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第四章:亀裂と代償
第13話 お前が死ぬなら復興なんていらない!
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6月。平安院学舎の校長室。
梅雨の湿気が入り込む窓辺で、紫陽花が濡れていた。
室内に集められた6人の候補者たち―
―朔夜、六花、西園寺、アリス、烏丸、白川―
彼らの間には、以前のような刺々しい敵意とは異なる、張り詰めた緊張感が漂っていた。
校長の花山院が静かに紅茶をすする音だけが響く中、六角紫門が煙管(キセル)をくゆらせた。
「若人(わこうど)たち。……ずいぶんと『らしく』なってきたじゃねえか」
紫門が紫煙を吐き出す。煙は生き物のように揺らめき、生徒たちの顔を撫でていく。
「……時間は有限だ」
西園寺が不快そうに煙を手で払った。
「ええ。無駄話なら帰らせていただくわ」
アリスも扇子で鼻を覆う。彼らの装いは洗練され、自信に満ち溢れている。
この数ヶ月の実績が、彼らを「学生」から「実業家」へと変貌させていた。
「ククッ、せっかちだねえ。……ま、いいだろう」
紫門は煙管を置き、ニヤリと笑った。
「進捗状況の確認だ。……まずはエリート組、どうだ?」
「琵琶湖疏水の第一期工事は順調だ」
西園寺が即答する。その口調には、揺るぎない確信があった。
「来春には通水し、日本初の水力発電所の稼働も視野に入れている。京都に新たな水とエネルギーの革命が起きるだろう」
「私の路面電車(電気鉄道)敷設の計画も順調よ」
アリスが続く。
「すでに市内で軌道の敷設が始まっているわ。これが完成すれば、街の『動脈』として人と物の流れが劇的に改善されるはずよ」
「警察組織の改革も進んでいる!西洋式の訓練と装備を導入し、街の治安は劇的に改善した!」
烏丸が胸を張る。
「私のサロンも、完成間近ですわ!華族や文化人の交流拠点となり、新しい文化の発信地として機能していきます!」
白川も紅潮した顔で報告する。
4人の報告は完璧だった。
数字、工期、規模。どれをとっても「復興」の名に恥じない偉業だ。
だが、紫門はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふーん。……で?『数字』はそれでいいとして、肝心の『人』はどうなんだ?」
「人? どういう意味だ」
西園寺が眉をひそめる。
「お前らの作った立派な箱物や設備で、京の人間は幸せそうに笑うのかって聞いてんだよ」
「と、当然そうなるだろう。インフラが整えば生活水準は向上する」
「まあ、京に活気を取り戻せるなら、それでいい」
紫門は冷ややかな目で西園寺を射抜いた。
「効率、効率ってこだわりすぎるなよ。地獄の釜茹でだって、じっくり煮込むから良い出汁が出るんだぜ?」
西園寺たちが言葉に詰まる。
論理では反論できない「情」の部分を突かれたからだ。
紫門の視線が、朔夜と六花に向いた。
「……そっちの『泥んこ組』はどうだ?」
二人の服には、今日も土埃が染み付いている。だが、その目は死んでいない。
「私たちは、京都中を桜で、埋め尽くします。全国から人が集まる桜の名所にします」
六花が凛とした声で答えた。
「……順調です。市民の協力も得て、植樹は計画通りに進んでいます」
朔夜も力強く頷く。
「……きっと、京都中に綺麗な桜を咲かせます」
二人の言葉には、数字以上の「熱」があった。
紫門は目を細め、天井に向けて煙を吐いた。
「……『桜』か。悪くねえが、咲かなきゃただの枯れ木だぜ?」
「!」
「ま、精々、気張んな。……期待はしてねえがな」
紫門は立ち上がり、窓の外の梅雨空を見上げた。
「紫門さん、では発表してください」
花山院が促す。紫門が振り返り、宣告した。
「そうそう。登用試験の結果発表日が決定した」
「審判の日時は、来たる4月1日」
「場所は地獄、閻魔大王の玉座の間にて行う」
室内に緊張が走る。 4月1日。
「4月1日。……桜が満開になる頃だ」
六花が呟く。それは、二人の運命が決まる日。
いや、六花の命の期限そのものになるかもしれない。
「その日に、テメェらの運命が決まる。……せいぜい、悔いのないようにな」
紫門は煙のように部屋から消えた。
残された6人は、それぞれの思惑を胸に沈黙した。
窓の外で、紫陽花が重たげに首を垂れていた。
†
季節は巡る。
梅雨が明け、京都盆地特有の、逃げ場のない酷暑がやってきた。
◆7月の嵐山。
蝉時雨が降り注ぐ中、市民や学生たちが汗だくで鍬を振るっていた。
「こらっ! もっと深く掘らんか!根が張らんと倒れてしまうぞ!」
源蔵の怒号が飛ぶ。手ぬぐいで汗を拭う彼の顔は、太陽のように赤い。
「は、はいっ!すみません!」
学生たちが声を張り上げる。その顔は生き生きとしていた。
◆同月、円山公園。
ここでも多くの人々が作業に汗を流していた。
「ここは水はけが悪いので、少し盛り土をしてください! お願いします!」
朔夜が声を枯らして指示を出す。
「おう、任せとき!京極ちゃん!」
商店街の男たちが頼もしく応える。
朔夜は「京極ちゃん」と呼ばれるようになっていた。
かつての「没落した京極の息子」ではなく、街の仲間として。
◆同月、琵琶湖疏水散歩道付近。
巨大な工事現場の脇で、六花が女性たちに丁寧に苗木の扱いを教えていた。
「苗木は、優しく扱ってくださいね。……赤ん坊を抱くように」
「あら、六花ちゃんったら。……でも、本当に熱心で可愛いわ」
六花の献身的な姿は、街の人々の心を掴んでいた。
彼女の周りには、いつも優しい空気が流れている。
†
そして、9月中旬。晩夏。
夕暮れの鴨川堤防に、赤トンボが舞っていた。
源蔵、朔夜、六花。そして鷹司ら学友12名、市民20名が集まっている。
全員、泥だらけだが、その顔は夕日よりも輝く達成感に満ちていた。
「……皆の者、よくやった!」
源蔵の声が響く。
六花が、ボロボロになった地図を広げた。
円山公園、嵐山、鴨川堤防、琵琶湖疏水予定地周辺。
4つの地域すべてに、植樹完了の印がついている。
「わしらは、この四つの地域に植樹をしてきた」
「そして本日をもって、目標の一万本!すべての植樹が完了した!」
源蔵の宣言と共に、おおーっ!と歓声が上がった。
学友たちが朔夜の肩を叩き、おばさんたちが六花の手を取って喜ぶ。
「やったな、京極!お前、本当にやり遂げたんだな!」
「ああ。……みんなのおかげだ」
朔夜は鷹司と拳を突き合わせた。
「ここでひとつ、諸君に朗報がある」
源蔵がニヤリと笑った。
「わしの見立てでは、本来は、この苗木たちが花を咲かせるのは早くて三年後……のはずなんじゃが」
源蔵が首を傾げる。
「なぜか、もっと早く咲きそうだ。……この『熱気』のせいかのう?原因は、わしにもわからんが、来年の春には咲いているかもしれん」
どよめきが起きた。
「ええっ!? 来年に咲くのかい!?」
「そりゃあ楽しみだ!」
「絶対に花見をしような!」
「そんなこと、ありえるのか?」
人々がざわめき、期待に胸を膨らませる。
その喧騒の中で、六花だけが静かに俯いていた。
(…熱気のせいじゃない。私が、夜な夜なこっそりと『時間』を進めているから)
彼女の左手は、手袋の下で冷たく脈打っていた。
†
帰り道。月明かりの下を二人で歩く。
虫の声が秋の訪れを告げていた。
「……やったな、六花。1万本だぞ」
「うん。……すごいね、夢みたい」
「……源蔵さんと三人だけじゃ、無理だった」
「朔夜くんの人を巻き込む力、さすがだわ」
「そうだろう? 俺ってやっぱりすごいわ」
朔夜はおどけて見せたが、六花の声に元気がないことに気づかないふりをした。
いや、気づきたくなかったのかもしれない。
「みんなが植えてくれた苗木。……10月からひとつずつ、お前の『星霜の手のひら』で触れていこう」
「来年の春、一斉に満開になるように」
「……うん。私、頑張るわ」
六花は、不安そうに自分の左手をそっと握りしめた。
(きっと大丈夫。私自身がどうなっても、絶対にやり遂げる。これは朔夜くんとの『婚約』の証だから)
†
11月下旬。晩秋。
嵐山の山肌は、燃えるような紅葉に覆われていた。
観光客が紅葉狩りを楽しむ中、
人目のつかない山中で、朔夜と六花は1本1本苗木を確認していた。
「これで9000本目、残り1000本だ」
朔夜がしゃがみ込み、リストにチェックを入れる。 六花は無言で苗木に近づいた。
「……お願い。来年の春に、咲いて」
『星霜の手のひら』
六花は手袋を外し、凍てつくような素手で苗木に触れた。
淡い光が、彼女の手から苗木へと吸い込まれていく。
木の時間が進み、蕾が膨らむ。
ドクン。
六花の心臓が、嫌な音を立てた。
1つ触れるたびに、体から熱がごっそりと奪われ、視界がぐらりと揺れる。
指先の感覚が消え、代わりに奇妙な「硬質化」が始まっている感覚。
「……六花、もういい。休憩しよう」
朔夜が、六花の肩に手を置いた時だ。
六花がビクリと体を震わせ、反射的に手を袂(たもと)に隠した。
「……?」
「……平気よ。まだ今日はあと50本は頑張る」
「平気なものか。顔色が悪いぞ」
朔夜は強引に彼女の手首を掴み、隠していた手を引き出した。
「!」
朔夜は息を呑んだ。
六花の手のひらは、死人のように真っ白で、氷のように冷たい。
それだけではない。
指先が、まるで硬い樹皮のようにザラつき、茶色く変色し始めていたのだ。
「何だ、これは……」
「……少し冷えただけ。温めれば治るわ」
六花は笑顔を作って誤魔化そうとした。
朔夜の手を振りほどこうとする。
だが、朔夜はその手を離さなかった。
ギリギリと音がするほど強く握りしめる。
「ふざけるな!これの何処が『冷えただけ』なものか!」
朔夜の怒声が、静かな山中に響いた。
鳥たちが驚いて飛び立つ。
六花が目を見開く。朔夜が、初めて本気で怒鳴った。
「おまえの体力が削られてるんじゃないのか?だからあんなに弱っていたのか……!」
「違うの、これは必要なことなの。こうしないと、春に間に合わない……」
「もう間に合わなくていい!お前にもしものことがあったら……何の意味がある!」
朔夜は六花の手を抱きしめるように握った。
その手はあまりに冷たく、朔夜の体温さえ奪っていくようだ。
「私は、朔夜くんの夢、京極家の再興を叶えてあげたいだけなのよ!」
「ふざけるな!京極家も京都も滅びてもいい!…お前がいなくなるくらいなら、俺は世界中を敵に回したっていいんだ!」
朔夜の叫びは悲痛だった。
(復興?名誉?…そんなもの、隣にお前がいなきゃゴミクズだ!)
「もう登用試験などどうでもいい。合格などしなくていい!お前がこんな体になってまで咲かせる桜など、俺は見たくない!」
バチンッ!
乾いた音が響いた。
六花が、朔夜の手を乱暴に振りほどいたのだ。
「……どうでもよくなどないわ!」
六花の瞳には、今まで見せたことのない、暗く激しい炎が宿っていた。
それは狂気にも似た、純粋すぎる愛の炎。
「朔夜君には分からないわ!ずっと日陰で、誰からも期待されずに生きてきた私の惨めさが、何でもできる朔夜君に分かるはずがない!」
「何だと……?」
「これは私が決めたことよ!才能もない、力もない落ちこぼれの私が、この世に生きた証を残すには、これしかないの!」
六花の目から大粒の涙が溢れ、苗木の上に落ちた。
「邪魔をしないで…。桜のために死ねるなら本望よ。そんなことも分からない朔夜君なんて……大嫌い!」
その言葉は、鋭利な刃となって朔夜の胸を突き刺した。
朔夜の内側でも、何かがプツリと切れた。
心配が、焦燥が、裏返って黒い怒りとなる。彼女を止められない自分の無力さへの怒りが。
「…そうかよ。そんなに死にたいなら勝手にしろ」
朔夜の口から出たのは、本心とは真逆の、投げやりな言葉だった。
(言っちまった……)
「俺だって、もううんざりだ。お前のその『悲劇のヒロイン』気取りの自殺行為には、付き合いきれん」
「っ……!」
「好きにすればいい。俺はもう降りる」
六花の顔が絶望に歪むのを、朔夜は見ようとしなかった。
六花は唇を血が滲むほど噛み締め、背を向けた。
「私は、昔の、人気者で自信にあふれていた朔夜くんを取り戻したいだけなの」
「……さようなら。二度と、私の前に現れないで」
拒絶の言葉と共に、六花は走り去っていく。
紅葉の舞う中、彼女の背中が小さくなっていく。一度も振り返ることなく。
朔夜は一人、嵐山の河川敷に取り残された。
追いかける足が動かなかった。
喉の奥で言葉が詰まる。
「お前と二人で見る桜だから、俺にとっては大きな価値があるんだよ……!!!」
誰もいない山に向かって、朔夜は叫んだ。
「お前がいなくなるなんて、俺は絶対に許さない! 認めないぞ!」
朔夜の絶叫は、風にさらわれて消えた。
ただ冷たい晩秋の風だけが吹き抜けていく。
春まで、あと4ヶ月。
二人の時間は、ここで完全に凍りついた。
梅雨の湿気が入り込む窓辺で、紫陽花が濡れていた。
室内に集められた6人の候補者たち―
―朔夜、六花、西園寺、アリス、烏丸、白川―
彼らの間には、以前のような刺々しい敵意とは異なる、張り詰めた緊張感が漂っていた。
校長の花山院が静かに紅茶をすする音だけが響く中、六角紫門が煙管(キセル)をくゆらせた。
「若人(わこうど)たち。……ずいぶんと『らしく』なってきたじゃねえか」
紫門が紫煙を吐き出す。煙は生き物のように揺らめき、生徒たちの顔を撫でていく。
「……時間は有限だ」
西園寺が不快そうに煙を手で払った。
「ええ。無駄話なら帰らせていただくわ」
アリスも扇子で鼻を覆う。彼らの装いは洗練され、自信に満ち溢れている。
この数ヶ月の実績が、彼らを「学生」から「実業家」へと変貌させていた。
「ククッ、せっかちだねえ。……ま、いいだろう」
紫門は煙管を置き、ニヤリと笑った。
「進捗状況の確認だ。……まずはエリート組、どうだ?」
「琵琶湖疏水の第一期工事は順調だ」
西園寺が即答する。その口調には、揺るぎない確信があった。
「来春には通水し、日本初の水力発電所の稼働も視野に入れている。京都に新たな水とエネルギーの革命が起きるだろう」
「私の路面電車(電気鉄道)敷設の計画も順調よ」
アリスが続く。
「すでに市内で軌道の敷設が始まっているわ。これが完成すれば、街の『動脈』として人と物の流れが劇的に改善されるはずよ」
「警察組織の改革も進んでいる!西洋式の訓練と装備を導入し、街の治安は劇的に改善した!」
烏丸が胸を張る。
「私のサロンも、完成間近ですわ!華族や文化人の交流拠点となり、新しい文化の発信地として機能していきます!」
白川も紅潮した顔で報告する。
4人の報告は完璧だった。
数字、工期、規模。どれをとっても「復興」の名に恥じない偉業だ。
だが、紫門はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふーん。……で?『数字』はそれでいいとして、肝心の『人』はどうなんだ?」
「人? どういう意味だ」
西園寺が眉をひそめる。
「お前らの作った立派な箱物や設備で、京の人間は幸せそうに笑うのかって聞いてんだよ」
「と、当然そうなるだろう。インフラが整えば生活水準は向上する」
「まあ、京に活気を取り戻せるなら、それでいい」
紫門は冷ややかな目で西園寺を射抜いた。
「効率、効率ってこだわりすぎるなよ。地獄の釜茹でだって、じっくり煮込むから良い出汁が出るんだぜ?」
西園寺たちが言葉に詰まる。
論理では反論できない「情」の部分を突かれたからだ。
紫門の視線が、朔夜と六花に向いた。
「……そっちの『泥んこ組』はどうだ?」
二人の服には、今日も土埃が染み付いている。だが、その目は死んでいない。
「私たちは、京都中を桜で、埋め尽くします。全国から人が集まる桜の名所にします」
六花が凛とした声で答えた。
「……順調です。市民の協力も得て、植樹は計画通りに進んでいます」
朔夜も力強く頷く。
「……きっと、京都中に綺麗な桜を咲かせます」
二人の言葉には、数字以上の「熱」があった。
紫門は目を細め、天井に向けて煙を吐いた。
「……『桜』か。悪くねえが、咲かなきゃただの枯れ木だぜ?」
「!」
「ま、精々、気張んな。……期待はしてねえがな」
紫門は立ち上がり、窓の外の梅雨空を見上げた。
「紫門さん、では発表してください」
花山院が促す。紫門が振り返り、宣告した。
「そうそう。登用試験の結果発表日が決定した」
「審判の日時は、来たる4月1日」
「場所は地獄、閻魔大王の玉座の間にて行う」
室内に緊張が走る。 4月1日。
「4月1日。……桜が満開になる頃だ」
六花が呟く。それは、二人の運命が決まる日。
いや、六花の命の期限そのものになるかもしれない。
「その日に、テメェらの運命が決まる。……せいぜい、悔いのないようにな」
紫門は煙のように部屋から消えた。
残された6人は、それぞれの思惑を胸に沈黙した。
窓の外で、紫陽花が重たげに首を垂れていた。
†
季節は巡る。
梅雨が明け、京都盆地特有の、逃げ場のない酷暑がやってきた。
◆7月の嵐山。
蝉時雨が降り注ぐ中、市民や学生たちが汗だくで鍬を振るっていた。
「こらっ! もっと深く掘らんか!根が張らんと倒れてしまうぞ!」
源蔵の怒号が飛ぶ。手ぬぐいで汗を拭う彼の顔は、太陽のように赤い。
「は、はいっ!すみません!」
学生たちが声を張り上げる。その顔は生き生きとしていた。
◆同月、円山公園。
ここでも多くの人々が作業に汗を流していた。
「ここは水はけが悪いので、少し盛り土をしてください! お願いします!」
朔夜が声を枯らして指示を出す。
「おう、任せとき!京極ちゃん!」
商店街の男たちが頼もしく応える。
朔夜は「京極ちゃん」と呼ばれるようになっていた。
かつての「没落した京極の息子」ではなく、街の仲間として。
◆同月、琵琶湖疏水散歩道付近。
巨大な工事現場の脇で、六花が女性たちに丁寧に苗木の扱いを教えていた。
「苗木は、優しく扱ってくださいね。……赤ん坊を抱くように」
「あら、六花ちゃんったら。……でも、本当に熱心で可愛いわ」
六花の献身的な姿は、街の人々の心を掴んでいた。
彼女の周りには、いつも優しい空気が流れている。
†
そして、9月中旬。晩夏。
夕暮れの鴨川堤防に、赤トンボが舞っていた。
源蔵、朔夜、六花。そして鷹司ら学友12名、市民20名が集まっている。
全員、泥だらけだが、その顔は夕日よりも輝く達成感に満ちていた。
「……皆の者、よくやった!」
源蔵の声が響く。
六花が、ボロボロになった地図を広げた。
円山公園、嵐山、鴨川堤防、琵琶湖疏水予定地周辺。
4つの地域すべてに、植樹完了の印がついている。
「わしらは、この四つの地域に植樹をしてきた」
「そして本日をもって、目標の一万本!すべての植樹が完了した!」
源蔵の宣言と共に、おおーっ!と歓声が上がった。
学友たちが朔夜の肩を叩き、おばさんたちが六花の手を取って喜ぶ。
「やったな、京極!お前、本当にやり遂げたんだな!」
「ああ。……みんなのおかげだ」
朔夜は鷹司と拳を突き合わせた。
「ここでひとつ、諸君に朗報がある」
源蔵がニヤリと笑った。
「わしの見立てでは、本来は、この苗木たちが花を咲かせるのは早くて三年後……のはずなんじゃが」
源蔵が首を傾げる。
「なぜか、もっと早く咲きそうだ。……この『熱気』のせいかのう?原因は、わしにもわからんが、来年の春には咲いているかもしれん」
どよめきが起きた。
「ええっ!? 来年に咲くのかい!?」
「そりゃあ楽しみだ!」
「絶対に花見をしような!」
「そんなこと、ありえるのか?」
人々がざわめき、期待に胸を膨らませる。
その喧騒の中で、六花だけが静かに俯いていた。
(…熱気のせいじゃない。私が、夜な夜なこっそりと『時間』を進めているから)
彼女の左手は、手袋の下で冷たく脈打っていた。
†
帰り道。月明かりの下を二人で歩く。
虫の声が秋の訪れを告げていた。
「……やったな、六花。1万本だぞ」
「うん。……すごいね、夢みたい」
「……源蔵さんと三人だけじゃ、無理だった」
「朔夜くんの人を巻き込む力、さすがだわ」
「そうだろう? 俺ってやっぱりすごいわ」
朔夜はおどけて見せたが、六花の声に元気がないことに気づかないふりをした。
いや、気づきたくなかったのかもしれない。
「みんなが植えてくれた苗木。……10月からひとつずつ、お前の『星霜の手のひら』で触れていこう」
「来年の春、一斉に満開になるように」
「……うん。私、頑張るわ」
六花は、不安そうに自分の左手をそっと握りしめた。
(きっと大丈夫。私自身がどうなっても、絶対にやり遂げる。これは朔夜くんとの『婚約』の証だから)
†
11月下旬。晩秋。
嵐山の山肌は、燃えるような紅葉に覆われていた。
観光客が紅葉狩りを楽しむ中、
人目のつかない山中で、朔夜と六花は1本1本苗木を確認していた。
「これで9000本目、残り1000本だ」
朔夜がしゃがみ込み、リストにチェックを入れる。 六花は無言で苗木に近づいた。
「……お願い。来年の春に、咲いて」
『星霜の手のひら』
六花は手袋を外し、凍てつくような素手で苗木に触れた。
淡い光が、彼女の手から苗木へと吸い込まれていく。
木の時間が進み、蕾が膨らむ。
ドクン。
六花の心臓が、嫌な音を立てた。
1つ触れるたびに、体から熱がごっそりと奪われ、視界がぐらりと揺れる。
指先の感覚が消え、代わりに奇妙な「硬質化」が始まっている感覚。
「……六花、もういい。休憩しよう」
朔夜が、六花の肩に手を置いた時だ。
六花がビクリと体を震わせ、反射的に手を袂(たもと)に隠した。
「……?」
「……平気よ。まだ今日はあと50本は頑張る」
「平気なものか。顔色が悪いぞ」
朔夜は強引に彼女の手首を掴み、隠していた手を引き出した。
「!」
朔夜は息を呑んだ。
六花の手のひらは、死人のように真っ白で、氷のように冷たい。
それだけではない。
指先が、まるで硬い樹皮のようにザラつき、茶色く変色し始めていたのだ。
「何だ、これは……」
「……少し冷えただけ。温めれば治るわ」
六花は笑顔を作って誤魔化そうとした。
朔夜の手を振りほどこうとする。
だが、朔夜はその手を離さなかった。
ギリギリと音がするほど強く握りしめる。
「ふざけるな!これの何処が『冷えただけ』なものか!」
朔夜の怒声が、静かな山中に響いた。
鳥たちが驚いて飛び立つ。
六花が目を見開く。朔夜が、初めて本気で怒鳴った。
「おまえの体力が削られてるんじゃないのか?だからあんなに弱っていたのか……!」
「違うの、これは必要なことなの。こうしないと、春に間に合わない……」
「もう間に合わなくていい!お前にもしものことがあったら……何の意味がある!」
朔夜は六花の手を抱きしめるように握った。
その手はあまりに冷たく、朔夜の体温さえ奪っていくようだ。
「私は、朔夜くんの夢、京極家の再興を叶えてあげたいだけなのよ!」
「ふざけるな!京極家も京都も滅びてもいい!…お前がいなくなるくらいなら、俺は世界中を敵に回したっていいんだ!」
朔夜の叫びは悲痛だった。
(復興?名誉?…そんなもの、隣にお前がいなきゃゴミクズだ!)
「もう登用試験などどうでもいい。合格などしなくていい!お前がこんな体になってまで咲かせる桜など、俺は見たくない!」
バチンッ!
乾いた音が響いた。
六花が、朔夜の手を乱暴に振りほどいたのだ。
「……どうでもよくなどないわ!」
六花の瞳には、今まで見せたことのない、暗く激しい炎が宿っていた。
それは狂気にも似た、純粋すぎる愛の炎。
「朔夜君には分からないわ!ずっと日陰で、誰からも期待されずに生きてきた私の惨めさが、何でもできる朔夜君に分かるはずがない!」
「何だと……?」
「これは私が決めたことよ!才能もない、力もない落ちこぼれの私が、この世に生きた証を残すには、これしかないの!」
六花の目から大粒の涙が溢れ、苗木の上に落ちた。
「邪魔をしないで…。桜のために死ねるなら本望よ。そんなことも分からない朔夜君なんて……大嫌い!」
その言葉は、鋭利な刃となって朔夜の胸を突き刺した。
朔夜の内側でも、何かがプツリと切れた。
心配が、焦燥が、裏返って黒い怒りとなる。彼女を止められない自分の無力さへの怒りが。
「…そうかよ。そんなに死にたいなら勝手にしろ」
朔夜の口から出たのは、本心とは真逆の、投げやりな言葉だった。
(言っちまった……)
「俺だって、もううんざりだ。お前のその『悲劇のヒロイン』気取りの自殺行為には、付き合いきれん」
「っ……!」
「好きにすればいい。俺はもう降りる」
六花の顔が絶望に歪むのを、朔夜は見ようとしなかった。
六花は唇を血が滲むほど噛み締め、背を向けた。
「私は、昔の、人気者で自信にあふれていた朔夜くんを取り戻したいだけなの」
「……さようなら。二度と、私の前に現れないで」
拒絶の言葉と共に、六花は走り去っていく。
紅葉の舞う中、彼女の背中が小さくなっていく。一度も振り返ることなく。
朔夜は一人、嵐山の河川敷に取り残された。
追いかける足が動かなかった。
喉の奥で言葉が詰まる。
「お前と二人で見る桜だから、俺にとっては大きな価値があるんだよ……!!!」
誰もいない山に向かって、朔夜は叫んだ。
「お前がいなくなるなんて、俺は絶対に許さない! 認めないぞ!」
朔夜の絶叫は、風にさらわれて消えた。
ただ冷たい晩秋の風だけが吹き抜けていく。
春まで、あと4ヶ月。
二人の時間は、ここで完全に凍りついた。
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