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第18話 村の小さな脅威
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味改善の大失敗から数週間。俺の『奇跡の泥水亭』は、相変わらず不味いポーションを物々交換で提供し続け、すっかり村の日常に溶け込んでいた。村人たちは健康になり、再生した畑からは「太陽の実」をはじめとする作物が順調に育ち、ミストラル村は目に見えて活気を取り戻していた。
俺自身も、この穏やかな生活に心からの満足を感じていた。朝はエリアナの「おはよー!」という声で始まり、日中は村人たちと他愛もない話をしながらポーションを渡し、夜はもらった食材で料理を作る。大神殿にいた頃の、息の詰まるような日々が嘘のようだ。
そんな平穏なある日、店のカウンターで薬草の整理をしていると、一人の農夫が深刻な顔で訪ねてきた。トムの怪我の時に付き添っていた、気のいい若者だ。
「ルーク様、ちょっとご相談が……」
「どうかなさいましたか?顔色が優れませんが」
俺が声をかけると、彼はカウンターに一枚の葉っぱを置いた。それは瑞々しい緑色のはずの「太陽の実」の葉だったが、端の方が何者かにかじられたように、ギザギザになっていた。
「実は、ここ数日、畑の作物が荒らされる被害が出ているんです」
「畑が?……猪か何かですか?」
「いえ、それが違うようなんです。足跡が小さくて、どうもネズミのようで……」
農夫は言葉を濁した。ネズミが畑を荒らすことは珍しくない。だが、彼の表情は、ただのネズミ被害にしては深刻すぎる。
「ただのネズミじゃないんです。とにかく、数が多くて、それに……どうも、普通のネズミより大きいような気がするんです」
話を聞くと、被害は夜のうちに発生し、日に日に拡大しているという。最初は数株だった被害が、昨夜は畑の一区画が全滅に近い状態になっていたらしい。村人たちが交代で見張りをしても、相手は素早く、暗闇に紛れてしまうため、正体をはっきりと確認できた者はいないという。
「このままでは、せっかくルーク様のおかげで実った作物が、収穫前に全てダメになってしまうかもしれません。何か、お知恵を拝借できないかと……」
農夫は、藁にもすがる思いで俺を頼ってきてくれたのだろう。だが、俺は困ってしまった。俺にできるのは、創生水を作ることだけ。魔物や害獣の討伐なんて、考えたこともなかった。
「……分かりました。一度、被害のあった畑を見せてもらえますか」
俺は店をエリアナに任せ(彼女は最近、すっかり看板娘として板についていた)、農夫と共に問題の畑へ向かった。
畑の惨状は、話に聞いていた以上だった。収穫間近だった「太陽の実」の蔓が引きちぎられ、実が無残に食い散らかされている。地面には、無数の小さな足跡と、黒い糞のようなものが散らばっていた。
「これは、ひどいな……」
俺は足跡の一つをしゃがんで観察した。確かにネズミのものに似ている。だが、その大きさは普通の野ネズミの倍はあろうかという大きさだった。それに、数が尋常ではない。
「大ネズミ、と呼ばれる魔物の一種かもしれません」
俺の呟きに、農夫は青ざめた顔で頷いた。
「やはり、そうでしょうか。昔、爺様から聞いたことがあります。森の奥には、人を襲うほど大きなネズミがいると……」
大ネズミ(ジャイアントラット)。低級の魔物ではあるが、繁殖力が高く、群れで行動する。何より、病原菌を媒介するため、非常に厄介な存在だ。おそらく、村が豊かになったことで、その匂いに引き寄せられて森から下りてきたのだろう。
その日の夕方、村の広場に村長をはじめとする村の男たちが集まり、緊急の対策会議が開かれた。俺も意見を求められ、その輪に加わる。
「やはり、討伐するしかないだろう!」
「だが、相手は魔物だぞ!俺たちだけでどうにかなるのか?」
「町から冒険者を雇うか?いや、そんな金は……」
男たちの意見は紛糾した。ミストラル村には、猟師はいても魔物退治の専門家はいない。武器も、農具を改造した粗末な槍や棍棒くらいだ。正面から戦えば、怪我人が出ることは避けられないだろう。
「怪我なら、ルーク様が治してくださる!」
一人の若者がそう言ったが、俺は静かに首を振った。
「確かに、怪我は治せます。ですが、死んでしまっては、俺の力でもどうすることもできません。皆さんに、そんな危険なことはさせたくありません」
俺の言葉に、広場は重い沈黙に包まれた。
どうすればいい。戦わずに、この脅威を退ける方法はないものか。俺は腕を組み、必死に思考を巡らせた。罠を仕掛ける?毒餌を撒く?いや、毒は畑の作物に影響が出るかもしれない。
何か、俺の力でできることはないか。俺の、この創生水の力で……。
創生の力。生命を活性化させる力。
その言葉を頭の中で繰り返した瞬間、俺の中に一つの突飛なアイデアが閃いた。それは、あまりにも常軌を逸した、奇策と呼ぶべきものだった。
「……皆さん」
俺は、意を決して口を開いた。
「一つ、試してみたいことがあります。成功するかは分かりません。ですが、もしうまくいけば、誰一人傷つくことなく、ネズミたちを退治できるかもしれません」
「本当か、ルーク殿!?」
村長が、期待の眼差しで俺を見る。
「はい。ただし、少し準備が必要です。まず、村中のチーズと、それから……空になった酒樽を、できるだけ多く集めてください」
俺の突拍子もない要求に、村人たちはきょとんとした顔で顔を見合わせた。ネズミ退治に、チーズと酒樽?誰もが、その意図を測りかねているようだった。
「……分かった」
最初に沈黙を破ったのは、村長だった。彼は俺の目をじっと見つめ、その中に確かな光を見出したらしい。
「理由なぞ聞くまい。ルーク殿がそう言うのなら、そうするまでだ。いいな、皆の者!今すぐ、村中のチーズと酒樽を、ルーク殿の店に集めるんだ!」
村長の鶴の一声に、村人たちはまだ半信半疑ながらも、慌ただしく動き始めた。
俺は自分の店の前に立ち、暮れていく空を見上げた。俺の考えた作戦は、一種の賭けだ。もし失敗すれば、被害はさらに拡大するかもしれない。
だが、俺は自分の力の可能性を信じてみたかった。ただ癒すだけではない。その力を応用すれば、戦うことすら可能になるのではないか。
俺はポーチから創生水の小瓶を取り出し、その濁った液体を見つめた。
「頼むぞ、相棒」
俺は静かに呟くと、これから始まる前代未聞の魔物討伐作戦の準備に取り掛かった。夜の闇が、静かにミストラル村を包み込もうとしていた。
俺自身も、この穏やかな生活に心からの満足を感じていた。朝はエリアナの「おはよー!」という声で始まり、日中は村人たちと他愛もない話をしながらポーションを渡し、夜はもらった食材で料理を作る。大神殿にいた頃の、息の詰まるような日々が嘘のようだ。
そんな平穏なある日、店のカウンターで薬草の整理をしていると、一人の農夫が深刻な顔で訪ねてきた。トムの怪我の時に付き添っていた、気のいい若者だ。
「ルーク様、ちょっとご相談が……」
「どうかなさいましたか?顔色が優れませんが」
俺が声をかけると、彼はカウンターに一枚の葉っぱを置いた。それは瑞々しい緑色のはずの「太陽の実」の葉だったが、端の方が何者かにかじられたように、ギザギザになっていた。
「実は、ここ数日、畑の作物が荒らされる被害が出ているんです」
「畑が?……猪か何かですか?」
「いえ、それが違うようなんです。足跡が小さくて、どうもネズミのようで……」
農夫は言葉を濁した。ネズミが畑を荒らすことは珍しくない。だが、彼の表情は、ただのネズミ被害にしては深刻すぎる。
「ただのネズミじゃないんです。とにかく、数が多くて、それに……どうも、普通のネズミより大きいような気がするんです」
話を聞くと、被害は夜のうちに発生し、日に日に拡大しているという。最初は数株だった被害が、昨夜は畑の一区画が全滅に近い状態になっていたらしい。村人たちが交代で見張りをしても、相手は素早く、暗闇に紛れてしまうため、正体をはっきりと確認できた者はいないという。
「このままでは、せっかくルーク様のおかげで実った作物が、収穫前に全てダメになってしまうかもしれません。何か、お知恵を拝借できないかと……」
農夫は、藁にもすがる思いで俺を頼ってきてくれたのだろう。だが、俺は困ってしまった。俺にできるのは、創生水を作ることだけ。魔物や害獣の討伐なんて、考えたこともなかった。
「……分かりました。一度、被害のあった畑を見せてもらえますか」
俺は店をエリアナに任せ(彼女は最近、すっかり看板娘として板についていた)、農夫と共に問題の畑へ向かった。
畑の惨状は、話に聞いていた以上だった。収穫間近だった「太陽の実」の蔓が引きちぎられ、実が無残に食い散らかされている。地面には、無数の小さな足跡と、黒い糞のようなものが散らばっていた。
「これは、ひどいな……」
俺は足跡の一つをしゃがんで観察した。確かにネズミのものに似ている。だが、その大きさは普通の野ネズミの倍はあろうかという大きさだった。それに、数が尋常ではない。
「大ネズミ、と呼ばれる魔物の一種かもしれません」
俺の呟きに、農夫は青ざめた顔で頷いた。
「やはり、そうでしょうか。昔、爺様から聞いたことがあります。森の奥には、人を襲うほど大きなネズミがいると……」
大ネズミ(ジャイアントラット)。低級の魔物ではあるが、繁殖力が高く、群れで行動する。何より、病原菌を媒介するため、非常に厄介な存在だ。おそらく、村が豊かになったことで、その匂いに引き寄せられて森から下りてきたのだろう。
その日の夕方、村の広場に村長をはじめとする村の男たちが集まり、緊急の対策会議が開かれた。俺も意見を求められ、その輪に加わる。
「やはり、討伐するしかないだろう!」
「だが、相手は魔物だぞ!俺たちだけでどうにかなるのか?」
「町から冒険者を雇うか?いや、そんな金は……」
男たちの意見は紛糾した。ミストラル村には、猟師はいても魔物退治の専門家はいない。武器も、農具を改造した粗末な槍や棍棒くらいだ。正面から戦えば、怪我人が出ることは避けられないだろう。
「怪我なら、ルーク様が治してくださる!」
一人の若者がそう言ったが、俺は静かに首を振った。
「確かに、怪我は治せます。ですが、死んでしまっては、俺の力でもどうすることもできません。皆さんに、そんな危険なことはさせたくありません」
俺の言葉に、広場は重い沈黙に包まれた。
どうすればいい。戦わずに、この脅威を退ける方法はないものか。俺は腕を組み、必死に思考を巡らせた。罠を仕掛ける?毒餌を撒く?いや、毒は畑の作物に影響が出るかもしれない。
何か、俺の力でできることはないか。俺の、この創生水の力で……。
創生の力。生命を活性化させる力。
その言葉を頭の中で繰り返した瞬間、俺の中に一つの突飛なアイデアが閃いた。それは、あまりにも常軌を逸した、奇策と呼ぶべきものだった。
「……皆さん」
俺は、意を決して口を開いた。
「一つ、試してみたいことがあります。成功するかは分かりません。ですが、もしうまくいけば、誰一人傷つくことなく、ネズミたちを退治できるかもしれません」
「本当か、ルーク殿!?」
村長が、期待の眼差しで俺を見る。
「はい。ただし、少し準備が必要です。まず、村中のチーズと、それから……空になった酒樽を、できるだけ多く集めてください」
俺の突拍子もない要求に、村人たちはきょとんとした顔で顔を見合わせた。ネズミ退治に、チーズと酒樽?誰もが、その意図を測りかねているようだった。
「……分かった」
最初に沈黙を破ったのは、村長だった。彼は俺の目をじっと見つめ、その中に確かな光を見出したらしい。
「理由なぞ聞くまい。ルーク殿がそう言うのなら、そうするまでだ。いいな、皆の者!今すぐ、村中のチーズと酒樽を、ルーク殿の店に集めるんだ!」
村長の鶴の一声に、村人たちはまだ半信半疑ながらも、慌ただしく動き始めた。
俺は自分の店の前に立ち、暮れていく空を見上げた。俺の考えた作戦は、一種の賭けだ。もし失敗すれば、被害はさらに拡大するかもしれない。
だが、俺は自分の力の可能性を信じてみたかった。ただ癒すだけではない。その力を応用すれば、戦うことすら可能になるのではないか。
俺はポーチから創生水の小瓶を取り出し、その濁った液体を見つめた。
「頼むぞ、相棒」
俺は静かに呟くと、これから始まる前代未聞の魔物討伐作戦の準備に取り掛かった。夜の闇が、静かにミストラル村を包み込もうとしていた。
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