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第八十三話 蹂躙
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戦場はもはや戦場ではなかった。
それは巨大な屠殺場。いや、屠殺ですらない。ただの整然とした『解体工場』だった。
ガルニア帝国軍十万の兵士たちは、その一人一人が抗う術を持たなかった。
天からは視界を奪う濃霧と、精神を蝕む不協和音が降り注ぐ。
足元は歩行すら困難な泥沼か、あるいは突然陥没する蟻地獄。
退路は天を突く黒い壁によって、完全に断たれている。
そしてその絶望的な状況の中で、漆黒の悪夢が音もなく徘徊していた。
「ぎゃあああっ!」
重装歩兵の一団が密集方陣を組んで抵抗を試みる。分厚い盾を並べ、槍衾を作る。だが、その鋼鉄の壁を一体の【イレイザー】が、まるで風のようにすり抜けた。
残像が走る。
次の瞬間、兵士たちが手にしていた盾も槍も、全てが寸断され、ただの鉄屑となって地面に散らばった。
「ば、馬鹿な! 俺のミスリル製の盾が!」
兵士は傷一つない自分の体と、無残な武具の残骸を信じられないという顔で見比べる。
騎馬隊が最後の誇りをかけて突撃を敢行する。
大地を揺るがす蹄の音。だが、その前に黒い影が躍り出た。
イレイザーたちは馬を傷つけることなく、その背に乗る騎士だけを的確に無力化していく。馬上から引きずり下ろされ、鎧を剥がされ、ただの下着姿で泥の中に転がされる帝国自慢の騎士たち。
「……殺せ!」
一人の騎士が屈辱に顔を歪ませ、叫んだ。
「殺すなら殺せ! これほどの侮辱を受けるくらいなら!」
だがイレイザーたちは彼の言葉に何の反応も示さない。その赤い単眼は彼を人間としてすら認識していない。ただ、駆除すべき『武装した害虫』として処理しているだけだ。
それは暴力よりも深い、存在そのものを否定されるかのような絶対的な侮辱だった。
総司令官ドルガンは本陣で、その一方的な蹂躙劇をもはや何の感情もなく眺めていた。
彼の周囲を守っていたはずの親衛隊も、いつの間にか武装を解除され赤子のように震えている。
彼の目の前に一体のイレイザーが音もなく佇んでいた。
その赤い単眼がじっとドルガンを見つめている。
ドルガンはゆっくりと腰の指揮刀に手を伸ばした。それは皇帝陛下から賜った帝国軍総司令官の証。彼のかつての誇りの最後の象徴だった。
だが彼が柄を握るよりも早く、黒い影が閃いた。
キィン、という甲高い音。
ドルガンの手元には柄だけが残されていた。見事な装飾が施された刀身は、鞘の中で砂のように細かく砕け散っていた。
「……ああ」
ドルガンの口から乾いたため息が漏れた。
これで終わりだ。
彼の戦いは、彼の誇りは、今完全に終わった。
この蹂躙劇は、わずか一時間にも満たなかった。
十万の軍勢は、そのほとんどが敵の顔すらまともに見ることなく完全に無力化された。
戦場に転がるのは死体ではない。ただ、切り刻まれた武具の残骸と、魂を抜かれた抜け殻のような兵士たちの姿だけだった。
血は一滴も流れなかった。
だが、帝国軍の誇りは完膚なきまでに叩き潰され、泥にまみれた。
その頃、アルテア王国の王都では祈りを捧げていた民衆が、ある変化に気づき始めていた。
東の空から聞こえていたかすかな地鳴りと、不気味な魔力の波動が完全に止んでいたのだ。
静寂。
まるで嵐が過ぎ去ったかのような絶対的な静寂。
国王オルデウスは城壁の上で、その静寂の意味を悟った。
「……終わった、のか」
近衛騎士団長グレイグも馬上で、東の空を見つめていた。
「……早すぎる。いくらなんでも早すぎる」
彼らの常識では到底考えられない結末。
だが、その静寂は何よりも雄弁に戦いの終わりを告げていた。
アリアは黒曜石の壁の上で、眼下に広がる光景に静かに目を閉じていた。
平野を埋め尽くしていた帝国軍はもはや軍隊ではなかった。ただ武装を解除され、その場に座り込む迷子の子供たちの群れのようだった。
その中を漆黒のゴーレムたちが監視するように、ゆっくりと巡回している。
「……これが国父様の神罰」
彼女の呟きは畏怖に満ちていた。
圧倒的で、一方的で、そして無慈悲なほどに合理的。
敵の命を奪うのではなく、ただその戦う意志だけを根こそぎ奪い去る。
これ以上ないほど完璧な『勝利』の形だった。
ラボではリノが、水晶玉に映し出された最終報告を見て満足げに頷いていた。
《【国家防衛プロジェクト】:最終フェーズ、完了》
《帝国軍十万、戦闘能力を完全に喪失》
《我が方の被害:ゴーレム数体の軽微な損傷(自己修復により、既に回復済み)》
「素晴らしい……。完璧なオペレーションでしたね、マスター」
彼女は寝室の方を振り返り、敬愛する主に向かって深く、深く頭を下げた。
そして、その偉大なるマスターは。
ベッドの上で完璧な静寂が戻ってきたことに、心の底から安堵していた。
(……うん。ようやく本当に静かになった。これで心置きなく二度寝ができる)
俺は脳内モニターの電源を落とすと、再び心地よい羽毛布団の温もりに体を預けた。
十万の軍勢を、たった一人で、しかも寝ながらにして蹂躙した男は、その歴史的な偉業の余韻に浸ることすらなく、ただ中断された睡眠の続きを何よりも優先するのだった。
それは巨大な屠殺場。いや、屠殺ですらない。ただの整然とした『解体工場』だった。
ガルニア帝国軍十万の兵士たちは、その一人一人が抗う術を持たなかった。
天からは視界を奪う濃霧と、精神を蝕む不協和音が降り注ぐ。
足元は歩行すら困難な泥沼か、あるいは突然陥没する蟻地獄。
退路は天を突く黒い壁によって、完全に断たれている。
そしてその絶望的な状況の中で、漆黒の悪夢が音もなく徘徊していた。
「ぎゃあああっ!」
重装歩兵の一団が密集方陣を組んで抵抗を試みる。分厚い盾を並べ、槍衾を作る。だが、その鋼鉄の壁を一体の【イレイザー】が、まるで風のようにすり抜けた。
残像が走る。
次の瞬間、兵士たちが手にしていた盾も槍も、全てが寸断され、ただの鉄屑となって地面に散らばった。
「ば、馬鹿な! 俺のミスリル製の盾が!」
兵士は傷一つない自分の体と、無残な武具の残骸を信じられないという顔で見比べる。
騎馬隊が最後の誇りをかけて突撃を敢行する。
大地を揺るがす蹄の音。だが、その前に黒い影が躍り出た。
イレイザーたちは馬を傷つけることなく、その背に乗る騎士だけを的確に無力化していく。馬上から引きずり下ろされ、鎧を剥がされ、ただの下着姿で泥の中に転がされる帝国自慢の騎士たち。
「……殺せ!」
一人の騎士が屈辱に顔を歪ませ、叫んだ。
「殺すなら殺せ! これほどの侮辱を受けるくらいなら!」
だがイレイザーたちは彼の言葉に何の反応も示さない。その赤い単眼は彼を人間としてすら認識していない。ただ、駆除すべき『武装した害虫』として処理しているだけだ。
それは暴力よりも深い、存在そのものを否定されるかのような絶対的な侮辱だった。
総司令官ドルガンは本陣で、その一方的な蹂躙劇をもはや何の感情もなく眺めていた。
彼の周囲を守っていたはずの親衛隊も、いつの間にか武装を解除され赤子のように震えている。
彼の目の前に一体のイレイザーが音もなく佇んでいた。
その赤い単眼がじっとドルガンを見つめている。
ドルガンはゆっくりと腰の指揮刀に手を伸ばした。それは皇帝陛下から賜った帝国軍総司令官の証。彼のかつての誇りの最後の象徴だった。
だが彼が柄を握るよりも早く、黒い影が閃いた。
キィン、という甲高い音。
ドルガンの手元には柄だけが残されていた。見事な装飾が施された刀身は、鞘の中で砂のように細かく砕け散っていた。
「……ああ」
ドルガンの口から乾いたため息が漏れた。
これで終わりだ。
彼の戦いは、彼の誇りは、今完全に終わった。
この蹂躙劇は、わずか一時間にも満たなかった。
十万の軍勢は、そのほとんどが敵の顔すらまともに見ることなく完全に無力化された。
戦場に転がるのは死体ではない。ただ、切り刻まれた武具の残骸と、魂を抜かれた抜け殻のような兵士たちの姿だけだった。
血は一滴も流れなかった。
だが、帝国軍の誇りは完膚なきまでに叩き潰され、泥にまみれた。
その頃、アルテア王国の王都では祈りを捧げていた民衆が、ある変化に気づき始めていた。
東の空から聞こえていたかすかな地鳴りと、不気味な魔力の波動が完全に止んでいたのだ。
静寂。
まるで嵐が過ぎ去ったかのような絶対的な静寂。
国王オルデウスは城壁の上で、その静寂の意味を悟った。
「……終わった、のか」
近衛騎士団長グレイグも馬上で、東の空を見つめていた。
「……早すぎる。いくらなんでも早すぎる」
彼らの常識では到底考えられない結末。
だが、その静寂は何よりも雄弁に戦いの終わりを告げていた。
アリアは黒曜石の壁の上で、眼下に広がる光景に静かに目を閉じていた。
平野を埋め尽くしていた帝国軍はもはや軍隊ではなかった。ただ武装を解除され、その場に座り込む迷子の子供たちの群れのようだった。
その中を漆黒のゴーレムたちが監視するように、ゆっくりと巡回している。
「……これが国父様の神罰」
彼女の呟きは畏怖に満ちていた。
圧倒的で、一方的で、そして無慈悲なほどに合理的。
敵の命を奪うのではなく、ただその戦う意志だけを根こそぎ奪い去る。
これ以上ないほど完璧な『勝利』の形だった。
ラボではリノが、水晶玉に映し出された最終報告を見て満足げに頷いていた。
《【国家防衛プロジェクト】:最終フェーズ、完了》
《帝国軍十万、戦闘能力を完全に喪失》
《我が方の被害:ゴーレム数体の軽微な損傷(自己修復により、既に回復済み)》
「素晴らしい……。完璧なオペレーションでしたね、マスター」
彼女は寝室の方を振り返り、敬愛する主に向かって深く、深く頭を下げた。
そして、その偉大なるマスターは。
ベッドの上で完璧な静寂が戻ってきたことに、心の底から安堵していた。
(……うん。ようやく本当に静かになった。これで心置きなく二度寝ができる)
俺は脳内モニターの電源を落とすと、再び心地よい羽毛布団の温もりに体を預けた。
十万の軍勢を、たった一人で、しかも寝ながらにして蹂躙した男は、その歴史的な偉業の余韻に浸ることすらなく、ただ中断された睡眠の続きを何よりも優先するのだった。
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