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第四十八話 嫉妬の不協和音
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セドリック・アストライアの劇的な復活は、王都の社交界を瞬く間に駆け巡った。彼の完璧な演奏は連日称賛を浴び、【ノアの箱舟】の名は、奇跡を起こす謎の集団として、貴族たちの間で畏怖と好奇心の対象となっていた。
もちろん、その名声を快く思わない者もいた。
「ありえん……。私の『不協和音の呪印』が、こうもたやすく破られるなど……」
宮廷音楽家、アントニオ子爵は、自室でグラスを握りしめ、苦々しく呟いた。彼の長年の研究の成果である呪いの術が、どこの馬の骨とも知れぬ辺境の呪術師に無力化された。その事実は、彼のプライドを深く傷つけた。
「まやかしに決まっている。きっと、何かインチキなトリックを使ったのだ。あの小僧の評判を、地に堕としてやらねば……」
アントニオの嫉妬の炎は、黒く、粘質な悪意となって燃え上がった。彼は、まず自分の持つ貴族社会での影響力を行使することにした。
数日後、【ノアの箱舟】が拠点とする邸宅に、奇妙な変化が起こり始めた。
「どういうことだ。注文していた錬金術ギルドの素材が、理由もなく差し止められたぞ」
ルナが、取引先からの連絡を受け、眉をひそめる。それだけではなかった。騎士団との共同開発の話は「上からの指示」で一時保留となり、懇意にしていた商人たちも、どこかよそよそしい態度を取るようになった。
「誰かが、裏で手を引いているな」
ルナは即座に状況を看破した。
「おそらく、アストライア侯爵家のライバル筋、あるいはノアの力を妬む者だろう。我々を孤立させ、王都から追い出すつもりか。浅はかな」
彼女は全く動じなかった。むしろ、その挑戦的な状況を楽しんでいるかのようだった。ルナはアストライア侯爵夫人を通じて、貴族社会の内部情報を収集し、即座に対抗策を打った。
「アントニオ子爵、ですか。ええ、存じておりますわ。最近、どうも羽振りが悪いご様子。懇意にしていた商会が、いくつか手を引いたとか」
侯爵夫人が主催した茶会で、ルナはそんな「噂」をそれとなく流した。アントニオに圧力をかけられていた商人たちは、アストライア侯爵家というより大きな権力がバックにいることを知り、安心して再びノアたちとの取引を再開した。
ルナの鮮やかな情報戦により、アントニオの妨害工作は、ことごとく失敗に終わった。
「おのれ、小賢しい女め……!」
自分の仕掛けた罠が、ことごとく裏目に出る。アントニオの苛立ちは、頂点に達していた。彼は、もはや体面を保つことさえ放棄し、より直接的で、そして危険な手段に訴えることを決意する。
彼は、王都の裏社会に顔が利く悪徳商人と接触した。
「金はいくらでも払う。あの呪術師どもを、黙らせろ。屋敷に火を放つでも、闇討ちにするでも、好きにしろ。ただし、私の名が決して表に出ないようにやれ」
アントニオは、もはや音楽家ではなく、ただの犯罪者の顔をしていた。
その夜。【ノアの箱舟】が拠点とする邸宅は、静寂に包まれていた。
ノアは、工房で新しい道具の設計図を描き、エリオは書庫で古文書の研究に没頭している。ルナとアンナは、明日の予定について話し合っていた。
その時、屋敷の庭で素振りをしていたクロエが、ぴたりと動きを止めた。
「……」
彼女は、大剣を握りしめたまま、屋敷を囲む高い塀の向こうを睨みつける。風の音、虫の音、その奥に潜む、複数の殺気。肌を刺すような、粘りつく悪意。
ほぼ同時に、書庫にいたエリオも、研究の手を止めた。
「どうやら、招かれざる客が来たようだ」
彼は窓の外を見つめ、指先で小さく魔法陣を描く。屋敷の周囲に張られた、彼の探知結界が、複数の侵入者の存在を明確に告げていた。
クロエは静かに店の中に戻り、皆に告げた。
「十人以上いる。どいつも、血の匂いに慣れた連中だ」
「どうやら、話し合いで解決する気はないようだな」
ルナが、冷たく言い放った。
ノアは、設計図を描いていたペンを置くと、静かに立ち上がった。その瞳には、かつてのような恐怖や戸惑いはない。大切な仲間と、自分たちの居場所を脅かす者に対する、静かな怒りの炎が灯っていた。
「迎え撃とう。僕たちのやり方で」
ノアの言葉に、仲間たちは力強く頷いた。
塀の向こうでは、アントニオに雇われたごろつき達が、互いに顔を見合わせ、ほくそ笑んでいた。相手は、ただの呪術師と数人の女子供。赤子の手をひねるような簡単な仕事だ、と。
彼らはまだ知らない。自分たちが踏み込もうとしているのが、ただの邸宅ではなく、規格外の力を持つ者たちが守る、難攻不落の「箱舟」であることを。静かな夜の闇の中、戦いの火蓋が、切って落とされようとしていた。
もちろん、その名声を快く思わない者もいた。
「ありえん……。私の『不協和音の呪印』が、こうもたやすく破られるなど……」
宮廷音楽家、アントニオ子爵は、自室でグラスを握りしめ、苦々しく呟いた。彼の長年の研究の成果である呪いの術が、どこの馬の骨とも知れぬ辺境の呪術師に無力化された。その事実は、彼のプライドを深く傷つけた。
「まやかしに決まっている。きっと、何かインチキなトリックを使ったのだ。あの小僧の評判を、地に堕としてやらねば……」
アントニオの嫉妬の炎は、黒く、粘質な悪意となって燃え上がった。彼は、まず自分の持つ貴族社会での影響力を行使することにした。
数日後、【ノアの箱舟】が拠点とする邸宅に、奇妙な変化が起こり始めた。
「どういうことだ。注文していた錬金術ギルドの素材が、理由もなく差し止められたぞ」
ルナが、取引先からの連絡を受け、眉をひそめる。それだけではなかった。騎士団との共同開発の話は「上からの指示」で一時保留となり、懇意にしていた商人たちも、どこかよそよそしい態度を取るようになった。
「誰かが、裏で手を引いているな」
ルナは即座に状況を看破した。
「おそらく、アストライア侯爵家のライバル筋、あるいはノアの力を妬む者だろう。我々を孤立させ、王都から追い出すつもりか。浅はかな」
彼女は全く動じなかった。むしろ、その挑戦的な状況を楽しんでいるかのようだった。ルナはアストライア侯爵夫人を通じて、貴族社会の内部情報を収集し、即座に対抗策を打った。
「アントニオ子爵、ですか。ええ、存じておりますわ。最近、どうも羽振りが悪いご様子。懇意にしていた商会が、いくつか手を引いたとか」
侯爵夫人が主催した茶会で、ルナはそんな「噂」をそれとなく流した。アントニオに圧力をかけられていた商人たちは、アストライア侯爵家というより大きな権力がバックにいることを知り、安心して再びノアたちとの取引を再開した。
ルナの鮮やかな情報戦により、アントニオの妨害工作は、ことごとく失敗に終わった。
「おのれ、小賢しい女め……!」
自分の仕掛けた罠が、ことごとく裏目に出る。アントニオの苛立ちは、頂点に達していた。彼は、もはや体面を保つことさえ放棄し、より直接的で、そして危険な手段に訴えることを決意する。
彼は、王都の裏社会に顔が利く悪徳商人と接触した。
「金はいくらでも払う。あの呪術師どもを、黙らせろ。屋敷に火を放つでも、闇討ちにするでも、好きにしろ。ただし、私の名が決して表に出ないようにやれ」
アントニオは、もはや音楽家ではなく、ただの犯罪者の顔をしていた。
その夜。【ノアの箱舟】が拠点とする邸宅は、静寂に包まれていた。
ノアは、工房で新しい道具の設計図を描き、エリオは書庫で古文書の研究に没頭している。ルナとアンナは、明日の予定について話し合っていた。
その時、屋敷の庭で素振りをしていたクロエが、ぴたりと動きを止めた。
「……」
彼女は、大剣を握りしめたまま、屋敷を囲む高い塀の向こうを睨みつける。風の音、虫の音、その奥に潜む、複数の殺気。肌を刺すような、粘りつく悪意。
ほぼ同時に、書庫にいたエリオも、研究の手を止めた。
「どうやら、招かれざる客が来たようだ」
彼は窓の外を見つめ、指先で小さく魔法陣を描く。屋敷の周囲に張られた、彼の探知結界が、複数の侵入者の存在を明確に告げていた。
クロエは静かに店の中に戻り、皆に告げた。
「十人以上いる。どいつも、血の匂いに慣れた連中だ」
「どうやら、話し合いで解決する気はないようだな」
ルナが、冷たく言い放った。
ノアは、設計図を描いていたペンを置くと、静かに立ち上がった。その瞳には、かつてのような恐怖や戸惑いはない。大切な仲間と、自分たちの居場所を脅かす者に対する、静かな怒りの炎が灯っていた。
「迎え撃とう。僕たちのやり方で」
ノアの言葉に、仲間たちは力強く頷いた。
塀の向こうでは、アントニオに雇われたごろつき達が、互いに顔を見合わせ、ほくそ笑んでいた。相手は、ただの呪術師と数人の女子供。赤子の手をひねるような簡単な仕事だ、と。
彼らはまだ知らない。自分たちが踏み込もうとしているのが、ただの邸宅ではなく、規格外の力を持つ者たちが守る、難攻不落の「箱舟」であることを。静かな夜の闇の中、戦いの火蓋が、切って落とされようとしていた。
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