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第三十三話 砕かれたプライドと置き去りの栄光
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【ノアの箱舟】に静かな夜が戻った頃、境界都市バザールで最も格式高い宿「白鹿の館」の一室は、凍てつくような沈黙に支配されていた。
勇者アレスは、床に転がった安くない酒瓶には目もくれず、窓の外を睨みつけている。その瞳に宿るのは、ノアへの嫉妬と憎悪、そして己の無力さを突きつけられたことへの屈辱。彼のプライドは、今日、木っ端微塵に砕かれた。
「……ありえない」
絞り出すような声が、部屋の静寂を破る。
「俺が……勇者である俺が、あんな女一人に……。あんな役立たずの呪術師に、見下されるなど……」
彼の握りしめた拳は、血が滲むほど固かった。
騎士ライオネルと魔術師アイザックは、部屋の隅で押し黙っている。彼らはもう、アレスにどんな言葉をかければいいのか分からなかった。クロエの圧倒的な実力と、ノアの揺るぎない態度は、彼らの心に拭い去れない敗北感を刻み付けていた。
(勝てない……)
ライオネルもアイザックも、同じ結論に達していた。あの赤髪の剣士は、自分たちが束になっても敵わない。そして、ノアがいた頃の完璧な連携がなければ、自分たちの力は半減どころではない。その事実が、重い鎖のように彼らの心を縛っていた。
その時、静かに部屋の扉が開かれ、オリヴィアが入ってきた。彼女の顔は涙の跡で少し赤くなっていたが、その表情は不思議とすっきりしていた。
「オリヴィア! どこをほっつき歩いていた!」
アレスが、苛立ちをぶつけるように怒鳴る。以前の彼女なら、その剣幕に怯えていただろう。だが、今のオリヴィアは違った。
「少し、考え事をしておりました。アレス様」
彼女は静かにアレスを見据え、言い放った。
「私たちは、王都へ戻るべきです。これ以上この街にいても、意味はありません」
その言葉は、アレスの怒りに油を注いだ。
「戻るだと? 手ぶらでか! あの忌々しい道具も、ノアも手に入れずにか! ふざけるな!」
「もう、ノアさんは私たちの仲間ではありません」
オリヴィアはきっぱりと言った。
「彼には、彼の居場所があります。それを奪う権利は、私たちにはありません。それに……力ずくでは、何も手に入らないと、今日、証明されたはずです」
正論だった。だが、正論であればあるほど、アレスのプライドを傷つけた。
「黙れ、黙れ、黙れ! お前まで、あの役立たずの肩を持つのか!」
アレスは立ち上がると、オリヴィアに掴みかかろうとする。だが、その前にライオネルが、重い体を動かして割って入った。
「おやめください、アレス様。オリヴィア様の言う通りです。我々は、もう……」
ライオネルの言葉は、そこで途切れた。彼もまた、このパーティの限界を悟っていたのだ。
アレスは、三人の冷めた視線に囲まれ、孤立している自分に気づいた。怒りの炎が、じりじりと歪んだ執着へと姿を変えていく。
(そうだ。力ずくが駄目なら、別の方法がある)
彼の脳裏に、一つの悪辣な考えが浮かんだ。
(王都に戻り、父上……国王陛下に進言するのだ。辺境に、国家の脅威となりうる危険な呪術師がいると。王命をもって、奴を召喚すればいい。そうすれば、奴の力も道具も、全て俺のものになる……!)
卑劣な考えだった。だが、今の彼にはそれが唯一の活路に思えた。
アレスは、ふっと表情を緩め、歪んだ笑みを浮かべた。
「……そうだな。オリヴィアの言う通りだ。一度、王都へ戻ろう。体勢を立て直す必要がある」
その変わり身の早さに、パーティのメンバーは戸惑いの表情を浮かべる。だが、誰もそれに異を唱える気力はなかった。
翌朝。
勇者パーティ一行は、誰にも見送られることなく、境界都市バザールを後にした。来た時とは比べ物にならないほど、その足取りは重く、その背中は小さく見えた。彼らの栄光は、この辺境の街に置き去りにされたかのようだった。
馬車に揺られながら、アレスは西の空を睨みつけていた。その瞳の奥では、復讐と独占欲の黒い炎が、静かに燃え上がっている。
彼の知らないところで、その卑劣な計画こそが、自らの破滅を決定的にする最後の一押しになるのだった。そして、その影響は、やがてノアと【ノアの箱舟】を、国家という巨大な渦の中へと巻き込んでいくことになる。
勇者アレスは、床に転がった安くない酒瓶には目もくれず、窓の外を睨みつけている。その瞳に宿るのは、ノアへの嫉妬と憎悪、そして己の無力さを突きつけられたことへの屈辱。彼のプライドは、今日、木っ端微塵に砕かれた。
「……ありえない」
絞り出すような声が、部屋の静寂を破る。
「俺が……勇者である俺が、あんな女一人に……。あんな役立たずの呪術師に、見下されるなど……」
彼の握りしめた拳は、血が滲むほど固かった。
騎士ライオネルと魔術師アイザックは、部屋の隅で押し黙っている。彼らはもう、アレスにどんな言葉をかければいいのか分からなかった。クロエの圧倒的な実力と、ノアの揺るぎない態度は、彼らの心に拭い去れない敗北感を刻み付けていた。
(勝てない……)
ライオネルもアイザックも、同じ結論に達していた。あの赤髪の剣士は、自分たちが束になっても敵わない。そして、ノアがいた頃の完璧な連携がなければ、自分たちの力は半減どころではない。その事実が、重い鎖のように彼らの心を縛っていた。
その時、静かに部屋の扉が開かれ、オリヴィアが入ってきた。彼女の顔は涙の跡で少し赤くなっていたが、その表情は不思議とすっきりしていた。
「オリヴィア! どこをほっつき歩いていた!」
アレスが、苛立ちをぶつけるように怒鳴る。以前の彼女なら、その剣幕に怯えていただろう。だが、今のオリヴィアは違った。
「少し、考え事をしておりました。アレス様」
彼女は静かにアレスを見据え、言い放った。
「私たちは、王都へ戻るべきです。これ以上この街にいても、意味はありません」
その言葉は、アレスの怒りに油を注いだ。
「戻るだと? 手ぶらでか! あの忌々しい道具も、ノアも手に入れずにか! ふざけるな!」
「もう、ノアさんは私たちの仲間ではありません」
オリヴィアはきっぱりと言った。
「彼には、彼の居場所があります。それを奪う権利は、私たちにはありません。それに……力ずくでは、何も手に入らないと、今日、証明されたはずです」
正論だった。だが、正論であればあるほど、アレスのプライドを傷つけた。
「黙れ、黙れ、黙れ! お前まで、あの役立たずの肩を持つのか!」
アレスは立ち上がると、オリヴィアに掴みかかろうとする。だが、その前にライオネルが、重い体を動かして割って入った。
「おやめください、アレス様。オリヴィア様の言う通りです。我々は、もう……」
ライオネルの言葉は、そこで途切れた。彼もまた、このパーティの限界を悟っていたのだ。
アレスは、三人の冷めた視線に囲まれ、孤立している自分に気づいた。怒りの炎が、じりじりと歪んだ執着へと姿を変えていく。
(そうだ。力ずくが駄目なら、別の方法がある)
彼の脳裏に、一つの悪辣な考えが浮かんだ。
(王都に戻り、父上……国王陛下に進言するのだ。辺境に、国家の脅威となりうる危険な呪術師がいると。王命をもって、奴を召喚すればいい。そうすれば、奴の力も道具も、全て俺のものになる……!)
卑劣な考えだった。だが、今の彼にはそれが唯一の活路に思えた。
アレスは、ふっと表情を緩め、歪んだ笑みを浮かべた。
「……そうだな。オリヴィアの言う通りだ。一度、王都へ戻ろう。体勢を立て直す必要がある」
その変わり身の早さに、パーティのメンバーは戸惑いの表情を浮かべる。だが、誰もそれに異を唱える気力はなかった。
翌朝。
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馬車に揺られながら、アレスは西の空を睨みつけていた。その瞳の奥では、復讐と独占欲の黒い炎が、静かに燃え上がっている。
彼の知らないところで、その卑劣な計画こそが、自らの破滅を決定的にする最後の一押しになるのだった。そして、その影響は、やがてノアと【ノアの箱舟】を、国家という巨大な渦の中へと巻き込んでいくことになる。
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