捨てられ王女ですが、もふもふ達と力を合わせて最強の農業国家を作ってしまいました

夏見ナイ

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第三十二話 賢者の森へ

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『賢者の森』。その名が告げられた瞬間、ログハウスの中は水を打ったように静まり返った。希望の光が差し込んだはずの皆の顔に、再び深い絶望の影が落ちる。

「け、賢者の森だと……?」
バルトの声が、かすかに震えていた。元傭兵である彼は、その森にまつわる数々の不吉な噂を誰よりもよく知っている。
「人間を拒絶するエルフの森……一度足を踏み入れた者は、二度と生きては戻れぬという魔境じゃねえか。そんな場所に、どうやって……」

彼の言葉が、皆の心を代弁していた。賢者の森は、あまりにも遠く、そしてあまりにも危険な場所だった。病を治す唯一の希望が、決して手の届かない場所にある。その事実は、村人たちに新たな無力感を突きつけた。

重苦しい沈黙が、部屋を支配する。誰もが俯き、言葉を失っていた。このまま、私たちはエデンと共に、ゆっくりと朽ち果てていくしかないのか。

その絶望的な空気を切り裂いたのは、凛とした一つの声だった。
「私が行きます」

声の主は、私だった。私は静かに立ち上がり、不安げな顔をする仲間たち一人一人を見渡した。私の瞳に、迷いはなかった。
「私が行って、必ず月雫草を持ち帰ります。エデンを、皆さんを救うためなら、どんな危険な場所へでも行きます」

それは、女王としての命令ではなく、仲間を救いたいと願う、一人の少女の魂の叫びだった。

私の宣言に、皆ははっと顔を上げた。しかし、すぐに心配の声が上がる。
「なりません、女王陛下!貴女様お一人で行かせるなど!」
「危険すぎます!」

その声を押しのけるように、ギルバートが音もなく私の隣に立った。彼は、まるでそれが世界の真理であるかのように、静かに、しかし揺るぎない声で言った。
「無論、私もお供します。アリシア様が行かれる場所に、私がいないなどということはあり得ません」
彼の黄金の瞳は、私だけをまっすぐに見つめていた。その眼差しは、どんな困難も二人でなら乗り越えられると、雄弁に物語っていた。

『我モ行ク』
私の足元で、フェンが力強く一声鳴いた。彼の蒼い瞳もまた、覚悟を決めた輝きを宿している。

私と、ギルバートと、フェン。
この三人で始まった辺境での生活。原点に戻り、私たちは再び、エデンの未来を切り拓くための旅に出るのだ。

私たちの揺るぎない決意を見て、村人たちの顔から次第に絶望の色が消えていった。代わりに宿ったのは、私たちに全てを託すという、悲壮なまでの覚悟だった。

「……分かりました」
バルトが、深々と頭を下げた。
「女王陛下とギルバート様が行かれるというのなら、俺たちが止める権利はねえ。ですが、約束してください。必ず、ご無事で帰ってくると」
「ええ。約束します」
私は、力強く頷いた。

旅立ちの日は、三日後と決まった。時間は残されていない。私たちは、すぐに出発の準備に取り掛かった。

村は、再び活気を取り戻した。それは、病が治ったからではない。皆が、自分たちのやるべきことを見つけたからだ。
「女王陛下が安心して旅に出られるように、俺たちがこのエデンを死守する!」
バルトの檄に、まだ動ける男たちは力強く応え、村の警備体制を徹底的に見直し始めた。

ガンツは、黙々と鍛冶場で槌を振るっていた。彼は、私たちのために特別な旅の装備を作ってくれていたのだ。ミスリル合金で作られた、驚くほど軽量でありながら頑丈な水筒と調理器具。そして、どんな獣の皮でも切り裂ける、切れ味鋭いサバイバルナイフ。
「嬢ちゃん。これを持っていけ。ワシの魂を込めた逸品だ。必ず、お前さんたちの助けになる」
彼はそう言って、完成した装備を私に手渡してくれた。その瞳は、いつになく優しかった。

リーナと女性たちは、保存食の準備に追われていた。栄養価が高く、携帯しやすい干し肉や乾燥果実。そして、私が森で見つけた薬草を調合した、解熱剤や傷薬。
「アリシア様、どうか、ご無理だけはなさらないでくださいね」
彼女は、私の手を握りしめ、涙ながらにそう言った。

村の誰もが、私たちを信じ、私たちの無事を祈り、そして自分たちの役目を懸命に果たそうとしていた。病に苦しむ者たちでさえ、ベッドの中から弱々しい声で私たちにエールを送ってくれた。
エデンは、再び一つになろうとしていた。

出発を明日に控えた夜、私は一人、ログハウスの外で星空を見上げていた。明日から始まる未知の旅への不安が、静かな夜の闇の中で胸に広がる。私がいない間、村は本当に大丈夫だろうか。もし、薬草が手に入らなかったら……。

「眠れませんか」
いつの間にか、ギルバートが隣に立っていた。彼は、温かいハーブティーの入ったカップを、そっと私に手渡してくれた。
「少し、不安で……」
私が正直な気持ちを打ち明けると、彼は穏やかに微笑んだ。

「貴女様は、ご自分が思っている以上に、皆から信頼され、愛されていますよ。そして、貴女様が信じている以上に、エデンの民は強い。貴女様が築き上げたこの国と、民の力を、信じてあげてください」
彼の言葉が、冷えた私の心をじんわりと温める。

「それに」
彼は続けた。その声は、夜の静寂の中で、ひときわ優しく響いた。
「貴女様は一人ではありません。私がいます。何があろうと、この身に代えても貴女様をお守りします。だから、何も心配なさらず、前だけを見て進んでください」

彼は、私の頭にそっと手を置いた。その大きな手のひらから伝わる温もりが、私の不安を全て溶かしていくようだった。
「……ありがとう、ギルバート。あなたがいるから、私は頑張れます」

夜明け前。空が白み始めた頃、私たちは静かに出発しようとした。しかし、ログハウスの扉を開けると、そこにはエデンの民が全員、静かに集まっていた。病で動けない者も、誰かに肩を借りてここまで来ていた。

彼らは何も言わなかった。ただ、私たちをまっすぐに見つめ、その瞳に全ての祈りと希望を込めて、深く頭を下げた。

その無言の見送りが、どんな言葉よりも私たちの胸を打った。
私は、皆の顔を一人一人目に焼き付けると、力強く頷いた。
「行ってきます」

ギルバートとフェンを両脇に従え、私は東へと向かって歩き出した。
私たちの背中に、エデンの民全員の想いが、温かく降り注いでいる。
この想いに応えるためにも、私たちは必ず、目的を果たしてこの場所へ帰ってくるのだ。

賢者の森への、長く険しい旅が、今、始まった。
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