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第九十八話 新たな日常
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俺はついに手に入れた。完璧な孤独を。
アリアもリノも、俺の寝室はおろか俺が主に生活する居住棟に、一切足を踏み入れなくなった。彼女たちは俺の『孤独なる探求』という名の引きこもり生活を、最大限尊重(という名の壮大な勘違い)してくれているらしい。
朝、目を覚ましても扉の外にリノはいない。
昼、食事をしていてもアリアの心配そうな視線も、リノの分析的な視線もない。
午後のティータイムも一人だ。
静かだ。
あまりにも、静かすぎる。
最初は、その完璧な静寂を俺は心の底から満喫していた。
誰にも邪魔されず、思考の赴くままに新たなデザートの開発に没頭したり、ただひたすらに天井の木目を数えたり。
これぞ、怠惰の極み。
俺は満足していた。
……はずだった。
その生活が三日続いた頃。
俺は、ある異変に気づいた。
食事が、美味しくないのだ。
【全自動調理システム】が生み出す料理は相変わらず完璧だ。最高の食材を、最高の調理法で、最高のタイミングで提供してくる。
だが、味がしない。
いや、味はするのだが、そこに何の感動も喜びも感じられなくなっていた。
一人で食べる、完璧なフルコース。
それは、まるで栄養補給のためのただの作業のようだった。
「……おかしいな」
俺は首を傾げた。
五日が過ぎた。
俺は眠れなくなっていた。
『天使の寝床』の寝心地は相変わらず雲の上だ。部屋は完璧な静寂と、快適な温度・湿度に保たれている。
だが、眠れない。
目を閉じても意識は妙に冴え渡り、どうでもいい思考が頭の中をぐるぐると回り続ける。
完璧な安眠環境。
それなのに安眠できない。
この矛盾に、俺は初めて漠然とした不安を覚えた。
そして一週間が過ぎた日。
俺はついにベッドから半身を起こした。
そして自分でも信じられない行動に出た。
俺はリノがラボとして使っている離れの棟へと、自らの足で向かっていたのだ。
(……何を、しているんだ、俺は)
自分の行動が理解できない。
足が勝手に動いているかのようだ。
ラボの扉の前に立つと、中からリノのぶつぶつと呟く声と、何やら機械が稼働する微かな音が聞こえてきた。
俺は、何を思ったかその扉をノックしてしまった。
コン、コン、と。
中の音がぴたりと止んだ。
数秒の沈黙の後、扉が勢いよく開き、リノが幽霊でも見たかのような顔で俺を見つめていた。
「……ま、マスター!? なぜあなたがここに……! いけません! あなたの『孤独なる探求』の邪魔になります! お戻りください!」
彼女は必死で俺を追い返そうとする。
だが俺の口から出たのは、自分でも予期せぬ言葉だった。
「……リノ」
「は、はい!」
「……例の、『永久機関』の開発はどうなった」
俺は一週間前に、自分が一蹴したあの馬鹿げた研究の進捗を尋ねていた。
リノは、きょとんとした。
そして次の瞬間。彼女の顔がぱあっと輝いた。
「おお! マスター! やはりあなたも気になっておられましたか! あの後、あなたの『エネルギー変換ロス』の理論を元に再計算したのです! そして気づきました! 我々の世界には『魔素』という、外部から無限に供給されるエネルギー源が存在することを!」
彼女は俺をラボの中に引きずり込むと、興奮気味に部屋の中央にある奇妙な装置を指さした。
それは水晶と歯車と、水の入ったガラス管が複雑に組み合わさった美しい機械だった。
「見てください! これは大気中の魔素を吸収し、それを運動エネルギーに変換する、新しい概念の『準永久機関』です! まだ出力は微々たるものですが、理論上は燃料なしで半永久的に動き続けるはず……!」
彼女の瞳は子供のように、キラキラと輝いていた。
その純粋な知的好奇心の輝きを見ているうちに、俺の胸の中にあった名状しがたい不安や虚しさが、少しだけ和らいでいくのを感じた。
「……ふん。面白いじゃないか」
俺の口から自然と、そんな言葉が漏れていた。
その時、ラボの外からアリアの慌てた声が聞こえてきた。
「リノ! 公爵閣下はどこへ……! まさか、あなたのラボに!?」
彼女は俺が『孤独の探求』を中断し、外出(といっても、敷地内だが)したことにパニックになっているらしかった。
俺はアリアに向かって、扉越しにぶっきらぼうに言った。
「……アリア」
「は、はい! ここに!」
「……紅茶を三人分。ここに持ってこい。茶葉はダージリンのファーストフラッシュだ。それと何か茶菓子もだ。プリンがあれば、それでいい」
俺の、あまりにも日常的な、そしてあまりにも予期せぬ『命令』に。
扉の向こうのアリアが息を呑む気配がした。
隣のリノも目を丸くして、俺を見つめている。
やて、扉の向こうからアリアの震える、しかし心の底から嬉しそうな声が聞こえてきた。
「……はい! ただいま、お持ちいたします!」
その日の午後。
俺はリノのラボで、彼女が興奮気味に語る新しい魔術理論を聞きながら。
そしてアリアが淹れてくれた極上の紅茶と、完璧なプリンを味わいながら。
久しぶりに、誰かと共に過ごしていた。
騒がしい。
面倒くさい。
俺の完璧な孤独は、終わった。
だが。
(……まあ、こういうのも)
俺はプリンの最後の一口を味わいながら、思った。
(たまには、悪くない、のかもな)
俺の新しい『日常』が本当に始まったのは、あるいはこの日だったのかもしれない。
その日常は、完璧に静かではない。完璧に孤独でもない。
だがそこには、完璧なプリンと紅茶と。
そして、少しだけ騒がしい隣人たちがいる。
それもまた、一つの怠惰の形。
そう認めてしまうのは、まだ少しだけ癪だったが。
アリアもリノも、俺の寝室はおろか俺が主に生活する居住棟に、一切足を踏み入れなくなった。彼女たちは俺の『孤独なる探求』という名の引きこもり生活を、最大限尊重(という名の壮大な勘違い)してくれているらしい。
朝、目を覚ましても扉の外にリノはいない。
昼、食事をしていてもアリアの心配そうな視線も、リノの分析的な視線もない。
午後のティータイムも一人だ。
静かだ。
あまりにも、静かすぎる。
最初は、その完璧な静寂を俺は心の底から満喫していた。
誰にも邪魔されず、思考の赴くままに新たなデザートの開発に没頭したり、ただひたすらに天井の木目を数えたり。
これぞ、怠惰の極み。
俺は満足していた。
……はずだった。
その生活が三日続いた頃。
俺は、ある異変に気づいた。
食事が、美味しくないのだ。
【全自動調理システム】が生み出す料理は相変わらず完璧だ。最高の食材を、最高の調理法で、最高のタイミングで提供してくる。
だが、味がしない。
いや、味はするのだが、そこに何の感動も喜びも感じられなくなっていた。
一人で食べる、完璧なフルコース。
それは、まるで栄養補給のためのただの作業のようだった。
「……おかしいな」
俺は首を傾げた。
五日が過ぎた。
俺は眠れなくなっていた。
『天使の寝床』の寝心地は相変わらず雲の上だ。部屋は完璧な静寂と、快適な温度・湿度に保たれている。
だが、眠れない。
目を閉じても意識は妙に冴え渡り、どうでもいい思考が頭の中をぐるぐると回り続ける。
完璧な安眠環境。
それなのに安眠できない。
この矛盾に、俺は初めて漠然とした不安を覚えた。
そして一週間が過ぎた日。
俺はついにベッドから半身を起こした。
そして自分でも信じられない行動に出た。
俺はリノがラボとして使っている離れの棟へと、自らの足で向かっていたのだ。
(……何を、しているんだ、俺は)
自分の行動が理解できない。
足が勝手に動いているかのようだ。
ラボの扉の前に立つと、中からリノのぶつぶつと呟く声と、何やら機械が稼働する微かな音が聞こえてきた。
俺は、何を思ったかその扉をノックしてしまった。
コン、コン、と。
中の音がぴたりと止んだ。
数秒の沈黙の後、扉が勢いよく開き、リノが幽霊でも見たかのような顔で俺を見つめていた。
「……ま、マスター!? なぜあなたがここに……! いけません! あなたの『孤独なる探求』の邪魔になります! お戻りください!」
彼女は必死で俺を追い返そうとする。
だが俺の口から出たのは、自分でも予期せぬ言葉だった。
「……リノ」
「は、はい!」
「……例の、『永久機関』の開発はどうなった」
俺は一週間前に、自分が一蹴したあの馬鹿げた研究の進捗を尋ねていた。
リノは、きょとんとした。
そして次の瞬間。彼女の顔がぱあっと輝いた。
「おお! マスター! やはりあなたも気になっておられましたか! あの後、あなたの『エネルギー変換ロス』の理論を元に再計算したのです! そして気づきました! 我々の世界には『魔素』という、外部から無限に供給されるエネルギー源が存在することを!」
彼女は俺をラボの中に引きずり込むと、興奮気味に部屋の中央にある奇妙な装置を指さした。
それは水晶と歯車と、水の入ったガラス管が複雑に組み合わさった美しい機械だった。
「見てください! これは大気中の魔素を吸収し、それを運動エネルギーに変換する、新しい概念の『準永久機関』です! まだ出力は微々たるものですが、理論上は燃料なしで半永久的に動き続けるはず……!」
彼女の瞳は子供のように、キラキラと輝いていた。
その純粋な知的好奇心の輝きを見ているうちに、俺の胸の中にあった名状しがたい不安や虚しさが、少しだけ和らいでいくのを感じた。
「……ふん。面白いじゃないか」
俺の口から自然と、そんな言葉が漏れていた。
その時、ラボの外からアリアの慌てた声が聞こえてきた。
「リノ! 公爵閣下はどこへ……! まさか、あなたのラボに!?」
彼女は俺が『孤独の探求』を中断し、外出(といっても、敷地内だが)したことにパニックになっているらしかった。
俺はアリアに向かって、扉越しにぶっきらぼうに言った。
「……アリア」
「は、はい! ここに!」
「……紅茶を三人分。ここに持ってこい。茶葉はダージリンのファーストフラッシュだ。それと何か茶菓子もだ。プリンがあれば、それでいい」
俺の、あまりにも日常的な、そしてあまりにも予期せぬ『命令』に。
扉の向こうのアリアが息を呑む気配がした。
隣のリノも目を丸くして、俺を見つめている。
やて、扉の向こうからアリアの震える、しかし心の底から嬉しそうな声が聞こえてきた。
「……はい! ただいま、お持ちいたします!」
その日の午後。
俺はリノのラボで、彼女が興奮気味に語る新しい魔術理論を聞きながら。
そしてアリアが淹れてくれた極上の紅茶と、完璧なプリンを味わいながら。
久しぶりに、誰かと共に過ごしていた。
騒がしい。
面倒くさい。
俺の完璧な孤独は、終わった。
だが。
(……まあ、こういうのも)
俺はプリンの最後の一口を味わいながら、思った。
(たまには、悪くない、のかもな)
俺の新しい『日常』が本当に始まったのは、あるいはこの日だったのかもしれない。
その日常は、完璧に静かではない。完璧に孤独でもない。
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それもまた、一つの怠惰の形。
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