ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第92話:伝説の始まり

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俺が目覚めてから数週間。王国は闇の教団からの完全な解放と魔神復活の阻止という、歴史的な勝利に沸き立っていた。
王都では連日祝賀のパレードが催され、吟遊詩人たちは俺たちSクラスの英雄譚を新たな叙事詩として歌い上げた。
『聖人アレンと四人の勇者』。
いつしか俺たちは、そんな大層な名前で呼ばれるようになっていた。
物語はすでに俺の手を離れ、民衆の中で神話となりつつあった。

俺の体はリリアーナの聖なる力のおかげか、驚異的な速さで回復した。
だが、退院を許された俺を待っていたのは安らかな療養生活ではなかった。
「アレン宰相閣下!復興予算の最終承認を!」
「アレン様!帝国との新たな貿易協定について、ご決断を!」
「英雄殿!貴方様の銅像を中央広場に建立する計画が……!」
俺の執務室には大臣や貴族、果ては彫刻家までがひっきりなしに押し寄せた。
王国は平和を取り戻したと同時に、戦後復興という新たな課題に直面していた。そしてその舵取りの全てが、俺の双肩に当然のように委ねられていたのだ。
俺の胃は、回復したはずの体とは裏腹に再び鈍い痛みを訴え始めていた。

「アレン、顔色が悪いわ。少しは休んだらどうなの?」
執務室のソファで紅茶を飲みながら優雅に雑誌を読んでいたセレスティーナが、呆れたように言った。
彼女は「宰相の補佐も次期女王としての務め」とかなんとか言って、毎日この部屋に入り浸っている。
「……そうしたいのは山々だがな」
俺は書類の山から顔を上げ、ため息をついた。
俺が望む平穏は、やはりこの国の中枢にいる限り手に入らないらしい。

そんなある日、俺の元に父ルドルフがクラインフェルト領から訪ねてきた。
彼は俺の執務室を見渡し、そして書類の山に埋もれる俺の姿を見て、静かに、しかし力強く言った。
「――アレン。よく聞け」
その真剣な眼差しに、俺は背筋を伸ばした。
「お前はもはやクラインフェルト家だけの人間ではない。この国の宝だ。だがその前に、お前は私のたった一人の誇るべき息子だ」
父はそこで一度言葉を切った。
「……父として命じる。少し休め。お前が築き上げたこの平和を、お前自身が享受せずしてどうする」
その言葉は、厳格な父が初めて見せた不器用な、しかし深い優しさだった。

父の言葉は国王の耳にも入った。
国王アルベルトは俺を城の庭園に呼び出すと、苦笑しながらこう言った。
「……ルドルフ公の言う通りかもしれんな。我々は少しお前に頼りすぎていたようだ。しばらくの間、宰相の任を解く。故郷に帰り、ゆっくりと羽を伸ばすがいい」
それは国王からの最大限の温情だった。

俺は数ヶ月ぶりに宰相という重責から解放された。
仲間たちに別れを告げ、俺は父と共にクラインフェルト領へと帰ることにした。
もちろん、仲間たちは簡単には納得しなかった。
「アレン様と離れ離れに……!」
「貴方がいない王都など、バターのないパンのようなものよ!」
「私の観測対象が……!」
涙ながらに訴える彼女たちを「必ずまた戻ってくる」と半ば強引に説得し、俺はようやく故郷への帰路についたのだった。

久しぶりに帰ったクラインフェト領は、変わらない穏やかな空気に満ちていた。
俺が作り上げた灌漑水路は今も豊かに畑を潤し、領民たちは穏やかな笑顔で俺の帰還を温かく迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、アレン様!」
「我らが誇り!」
その声には王都の民衆のような狂信的な響きはなかった。
そこにあるのは家族の帰りを待つような、純粋な親愛の情だった。
俺はその温かさに心の底から安堵していた。

俺は領主としての仕事も父に任せ、本当に何もしない、ただ穏やかな日々を過ごした。
朝は鳥の声で目覚め、昼は木陰で好きなだけ本を読み、夜は満点の星空を見上げる。
それは俺がこの世界に来てから、ずっと夢見ていた平穏な時間だった。
胃の痛みは完全に消え去っていた。
俺はこのまま時が止まってくれればいいと、本気で願っていた。

だが、伝説というものは本人が望むと望まざるとに関わらず、勝手に語り継がれていくものらしい。
俺が領地で穏やかな日々を過ごしている間にも、王都では俺の物語がさらに大きく、そして神々しく語り継がれていった。
魔神を打ち破り王国を救った銀髪の聖人。
その功績はもはや一人の人間の英雄譚としてではなく、この国の歴史そのものに刻まれる不滅の『伝説』として始まりを告げていたのだ。
俺はそんな外界の喧騒を知る由もなく、ただ故郷の優しい風にその身を委ねているだけだった。
そのあまりにも甘美な束の間の平穏が、新たな嵐の前触れであることなど、まだ知る由もなく。
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