この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~

夏見ナイ

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第8話 瀕死の少女

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ミストラル村での最初の朝は、壁の隙間から差し込む冷たい光と共にやってきた。干し草のベッドは思ったよりも暖かかったが、体中が痛む。俺はゆっくりと身を起こし、静まり返った納屋を見渡した。孤独と、先の見えない不安が、朝霧のように心を覆っていた。

まずは食料の確保だ。バルトロにもらった銅貨で、村の誰かからパンか何かを分けてもらう必要がある。俺はポーチに残っていた泥水を一口飲み、顔をしかめた。相変わらず不味いが、空腹と渇きが少しだけ紛れる。これも一つの効能かもしれない。

納屋を出て、村の中心へと向かう。朝の村は、昨日見た昼間の姿よりもさらに静かで、まるで時間が止まっているかのようだった。家々の煙突から立ち上る煙も心なしか弱々しい。

村を歩くうちに、俺は異様な雰囲気に気づいた。静かすぎるのだ。鳥のさえずりも、子供のはしゃぐ声も聞こえない。聞こえてくるのは、家の中から漏れる、押し殺したような咳の音や、苦しそうな呻き声だけだった。

村人たちの顔色も、昨日見た時よりさらに暗い。井戸端に集まっていた数人の女性は、ひそひそと何かを話していたが、俺の姿を認めるとぴたりと口を閉ざし、足早に散っていった。彼らの目には、警戒心だけでなく、深い疲労と絶望の色が浮かんでいた。

何かがおかしい。この村は、ただ寂れているだけではない。何か、重い病のようなものに蝕まれている。

俺がどうしたものかと思案していると、村長の家の方から、女性の嗚咽が聞こえてきた。駆け寄ってみると、家の前で一人の女性が地面に膝をつき、泣き崩れていた。昨日見た村長が、厳しい顔でその肩をさすっている。

「……もう、だめです。お義父さん。エリアナの熱が、ちっとも下がらなくて」
「馬鹿を言うな。あきらめるな、マルタ」

村長の声は厳しかったが、その手はかすかに震えていた。

「薬師様は、来てくださらなかった。町の薬も、高くて私たちには……。あの子、昨日の夜から、息をするのも苦しそうで……!」

マルタと呼ばれた女性は、顔を覆ってしゃくり上げた。エリアナ。それが、苦しんでいる子の名前らしい。

「村の他の者たちも、同じ病で苦しんでおる。今、我らにできることは、女神に祈ることだけだ」

村長はそう言って天を仰いだが、その表情は神に救いを求める者のそれではなく、ただ運命を呪うかのように歪んでいた。

どうやら、この村では流行り病が蔓延しているらしい。そして、薬師もおらず、有効な治療法もないまま、人々はただ苦しんでいる。俺は物陰からその光景を見て、自分の無力さを痛感していた。

俺は、元神官だ。大神殿では、施療院で治療の手伝いもした。薬草学の基礎も学んだ。だが、それはあくまで高位神官の補助としての知識。俺一人で病を診断し、治療することなどできはしない。ましてや、今の俺は神官ですらない。ただの無力な男だ。

俺が動けずにいると、村長が俺の視線に気づいた。彼はマルタを家の中に入るよう促すと、険しい顔で俺の方へ歩いてきた。

「……見ていたのか」
「申し訳、ありません。その、何か手伝えることはないかと」

思わず口から出た言葉に、村長は鼻で笑った。

「手伝うだと?あんたのようなよそ者に、何ができる。病がうつるのが嫌なら、さっさとこの村から出ていくんだな」

冷たく突き放すような言葉。だが、その奥に、助けを求めるような悲痛な響きを感じたのは、俺の思い過ごしだろうか。

「……流行り病なのですか」
「そうだ。二週間ほど前から、咳と熱を出す者が増え始めた。最初はただの風邪だと思っていた。だが、日に日に症状は重くなり、今では村の半数近くが床に伏せっている。特に、体力の弱い子供と年寄りが危ない」

村長は苦々しげに吐き捨てた。彼の言葉の一つ一つが、村を覆う絶望の重さを物語っていた。

「エリアナ……孫娘は、一番最初に病にかかった。もう十日も、高熱にうなされ続けている。町の医者も、こんな辺境まで来ることなど面倒なだけ。我らは、見捨てられたのだ」

自嘲するような笑みを浮かべる村長の顔は、深い無力感に彩られていた。リーダーとして村をまとめなければならない責任感と、愛する孫を救えない苦しみが、彼の心を苛んでいるのが痛いほど伝わってくる。

俺は何も言えなかった。どんな慰めの言葉も、この状況では空虚に響くだけだ。大神殿で「泥水神官」と罵られていた時よりも、今の自分の方がよほど役立たずだと感じた。あの頃は、少なくとも運び屋としての役割はあった。だが、今はどうだ。目の前で苦しむ人々を前に、ただ立ち尽くすことしかできない。

人を救いたい。その一心で神官になったはずなのに。俺は、何一つ成し遂げられないのか。師匠の言葉が、脳裏で虚しく反響する。「お前の力は、いつか多くの人を救う力になる」。嘘だ。そんなもの、全て嘘だったじゃないか。

「……用がないなら、うろつくな。村の者が不安がる」

村長はそれだけ言うと、背を向けて自分の家の中へ消えていった。扉が閉まる直前、家の中から、少女のか細く苦しげな呼吸の音が聞こえた気がした。

俺はその場にしばらく立ち尽くしていた。西の空が赤く染まり始め、村に長い影を落とす。俺は結局、村人からパンを分けてもらうこともできず、とぼとぼと納屋への道を戻った。

納屋に戻っても、エリアナという少女の苦しそうな呼吸が耳について離れなかった。俺はポーチから泥水の小瓶を取り出し、じっと見つめる。

これは、ただの泥水だ。浄化の力もなく、人を不快にさせるだけの代物。

だが、もし。万が一。

この役立たずの泥水に、俺の知らない何かが隠されているとしたら。ほんのわずかでも、可能性があるのなら。

いや、何を馬鹿なことを考えている。儀式を穢した、呪われた水だ。下手に使えば、少女の症状を悪化させるだけかもしれない。俺は自分の突飛な考えを打ち消すように、頭を振った。

できることなど、何もない。俺は無力なのだ。その事実が、重い枷となって俺の心を縛り付けていた。

夜が来て、納屋は完全な闇に包まれた。遠くから、狼の遠吠えが聞こえる。俺は干し草にくるまり、目を閉じた。だが、眠ることはできなかった。エリアナという、顔も知らない少女の命が、今まさに消えようとしている。その事実が、鉛のように重くのしかかってくる。

俺は神官失格だ。いや、人としても失格なのかもしれない。救えるかもしれない命を見過ごそうとしているのだから。俺は暗闇の中で、ただ自分の無力さに打ちひしがれることしかできなかった。
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