この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~

夏見ナイ

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第4話 仕組まれた罪

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大聖堂の重い扉が閉ざされ、俺は儀式の舞台から完全に隔絶された。聖堂内からは、幾重にも重なった荘厳な聖歌が、壁を隔ててくぐもって聞こえてくる。俺は裏方の通路に立ち、ただその音に耳を澄ませることしかできなかった。

胸騒ぎが止まらない。ゲオルグのあの不気味な笑みが、脳裏に焼き付いて離れなかった。彼が何かを企んでいるのは間違いない。そしてその企みは、間違いなく俺を陥れるためのものだ。

「ルーク、突っ立っていないで手を動かせ!」
「は、はい!」

先輩神官に怒鳴られ、俺は我に返った。今は儀式が終わった後の片付けの準備をしているところだった。山と積まれた銀食器を、一枚一枚布で拭いていく。単純な作業が、今はありがたかった。余計なことを考えずに済む。

聖歌が一段と高らかになった。儀式がクライマックスに近づいている証拠だ。次代の聖女が、今まさに選ばれようとしている。候補者は三人。いずれも貴族の名門から選ばれた、敬虔で魔力の高い少女たちだ。

彼女たちが一人ずつ、祭壇の中央に進み出る。そして、神官長が「清めの聖水」をその身に注ぐ。女神に認められし者であれば、聖水は七色の光を放ち、その魂の清らかさを証明するという。

一人目の少女の名前が呼ばれたのが聞こえた。緊張と興奮が、扉の向こうからでも伝わってくるようだった。俺は無意識のうちに、食器を拭く手を止めていた。

どうか、何事もありませんように。俺の不安が、ただの杞憂でありますように。

しかし、その祈りは無情にも打ち砕かれた。

「――なっ!?」

聖堂の中から、誰かの驚愕の声が漏れ聞こえてきた。一瞬の静寂。続いて、抑えきれないどよめきが波のように広がっていくのが分かった。

何かが起きた。

俺は持っていた銀皿を取り落としそうになる。ガチャンという金属音が響き、再び先輩神官の怒声が飛んだ。だが、今の俺にはそれすら聞こえていなかった。

どよめきは、やがて悲鳴に変わった。少女の甲高い泣き声。人々の怒号。祝福に満ちるはずだった神聖な空間は、一瞬にして混沌の坩堝と化した。

一体、何が。

その時、聖堂の扉が乱暴に開け放たれた。血相を変えた聖騎士が飛び出してくる。

「何事だ!」
「儀式が……儀式が穢された!」

通路にいた誰もが、息を呑んだ。

「清めの聖水が、泥水に変わっていたのだ!聖女候補者様が、その汚水を浴びせられて……!」

泥水。その言葉を聞いた瞬間、俺は全身の血が凍り付くのを感じた。まさか。そんなはずは。

「誰がやった!聖水を運んだのは誰だ!」

聖騎士の怒りに満ちた目が、通路にいる者たちを睨めつける。俺は動けなかった。体が石になったように、その場に縫い付けられてしまった。

俺の隣にいた先輩神官が、恐る恐る口を開いた。

「そ、それは……ルークです。彼が、地下の聖水庫から運びました」

全ての視線が、俺に集中した。疑いと、敵意と、侮蔑の色を帯びた視線。数日前、ゲオルグが広場で俺を糾弾した時の光景がフラッシュバックする。

「ルークだと……?あの『泥水神官』か!」

聖騎士の目が、獲物を見つけた肉食獣のように細められた。

「貴様だな!貴様が聖水をすり替えたのか!」
「ち、違います!俺は何も……!」
「黙れ!言い訳は神官長様の前で聞く!連れて行け!」

有無を言わさず、俺の両腕を屈強な聖騎士たちが掴んだ。抵抗などできるはずもない。俺はまるで罪人のように引きずられ、大混乱の渦中にある大聖堂の中へと連行された。

聖堂の中は、地獄のような光景だった。着飾った貴族たちが、うろたえながら右往左往している。祭壇の前では、泥水を浴びて汚れたドレスのまま泣きじゃくる少女を、他の神官たちが慰めていた。

そして、祭壇の中央。そこには、俺が運んだ樫の木の樽が置かれていた。蓋が開け放たれたその樽から漂ってくるのは、紛れもない、あの土の香り。俺が毎日嗅いでいる、俺の聖水と同じ匂いだった。

「ルーク・アークライト!よくもこのような真似を!」

神官長が、かつてないほど厳しい表情で俺を睨みつけていた。その手には聖杯が握られており、中には茶色く濁った液体がなみなみと注がれている。

「弁解の言葉があるか!」
「違います!俺は、断じてこのようなことはしておりません!確かに俺が運びましたが、途中で……」

途中で、ゲオルグ様に会いました。彼が、樽に何かをしたのかもしれない。そう叫ぼうとした時だった。

「神官長!お待ちください!」

群衆の中から、ゲオルグが声高に叫びながら進み出た。彼の顔には、深い悲しみと怒りが浮かんでいる。完璧なまでの、正義の神官の仮面だった。

「皆様!この男の嘘に耳を貸してはなりません!この男こそが、神聖なる儀式を穢した張本人なのです!」

ゲオルグは俺を指さし、集まった人々に向かって演説を始めた。

「私は見ました!この男が聖水を運んでいる最中、何かを企むような邪悪な目をしておりました!私は声をかけ、儀式の大切さを説いたのですが、この男は生返事をするばかり!きっと、その時からこの冒涜的な計画を練っていたに違いありません!」

嘘だ。全てが、でっち上げだ。だが、彼の言葉は、混乱した人々の心に巧みに入り込んでいく。

「それに皆様、ご存知でしょう!この男が普段からどのような聖水を作っているのかを!そう、まさしくこのような、泥のごとき汚れた水を!」

ゲオルグの言葉に、人々は頷き始める。数日前の広場での一件が、効果的な伏線として機能していた。俺が悪者であるという印象は、すでに人々の心に刷り込まれていたのだ。

「神官長様!どうか、この樽に残った聖水をご確認ください!」

促され、神官長は恐る恐る樽の中を覗き込んだ。そして、絶望に顔を歪めた。

「……なんということだ。この匂い、この濁り……間違いなく、ルークの作る聖水と同じものだ」

その一言が、決定打だった。神官長の言葉は、何よりも重い。俺の唯一の味方だったはずの彼でさえ、この状況では俺を信じることができなかった。

「そんな……神官長様……」
「黙れ、この裏切り者めが!」

聖騎士の一人が、俺の腹に拳を叩き込んだ。

「ぐっ……!」

息が詰まり、俺はその場に膝から崩れ落ちた。

「神をも恐れぬ所業!万死に値するぞ!」
「聖女様になんてことを!」
「大神殿から叩き出せ!」

貴族たちからも、罵声が飛んでくる。もう、誰も俺の言葉を聞こうとはしなかった。俺は完全に孤立無援だった。

俺は霞む視界の中、勝ち誇ったように俺を見下ろすゲオルグの顔を見た。彼の口元が、誰にも気づかれないように、ほんのわずかに歪む。その嘲笑が、俺の心を完全に打ち砕いた。

仕組まれていた。全ては、この瞬間のために。俺を大神殿から追い出すための、完璧な筋書き。俺はまんまと、その罠に嵌められたのだ。

悔しさよりも、深い絶望が俺を支配した。もう、どうでもいい。何を言っても、無駄だ。俺の声は、誰にも届かない。

「ルーク・アークライトを捕らえよ!地下牢へ入れておけ!」

神官長の苦渋に満ちた命令が、聖堂に響き渡った。聖騎士たちが、再び俺の腕を掴み、乱暴に引きずる。床に広がる、清めの聖水だったはずの茶色いシミ。それは、俺の絶望そのものの色をしていた。

引きずられていく俺の耳に、ゲオルグの囁き声が届いた。

「言ったはずだ、泥水神官。お前のような存在は、大神殿の恥だと。……さあ、消え失せろ」

それが、俺がこの場所で聞いた最後の言葉だった。
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