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第71話 修学旅行と甘い既視感、あるいは未来のハネムーン
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文化祭の熱狂が過ぎ去り、俺たちの高校には秋の穏やかな日常が戻ってきた。
燃え尽きたような虚脱感と、やり遂げたという確かな達成感。クラスの空気は以前よりもずっと一体感を増し、温かいものになっていた。
そして、俺と雪城冬花――いや、冬花との関係も新しい季節を迎えていた。
まだ、「恋人」という明確な名前はない。
だが、俺たちの心は確かに繋がっていた。
朝、家の前で待っていてくれる彼女の姿を見るだけで、一日が輝き出す。
休み時間に交わす、他愛のない筆談。
時折、ふと目が合っては、どちらからともなく微笑んでしまう、あの瞬間。
その一つ一つが、俺の心を温かくて、どうしようもなく甘いもので満たしていく。
未来とか、運命とか、そんな難しいことはもう考えない。ただ今の彼女との時間を大切にしたい。
俺は心からそう思っていた。
「えー、お前ら、浮かれてるところ悪いが、二学期はまだイベントが残ってるぞー」
その日のホームルーム。担任のタナチューが教壇の上でニヤリと笑った。
その言葉に、文化祭ロスに陥っていたクラスメイトたちがざわめき始める。
「なんだなんだ?」「また何かあんのか?」
タナチューはもったいぶるように一度タメを作ると、黒板に大きな文字でこう書きなぐった。
『修学旅行』
その三文字が視界に入った瞬間、教室は文化祭の時とはまた違う、爆発的な歓声に包まれた。
「うおおおおお!」「キターーー!」
高校生活最大のイベント。友人たちと寝食を共にし、枕投げをし、そして淡い恋が生まれるかもしれない特別な三泊四日。
「先生! 行き先はどこですか!?」
誰かが叫ぶと、タナチューは満足げに頷いた。
「今年の二年生は、古都の歴史と文化に触れてもらう。行き先は、京都・奈良だ!」
京都! 奈良!
そのあまりにも王道で、あまりにも魅力的な行き先に、クラスのボルテージは最高潮に達する。
「清水寺!」「金閣寺!」「鹿に会えるじゃん!」
生徒たちは思い思いの観光名所を口にし、早くも浮かれ気分だ。
俺も例外ではなかった。陽平と顔を見合わせ、「こりゃ、楽しくなりそうだな!」と拳を突き合わせる。
夜、男子部屋でどんな馬鹿な話をしてやろうか。そんなことばかりが頭に浮かんでいた。
だが、その時。
俺はふと、隣の席に座る彼女の異変に気づいた。
冬花はクラスの喧騒など意にも介さず、ただじっと黒板に書かれた『京都・奈良』の文字を見つめていた。
その表情は、いつものクールなポーカーフェイスとは少しだけ違っていた。
驚きと、懐かしさと、そしてほんの少しの切なさが入り混じったような複雑な色。
まるで、遠い昔の大切なアルバムを開いた時のような。
そんな表情だった。
俺だけが、その彼女の微かな変化に気づいていた。
その日の放課後。
俺は文化祭の時と同じように、後片付けの雑務をこなすため教室に残っていた。もちろん、彼女も一緒だ。
クラスメイトたちが帰り、静かになった教室で、俺は意を決して彼女に尋ねた。
「なあ、冬花」
俺が名前を呼ぶと、彼女の肩がぴくりと小さく震えた。まだ名前で呼ばれるのには慣れていないらしい。その反応がたまらなく愛おしい。
「今日のホームルームの時、修学旅行の行き先が発表された時さ。お前、なんか変な顔してなかったか?」
俺の問いに、彼女は書類を整理する手をぴたりと止めた。
そして、ゆっくりとこちらを振り返る。
その顔は、もういつものクールな彼女に戻っていた。
「……気のせいでは、ありませんか?」
「いや、気のせいじゃない。絶対に何か感じてたはずだ」
俺が真っ直гуに彼女の目を見つめ返すと、彼女は観念したようにふっと息を吐いた。
そして、その表情を少しだけはにかむように緩ませる。
「……バレてしまいましたか」
彼女は少しだけ恥ずかしそうに言った。
「驚いただけです。まさか、同じ場所だったなんて」
「同じ場所?」
俺が、きょとんとして聞き返す。
その俺のあまりにも無垢な問いに、彼女の頬がぽっと夕日のように赤く染まった。
彼女は俯きがちに、もじもじと指先を弄んでいる。
そして、蚊の鳴くような小さな、小さな声で告白した。
「……未来で、私たち」
「そこに、新婚旅行へ、行ったんです」
「………………は?」
しんこん、りょこう。
ハネムーン。
そのあまりにも破壊力抜群のパワーワード。
俺の脳は、その言葉の意味を理解するのに数秒間の長い、長い時間を要した。
そして、完全に理解した瞬間。
俺の顔はカッと沸騰したように熱くなった。
「し、し、し、新婚旅行!?」
「はい」
俺の狼狽しきった声とは対照的に、彼女の声はどこか嬉しそうだ。
「あなたが、『日本の美しい場所をもう一度二人でゆっくり巡りたい』と言って、計画してくれました。とても素敵な旅行でしたよ」
俺のただの高校の修学旅行が。
その行き先が。
未来の俺たちの、ハネムーンの聖地だったなんて。
そんなこと、聞いてない!
「ちょ、待て待て待て! それ、マジか!?」
「マジです」
彼女はこくりと力強く頷いた。
そして、その瞳をキラキラと夢見るように輝かせながら語り始めた。
「清水の舞台から、二人で見た京都の街並み。未来ではもっと高いビルが建っていましたけど、それでも綺麗でした」
「奈良公園では、鹿せんべいを巡って鹿とあなたが本気で戦っていましたね。微笑ましかったです」
「あの嵐山の竹林の道を、手を繋いで歩きました。あの時の木漏れ日の美しさは、今でも忘れられません」
次々と彼女の口から語られる甘すぎるハネムーンの思い出。
そのあまりにも具体的で、あまりにも幸せそうな光景。
俺の頭はもう完全にパンク寸前だった。
期待と、羞恥と、そしてどうしようもない高揚感でぐちゃぐちゃになっていく。
修学旅行がただの旅行じゃなくなった。
これは未来の俺たちの愛の軌跡をたどる聖地巡礼だ。
「……だから」
彼女はそう言って、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、今までで一番甘く、そして熱い光が宿っている。
「最高の思い出を。もう一度、あなたと作りたいんです。未来の再現なんかじゃない。今の私たちだけの、新しい思い出を」
彼女はそう言って、ふわりと幸せの絶頂というように微笑んだ。
その笑顔は、あまりにも眩しくて。
俺はただ頷くことしかできなかった。
だが、その時。
俺は見逃さなかった。
その完璧な笑顔の裏側に。
夏祭りの夜に見たような、ほんの、ほんのわずかな影がよぎったのを。
ただの甘い旅行では終わらない。
この修学旅行で、きっと何かが起こる。
俺たちの未来に関わる、何か重大な出来事が。
そんな確かな予感を、俺は胸に抱いていた。
だが、今はその予感に蓋をする。
今はただ、これから始まる未来のハネ-ムーン(仮)への期待に胸を高鳴らせていたかったから。
俺たちの秋は、まだ始まったばかりだった。
燃え尽きたような虚脱感と、やり遂げたという確かな達成感。クラスの空気は以前よりもずっと一体感を増し、温かいものになっていた。
そして、俺と雪城冬花――いや、冬花との関係も新しい季節を迎えていた。
まだ、「恋人」という明確な名前はない。
だが、俺たちの心は確かに繋がっていた。
朝、家の前で待っていてくれる彼女の姿を見るだけで、一日が輝き出す。
休み時間に交わす、他愛のない筆談。
時折、ふと目が合っては、どちらからともなく微笑んでしまう、あの瞬間。
その一つ一つが、俺の心を温かくて、どうしようもなく甘いもので満たしていく。
未来とか、運命とか、そんな難しいことはもう考えない。ただ今の彼女との時間を大切にしたい。
俺は心からそう思っていた。
「えー、お前ら、浮かれてるところ悪いが、二学期はまだイベントが残ってるぞー」
その日のホームルーム。担任のタナチューが教壇の上でニヤリと笑った。
その言葉に、文化祭ロスに陥っていたクラスメイトたちがざわめき始める。
「なんだなんだ?」「また何かあんのか?」
タナチューはもったいぶるように一度タメを作ると、黒板に大きな文字でこう書きなぐった。
『修学旅行』
その三文字が視界に入った瞬間、教室は文化祭の時とはまた違う、爆発的な歓声に包まれた。
「うおおおおお!」「キターーー!」
高校生活最大のイベント。友人たちと寝食を共にし、枕投げをし、そして淡い恋が生まれるかもしれない特別な三泊四日。
「先生! 行き先はどこですか!?」
誰かが叫ぶと、タナチューは満足げに頷いた。
「今年の二年生は、古都の歴史と文化に触れてもらう。行き先は、京都・奈良だ!」
京都! 奈良!
そのあまりにも王道で、あまりにも魅力的な行き先に、クラスのボルテージは最高潮に達する。
「清水寺!」「金閣寺!」「鹿に会えるじゃん!」
生徒たちは思い思いの観光名所を口にし、早くも浮かれ気分だ。
俺も例外ではなかった。陽平と顔を見合わせ、「こりゃ、楽しくなりそうだな!」と拳を突き合わせる。
夜、男子部屋でどんな馬鹿な話をしてやろうか。そんなことばかりが頭に浮かんでいた。
だが、その時。
俺はふと、隣の席に座る彼女の異変に気づいた。
冬花はクラスの喧騒など意にも介さず、ただじっと黒板に書かれた『京都・奈良』の文字を見つめていた。
その表情は、いつものクールなポーカーフェイスとは少しだけ違っていた。
驚きと、懐かしさと、そしてほんの少しの切なさが入り混じったような複雑な色。
まるで、遠い昔の大切なアルバムを開いた時のような。
そんな表情だった。
俺だけが、その彼女の微かな変化に気づいていた。
その日の放課後。
俺は文化祭の時と同じように、後片付けの雑務をこなすため教室に残っていた。もちろん、彼女も一緒だ。
クラスメイトたちが帰り、静かになった教室で、俺は意を決して彼女に尋ねた。
「なあ、冬花」
俺が名前を呼ぶと、彼女の肩がぴくりと小さく震えた。まだ名前で呼ばれるのには慣れていないらしい。その反応がたまらなく愛おしい。
「今日のホームルームの時、修学旅行の行き先が発表された時さ。お前、なんか変な顔してなかったか?」
俺の問いに、彼女は書類を整理する手をぴたりと止めた。
そして、ゆっくりとこちらを振り返る。
その顔は、もういつものクールな彼女に戻っていた。
「……気のせいでは、ありませんか?」
「いや、気のせいじゃない。絶対に何か感じてたはずだ」
俺が真っ直гуに彼女の目を見つめ返すと、彼女は観念したようにふっと息を吐いた。
そして、その表情を少しだけはにかむように緩ませる。
「……バレてしまいましたか」
彼女は少しだけ恥ずかしそうに言った。
「驚いただけです。まさか、同じ場所だったなんて」
「同じ場所?」
俺が、きょとんとして聞き返す。
その俺のあまりにも無垢な問いに、彼女の頬がぽっと夕日のように赤く染まった。
彼女は俯きがちに、もじもじと指先を弄んでいる。
そして、蚊の鳴くような小さな、小さな声で告白した。
「……未来で、私たち」
「そこに、新婚旅行へ、行ったんです」
「………………は?」
しんこん、りょこう。
ハネムーン。
そのあまりにも破壊力抜群のパワーワード。
俺の脳は、その言葉の意味を理解するのに数秒間の長い、長い時間を要した。
そして、完全に理解した瞬間。
俺の顔はカッと沸騰したように熱くなった。
「し、し、し、新婚旅行!?」
「はい」
俺の狼狽しきった声とは対照的に、彼女の声はどこか嬉しそうだ。
「あなたが、『日本の美しい場所をもう一度二人でゆっくり巡りたい』と言って、計画してくれました。とても素敵な旅行でしたよ」
俺のただの高校の修学旅行が。
その行き先が。
未来の俺たちの、ハネムーンの聖地だったなんて。
そんなこと、聞いてない!
「ちょ、待て待て待て! それ、マジか!?」
「マジです」
彼女はこくりと力強く頷いた。
そして、その瞳をキラキラと夢見るように輝かせながら語り始めた。
「清水の舞台から、二人で見た京都の街並み。未来ではもっと高いビルが建っていましたけど、それでも綺麗でした」
「奈良公園では、鹿せんべいを巡って鹿とあなたが本気で戦っていましたね。微笑ましかったです」
「あの嵐山の竹林の道を、手を繋いで歩きました。あの時の木漏れ日の美しさは、今でも忘れられません」
次々と彼女の口から語られる甘すぎるハネムーンの思い出。
そのあまりにも具体的で、あまりにも幸せそうな光景。
俺の頭はもう完全にパンク寸前だった。
期待と、羞恥と、そしてどうしようもない高揚感でぐちゃぐちゃになっていく。
修学旅行がただの旅行じゃなくなった。
これは未来の俺たちの愛の軌跡をたどる聖地巡礼だ。
「……だから」
彼女はそう言って、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、今までで一番甘く、そして熱い光が宿っている。
「最高の思い出を。もう一度、あなたと作りたいんです。未来の再現なんかじゃない。今の私たちだけの、新しい思い出を」
彼女はそう言って、ふわりと幸せの絶頂というように微笑んだ。
その笑顔は、あまりにも眩しくて。
俺はただ頷くことしかできなかった。
だが、その時。
俺は見逃さなかった。
その完璧な笑顔の裏側に。
夏祭りの夜に見たような、ほんの、ほんのわずかな影がよぎったのを。
ただの甘い旅行では終わらない。
この修学旅行で、きっと何かが起こる。
俺たちの未来に関わる、何か重大な出来事が。
そんな確かな予感を、俺は胸に抱いていた。
だが、今はその予感に蓋をする。
今はただ、これから始まる未来のハネ-ムーン(仮)への期待に胸を高鳴らせていたかったから。
俺たちの秋は、まだ始まったばかりだった。
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