偽りの聖女と罵られたので、隣国の訳あり公爵様と結託して祖国を滅ぼします~本当の力に目覚めた私を今更返せと言われても、もう遅いのです~

夏見ナイ

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第二十八話 カインの溺愛の片鱗

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「親父」
カインが店主を呼ぶ声は、先程よりもさらに低く、有無を言わさぬ響きを持っていた。
店主はびくりと肩を震わせ、彼の前に這うようにしてやってきた。
「は、はい! なんなりと!」
カインは、エリアーナが手にしている灰色の石と、その周りに転がっているガラクタ同然の石の山を、顎でしゃくって見せた。
そして、誰もが耳を疑うような言葉を口にする。
「ここにある石ころを、全て寄越せ」
しん、と薄暗い店内に沈黙が落ちた。
エリアーナも、店主も、カインが何を言ったのか、すぐには理解できなかった。
店主は恐る恐る、カインの顔色を窺った。
「は……? こ、この石のことでございますか? いえ、しかし閣下、これは売り物では……ただの河原の石ころでございまして、わたくしどもが装飾用の台座にでも使おうかと拾ってきただけの……」
「値段を聞いているのではない。全て寄越せと言っている」
カインは店主の言葉を遮ると、懐からずしりと重い革袋を取り出した。そして、それを無造作に店のカウンターへと放り投げる。
チャリン、という硬い音と共に、袋の口から数枚の金貨がこぼれ落ちた。帝国の紋章が刻まれた、一枚だけでも庶民が一年は暮らせるほどの価値を持つ大金貨だった。
店主の目が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれる。
「これだけあれば、文句はあるまい」
「ひぃっ! も、滅相もございません! ですが、このようなガラクタに、これほどの大金など……!」
「俺の物に、俺がいくら払おうと俺の勝手だ。それとも、ヴァルハイト公爵家の申し出を断ると言うのか」
その声には、絶対零度の冷たさが含まれていた。それは、もはや脅しですらなかった。逆らう者は、存在そのものを消される。そう確信させる、絶対的な支配者の言葉だった。
店主は顔面蒼白になり、その場でがたがたと震え始めた。

エリアーナは、その異様な光景を呆然と見ていた。
おかしい。何かが、絶対におかしい。
ただの気分転換のはずだった。彼なりの気遣いで、この市場へ連れてきてくれたのではなかったのか。先程、手芸店でリボンを買い占めようとした時も驚いたが、今の彼は、あの時とは比べ物にならないほどの異常な執着を見せている。
それは、まるで理性のタガが外れてしまったかのようだった。
彼の瞳の奥に燃えているのは、冷徹な君主の光ではない。欲しいものを手に入れるためには手段を選ばない、幼い子供のような、純粋で、それ故に危険な独占欲の炎だった。
このままではいけない。
エリアーナは、本能的にそう感じた。
彼女は、震える店主と、氷のような威圧感を放つカインの間に、割って入るように一歩踏み出した。
「閣下、お待ちください!」
凛とした声が、店内に響く。
カインは、自分の行動を遮られたことに、一瞬だけ驚いたような顔をした。そして、ゆっくりとエリアーナに視線を移す。その目は、まだ熱を帯びたままだ。
「何だ。邪魔をするな」
「邪魔をなど、いたしません。ですが、どうしてこのようなことを……。この石は、確かに綺麗です。でも、こんなにたくさん、私には必要ありません」
エリアーナは、必死に訴えかけた。彼女は、カインが自分のためにこのような暴挙に出ていることを、痛いほど理解していたからだ。
「俺が、お前にやりたいだけだ。理由はそれだけで十分だろう」
「ですが、お店の方がお困りです。それに……」
エリアーナは、自分の両手の中にある、淡く光る灰色の石を、カインの前にそっと差し出した。
「私には、この石だけで十分なのです。他は要りません。私が心惹かれたのは、他のどの石でもなく、この子だけですから」
その言葉には、不思議な説得力があった。彼女にとって、この石との出会いがどれほど特別で、かけがえのないものであったか。その純粋な想いが、カインの燃え盛る独占欲の炎に、まるで清らかな水を注ぐかのように、その勢いを鎮めていった。
カインは、エリアーナの持つ石と、彼女の真摯な瞳を、交互に見比べた。
彼の心の中で、激しい感情の嵐が吹き荒れる。
(この女が特別な力を示すものは、全て俺の手の内に置きたい。他の誰にも触れさせたくない。だが……こいつは、それを望んでいない。この女の、あの喜びに満ちた顔を曇らせたくない)
しばらくの、長い沈黙が流れた。
やがて、カインは大きく、そして重いため息をついた。まるで、自分の中の衝動を無理やり押さえつけるかのように。
「……分かった」
その声は、まだ硬かったが、先程までの危険な響きは消えていた。
彼は店主に向き直る。
「ならば、その石一つを貰い受ける。代金は、これでいいな」
カインはカウンターに置いた革袋を、再び指し示した。
店主は、首がちぎれるのではないかというほど、何度も縦に振った。
「も、もちろんでございます! どうぞ、お納めください! 代金など、滅相も……!」
「受け取れ。これは命令だ」
カインはそれだけ言うと、エリアーナの手を取り、踵を返した。彼の強引さに引かれるようにして、エリアーナも店を出る。

再び、市場の喧騒の中に戻った。
カインはしばらく無言で前を歩いていた。その横顔は固く、どこか不機嫌そうに見える。
エリアーナは、彼の隣に追いつくと、小さな声でお礼を言った。
「あの……ありがとうございました。この石、大切にします」
彼女は、自分の手の中にある、まだ微かに温かい精霊石を、ぎゅっと握りしめた。
カインは、彼女の方を見ずに、ぶっきらぼうに答える。
「……礼を言われる筋合いはない」
その態度はそっけなかったが、エリアーナにはもう、それが彼の照れ隠しなのだと分かっていた。
自分のために、あれほど感情的になってくれた。その事実が、エリアーナの胸を温かいもので満たしていく。彼の行動は確かに異常だったかもしれない。だが、それほどまでに自分のことを想ってくれている。そう思うと、恐怖よりも先に、くすぐったいような喜びが込み上げてくるのだった。
カインの独占欲の深さや、その溺愛が孕む危うさに、彼女が本当に気づくのは、まだ少し先のこと。
今はただ、彼の不器用な優しさが、心地よかった。
「閣下」
エリアーナが、再び彼を呼ぶ。
「何だ」
「あちらで、甘いお菓子が売っているようです。少し、休憩いたしませんか?」
エリアーナは、市場の角にある小さな屋台を指さして、微笑んだ。
カインは一瞬、面食らったような顔をしたが、すぐにいつもの無表情に戻る。
「……好きにしろ」
そう短く答えた彼の足が、わずかに屋台の方向へと向きを変えた。その横顔が、先程よりもほんの少しだけ和らいで見えたのは、きっと気のせいではなかっただろう。
二人のぎこちない外出は、まだ続いていく。
その一歩一歩が、凍てついた公爵の心と、傷ついた令嬢の魂を、ゆっくりと溶かしていくのだった。
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