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第六十七話:派閥の崩壊
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ベルナルドが蒔いた猜疑心の種は、アルフォンス派という痩せた土壌で恐るべき速さで成長した。夜会以降、派閥の貴族たちは互いを信じることができなくなり、その結束は砂の城のように脆く崩れ去っていった。
「あの将軍が、最近アッシュの息のかかった商人と会っていたらしい」
「いや、あの侯爵こそが裏切り者だ。彼の領地の税収が不自然に増えている」
アッシュの情報網は、そんな彼らの醜い足の引っ張り合いを面白おかしく収集していた。ベルナルドはアッシュの指示通り、その混乱をさらに煽るような偽情報を流し続けた。彼はもはや、弟の意のままに動く完璧な操り人形だった。
アルフォンスは、自らの派閥が内側から崩壊していく音をただ無力に聞いていることしかできなかった。かつて彼を慕っていた者たちの目は、今や疑いと敵意に満ちている。彼がいくら結束を呼びかけても、その声は誰にも届かなかった。
彼の感情は、「絶望」と「孤立感」、そしてアッシュに対する底なしの「憎悪」で黒く塗りつぶされていた。
『北風商会』の地下室。アッシュは、壁に貼られた相関図からアルフォンス派に属していた貴族たちの肖像画を、一枚、また一枚と剥がしていった。ある者はアッシュ側に寝返り、ある者は派閥から距離を置き、またある者は他の派閥へと鞍替えしていった。
「……見事なものね」
その光景を見ていたセレスティアが、感嘆とも呆れともつかない声で言った。
「あなたは一滴の血も流さずに、帝国で最大と言われた派閥をたった数ヶ月で壊滅させてしまった」
「まだだ」
アッシュは静かに首を横に振った。
「蛇は頭を完全に叩き潰さなければ、いずれまた蘇る。兄上がまだ息をしている限り、俺の復讐は終わらない」
アッシュの視線は、相関図の中央で孤立無援となっているアルフォンスの肖像画に注がれていた。
彼は兄に最後の一撃を与えるための、最終的な罠の準備を進めていた。
その罠の餌となったのは、金だった。
アッシュはベルナルドを通じて、アルフォンスに一つの情報を流させた。
それは、帝国の東の国境地帯で新たな魔石の鉱脈が発見されたという、偽の儲け話だった。
『その鉱脈の利権を、グランツ帝国のとある商人が狙っている。彼らと手を組めば莫大な富が得られるだろう。ただし、これは帝国法で禁じられている敵国との密貿易にあたる』
通常であれば、アルフォンスほどの男がこんな見え透いた儲け話に乗るはずはなかった。
だが今の彼は違った。派閥を失い資金源を断たれ、彼は精神的に追い詰められていた。一発逆転の機会を、喉から手が出るほど欲していたのだ。
彼の「焦り」と「強欲」が、正常な判断能力を麻痺させていた。
「……ベルナルド。この話、真か?」
アルフォンスは弟から伝えられた情報に疑いの目を向けながらも、その瞳の奥にはギラリとした欲望の光が宿っていた。
「真実です、兄上」
ベルナルドは、アッシュの脚本通り完璧な嘘をついた。
「この件を成功させれば、我々はミュラー卿を失った穴を埋め、派閥を立て直すことができます。危険は伴いますが、やる価値はありますぞ」
アルフォンスは数日間悩んだ。だが、アッシュが予測した通り、彼はついにその禁断の果実に手を伸ばすことを決意した。
彼はベルナルドを通じて、グランツ帝国の商人を名乗る男(もちろん、アッシュが雇った役者だ)と密会を重ね、密貿易の詳細を詰めていった。
その全てのやり取りは筒抜けだった。アッシュは、兄が自分の仕掛けた罠に一歩、また一歩と深く嵌っていく様を冷ややかに見つめていた。
そして、運命の取引の日。
アルフォンスは数名の腹心だけを連れ、お忍びで帝都を抜け出した。取引場所は、国境近くの寂れた宿場町。彼はそこでグランツの商人と落ち合い、金貨と魔石を交換する手はずになっていた。
深夜。宿場町の酒場の裏手で、取引は始まった。
アルフォンスは金貨が詰まった箱を差し出し、偽の商人は魔石が詰まっているという木箱を差し出した。
アルフォンスがその木箱に手をかけ、勝利を確信したその瞬間だった。
「そこまでだ、アルフォンス・フォン・ヴェルヘイム!」
周囲の闇の中から、松明の光と共に数十人の兵士たちが姿を現した。彼らが身につけていたのは、皇帝直属の監察府の紋章だった。
その先頭に立っていたのは、改革派のリーダー、キルヒアイスだった。
「なっ……!?」
アルフォンスは驚愕に目を見開いた。
「キルヒアイス! なぜお前がここに!」
「あなたを国家反逆罪の容疑で逮捕する」
キルヒアイスは冷徹に言い放った。
「敵国との密貿易は、帝国法において死罪に値する大罪。言い逃れはできませんぞ」
罠だ。全ては自分を陥れるための罠だった。
アルフォオンは、その事実を悟り絶望に顔を歪ませた。彼は偽の商人の顔を見た。男はアルフォンスに向かってにやりと笑うと、闇の中へと姿を消した。
アルフォンスの派閥は、完全に崩壊した。
いや、彼自身の手によって止めを刺されたのだ。
アッシュは兄の焦りと欲望を利用し、彼が自ら破滅の道を選ぶように完璧に誘導した。
『北風商会』の地下室。
アッシュは、キルヒアイスからの「捕縛成功」の報せを受け、チェス盤の上の白のキングの駒を静かに指で弾いた。
カツン、と乾いた音が響く。
「……チェックメイト」
その呟きは誰に聞かせるでもなく、静かな部屋に吸い込まれていった。
彼の長きにわたる兄への復讐。
その終わりを告げる、静かな、あまりにも静かな勝利宣言だった。
「あの将軍が、最近アッシュの息のかかった商人と会っていたらしい」
「いや、あの侯爵こそが裏切り者だ。彼の領地の税収が不自然に増えている」
アッシュの情報網は、そんな彼らの醜い足の引っ張り合いを面白おかしく収集していた。ベルナルドはアッシュの指示通り、その混乱をさらに煽るような偽情報を流し続けた。彼はもはや、弟の意のままに動く完璧な操り人形だった。
アルフォンスは、自らの派閥が内側から崩壊していく音をただ無力に聞いていることしかできなかった。かつて彼を慕っていた者たちの目は、今や疑いと敵意に満ちている。彼がいくら結束を呼びかけても、その声は誰にも届かなかった。
彼の感情は、「絶望」と「孤立感」、そしてアッシュに対する底なしの「憎悪」で黒く塗りつぶされていた。
『北風商会』の地下室。アッシュは、壁に貼られた相関図からアルフォンス派に属していた貴族たちの肖像画を、一枚、また一枚と剥がしていった。ある者はアッシュ側に寝返り、ある者は派閥から距離を置き、またある者は他の派閥へと鞍替えしていった。
「……見事なものね」
その光景を見ていたセレスティアが、感嘆とも呆れともつかない声で言った。
「あなたは一滴の血も流さずに、帝国で最大と言われた派閥をたった数ヶ月で壊滅させてしまった」
「まだだ」
アッシュは静かに首を横に振った。
「蛇は頭を完全に叩き潰さなければ、いずれまた蘇る。兄上がまだ息をしている限り、俺の復讐は終わらない」
アッシュの視線は、相関図の中央で孤立無援となっているアルフォンスの肖像画に注がれていた。
彼は兄に最後の一撃を与えるための、最終的な罠の準備を進めていた。
その罠の餌となったのは、金だった。
アッシュはベルナルドを通じて、アルフォンスに一つの情報を流させた。
それは、帝国の東の国境地帯で新たな魔石の鉱脈が発見されたという、偽の儲け話だった。
『その鉱脈の利権を、グランツ帝国のとある商人が狙っている。彼らと手を組めば莫大な富が得られるだろう。ただし、これは帝国法で禁じられている敵国との密貿易にあたる』
通常であれば、アルフォンスほどの男がこんな見え透いた儲け話に乗るはずはなかった。
だが今の彼は違った。派閥を失い資金源を断たれ、彼は精神的に追い詰められていた。一発逆転の機会を、喉から手が出るほど欲していたのだ。
彼の「焦り」と「強欲」が、正常な判断能力を麻痺させていた。
「……ベルナルド。この話、真か?」
アルフォンスは弟から伝えられた情報に疑いの目を向けながらも、その瞳の奥にはギラリとした欲望の光が宿っていた。
「真実です、兄上」
ベルナルドは、アッシュの脚本通り完璧な嘘をついた。
「この件を成功させれば、我々はミュラー卿を失った穴を埋め、派閥を立て直すことができます。危険は伴いますが、やる価値はありますぞ」
アルフォンスは数日間悩んだ。だが、アッシュが予測した通り、彼はついにその禁断の果実に手を伸ばすことを決意した。
彼はベルナルドを通じて、グランツ帝国の商人を名乗る男(もちろん、アッシュが雇った役者だ)と密会を重ね、密貿易の詳細を詰めていった。
その全てのやり取りは筒抜けだった。アッシュは、兄が自分の仕掛けた罠に一歩、また一歩と深く嵌っていく様を冷ややかに見つめていた。
そして、運命の取引の日。
アルフォンスは数名の腹心だけを連れ、お忍びで帝都を抜け出した。取引場所は、国境近くの寂れた宿場町。彼はそこでグランツの商人と落ち合い、金貨と魔石を交換する手はずになっていた。
深夜。宿場町の酒場の裏手で、取引は始まった。
アルフォンスは金貨が詰まった箱を差し出し、偽の商人は魔石が詰まっているという木箱を差し出した。
アルフォンスがその木箱に手をかけ、勝利を確信したその瞬間だった。
「そこまでだ、アルフォンス・フォン・ヴェルヘイム!」
周囲の闇の中から、松明の光と共に数十人の兵士たちが姿を現した。彼らが身につけていたのは、皇帝直属の監察府の紋章だった。
その先頭に立っていたのは、改革派のリーダー、キルヒアイスだった。
「なっ……!?」
アルフォンスは驚愕に目を見開いた。
「キルヒアイス! なぜお前がここに!」
「あなたを国家反逆罪の容疑で逮捕する」
キルヒアイスは冷徹に言い放った。
「敵国との密貿易は、帝国法において死罪に値する大罪。言い逃れはできませんぞ」
罠だ。全ては自分を陥れるための罠だった。
アルフォオンは、その事実を悟り絶望に顔を歪ませた。彼は偽の商人の顔を見た。男はアルフォンスに向かってにやりと笑うと、闇の中へと姿を消した。
アルフォンスの派閥は、完全に崩壊した。
いや、彼自身の手によって止めを刺されたのだ。
アッシュは兄の焦りと欲望を利用し、彼が自ら破滅の道を選ぶように完璧に誘導した。
『北風商会』の地下室。
アッシュは、キルヒアイスからの「捕縛成功」の報せを受け、チェス盤の上の白のキングの駒を静かに指で弾いた。
カツン、と乾いた音が響く。
「……チェックメイト」
その呟きは誰に聞かせるでもなく、静かな部屋に吸い込まれていった。
彼の長きにわたる兄への復讐。
その終わりを告げる、静かな、あまりにも静かな勝利宣言だった。
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