異世界デバッガー ~不遇スキル【デバッガー】でバグ利用してたら、世界を救うことになった元SEの話~

夏見ナイ

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第32話:夜陰の潜入と子爵の異変

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シャロンとの契約は成立した。依頼内容は、リューンの貴族、マルクス子爵が所有するという「呪われた遺物」の解析。成功報酬は金貨150枚と、俺が渇望する「特別な情報」。リスクは高いが、リターンも大きい。そして何より、俺の【デバッガー】スキルを試す絶好の機会だ。

「では、作戦を説明するわ」
シャロンは、隠れ家のテーブルに一枚の羊皮紙を広げた。そこには、マルクス子爵の屋敷の精密な見取り図が描かれている。おそらく、彼女の情報網によって入手したものだろう。

「ターゲットの遺物は、子爵の私室、その奥にある隠し金庫の中に保管されている可能性が高いわ。私たちが狙うのは、今夜。子爵が屋敷内を徘徊し始める、深夜の時間帯よ」

「侵入経路は?」俺は尋ねる。

「屋敷の警備は手薄ではないけれど、いくつか『穴』があるわ」シャロンは、見取り図の数箇所を指差す。「裏庭に面した古い倉庫。ここからなら、比較的容易に屋敷の内部に侵入できる。問題は、そこから子爵の私室まで、警備の目を掻い潜ってどう進むか、だけど……」

「そこは、俺に任せてください」俺は言う。「【デバッガー】スキルで、警備兵の巡回ルートや、監視の『バグ』……例えば、死角やセンサーの誤作動ポイントなどを見つけ出せるかもしれません」

「ほう、それは頼もしいわね」シャロンは口角を上げる。「私の【隠密】スキルと、あなたの『デバッグ・アイ』を組み合わせれば、鉄壁の警備網も突破できるかもしれないわね」

「それと、子爵本人に遭遇した場合ですが……」俺は懸念を口にする。「彼が『操られている』状態だとしたら、予期せぬ行動を取る可能性もあります。戦闘は避けたいですが……」

「ええ、可能な限り戦闘は避けるわ。私たちの目的は、あくまで遺物の解析。子爵本人に危害を加えるつもりはない」シャロンは頷く。「万が一、遭遇してしまった場合は、私が対処する。あなたは、自分の身を守ることに専念して」
彼女の言葉には、絶対的な自信が満ちている。元暗殺者としての実力は、伊達ではないのだろう。

作戦の概要を確認し、俺たちは潜入の準備を始めた。シャロンは、漆黒の革鎧の上から、さらに闇に溶け込むような黒いマントを羽織り、腰の短剣を入念に手入れしている。その動きには一切の無駄がなく、プロフェッショナルとしての冷徹さが漂う。

俺も、硬化レザーアーマーの上に、目立たない色の外套を羽織り、魔鋼のダガーを確かめる。シャロンから、気配を消す効果があるという特殊な軟膏を顔や手に塗るように指示された。ひんやりとした感触で、匂いはほとんどない。

準備を終え、俺たちは夜陰に紛れて隠れ家を出た。時刻は、既に真夜中を過ぎている。リューンの街は寝静まり、月明かりだけが石畳をぼんやりと照らしていた。

シャロンの先導で、俺たちは人目を避けながら、貴族街の一角にあるマルクス子爵の屋敷へと向かう。屋敷は高い塀に囲まれ、いくつかの窓からは明かりが漏れているが、全体的に静まり返っている。しかし、塀の上や門の周辺には、確かに警備兵の姿が見えた。

「ここからは、私の指示に従って」シャロンが、囁くように言う。「私のスキルで、一時的に彼らの注意を逸らすわ。その隙に、裏庭へ回り込むのよ」

彼女はそう言うと、懐から小さな金属球のようなものを取り出し、屋敷とは反対方向の路地に、音もなく投げ込んだ。数秒後、そちらの方角で、パァン!という乾いた破裂音と、閃光が走った。陽動だ。

警備兵たちが、一斉にそちらへ注意を向ける。
「今よ!」
シャロンの合図で、俺たちは素早く塀の影を走り抜け、裏庭へと続く、警備の手薄な箇所へと回り込んだ。

裏庭は、手入れが行き届いておらず、雑草が生い茂っている。月明かりの下、目的の古い倉庫が影のように佇んでいた。シャロンは、慣れた手つきで倉庫の鍵を特殊な道具(ピッキングツールだろう)で開け、音もなく中へと滑り込む。俺も後に続いた。

倉庫の中は、埃っぽく、古い家具やがらくたが積み上げられている。ここから屋敷本体へと繋がる扉があるはずだ。

「ここからは、あなたの『目』が頼りよ、ユズルさん」シャロンが囁く。「屋敷内部の警備状況、巡回ルート、罠の有無……分かる範囲で教えてくれる?」

「了解しました」
俺は【デバッガー】スキルを発動させ、意識を屋敷内部へと向ける。壁越しに情報を読み取るのは、スキルレベルが上がった今でも容易ではないが、集中すれば、ある程度の情報は得られるはずだ。

(……壁の向こうは廊下か。警備兵が一人、こちらへ向かって巡回中……あと30秒ほどで通過する。その先、階段付近に魔力感知式の罠が設置されている……ただし、感度にムラがあるな。特定のルートを通れば回避可能か……?)

俺は、読み取った情報をシャロンに伝える。
「警備兵が一人来ます。30秒後に通過。その後、廊下を進み、階段手前の右側の壁際を通れば、罠を回避できるはずです」

「……正確ね。まるで、中を見ているみたいだわ」シャロンは、感嘆とも呆れともつかない声を漏らす。「分かったわ。警備兵が通り過ぎたら、あなたの指示通りに進む」

息を殺して待つ。やがて、廊下を歩く足音が聞こえ、警備兵が倉庫の扉の前を通り過ぎていった。
「今です!」
俺の合図で、シャロンは音もなく扉を開け、屋敷の内部へと侵入する。俺も後に続いた。

屋敷の中は、外観とは裏腹に、豪華な調度品で飾られている。しかし、どこか陰鬱な空気が漂っているのは、気のせいではないだろう。俺は【デバッガー】で指示を出し、シャロンはその指示に従って、まるで影のように廊下を進んでいく。警備兵の死角を縫い、罠のバグポイントを正確に通過する。彼女の【隠密】スキルと、俺の【デバッガー】スキルによるナビゲーションは、完璧な連携を見せていた。

(すごい……本当に、鉄壁の警備を突破できそうだ)
この連携があれば、どんな場所にも潜入できるのではないか? そんな考えが頭をよぎる。

順調に進み、俺たちはついに目的の場所――マルクス子爵の私室がある階層へとたどり着いた。私室の扉の前には、他の場所よりも厳重な警備が敷かれているかと思ったが、意外にも人影はない。

「……妙ね。静かすぎるわ」シャロンが眉をひそめる。

俺は、扉とその周辺に【情報読取】を使う。
「扉には、物理的な鍵と、魔法的なロックがかかっています。ですが、解除はそれほど難しくなさそうです。警備兵の姿は見えません。ただし……」
俺は言葉を切る。扉の向こう、私室の中から、奇妙な気配を感じ取ったからだ。

「ただし……何?」

「……子爵本人が、中にいるようです。それも、かなり……不安定な状態で」

『対象:マルクス子爵
 分類:人間(貴族)
 状態:混乱、強い精神的負荷、未知の存在による精神干渉(高レベル)
 ステータス:Lv ??(通常時より低下?)、MP枯渇寸前
 備考:所有する『遺物』の影響により、精神が深刻に蝕まれている。自我を保つのが困難な状態。いつ暴走してもおかしくない。』

(精神干渉……やはり、遺物に操られているのか。しかも、かなり危険な状態だ)

「どうする? このまま突入する?」シャロンが問う。

「いえ、下手に刺激するのは危険です。まずは、彼を無力化するか、あるいは気を逸らす方法を探しましょう」

俺がそう言った、まさにその時だった。
扉の向こうから、うめき声のような、あるいは何かを呟くような声が聞こえてきた。そして、ゆっくりと、扉のノブが回り始めた。

(まずい! 出てくる!?)

俺とシャロンは、咄嗟に廊下の物陰に身を隠す。
ギィ……という音と共に、重厚な扉が開き、中から一人の人物が現れた。
痩せこけた身体、虚ろな目、乱れた髪。豪華な寝間着を纏ってはいるが、その姿はまるで亡霊のようだ。マルクス子爵本人だろう。

彼は、焦点の合わない目で廊下を左右に見回すと、ふらふらとした足取りで、俺たちが来た方向とは逆の、廊下の奥へと歩き始めた。その手には、何か黒い……箱のようなものを抱えている。あれが、例の「遺物」か?

『対象:呪われた遺物(仮称:精神汚染の匣?)
 分類:魔道具? アーティファクト?
 状態:活性化(高レベル)、強い精神汚染波動放出
 特性:所有者の精神に干渉・支配、負の感情を増幅、幻覚・幻聴誘発?
 備考:極めて危険な古代の遺物。直接触れる、あるいは長時間近くにいるだけで精神汚染を受ける可能性あり。内部構造・動作原理不明。複数の『バグ』を内包している可能性が高い。』

(……あれか! 間違いない。強烈な精神汚染の波動を感じる)
【情報読取】だけでも、その危険性がひしひしと伝わってくる。

「……追うわよ」シャロンが、低い声で囁いた。「彼がどこへ向かうのか、そしてあの遺物が何なのか、突き止める必要がある」

俺たちは、マルクス子爵に気づかれないように、慎重に距離を取りながら、その後を追跡し始めた。子爵は、まるで夢遊病者のように、屋敷の奥へ、奥へと進んでいく。その先にあるのは、屋敷の地下へと続く階段だった。

(地下……? 地下には何があるんだ?)

子爵は、ためらうことなく地下へと下りていく。俺たちも、息を潜めて後に続いた。
地下は、ひんやりとした石造りの通路になっており、壁には松明が取り付けられているが、その光は弱々しく、不気味な影を作り出している。

そして、通路の突き当たり。そこには、古びた鉄格子で閉ざされた、地下牢のような区画があった。
マルクス子爵は、その鉄格子の前で立ち止まり、抱えていた黒い匣をゆっくりと掲げた。そして、虚ろな声で、何かを呟き始めた。それは、聞いたことのない、不気味な響きを持つ言葉だった。

(……儀式か何かか? あの遺物を使って、何をしようとしているんだ?)

俺とシャロンは、物陰から息を殺してその様子を見守る。
子爵が言葉を紡ぐにつれて、黒い匣が禍々しい光を放ち始め、周囲の空気が重く、淀んでいくのを感じる。精神汚染の波動が、さらに強まっている。

(まずい……! 何か、良くないことが起ころうとしている!)

俺は【デバッガー】スキルを使い、黒い匣と、子爵が行っている儀式(?)の情報を解析しようと試みる。だが、情報が錯綜し、うまく読み取れない。ただ、一つだけ、明確な「警告」が表示された。

『【警告】:高レベルの精神汚染フィールド展開中! 長時間暴露は危険! 精神抵抗力の低い者は即座に影響を受ける可能性あり!』

「シャロンさん! 危険です! あの匣から、強力な精神汚染が出ています!」俺は小声で警告する。

シャロンも、その異常な気配に気づいていたようだ。顔を顰め、短剣の柄に手をかけている。
「……ええ、分かっているわ。だが、ここで止めなければ、もっと危険なことになるかもしれない」

彼女がそう言った瞬間、鉄格子の向こう側、地下牢の奥の暗闇から、鎖を引きずるような音と、低い呻き声が聞こえてきた。そして、ゆっくりと、何かが姿を現した。

それは、かつて人間だったもの、としか言いようのない、おぞましい姿だった。痩せこけ、皮膚は爛れ、目は白濁し、手足には枷が嵌められている。しかし、その身体からは、異常なまでの負のオーラと、飢えた獣のような殺気が放たれていた。

マルクス子爵は、その存在に向かって、恍惚とした表情で黒い匣を差し出し、叫んだ。
「さあ、喰らえ……! 我が怨念の糧となれ……! そして、リューンを……絶望に染めよ!!」

黒い匣から放たれた禍々しい光が、地下牢の存在へと注がれる。その存在は、苦悶とも歓喜ともつかない叫び声を上げ、その身体をさらに異形へと変貌させていく――!

(……これは、一体、何が起ころうとしているんだ!?)

俺とシャロンは、目の前で繰り広げられる、悪夢のような光景に、ただ立ち尽くすしかなかった。
依頼された「遺物」は、俺たちの想像を遥かに超えた、恐ろしい力を持っていたのだ。
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