偽りの聖女と罵られたので、隣国の訳あり公爵様と結託して祖国を滅ぼします~本当の力に目覚めた私を今更返せと言われても、もう遅いのです~

夏見ナイ

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第四十四話 絶体絶命の子供

エリアーナの部屋を破壊した紫色の魔獣は、すぐには彼女に襲いかからなかった。
その赤い目は、まるで品定めをするかのように、エリアーナをじっと見つめている。そして、その喉の奥で、満足げな唸り声を上げた。
(捕獲しろ、と命じられているのか……)
エリアーナは、直感的に理解した。この魔獣は、自分を殺すのではなく、生きたまま捕らえようとしている。
その事実が、彼女にほんのわずかな猶予を与えた。
エリアーナは、恐怖に震える足を叱咤し、一歩、また一歩と後ずさる。そして、振り返りざま、部屋の窓枠に足をかけた。
ここから飛び降りれば、助かる保証はない。だが、このまま捕まるよりはましだ。
彼女は、覚悟を決めて窓の外へと身を躍らせた。
幸いにも、部屋は二階だった。下の庭園の柔らかな土が、衝撃を和らげてくれる。エリアーナは受け身を取り、何とか無事に着地した。
だが、安堵したのも束の間だった。
空気を切り裂く、鋭い風切り音。見上げると、あの紫色の魔獣が、巨大な翼を広げて空から急降下してくるところだった。
「くっ……!」
エリアーナは、夢中で走り出した。
どこへ? どこへ逃げればいい?
邸の中は、他の魔獣もいるかもしれない。外へ出ても、帝都は地獄と化している。
それでも、今はただ、足を動かすしかなかった。
彼女は、自分がいつも手入れをしていた、あの庭園へと向かって駆けた。あそこなら、何か、助けがあるかもしれない。そんな、根拠のない希望にすがって。

庭園にたどり着くと、そこは先程までの楽園の姿とは一変していた。
エリアーナの気配を察して集まってきた小動物たちが、魔獣の放つおぞましい瘴気に怯え、パニックになって逃げ惑っている。美しく咲き誇っていた花々も、その瘴気に当てられ、急速に色褪せ、萎れていっていた。
悲しい。
エリアーナの胸が、鋭く痛んだ。自分が愛した、この美しい場所が、穢されていく。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。
背後から、魔獣が再び襲いかかってくる。エリアー-ナは、必死でそれをかわした。魔獣の鋭い爪が、彼女が今しがたまでいた場所の地面を深く抉る。
その時だった。
エリアーナの視界の隅に、小さな人影が映った。
「……子供?」
庭園の隅にある、大きな樫の木。その根元に、小さな女の子が一人、うずくまっていたのだ。歳は五つか、六つくらいだろうか。使用人の子供だろうか。邸内の騒ぎに巻き込まれ、ここに隠れていたのかもしれない。
女の子は、目の前の惨状に恐怖し、腰を抜かして動けなくなっていた。その小さな身体は、がたがたと震えている。
そして、その絶望的な光景に気づいたのは、エリアーナだけではなかった。
紫色の魔獣が、標的を変えた。
その赤い目が、か弱く、無力な子供の姿を捉える。魔獣の口元が、醜く歪んだ。それは、紛れもない、残虐な悦びの表情だった。
魔獣は、エリアーナには目もくれず、その巨大な鉤爪を振り上げ、うずくまる女の子へと狙いを定めた。
「あ……」
エリアーナの思考が、停止した。
駄目。
間に合わない。
魔獣の爪が、無慈悲に振り下ろされる。
女の子の小さな悲鳴が、聞こえた気がした。
全てが、スローモーションのように見えた。
(いや……)
エリアーナの心の中で、何かが叫んだ。
(いやだ……!)
(私のせいで、誰かが傷つくなんて、絶対に……!)
(私の大切な場所で、罪のない命が奪われるなんて、絶対に、許さない!)
その想いが、怒りが、絶望が、エリアーナの魂の奥深くにある、最後の扉をこじ開けた。
次の瞬間。
エリアーナの身体は、思考よりも先に動いていた。
彼女は、地面を蹴った。
まるで、光のような速さで。
そして、振り下ろされる魔獣の爪と、絶望に目を閉じる女の子との間に、その華奢な身一つで、滑り込んだ。
彼女は、両腕を大きく広げた。
まるで、傷ついた雛を守る、母鳥のように。
女の子を、その背中で庇うように。
「やめてっ!!!!」
エリアーナの、魂からの絶叫が、庭園に響き渡った。
それは、ただの声ではなかった。
世界そのものを震わせるような、根源的な力の波動。
彼女の身体から、今までとは比べ物にならないほどの、凄まじい魔力が、金色の光となって溢れ出した。
光は、奔流となって天を衝き、帝都を覆っていた夜の闇を、一瞬にして真昼のように照らし出す。
その場にいた、全てのものが、動きを止めた。
魔獣も。
逃げ惑っていた小動物たちも。
邸の窓から、固唾を飲んで見守っていた使用人たちも。
そして、オルデン平原の戦場で、絶望的な戦いを続けていた、カインでさえも。
誰もが、帝都の中心から立ち上る、その神々しいまでの光の柱を、ただ呆然と見上げていた。
光の中心で、エリアーナは静かに立っていた。
彼女の銀色の髪は、魔力の風に吹かれて黄金色に輝き、その紫水晶の瞳は、神聖なまでの強い光を宿している。
それは、もはや怯えるだけの、か弱い少女の姿ではなかった。
世界を、その愛で包み込む、女神の顕現。
あるいは、全ての生命の母なる、精霊そのものの姿。
エリアーナの唇が、ゆっくりと動いた。
その声は、まだ彼女自身のものだったが、その奥には、あの夢の中で聞いた、荘厳で、美しい響きが重なっていた。
「私の大切なものを、これ以上、誰も傷つけさせはしない」
その宣言は、全ての精霊たちへの、号令となった。
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