ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第10話:最初の勘違い

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森の静寂の中、俺とリリアーナたちはしばし無言で見つめ合っていた。
騎士は俺の治癒魔法に驚き、リリアーナは依然として夢見るような瞳で俺を見つめている。この気まずい空気を、何とかしなければならない。

「……まずは、ここを離れましょう。ゴブリンの血の匂いに釣られて、他の魔物が寄ってこないとも限りません」
俺は努めて冷静にそう提案した。
生き残った騎士がハッと我に返り、慌てて立ち上がる。
「お、おおせの通りにございます!して、失礼ながらお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。このご恩、主であるシルフィード子爵家に必ずやご報告せねばなりませぬ」
シルフィード子爵家。やはり、彼女は貴族の令嬢だったか。
ここで偽名を名乗るわけにもいかない。俺は腹を括り、再び優雅に一礼した。
「これは失礼いたしました。私はアレン・フォン・クラインフェルトと申します」

その名を聞いた瞬間、騎士の顔が驚愕に染まった。
「ク、クラインフェルト……公爵家のアレン様!?まさか、あの『若き賢者』様でいらっしゃいましたか!」
騎士は信じられないといった様子で俺の顔と、辺りに転がるゴブリンの死骸を交互に見ている。噂に名高い神童が、子供とは思えぬほどの武勇をも併せ持っている。その事実が、彼の常識を揺さぶっているのだろう。
リリアーナも、俺の名前を聞いてエメラルドグリーンの瞳を大きく見開いた。その頬が、ぽっと微かに赤らむ。
彼女も俺の噂を知っていたのか。これは好都合だ。話が早い。

「あなたが、リリアーナ・フォン・シルフィード様ですね」
今度は俺が、彼女の名前を口にする番だった。
リリアーナはビクッと肩を震わせ、さらに顔を赤くした。
「な、なぜ私の名前を……」
「騎士殿が先ほど、そうお呼びになっていましたので」
俺は当たり障りのない嘘をついた。本当はゲーム知識で知っていたのだが、そんなことは口が裂けても言えない。
さて、ここからが本番だ。
断罪イベントで俺に同情票を入れてもらうためには、ここで最大限の好印象を与えておく必要がある。将来への先行投資だ。
俺は一世一代の覚悟を決め、リリアーナの前に進み出ると、恭しく片膝をついた。

「リリアーナ様。このアレン、貴女様にお会いできたこと、心より光栄に存じます」
まずはお決まりの貴族の挨拶。
そして俺は、とどめの一言を放った。
「――未来の聖女様に、この身を捧げる機会を賜れたのですから」

その瞬間、リリアーナの呼吸が止まったのが分かった。
彼女の顔から、さっと血の気が引いていく。その瞳は、先ほどまでの比ではないほど大きく見開かれ、ただ俺の顔を凝視していた。
よし、効いている。
俺は内心でガッツポーズをした。
彼女が聖なる力を秘めていることは、ゲームの最重要設定の一つだ。しかし、この時点ではまだ彼女自身もその力の正体を完全には理解しておらず、ごく一部の人間にしか打ち明けていない、という隠し設定があった。
それを俺が知っている。この事実は、彼女に強烈なインパクトを与えたはずだ。「この人はただ者ではない」と。これで俺は彼女にとって、特別な存在として記憶されるだろう。断罪イベントで情状酌量を訴えてくれる可能性が、飛躍的に高まったに違いない。完璧な一手だ。

俺の完璧な計算通り、リリアーナは大きな衝撃を受けていた。
だが、その衝撃のベクトルは、俺の想像とは百八十度違う方向へと向かっていた。

(聖女様……?なぜ、この方はご存知なの……?)
リリアーナの心は、激しく揺さぶられていた。
自分の身に不思議な力が宿っていることは、幼い頃から自覚していた。だが、そのことを打ち明けたのは、両親と、ごく親しい教会の神父だけだ。公爵家の、それもまだ若いアレン様が知っているはずがない。
(まさか……この方にも、神のお告げが?)
彼女の脳裏に、一つの考えが閃光のように走る。
この出会いは、偶然ではない。神が仕組まれた、運命なのだ。
絶望の淵に現れた、銀色の髪の少年。圧倒的な力で悪を滅し、私に慈愛の微笑みを向ける。そして、私の最も深い秘密を知っている。
(この方こそが、私を導くために遣わされた、光の御使い……)

思考がそこまで至った瞬間、リリアーナの中で何かが弾けた。
恐怖も混乱も消え失せ、代わりに胸を満たしたのは、今まで感じたことのない熱い感情。それは憧れであり、畏敬であり、そして何よりも強烈な、恋心だった。
彼女の頬が、耳まで真っ赤に染まる。潤んだ瞳には、熱っぽい光が宿っていた。

「……あ、あなた様こそ……」
リリアーナは震える声で呟きながら、おもむろに俺の手を取った。
その華奢な両手で、俺の手をぎゅっと握りしめる。
「え?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。なんだ、この展開は。
「あなた様こそ、私の……私の運命の方です!」
「は?」
リリアーナは熱に浮かされたような表情で、俺にそう宣言した。
その瞳は真剣そのものだ。冗談を言っているようには、とても見えない。

待て、待ってくれ。
何かがおかしい。俺の計算と、全く違う反応が返ってきている。
俺の脳内で、けたたましく警報が鳴り響いた。
これはまずい。これは非常にまずい流れではないか。
俺は破滅フラグを回避しに来たはずだ。なのに、今、目の前で別の、もっと厄介で面倒くさそうなフラグが、天高く打ち立てられようとしている。
「あ、あの、リリアーナ様……?何を……」
「アレン様!」
俺の言葉を遮り、彼女はさらに言葉を続ける。
「私、決めました!この命、あなた様に捧げます!未来の聖女として、必ずやアレン様のお力になってみせますわ!」
その瞳には、一点の曇りもない。狂信的とすら言えるほどの、純粋な決意が燃え盛っていた。

俺は完全に思考を停止させた。
どうしてこうなった。
俺はただ、生き延びたいだけなんだ。ヒロインと恋愛関係になるなんて、断罪イベントの直行ルートじゃないか。
その後、俺がどうやってリリアーナたちを街道まで送り届けたのか、よく覚えていない。
ただ、別れ際に彼女が「必ず、必ずまたお会いしに参りますわ!アレン様!」と、満面の笑みで手を振っていたことだけは、やけに鮮明に記憶に残っている。
騎士は騎士で、「若き賢者様は、聖女様の運命をも見通しておられたか……。なんという御方だ」と一人で感涙にむせんでいた。

一人、夕暮れの森にぽつんと取り残された俺は、その場に崩れ落ちた。
「……終わった」
良かれと思って放った会心の一手が、最悪の悪手だった。
俺は、断罪者の一人であるリリアーナに、特大の恋愛フラグを叩き立ててしまったのだ。
破滅への道筋が、また一つ、くっきりと描かれてしまった。

「俺の平穏な老後は、どこだ……」
俺の悲痛な叫びは、誰に聞かれることもなく、静かな森に虚しく響き渡った。
胃の痛みが、もはや限界に達していた。
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