ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第93話:望まぬ栄達

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クラインフェルト領での穏やかな日々は、俺の心身をゆっくりと、しかし確実に癒していった。
胃痛は完全に消え去り、夜もぐっすりと眠れるようになった。朝目覚めた時に、国家の行く末を案じる必要がない。その事実だけで俺は涙が出るほど幸福だった。
俺は、このまま歴史の表舞台からフェードアウトし、一介の地方貴族として静かな生涯を終えるのだ。その輝かしい未来予想図に、俺は心から満足していた。

だが、運命という名の脚本家は俺という主役をそう簡単には手放してくれなかったらしい。
穏やかな日々が始まって一月が過ぎた頃。
一本の王家の紋章が刻まれた緊急の魔力通信が、俺の元に届いた。
父ルドルフが、死んだ。
長年にわたる公爵としての激務と先の防衛戦での心労が、彼の体を静かに、しかし確実に蝕んでいたのだ。彼は眠るように安らかに息を引き取った、と。

俺はすぐさま王都へとんぼ返りした。
父の葬儀は国葬として厳かに執り行われた。
国王陛下をはじめ、王国中の貴族たちが偉大なるクラインフェルト公爵の死を悼んだ。
俺は喪主としてその中央に静かに立っていた。
涙は出なかった。
ただ胸にぽっかりと大きな穴が空いたような、喪失感だけがあった。
厳格で、冷徹で、しかし誰よりも俺の力を信じ、その成長を喜んでくれていたたった一人の父親。
俺は、その大きすぎる存在を失ったのだ。

葬儀が終わると、俺に休む暇は与えられなかった。
父の死に伴い、俺は正式にクラインフェルト公爵の爵位を継承することになった。
十八歳にして、公爵。
それは異例中の異例の大出世だった。
そしてその叙任式の日に、国王アルベルトは玉座から俺に、さらなる追い打ちをかけるような言葉を告げた。

「――アレン・フォン・クラインフェルト公爵よ」
国王の声が、静まり返った謁見の間に響き渡る。
「其方の父、ルドルフ公の死はこの国にとって計り知れない損失だ。だが、我々は悲しみに暮れてばかりもいられん」
国王は立ち上がった。
そして俺の前に歩み出た。
「アレンよ。其方の功績と、その血筋に鑑み、ここに新たな爵位を創設する」
その言葉に、謁見の間がどよめいた。
「其方に『大公』の位を授ける!」

大公。
それは王族に次ぐ最高位の爵位。
国王の右腕として、この国を共に治める者。
そのあまりにも重すぎる栄誉に、俺は眩暈を覚えた。
貴族たちがひれ伏し、俺の新たな地位を祝福している。
仲間たちが後方で、誇らしげな、そして当然だと言わんばかりの顔で俺を見つめている。
俺は完全に逃げ道を断たれた。

「……陛下」
俺はかろうじて声を絞り出した。
「そのあまりにも身に余る栄誉。どうかご辞退させていただきたく……」
俺の最後の、そして惨めな抵抗。
だが、国王はそれを優しく、しかし有無を言わさぬ笑みで一蹴した。
「謙遜は美徳だ、アレン。だが過度の謙遜は嫌味に聞こえるぞ」
国王は俺の肩を力強く叩いた。
「これは決定だ。エルドラド王国初代大公。その名を歴史に刻むがいい」

俺はもう何も言えなかった。
ただ、その場で深く、深く頭を下げることしかできなかった。
宰相の任を解かれ手に入れたはずの束の間の平穏。
それは父の死という最も悲しい形で終わりを告げた。
そして俺は、望まぬ栄達の頂点へと無理やり押し上げられてしまった。
大公。
その称号は俺を生涯この国の中枢に縛り付ける、黄金の呪いだった。

叙任式が終わった後。
俺は一人、がらんとした父の執務室にいた。
そこには父が愛用していたペンや書類が、そのまま残されていた。
俺は父が座っていた大きな椅子に、ゆっくりと腰を下ろした。
窓の外には俺が守ったはずの、平和な王都の景色が広がっている。
だがその景色はもはや俺に安らぎを与えてはくれなかった。
それは俺がこれから生涯をかけて背負い続けなければならない、重責の象徴にしか見えなかった。
俺の胃が久しぶりにきりりと痛んだ。
それは父の死への悲しみか、あるいは自らの運命への絶望か。
俺にはもう分からなかった。
ただこれから始まる終わりのない日々に、静かに覚悟を決めるだけだった。
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