99 / 118
第101話:帝国の絶望
しおりを挟む
ガルニア帝国の歴史は、勝利の歴史だった。
建国以来、その強大な軍事力をもって大陸の覇者として君臨し続けてきた。帝国の民は、自分たちの国が世界で最も強く、そして最も偉大であると信じて疑わなかった。
その揺るぎないはずの神話が、たった二日で音を立てて崩れ去った。
北の国境要塞、ヴァルハラ。
帝国の誇る難攻不落の巨大要塞の城門に、敗残兵たちが雪崩のように殺到していた。
彼らの姿はもはや兵士のものではなかった。鎧を脱ぎ捨て、武器を放り出し、その目は恐怖と混乱で濁りきっている。誰もが亡霊に取り憑かれたかのように、意味不明な言葉を叫んでいた。
「怪物だ! 鉄の怪物が……!」
「空から……空から雷が……!」
「逃げろ! 悪魔が来るぞ!」
要塞の司令官は、そのあまりに異常な光景を前に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。王国領へと進軍していったはずの、五十万の威風堂々たる大軍はどこへ消えたのか。目の前にいるこの哀れな亡者の群れが、本当にあの帝国軍の成れの果てだというのか。
彼は、何が起きたのか全く理解できなかった。
僅かな手勢と共に命からがら逃げ延びたブルクハルト将軍もまた、同じだった。
彼は国境近くの砦の一室で、震える手で皇帝への報告書を綴ろうとしていた。だが、ペンは進まなかった。
何を書けばいいというのだ。
『我々は、馬のいらない鉄の戦車に蹂躙されました』
『雲の上から飛来する、見えない砲弾によって、司令部は蒸発しました』
『敵は、空飛ぶ銀色の船から、魔法の炎と刃を降らせてきました』
そんな報告、誰が信じるというのか。狂人の戯言として一笑に付されるだけだろう。
彼はペンを置き、力なく顔を覆った。
戦略、戦術、兵法の数々。彼がその生涯をかけて学び、そして実践してきた戦争の全て。それが全く通用しなかった。いや、通用しないどころか、何の意味もなさなかった。
まるで最新の攻城兵器を相手に、石斧で立ち向かう原始人のようだった。
自分たちが、いかに時代遅れで無力な存在であったか。
その冷徹な現実が、彼の歴戦の将軍としての誇りを粉々に打ち砕いていた。
「……我々は」
彼は絞り出すように呟いた。「……我々は、一体、何と戦っていたのだ……」
その問いに、答えられる者は誰もいなかった。
帝都では、断片的に届けられる敗報に激震が走っていた。
初め、皇帝も側近たちもその報告を信じようとはしなかった。
「何かの間違いであろう! 斥候の誤報か、あるいは王国の流言に違いない!」
だが、電信――王国側が意図的に帝国が傍受できる周波数で流した戦況報告――と、命からがら逃げ帰ってきた兵士たちの錯乱した証言が、その悪夢が紛れもない現実であることを彼らに突きつけた。
中央軍、壊滅。
東部方面軍、西部方面軍、共に崩壊。
総司令官、ブルクハルト将軍、行方不明(後に敗走が確認される)。
損害、推定三十万以上。
たった二日の出来事だった。
皇帝の執務室は、死のような沈黙に包まれていた。
将軍たちは顔面を蒼白にさせ、わなわなと震えている。宰相はもはや立っていることもできず、椅子に崩れ落ちていた。
「……なぜだ」
一人の将軍が呻くように言った。「なぜ、こうなった。我々には三倍の兵力が、大陸最強の竜騎士団が、いたはずではなかったのか……」
「竜騎士団は、飛び立つことすらできなかったと!」別の将軍が絶叫した。「例の銀色の船が、我らの竜が眠る渓谷の上空に現れ、天から雷を落とし、渓谷ごと全てを焼き尽くしてしまったのだ!」
「あの、リオ・アシュフォードという男……。奴は我々の全てを初めからお見通しだったのだ。我々がどこに兵を集め、どこに弱点があるのか。その全てを……」
彼らはようやく悟り始めた。
自分たちが戦っていた相手は、単に新しい兵器を持つ王国の軍隊などではなかったのだ、と。
それは自分たちの理解を、常識を、そして時代の物差しそのものを遥かに超越した、何か。
まるで未来からやってきた異質の存在。
皇帝は玉座で静かに目を閉じていた。
彼は他の誰よりも、この敗北の本質を理解していた。
これは戦術的な失敗などではない。
これは文明の敗北なのだ。
自分たちが何世紀もの間、積み上げてきた剣と馬と勇気の時代。
その全てが、リオ・アシュフォードというたった一人の男がもたらした鉄と蒸気と電気の時代の前に、あまりにもあっけなく陳腐なものとして葬り去られてしまった。
(我らが戦っていた相手は、王国軍ではなかった……)
皇帝は心の内で静かに、そして絶望的に呟いた。
(我らは、未来そのものと戦ってしまったのだ)
それは一個人の絶望ではなかった。
大陸の覇者として君臨し続けてきた、ガルニア帝国という一つの時代の終わりの絶望だった。
皇帝はゆっくりと目を開いた。その瞳から、かつての絶対者としての輝きは消え失せていた。
「……全軍に、伝えよ」
その声はひどくか細く、そして力なく響いた。
「残存兵力を全て、帝都周辺に集結させよ。……首都防衛戦の準備だ」
それは勝利を信じて疑わなかった覇者の言葉ではなかった。
ただ、滅びの時を少しでも引き延ばそうとする、敗者の最後の虚しい抵抗に過ぎなかった。
帝国の栄光の歴史は、今、この瞬間、事実上の終わりを告げたのだ。
建国以来、その強大な軍事力をもって大陸の覇者として君臨し続けてきた。帝国の民は、自分たちの国が世界で最も強く、そして最も偉大であると信じて疑わなかった。
その揺るぎないはずの神話が、たった二日で音を立てて崩れ去った。
北の国境要塞、ヴァルハラ。
帝国の誇る難攻不落の巨大要塞の城門に、敗残兵たちが雪崩のように殺到していた。
彼らの姿はもはや兵士のものではなかった。鎧を脱ぎ捨て、武器を放り出し、その目は恐怖と混乱で濁りきっている。誰もが亡霊に取り憑かれたかのように、意味不明な言葉を叫んでいた。
「怪物だ! 鉄の怪物が……!」
「空から……空から雷が……!」
「逃げろ! 悪魔が来るぞ!」
要塞の司令官は、そのあまりに異常な光景を前に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。王国領へと進軍していったはずの、五十万の威風堂々たる大軍はどこへ消えたのか。目の前にいるこの哀れな亡者の群れが、本当にあの帝国軍の成れの果てだというのか。
彼は、何が起きたのか全く理解できなかった。
僅かな手勢と共に命からがら逃げ延びたブルクハルト将軍もまた、同じだった。
彼は国境近くの砦の一室で、震える手で皇帝への報告書を綴ろうとしていた。だが、ペンは進まなかった。
何を書けばいいというのだ。
『我々は、馬のいらない鉄の戦車に蹂躙されました』
『雲の上から飛来する、見えない砲弾によって、司令部は蒸発しました』
『敵は、空飛ぶ銀色の船から、魔法の炎と刃を降らせてきました』
そんな報告、誰が信じるというのか。狂人の戯言として一笑に付されるだけだろう。
彼はペンを置き、力なく顔を覆った。
戦略、戦術、兵法の数々。彼がその生涯をかけて学び、そして実践してきた戦争の全て。それが全く通用しなかった。いや、通用しないどころか、何の意味もなさなかった。
まるで最新の攻城兵器を相手に、石斧で立ち向かう原始人のようだった。
自分たちが、いかに時代遅れで無力な存在であったか。
その冷徹な現実が、彼の歴戦の将軍としての誇りを粉々に打ち砕いていた。
「……我々は」
彼は絞り出すように呟いた。「……我々は、一体、何と戦っていたのだ……」
その問いに、答えられる者は誰もいなかった。
帝都では、断片的に届けられる敗報に激震が走っていた。
初め、皇帝も側近たちもその報告を信じようとはしなかった。
「何かの間違いであろう! 斥候の誤報か、あるいは王国の流言に違いない!」
だが、電信――王国側が意図的に帝国が傍受できる周波数で流した戦況報告――と、命からがら逃げ帰ってきた兵士たちの錯乱した証言が、その悪夢が紛れもない現実であることを彼らに突きつけた。
中央軍、壊滅。
東部方面軍、西部方面軍、共に崩壊。
総司令官、ブルクハルト将軍、行方不明(後に敗走が確認される)。
損害、推定三十万以上。
たった二日の出来事だった。
皇帝の執務室は、死のような沈黙に包まれていた。
将軍たちは顔面を蒼白にさせ、わなわなと震えている。宰相はもはや立っていることもできず、椅子に崩れ落ちていた。
「……なぜだ」
一人の将軍が呻くように言った。「なぜ、こうなった。我々には三倍の兵力が、大陸最強の竜騎士団が、いたはずではなかったのか……」
「竜騎士団は、飛び立つことすらできなかったと!」別の将軍が絶叫した。「例の銀色の船が、我らの竜が眠る渓谷の上空に現れ、天から雷を落とし、渓谷ごと全てを焼き尽くしてしまったのだ!」
「あの、リオ・アシュフォードという男……。奴は我々の全てを初めからお見通しだったのだ。我々がどこに兵を集め、どこに弱点があるのか。その全てを……」
彼らはようやく悟り始めた。
自分たちが戦っていた相手は、単に新しい兵器を持つ王国の軍隊などではなかったのだ、と。
それは自分たちの理解を、常識を、そして時代の物差しそのものを遥かに超越した、何か。
まるで未来からやってきた異質の存在。
皇帝は玉座で静かに目を閉じていた。
彼は他の誰よりも、この敗北の本質を理解していた。
これは戦術的な失敗などではない。
これは文明の敗北なのだ。
自分たちが何世紀もの間、積み上げてきた剣と馬と勇気の時代。
その全てが、リオ・アシュフォードというたった一人の男がもたらした鉄と蒸気と電気の時代の前に、あまりにもあっけなく陳腐なものとして葬り去られてしまった。
(我らが戦っていた相手は、王国軍ではなかった……)
皇帝は心の内で静かに、そして絶望的に呟いた。
(我らは、未来そのものと戦ってしまったのだ)
それは一個人の絶望ではなかった。
大陸の覇者として君臨し続けてきた、ガルニア帝国という一つの時代の終わりの絶望だった。
皇帝はゆっくりと目を開いた。その瞳から、かつての絶対者としての輝きは消え失せていた。
「……全軍に、伝えよ」
その声はひどくか細く、そして力なく響いた。
「残存兵力を全て、帝都周辺に集結させよ。……首都防衛戦の準備だ」
それは勝利を信じて疑わなかった覇者の言葉ではなかった。
ただ、滅びの時を少しでも引き延ばそうとする、敗者の最後の虚しい抵抗に過ぎなかった。
帝国の栄光の歴史は、今、この瞬間、事実上の終わりを告げたのだ。
30
あなたにおすすめの小説
赤ん坊なのに【試練】がいっぱい! 僕は【試練】で大きくなれました
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕の名前はジーニアス
優しい両親のもとで生まれた僕は小さな村で暮らすこととなりました
お父さんは村の村長みたいな立場みたい
お母さんは病弱で家から出れないほど
二人を助けるとともに僕は異世界を楽しんでいきます
ーーーーー
この作品は大変楽しく書けていましたが
49話で終わりとすることにいたしました
完結はさせようと思いましたが次をすぐに書きたい
そんな欲求に屈してしまいましたすみません
落ちこぼれ職人、万能スキルでギルド最強になります!
たまごころ
ファンタジー
ギルド最弱の鍛冶師レオンは、仲間に「役立たず」と笑われて追放された。
途方に暮れる彼の前に現れたのは、伝説の鍛冶書と、しゃべる鉄塊(?)。
鍛冶・錬金・料理・魔道具――あらゆるクラフトスキルを吸収する《創精鍛造》を極め、万能職人へと覚醒!
素材採取から戦闘まで、すべて自作で挑む“ものづくり異世界成り上がり譚”が今、始まる。
裏切った元仲間? 今さら後悔しても遅いぞ!
転生貴族の移動領地~家族から見捨てられた三子の俺、万能な【スライド】スキルで最強領地とともに旅をする~
名無し
ファンタジー
とある男爵の三子として転生した主人公スラン。美しい海辺の辺境で暮らしていたが、海賊やモンスターを寄せ付けなかった頼りの父が倒れ、意識不明に陥ってしまう。兄姉もまた、スランの得たスキル【スライド】が外れと見るや、彼を見捨ててライバル貴族に寝返る。だが、そこから【スライド】スキルの真価を知ったスランの逆襲が始まるのであった。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
薬師の名門ブレルスクに入学した私は、退学するまで暴れます。〜少年アレクの倫理で殴る学園ファンタジー〜
鮒捌ケコラ
ファンタジー
入学式から3週間目にして『退学」を言い渡された。
(早くない?RTAじゃないんだからさ。)
自分で言うのもアレだけど、入学してからは結構真面目に通ってた。
けど、どうやら教員の不況を買ってしまったらしい。
幸か不幸か、退学まで1週間の執行猶予が与えられた。
けど、今更どう足掻いても挽回する事は不可能だろうし、
そもそも挽回する気も起こらない。
ここまでの学園生活を振り返っても
『この学園に執着出来る程の魅力』
というものが思い当たらないからだ。
寧ろ散々な事ばかりだったな、今日まで。
それに、これ以上無理に通い続けて
貴族とのしがらみシミッシミの薬師になるより
故郷に帰って自由気ままな森番に復職した方が
ずっと実りある人生になるだろう。
私を送り出した公爵様も領主様も、
アイツだってきっとわかってくれる筈だ。
よし。決まりだな。
それじゃあ、退学するまでは休まず毎日通い続けるとして……
大人しくする理由も無くなったし、
これからは自由気ままに、我儘に、好き勝手に過ごす事にしよう。
せっかくだし、教員達からのヘイトをカンストさせるのも面白そうだ。
てな訳で………
薬師の名門ブレルスクに入学した私は、退学するまで暴れます。
…そう息巻いて迎えた執行猶予満了日、
掲示板に張り出された正式な退学勧告文を
確認しに行ったんだけど……
どういう事なの?これ。
最低最悪の悪役令息に転生しましたが、神スキル構成を引き当てたので思うままに突き進みます! 〜何やら転生者の勇者から強いヘイトを買っている模様
コレゼン
ファンタジー
「おいおい、嘘だろ」
ある日、目が覚めて鏡を見ると俺はゲーム「ブレイス・オブ・ワールド」の公爵家三男の悪役令息グレイスに転生していた。
幸いにも「ブレイス・オブ・ワールド」は転生前にやりこんだゲームだった。
早速、どんなスキルを授かったのかとステータスを確認してみると――
「超低確率の神スキル構成、コピースキルとスキル融合の組み合わせを神引きしてるじゃん!!」
やったね! この神スキル構成なら処刑エンドを回避して、かなり有利にゲーム世界を進めることができるはず。
一方で、別の転生者の勇者であり、元エリートで地方自治体の首長でもあったアルフレッドは、
「なんでモブキャラの悪役令息があんなに強力なスキルを複数持ってるんだ! しかも俺が目指してる国王エンドを邪魔するような行動ばかり取りやがって!!」
悪役令息のグレイスに対して日々不満を高まらせていた。
なんか俺、勇者のアルフレッドからものすごいヘイト買ってる?
でもまあ、勇者が最強なのは検証が進む前の攻略情報だから大丈夫っしょ。
というわけで、ゲーム知識と神スキル構成で思うままにこのゲーム世界を突き進んでいきます!
無属性魔法しか使えない少年冒険者!!
藤城満定
ファンタジー
「祝福の儀式」で授かった属性魔法は無属性魔法だった。無属性と書いてハズレや役立たずと読まれている属性魔法を極めて馬鹿にしてきた奴らの常識を覆して見返す「ざまあ」系ストーリー。
不定期投稿作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる