、黙って俺の机の上に置いてくれたのだ。
「あ、……どうも」
小声でお礼を言うと、彼女はほんの少しだけこちらを向いた。その瞬間、ほんの一瞬だけ、彼女の氷のような表情がわずかに和らいだように見えた。気のせいかもしれない。本当に、気のせいレベルの微かな変化だ。
だが、その一瞬がやけに強く印象に残った。
もしかしたら彼女は、ただ極端な人見知りなだけなのかもしれない。冷たいのではなく、どう人と接していいか分からないだけだとしたら。
いや、ないな。俺はすぐに首を振ってその考えを打ち消した。あの完璧超人が、そんな人間臭い悩みを抱えているはずがない。
そんな風に、俺は彼女の存在に振り回されながら、平凡と非凡の境界線上で不安定な毎日を過ごしていた。この奇妙な隣人関係も、時間が経てば慣れるだろう。そう高を括っていた俺が、愚かだった。
その日は、俺が日直だった。
最後のホームルームが終わり、クラスメイトたちが次々と教室を出ていく。陽平も「日直がんばれよー」と軽い声を残して去っていった。騒がしかった教室が静寂を取り戻していく。
俺は黒板を消し、窓を閉め、日誌に今日の出来事を書き込んでいく。特に変わったこともない、いつも通りの一日。そう締めくくってペンを置いた。
「さて、帰るか」
鞄を肩にかけ、教室の電気を消そうと入り口に向かった時、俺は自分の目を疑った。
教室の奥。窓際の席に、まだ人影が残っている。
夕日が差し込む教室で、その銀色の髪が燃えるようなオレンジ色に染まっていた。雪城冬花だった。
「え……雪城さん? まだいたのか」
思わず声が出た。彼女は帰り支度をするでもなく、ただ静かに椅子に座って窓の外を見ていた。俺の声に気づき、ゆっくりとこちらを振り返る。
何か用事でもあったんだろうか。忘れ物とか。
「もう下校時刻過ぎてるぞ」
「……知っています」
平坦な声が返ってくる。彼女は静かに立ち上がると、カツン、と小さな靴音を響かせて、俺の方へと歩み寄ってきた。
なんだ? 何か俺に文句でも?
『あなたのせいで一日中ジロジロ見られて不快でした』とか、そういうクレームだろうか。俺は思わず身構えた。
彼女は俺の目の前、一歩手前でぴたりと足を止める。夕日を背にした彼女の顔には影が落ちて、表情がよく見えない。ただ、深い碧色の瞳だけが、真っ直ぐに俺を射抜いていた。
沈黙が痛い。心臓の音がやけに大きく聞こえる。
やがて、彼女の唇が静かに開いた。
「ようやく、二人きりになれましたね」
予想外の言葉に、俺の思考が停止した。
え?
今、なんて言った?
俺が固まっていると、彼女の顔にかかっていた影がふっと消えた。彼女が少し顔を上げたのだ。そして、俺はその顔を見て、二度目の衝撃を受ける。
笑っていた。
氷の女王とまで呼ばれた彼女が、信じられないくらい優しく、柔らかく、微笑んでいたのだ。それは今まで見たどんな女子の笑顔よりも、破壊力のある微笑みだった。
「初めまして、相沢優斗さん」
その声色は、いつもの冷たい響きとは全く違う。暖かくて、どこか懐かしい響きを持っていた。
「正確に言うと、この時代でお会いするのは初めて、ですね」
この時代? 会うのは初めて?
混乱する俺の頭に、彼女は最大級の爆弾を投下した。
「私はあなたの未来の妻、雪城冬花です。あなたに会いに来ました」
未来。妻。雪城冬花が。俺の?
単語の一つ一つは理解できる。しかし、それが組み合わさって文章になった途端、意味不明の文字列に変わってしまった。俺の脳は、完全にキャパシティオーバーを起こしていた。
目の前の美少女は、幸せそうに微笑んでいる。その笑顔は、西日に照らされてキラキラと輝いて見えた。
彼女が何を言っているのか、俺には全く、これっぽっちも理解できなかった。
俺の日常は、静かな緊張感に支配されるようになった。まるで猛獣の檻の隣に住むことになった草食動物の気分だ。いつ吠えられるか、いつ噛みつかれるか。そんな不安に常に晒されている。まあ、彼女が吠えたり噛みついたりする姿は全く想像できないが。
彼女の『氷の女王』という称号は、もはやクラス内で完全に定着していた。
話しかけようと試みた勇者はことごとく玉砕。その絶対零度のオーラの前では、どんな軽口も世間話も凍り付いて霧散してしまう。結果、彼女の周りだけ空気が違う。そこはまるで神聖な聖域か、あるいは侵入不可能な永久凍土のようだった。
そんな彼女の隣に座る俺に向けられる視線は、日に日に同情の色を濃くしていく。
「なあ優斗、息できてるか?」
昼休み、陽平が心配そうに俺の席までやってきた。
「見ての通り、かろうじてな。エベレストの山頂って、多分こんな感じだと思う」
「酸素薄いもんなあ。それにしても、雪城さんマジですげえよな。誰とも話さねえ、笑わねえ、休み時間は常に読書。隙がなさすぎる」
「完璧すぎて逆に怖い」
「だよな。でもさ、超美人じゃん。お前、なんとか落とせないのか? 隣の席っていう神ポジションなんだからさ」
陽平がニヤニヤと肘で俺の脇腹を突く。俺は乾いた笑いを返すしかなかった。
「無理に決まってるだろ。見てみろよ、俺と彼女の間に流れるこの見えない川を。アマゾン川より広くて深いぞ」
「川っていうか、マリアナ海溝くらいあるかもな」
「だろ? 下手に近づいたら水圧で潰される」
俺たちがひそひそ話している間も、雪城さんは静かに文庫本の世界に没頭している。その完璧な横顔は、俺たちの存在など最初から認識していないかのようだった。
そんな日々の中、ほんの些細な出来事があった。
古典の授業中だったか。ぼんやりとしていた俺は、うっかり机の上から消しゴムを落としてしまった。コロコロと転がった消しゴムは、運悪く彼女の足元へ。
最悪だ。声をかけるべきか。でも、授業中だぞ。かといって、無視するわけにもいかない。俺が内心で葛藤していると、雪城さんがすっと身を屈めた。
そして、白い指先で俺の消しゴムを拾い上げ、黙って俺の机の上に置いてくれたのだ。
「あ、……どうも」
小声でお礼を言うと、彼女はほんの少しだけこちらを向いた。その瞬間、ほんの一瞬だけ、彼女の氷のような表情がわずかに和らいだように見えた。気のせいかもしれない。本当に、気のせいレベルの微かな変化だ。
だが、その一瞬がやけに強く印象に残った。
もしかしたら彼女は、ただ極端な人見知りなだけなのかもしれない。冷たいのではなく、どう人と接していいか分からないだけだとしたら。
いや、ないな。俺はすぐに首を振ってその考えを打ち消した。あの完璧超人が、そんな人間臭い悩みを抱えているはずがない。
そんな風に、俺は彼女の存在に振り回されながら、平凡と非凡の境界線上で不安定な毎日を過ごしていた。この奇妙な隣人関係も、時間が経てば慣れるだろう。そう高を括っていた俺が、愚かだった。
その日は、俺が日直だった。
最後のホームルームが終わり、クラスメイトたちが次々と教室を出ていく。陽平も「日直がんばれよー」と軽い声を残して去っていった。騒がしかった教室が静寂を取り戻していく。
俺は黒板を消し、窓を閉め、日誌に今日の出来事を書き込んでいく。特に変わったこともない、いつも通りの一日。そう締めくくってペンを置いた。
「さて、帰るか」
鞄を肩にかけ、教室の電気を消そうと入り口に向かった時、俺は自分の目を疑った。
教室の奥。窓際の席に、まだ人影が残っている。
夕日が差し込む教室で、その銀色の髪が燃えるようなオレンジ色に染まっていた。雪城冬花だった。
「え……雪城さん? まだいたのか」
思わず声が出た。彼女は帰り支度をするでもなく、ただ静かに椅子に座って窓の外を見ていた。俺の声に気づき、ゆっくりとこちらを振り返る。
何か用事でもあったんだろうか。忘れ物とか。
「もう下校時刻過ぎてるぞ」
「……知っています」
平坦な声が返ってくる。彼女は静かに立ち上がると、カツン、と小さな靴音を響かせて、俺の方へと歩み寄ってきた。
なんだ? 何か俺に文句でも?
『あなたのせいで一日中ジロジロ見られて不快でした』とか、そういうクレームだろうか。俺は思わず身構えた。
彼女は俺の目の前、一歩手前でぴたりと足を止める。夕日を背にした彼女の顔には影が落ちて、表情がよく見えない。ただ、深い碧色の瞳だけが、真っ直ぐに俺を射抜いていた。
沈黙が痛い。心臓の音がやけに大きく聞こえる。
やがて、彼女の唇が静かに開いた。
「ようやく、二人きりになれましたね」
予想外の言葉に、俺の思考が停止した。
え?
今、なんて言った?
俺が固まっていると、彼女の顔にかかっていた影がふっと消えた。彼女が少し顔を上げたのだ。そして、俺はその顔を見て、二度目の衝撃を受ける。
笑っていた。
氷の女王とまで呼ばれた彼女が、信じられないくらい優しく、柔らかく、微笑んでいたのだ。それは今まで見たどんな女子の笑顔よりも、破壊力のある微笑みだった。
「初めまして、相沢優斗さん」
その声色は、いつもの冷たい響きとは全く違う。暖かくて、どこか懐かしい響きを持っていた。
「正確に言うと、この時代でお会いするのは初めて、ですね」
この時代? 会うのは初めて?
混乱する俺の頭に、彼女は最大級の爆弾を投下した。
「私はあなたの未来の妻、雪城冬花です。あなたに会いに来ました」
未来。妻。雪城冬花が。俺の?
単語の一つ一つは理解できる。しかし、それが組み合わさって文章になった途端、意味不明の文字列に変わってしまった。俺の脳は、完全にキャパシティオーバーを起こしていた。
目の前の美少女は、幸せそうに微笑んでいる。その笑顔は、西日に照らされてキラキラと輝いて見えた。
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