ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第21話:ヒロイン包囲網

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俺の一日は、胃痛と共に始まる。
朝日が窓から差し込むよりも早く、鈍い痛みが腹の底から這い上がってくるのだ。それはもはや、俺の第二の心臓と化していた。

「アレン様。朝食の準備ができておりますわ」
アンナが恭しくドアを開ける。その笑顔は、俺の健康状態が万全であることを確認し、安堵に満ちていた。皮肉なものだ。俺の肉体は過剰なまでに健康だが、精神はとっくに限界を迎えているというのに。
ダイニングルームへ向かうと、そこにはすでに先客がいた。

「おはよう、アレン」
夜色の髪を揺らし、感情の読めない瞳で俺を見る少女。ルナ・アシュフォードだ。彼女はテーブルの上に数枚の羊皮紙を広げ、朝食のパンをかじりながら数式を睨んでいた。
いつからか、彼女は朝食の時間を「最も効率的な研究報告の時間」と位置づけ、毎日この席に現れるようになった。
「昨夜、貴方が提示した『魔力循環におけるボトルネック理論』を再計算しました。非常に興味深い。ですが、この前提条件には論理的飛躍が見られます。説明を」
「先生。せめて、スープを一口飲ませてはいただけませんか」
「無駄です。思考しながらでも食事はできるはず。さあ、答えてください」
俺の懇願は、彼女の知的好奇心の前では無力だった。俺は冷めていくスープを横目に、古代魔法と現代物理学を融合させたような、我ながら無茶苦茶な理論の解説を始める羽目になった。

俺がルナの尋問から解放されたのは、セレスティーナが颯爽とダイニングルームに現れたからだった。
「アレン!いつまで座っているの!稽古の時間よ!」
訓練服姿の王女殿下は、仁王立ちで俺を睨みつける。その視線は、俺の隣に座るルナに一瞬だけ注がれ、鋭い火花を散らした。
「セレスティーナ王女。彼は今、私と重要な議論の最中です。彼の知性を育むことは、未来の王配としての重要な責務のはずですが」
ルナが、平坦な声で牽制する。
「口先だけの知識など、いざという時何の役にも立たないわ。強靭な肉体と精神こそが、王家を支える者の必須条件よ。さあ、行くわよアレン!」
セレスティーナは有無を言わさず、俺の腕を掴んだ。
「待ってください。この議論には、王国の魔術体系を根底から覆す可能性が……」
「問答無用!」
二人の天才少女が、俺の腕を左右から引っ張り合う。ギチギチと、俺の体が軋む音がした。
俺は物じゃないんだぞ。
その心の叫びは、もちろん二人の耳には届かない。結局、この綱引きは、セレスティーナが腕力でルナを振り切る形で決着がついた。

王宮騎士団の訓練場に連行された俺を待っていたのは、地獄の組手だった。
「どうしたのアレン!その程度の実力で、私の隣に立つつもり!?」
セレスティーナの木剣が、嵐のように襲いかかる。彼女は本気だった。俺が騎士団長と渡り合った一件以来、彼女の中の対抗心に火がついてしまったらしい。
俺は彼女の猛攻を捌きながら、視界の端に映る光景に、さらに胃を痛めていた。
訓練場の木陰には、いつの間にかルナが座り込み、水晶の記録装置を構えて俺たちの戦いを観察しているのだ。
「戦闘時におけるアレンの魔力流出パターン、実に興味深い……。心拍数と反応速度の相関関係は……」
遠目からでも、彼女がそんなことを呟いているのが聞こえてくるようだった。
もはや、プライバシーなど存在しない。俺は、二人の天才少女によって、身も心も二十四時間監視される実験動物と化していた。

夕方。心身ともに疲れ果てて屋敷に戻ると、そこにはお決まりの光景が待っていた。
パタパタパタ……。
伝書鳩の羽音。
「アレン様!聖女様からのお手紙ですわ!」
アンナが、今日一番の輝く笑顔で、小さな巻物を俺に手渡した。
俺は震える手でそれを受け取り、自室でそっと封を開ける。

『私の魂の片割れ、アレン様へ。
今日も、貴方様は他の女たちと時を過ごされたのでしょう。その噂を耳にするたび、私の心は暗い井戸の底へと沈んでいきます。
ですが、私は知っています。貴方様のそのお優しい瞳が、本当に見つめているのは、この私だけだと。森でのあの出会いこそが、唯一の真実なのだと。
ああ、アレン様。早く、私だけの貴方様になってください……』

「う、うぐっ……!」
俺は手紙を取り落とし、その場で蹲った。
重い。あまりにも、重すぎる。
恋心とか、そういう生易しいものではない。これはもはや、純度百パーセントの執着と信仰だ。
リリアーナの手紙、セレスティーナの稽古、ルナの研究。
三方向から放たれる、それぞれ殺傷能力の異なる精神攻撃。俺のHPは、もうゼロに近かった。

ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
もうだめだ。このままでは、俺は破滅エンドを迎える前に、胃に穴が空いて死ぬ。過労死した前世の二の舞だ。それだけは、絶対に避けなければならない。
何か、何か手はないのか。このヒロイン包囲網を突破し、俺が平穏を手に入れるための、起死回生の一手は。

そこで、俺の脳裏に、一つの顔が閃光のように浮かび上がった。
そうだ。忘れていた。
このゲームには、本来、彼女たちの心を一身に集めるはずだった、正真正銘の主人公が存在するではないか。
平民出身でありながら、その身に勇者の血を宿す、明朗快活な好青年。
彼の名は、カイル・アークライト。

「……彼だ」
俺はベッドからガバリと身を起こした。
「彼しかいない!」
カイルに、この三人を押し付ければいいのだ。彼こそが、この物語の正規のヒーローなのだから。
俺はヒロインたちとカイルの仲を取り持つ、善良な親友ポジションに収まる。そして、彼らが結ばれるのを見届けた後、静かにフェードアウトする。
完璧な計画じゃないか。

絶望の淵に、一筋の光明が見えた。
俺は固く拳を握りしめた。その紫の瞳には、地獄の底から這い上がってきた亡者のような、ギラギラとした希望の光が宿っていた。
待ってろよ、カイル。
まだ見ぬ未来の親友。俺の平穏な老後は、全て君の双肩にかかっている。
俺はまだ知らない君への先行投資として、まずは君が育つはずのスラム街の環境改善から始めようと、心に固く誓った。
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