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第五十三話 独善の聖女
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ソレイユ王国の外交攻勢は、彼らが予想した以上の、効果を上げていた。
大陸の、西に位置する、神聖法皇国エルピス。
その国は、魔法の才ではなく、神への、篤い信仰心こそが、人の価値を決めると、信じている、宗教国家だ。
法皇国の、中心、白亜の、大神殿。
その、最奥にある、謁見の間で、若き、法皇代理――『聖女』と呼ばれる、セレスティーナは、ソレイユの使者から、もたらされた報告を、静かに、聞いていた。
「――故に、聖女セレスティーナ様。我々は、共に、立ち上がるべきなのです。ガルダの、鉄の魔人が、これ以上、神の、御業である、星々を、弄ぶ前に」
使者は、恭しく、頭を垂れる。
セレスティーナは、長く、美しい、白金の髪を、揺らしながら、ゆっくりと、立ち上がった。その、純白の、法衣に身を包んだ姿は、まさに、天上の、存在のようだった。
だが、その、慈愛に満ちているはずの、瞳の奥には、氷のように、冷たい、独善の光が、宿っていた。
「……ええ。お話は、分かりました」
彼女の、鈴を転がすような、美しい声が、響く。
「神の、許しもなく、星を、地上に堕とすなど、まさしく、悪魔の所業。……その、鉄の魔人は、神の、秩序を、乱す、紛れもない、『異端』です」
彼女は、窓の外に広がる、自らの、敬虔な、信者たちが暮らす、街並みを見下ろした。
「我が、神聖法皇国エルピスも、貴国が提唱する、『対ガルダ包囲網』に、参加しましょう。……神の、御名において、異端者を、裁くのは、我らが、聖職者の、務めですから」
「おお! 聖女様、感謝、いたします!」
使者は、歓喜の声を上げた。
法皇国は、軍事力こそ、大きくはない。だが、その、大陸における、宗教的な、影響力は、絶大だ。彼らが、味方についたことは、ソレイユにとって、何よりも、大きな、勝利だった。
セレスティーナは、去っていく使者を、見送ると、そっと、胸の前で、十字を切った。
だが、その祈りは、世界の、平和を、願うものではなかった。
自らの、信じる『正義』を、疑わず、それに、反する者を、全て、悪と断じ、排除しようとする、独善的な、祈り。
彼女は、まだ、知らない。
その、純粋すぎる、信仰心が、やがて、世界を、さらなる、混沌へと、導くことになることを。
そして、彼女自身が、カケルという、規格外の『理』と、対峙した時、その、完璧な、信仰の世界が、粉々に、砕け散る、運命にあることを。
一方、その頃。
ティリアが、発見した、古文書の、謎の記述。
『――翼なき、蛇が、天に、舞う時、星の、民への、道が、開かれん――』
カケルは、その、一文を、工房で、何度も、何度も、反芻していた。
「翼なき、蛇……。龍(ドラゴン)のことか? だが、この大陸に、龍がいるなんて、話は、聞いたことがねえ」
「ええ。エルフの、最も古い伝承でも、竜族は、神話の時代の、遥か昔に、この世界から、姿を消した、とされているわ」
ティリアが、首を横に振る。
『マスター。その『蛇』は、生物を、指しているとは、限りません』
ナナが、冷静に、分析を進言した。
『地形、あるいは、天体現象の、比喩である、可能性も、考えられます』
「地形……?」
カケルは、工房の壁に広げられた、ガルダ公国とその周辺の、巨大な、立体地図に、視線を向けた。
ナナの、ホログラム投影技術によって、作られた、精密な、地図だ。
彼は、その地図を、食い入るように、見つめた。
川の流れ。山脈の、連なり。森の、形。
その、全てを、脳内の、演算ユニットで、解析し、パターンを、探していく。
そして、数時間後。
彼の、蒼い瞳が、カッと、見開かれた。
「……これか」
彼は、地図の、ある、一点を、指さした。
それは、ガルダの、北東に位置する、巨大な、渓谷地帯。
『蛇背(じゃはい)渓谷』と呼ばれる、場所だった。
その、渓谷を、上空から見ると、まるで、巨大な、蛇が、大地を、のたうつように、蛇行しているように、見えるのだ。
「……翼なき、蛇が、天に舞う……。これは、地形のことじゃない」
カケルは、続けた。
「『天に舞う』という、言葉。そして、『二つの月が、重なる夜』という、条件。これは、特定の、日時に、この場所で、観測できる、天体現象のことを、示唆しているんだ」
彼の、演算ユニットが、天体の、運行データを、計算し始める。
この星の、公転周期。二つの月の、満ち欠け。
そして、導き出された、答え。
「……三日後だ」
「え?」
「三日後の、真夜中。二つの月が、この、蛇背渓谷の、真上で、完全に、重なる。月食だ。そして、その時、月の光によって、渓谷の影が、まるで、巨大な蛇が、天へと、昇っていくように、地上に、映し出されるはずだ」
「まさか……!」
ティリアは、息を呑んだ。
「ああ。その時、その影の、先端が、指し示す場所に、『星の民への道』が、現れる。……おそらく、創造主に関する、新たな、手がかりだ」
カケルは、確信していた。
古文書の謎は、解けた。
「……準備をしろ。三日後、俺たちは、蛇背渓谷へ、飛ぶ」
その、決定を、リゼットも、支持した。
ソレイユの、外交攻勢によって、ガルダは、苦しい立場に、立たされている。この、膠着した状況を、打破するには、新たな、情報が、そして、新たな、力が必要だった。
「……ですが、カケル殿。貴方と、ティリア殿、ナナ殿の、三人だけで、行くのですか? 護衛も……」
「必要ない」
カケルは、きっぱりと、言った。
「これは、隠密行動だ。俺たちが、アストリアを、離れたことを、ソレイユに、知られるわけには、いかん。それに……」
彼は、不敵に、笑った。
「今の、俺たちを、止められる奴がいるとしたら、それは、もはや、軍隊じゃねえ。神様、くらいのもんだろ」
その、絶対的な、自信。
リゼットは、もはや、何も、言えなかった。
そして、三日後の夜。
アストリアの、空に、二つの月が、妖しい、光を放って、浮かんでいた。
カケルの工房から、一つの、光が、音もなく、舞い上がった。
それは、誰にも、気づかれることなく、夜の闇に、紛れ、北東の、空へと、消えていった。
彼らが、向かう先は、蛇背渓谷。
古き、伝承が、示す、約束の地。
そこに、何が、待っているのか。
それは、希望か、それとも、さらなる、絶望か。
世界の、秘密の、扉は、今、また一つ、開かれようとしていた。
そして、その、扉の、向こう側で。
彼らを、待ち受ける、新たな、運命の、足音が、静かに、響いていることを、カケルたちは、まだ、知る由もなかった。
大陸の、西に位置する、神聖法皇国エルピス。
その国は、魔法の才ではなく、神への、篤い信仰心こそが、人の価値を決めると、信じている、宗教国家だ。
法皇国の、中心、白亜の、大神殿。
その、最奥にある、謁見の間で、若き、法皇代理――『聖女』と呼ばれる、セレスティーナは、ソレイユの使者から、もたらされた報告を、静かに、聞いていた。
「――故に、聖女セレスティーナ様。我々は、共に、立ち上がるべきなのです。ガルダの、鉄の魔人が、これ以上、神の、御業である、星々を、弄ぶ前に」
使者は、恭しく、頭を垂れる。
セレスティーナは、長く、美しい、白金の髪を、揺らしながら、ゆっくりと、立ち上がった。その、純白の、法衣に身を包んだ姿は、まさに、天上の、存在のようだった。
だが、その、慈愛に満ちているはずの、瞳の奥には、氷のように、冷たい、独善の光が、宿っていた。
「……ええ。お話は、分かりました」
彼女の、鈴を転がすような、美しい声が、響く。
「神の、許しもなく、星を、地上に堕とすなど、まさしく、悪魔の所業。……その、鉄の魔人は、神の、秩序を、乱す、紛れもない、『異端』です」
彼女は、窓の外に広がる、自らの、敬虔な、信者たちが暮らす、街並みを見下ろした。
「我が、神聖法皇国エルピスも、貴国が提唱する、『対ガルダ包囲網』に、参加しましょう。……神の、御名において、異端者を、裁くのは、我らが、聖職者の、務めですから」
「おお! 聖女様、感謝、いたします!」
使者は、歓喜の声を上げた。
法皇国は、軍事力こそ、大きくはない。だが、その、大陸における、宗教的な、影響力は、絶大だ。彼らが、味方についたことは、ソレイユにとって、何よりも、大きな、勝利だった。
セレスティーナは、去っていく使者を、見送ると、そっと、胸の前で、十字を切った。
だが、その祈りは、世界の、平和を、願うものではなかった。
自らの、信じる『正義』を、疑わず、それに、反する者を、全て、悪と断じ、排除しようとする、独善的な、祈り。
彼女は、まだ、知らない。
その、純粋すぎる、信仰心が、やがて、世界を、さらなる、混沌へと、導くことになることを。
そして、彼女自身が、カケルという、規格外の『理』と、対峙した時、その、完璧な、信仰の世界が、粉々に、砕け散る、運命にあることを。
一方、その頃。
ティリアが、発見した、古文書の、謎の記述。
『――翼なき、蛇が、天に、舞う時、星の、民への、道が、開かれん――』
カケルは、その、一文を、工房で、何度も、何度も、反芻していた。
「翼なき、蛇……。龍(ドラゴン)のことか? だが、この大陸に、龍がいるなんて、話は、聞いたことがねえ」
「ええ。エルフの、最も古い伝承でも、竜族は、神話の時代の、遥か昔に、この世界から、姿を消した、とされているわ」
ティリアが、首を横に振る。
『マスター。その『蛇』は、生物を、指しているとは、限りません』
ナナが、冷静に、分析を進言した。
『地形、あるいは、天体現象の、比喩である、可能性も、考えられます』
「地形……?」
カケルは、工房の壁に広げられた、ガルダ公国とその周辺の、巨大な、立体地図に、視線を向けた。
ナナの、ホログラム投影技術によって、作られた、精密な、地図だ。
彼は、その地図を、食い入るように、見つめた。
川の流れ。山脈の、連なり。森の、形。
その、全てを、脳内の、演算ユニットで、解析し、パターンを、探していく。
そして、数時間後。
彼の、蒼い瞳が、カッと、見開かれた。
「……これか」
彼は、地図の、ある、一点を、指さした。
それは、ガルダの、北東に位置する、巨大な、渓谷地帯。
『蛇背(じゃはい)渓谷』と呼ばれる、場所だった。
その、渓谷を、上空から見ると、まるで、巨大な、蛇が、大地を、のたうつように、蛇行しているように、見えるのだ。
「……翼なき、蛇が、天に舞う……。これは、地形のことじゃない」
カケルは、続けた。
「『天に舞う』という、言葉。そして、『二つの月が、重なる夜』という、条件。これは、特定の、日時に、この場所で、観測できる、天体現象のことを、示唆しているんだ」
彼の、演算ユニットが、天体の、運行データを、計算し始める。
この星の、公転周期。二つの月の、満ち欠け。
そして、導き出された、答え。
「……三日後だ」
「え?」
「三日後の、真夜中。二つの月が、この、蛇背渓谷の、真上で、完全に、重なる。月食だ。そして、その時、月の光によって、渓谷の影が、まるで、巨大な蛇が、天へと、昇っていくように、地上に、映し出されるはずだ」
「まさか……!」
ティリアは、息を呑んだ。
「ああ。その時、その影の、先端が、指し示す場所に、『星の民への道』が、現れる。……おそらく、創造主に関する、新たな、手がかりだ」
カケルは、確信していた。
古文書の謎は、解けた。
「……準備をしろ。三日後、俺たちは、蛇背渓谷へ、飛ぶ」
その、決定を、リゼットも、支持した。
ソレイユの、外交攻勢によって、ガルダは、苦しい立場に、立たされている。この、膠着した状況を、打破するには、新たな、情報が、そして、新たな、力が必要だった。
「……ですが、カケル殿。貴方と、ティリア殿、ナナ殿の、三人だけで、行くのですか? 護衛も……」
「必要ない」
カケルは、きっぱりと、言った。
「これは、隠密行動だ。俺たちが、アストリアを、離れたことを、ソレイユに、知られるわけには、いかん。それに……」
彼は、不敵に、笑った。
「今の、俺たちを、止められる奴がいるとしたら、それは、もはや、軍隊じゃねえ。神様、くらいのもんだろ」
その、絶対的な、自信。
リゼットは、もはや、何も、言えなかった。
そして、三日後の夜。
アストリアの、空に、二つの月が、妖しい、光を放って、浮かんでいた。
カケルの工房から、一つの、光が、音もなく、舞い上がった。
それは、誰にも、気づかれることなく、夜の闇に、紛れ、北東の、空へと、消えていった。
彼らが、向かう先は、蛇背渓谷。
古き、伝承が、示す、約束の地。
そこに、何が、待っているのか。
それは、希望か、それとも、さらなる、絶望か。
世界の、秘密の、扉は、今、また一つ、開かれようとしていた。
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