偽りの聖女と罵られたので、隣国の訳あり公爵様と結託して祖国を滅ぼします~本当の力に目覚めた私を今更返せと言われても、もう遅いのです~

夏見ナイ

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第五十四話 儀式開始

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満月の光が、白銀の刃のように、夜の闇を切り裂いていた。
ヴァルハイト公爵邸は、しんと静まり返っている。だが、その静寂は、邸に住まう者たちの、祈りを込めた緊張感で満たされていた。
忘れられた庭園は、その姿を大きく変えていた。
中央には、月光を反射して淡く輝く、水晶の粉で描かれた巨大な魔法陣。その要所要所には、儀式の触媒となる霊峰の水や、大地の結晶が配置されている。
そして、魔法陣の中心。
エリアーナが育てた月光花が、満月の光を浴びて、その青白い花びらを、ゆっくりと、そして幻想的に開いていた。その花から放たれる清浄な香りが、庭園全体を聖域へと変えている。
エリアーナは、その魔法陣の中心に、静かに立っていた。
身に纏っているのは、儀式のためにゲルダが用意してくれた、純白のシルクのドレス。装飾は何もなく、ただ彼女自身の清らかさを際立たせるための、シンプルな衣装だ。
その隣には、カインが立っていた。
彼もまた、黒一色の儀式用の礼装に身を包んでいる。その表情は、鋼のように硬く、揺るぎない決意に満ちていた。
二人を、邸の者たちが遠巻きに見守っている。
ジークハルトと、彼が率いる騎士団の精鋭たち。侍女頭のゲルダと、侍女たち。誰もが、固唾を飲んで、その瞬間を待っていた。

やがて、満月が天の頂に達した。
儀式を始めるのに、最も力が満ちる時間。
カインが、静かに頷いた。それが、合図だった。
エリアーナは、深く息を吸い込み、ゆっくりと目を閉じた。
昨夜、カインと交わした誓い。彼の腕の温もり。唇の感触。その全てが、彼女に勇気を与えてくれる。
もう、怖くない。
彼女は、意識を自分の魂の奥深くへと集中させた。そして、呼びかける。
いつもそばにいてくれる、大切な友人たちに。

『光の友よ。水の友よ。お願い、私に力を貸して』

その魂の呼びかけに、精霊たちが瞬時に応えた。
エリアーナの身体が、再びあの神々しい金色の光に包まれる。
光は、魔法陣全体へと広がり、配置された水晶や霊峰の水と共鳴し、その輝きをさらに増していく。庭園は、まるで地上に現れた、もう一つの月のように、白銀の光で満たされた。
『任せて、エリアーナ!』
『あなたの願いは、僕たちの願いだよ!』
光の精霊と水の精霊が、喜びの声を上げながら、彼女の周りを舞う。
エリアーナは、目を開けた。
その紫水晶の瞳は、もはや人間のものではなかった。精霊たちの力をその身に宿した、神聖な輝きを放っている。
彼女は、隣に立つカインに向き直った。
「カイン様。始めます」
「……ああ」
カインは、短く応じると、魔法陣の中央、エリアーナの正面へと進み出た。
エリアーナは、両手をそっと、彼の顔へと伸ばした。
そして、長年彼を苦しめ続けてきた、あの呪いの痣に、ためらうことなく、その指先で触れた。
その瞬間。
カインの身体から、おぞましいほどの黒い瘴気が、奔流となって溢れ出した。
「ぐ……っ!!」
カインの身体が、激しい苦痛に大きく震える。呪いが、外部からの干渉を拒絶し、激しく抵抗しているのだ。瘴気は、まるで意思を持った獣のように、エリアー-ナに牙を剥き、その華奢な身体に絡みつこうとする。
「エリアーナ様!」
遠くで、ジークハルトの悲鳴に近い声が聞こえた。
だが、エリアーナは微動だにしなかった。
彼女の瞳は、ただ真っ直ぐに、苦痛に顔を歪めるカインの顔だけを見つめている。
「大丈夫です。私を、信じて」
その声は、嵐の中の灯台のように、穏やかで、そして力強かった。
彼女は、自らの内に満ちる、精霊たちの力を解放した。
金色の光が、黒い瘴気と激しくぶつかり合う。庭園の空気が、びりびりと震えた。相反する二つの巨大な力が、互いの存亡をかけて、激しい火花を散らす。
黒い瘴気は、カインの魔力そのもの。帝国最強と言われる、その圧倒的な力。
だが、エリアー-ナの光は、それとは全く質の異なる力だった。
破壊ではない。対消滅でもない。
ただ、受け入れ、包み込み、そして浄化する。
太陽の光が、夜の闇を優しく溶かしていくように。清らかな水が、濁りを静かに沈殿させていくように。
金色の光は、少しずつ、しかし確実に、黒い瘴気をその輝きの中へと取り込んでいった。
「馬鹿な……呪いが、押されている……?」
カインは、信じられない思いで、目の前の光景を見ていた。
今まで、どんな高位の神官も、どんな強力な聖遺物も、この呪いの力の前には、なすすべもなかった。だが、エリアーナの力だけが、この呪いと拮抗し、そして凌駕しつつある。
エリアーナは、さらに深く、カインの呪いの根源へと、その意識を潜行させていった。
そして、彼女は見た。
黒い魔力の嵐の、その中心に。
禍々しい呪いの、その核に。
隠されていた、あまりにも意外な、真実の姿を。
そこにあったのは、憎悪でも、怨念でもなかった。
それは、一つの、強大な「願い」の塊だった。
それは、光だった。
カインの魔力の本質である、あの温かい黄金色の光。それが、凝縮され、何重もの鎖でがんじがらめに封じられている。
まるで、牢獄に囚われた、太陽のようだった。
(……これは……!)
エリアーナは、息を呑んだ。
そして、理解した。
カインを縛るこの力は、呪いなどではなかったのだと。
儀式は、誰もが予想しなかった、衝撃的な真実を暴き出そうとしていた。
長きにわたる、ヴァルハイト家の宿命。
その本当の姿が、今、エリアーナの目の前で、明らかになろうとしていた。
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