涙と花

カイ異

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朽ち行く花の後悔

推理開始

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「それで、話はまとまったか?」
 雨車の話を聞くと約束してから数分後、唯理たちは商店街の中にあるファミリーレストランで向かい合っていた。
 中華系の店であるためかなり重い分類になる。もっと気を利かせて別の店にしようとも考えたが、わざわざ近くにあるこの店を無視するのも馬鹿らしくなり結局ここにしてしまった。
「うん、歩いている間にだいぶまとまりました」
 唯理はメニューを開くと進めてくれと手で合図する。
 雨車は軽くうなずくと、思い出すように目を遠くに向けた。
「私がさっきいじめられてたのは、元々いじめられてる子を庇ったからなんです」
 唯理はメニューから視線をずらす。
 雨車の口調は淡々としていた。だが、きつく握りしめられた手が雨車の辛さをありありと表していた。
「そのお前が庇ったっていうが、さっき言ってたか?」
 雨車は頷いた。
「名前は桜家芝蘭さくらやしばらっていいます。小さいころに小学校で同じクラスだったことがあるんです。だから、放っておけなくて……」
「沢谷は急にいじめだしたのか? 何かきっかけとかはなかったのか?」
「きっかけはわかりません……でも……」
言っていいのか迷うように雨車は唯理を見つめる。
「安心しろ。ここで聞いたことをむやみに言いふらしたりはしない」
 それでもまだ雨車は不安そうだった。唯理はメニューを閉じると正面から雨車を見据える。その目は不気味なくらい静かで無言の圧力を放っていた。
「俺が話を聞くって言ったのは問題を解決するためだ。お前のお悩み相談のためじゃない。だから、俺には正確な情報を伝えてくれ」
 これは唯理の本心だった。本来ならば介入しないと決めている他人の揉め事に踏み込んだのは、自分がどうにかしなければ最悪な事態になると判断したからだ。
 しかし、それほどまでにこじれた関係に首を突っ込むことは当事者にとっても唯理にとっても大きな負担になる。最悪、唯理の言動によって状況を悪化させてしまうこともあり得るのだ。
 だからこそ、正確な情報は何が何でも手に入れなければならないものであった。
「沢谷さんは、昔はあんな人じゃなかったんです……」
 震えるような声だった。
「何て言えばいいんでしょう……、小学生のころはすごく堂々としていてかっこいい人だったんです」
「今でも堂々としてるっていうところは変わらないと思うけど」
 唯理の言葉に雨車は大きく横に首を振る。まとめられた髪がバサバサと揺れた。
「今とは全く違う感じの堂々さだったんです。どういっていいのかわからないんですけど、みんなが沢谷さんみたいになりたいと思ってたはずです。私は同じクラスじゃなかったので沢谷さんを直接知っていたわけではないですが、ほんとに学年中の人があこがれてました」
「『才能』か……」
 唯理の言葉に雨車は目を見開いた。まるで手品を見た子供のような顔をする雨車に唯理は苦笑する。
「そうなんです。沢谷さんは誰よりも勉強ができてスポーツもできて、書道とかでも習ってないのにいつも賞取ってて、ほんとにすごかったんです」
 唯理はやはりと一人でうなずいた。唯理が才能という言葉を発したのは何もあてずっぽうではない。それなりの根拠があった。
 唯理だけが見ることのできる、それは心を表しているだけではない。もう一つ重要な力を持つ。唯理はそれをと呼んでいた。
 は主に見えたの花言葉に由来する。例えばサワギキョウ。その花言葉は『高貴』『悪意』『特異な才能』である。
 唯理は、誰もが沢谷に憧れを抱いていたことを知り、まず真っ先に浮かんだのがこの『特異な才能』という花言葉だった。
 とはが涙を流した者自身や周囲の人間に与える影響である。『特異な才能』という花言葉から察するにサワギキョウにはシンプルに才能を与える力があるのだろう。
別にそれは特別なことではない。生まれながらに才能を持っている人間など無数にいる。唯理に言わせれば、大体の才能を持っている人間はそういう花を宿していたか、その花を持つ人が側にいたというだけだ。そういう人が今まで歴史を動かしてきた。 
 今回は沢谷がそういう人間だったというだけにすぎない。
「でも、そんな沢谷さんに一つだけ悪い問題があったんです」
 店員が注文を聞きにやってくる。しかし、唯理はその時に何を注文したか覚えていないほど雨車の話に集中していた。
「沢谷さんの家はすごく……その、すごく貧しかったんです」
 おそらくこれが雨車が伝えるのを渋ったことなのだろう。確かに、人の家庭事情をぺらぺらとしゃべることに抵抗があるのは無理もない。話す相手が今日あった人間ならなおさらだ。
「小学生の頃はよくわからなかったんですが、たぶん生活保護とかも受けていたはずです」
「……なるほどな」
 唯理は自分の過去を思い出し顔をしかめる。
 唯理自身も決して裕福な生活を送ってきたわけではなかった。母親代わりの祖母がいなければ自分は施設に預けられていたかもしれないし、祖母との生活も決して裕福といえなかった。
 あれほど悪い面、『悪意』が表に出てしまっているのは貧しさゆえの反動ということなのだろうか? 唯理はそこをはっきりさせようと雨車に質問する。
 しかし、雨車はわからないと弱々しく首を振った。
「沢谷さんが貧しいのは小学校に上がる前からでした。でも、小学生の時はそんなことはまるで気にしてないみたいに勉強も運動も全力で取り組んでいる優等生だったんです。だから高校で再会した時にはすごいびっくりしました。あまりにも変わってて……」
 唯理は首を傾げた。貧困が理由ではないとすると何か別の理由があったはずだ。サワギキョウの特性の一つ『悪意』は幼いころから、それこそ夜泣きしていた頃から沢谷に影響を与えていたはずだ。話を聞く限り小学生の頃はそれを封じ込んでいた節がある。ならば、中学生以降に何かあったのだろうか?
「あ! でも、六年生の時のことはよくわからないんです。沢谷さん突然転校しちゃったので」
 思い出したように付け加えられた雨車の言葉に唯理は軽く顔をしかめる。
「頼むからそういうことはちゃんと言ってくれ」
 ごめんなさいと肩を落としてうつむく雨車に唯理はあきれながら声をかける。
「まあでもかなり整理できた。言いづらかったろうにありがとな」
 最後の方は恥ずかしさでほとんど囁くような声になってしまった。それでも、感謝されたことが伝わったのか雨車は顔を上げてよかったと息をつく。その様子をみて改めて唯理は雨車の純粋さを確認させられた。
「お前はこのままでいてほしいな……」
 先ほどの感謝よりもさらに小さな声。口に出したかどうか本人でもよくわからない声だった。もちろん雨車には聞こえていなかったらしく、雨車は運ばれてきた自身の皿を受け取っていた。

「最後に聞きたいことがある」
 食事も済んだところで、唯理は改めて雨車に向き直る。彼女の澄んだ瞳もまたこちらを見つめ返した。
「何で俺に相談しようと思ったんだ?」
 それは最初から感じていた疑問だった。雨車が悪い人間ではないことは間違いない。
 とはいえ、唯理のやることとは人の心を覗き見ることだ。その力を使う以上、この疑問ははっきりさせなくてはならない。
 雨車は何か言おうとして口をパクパクとさせる。しかし、言葉が出てこないようだった。
「俺は今日お前とあったばかりの人間だ。どうして俺を頼ったんだ?」
 彼女は考え込むように目を閉じた。
 長くきれいなまつげがクーラーの風に揺れていた。
「私もよくわからないんです。でもはっきりと思ったんです、あなたを追いかけなくちゃいけないって」 
 雨車は恥ずかしそうに頬を朱に染めた。窓から差し込む夕日が一段とその光景を輝かしいものにする。
「おかしいですよね、言葉すら交わしてないのに。でも。理由がないわけではないんです。例えば、今日あなたがわたしを助けてくれた時、沢谷さんは確かに今までと違う行動をとりました。その時にこの人ならって思ったんです」
 雨車はあふれる自分の思いを伝えようとせわしなく口を動かす。
「そしてさっきも言いましたが、あなたは私を助けてくれた人です。信じる理由としてはこれで十分じゃないですか? それに……」
 雨車はためらいながら言葉を続けた。
「それに、間違ってたら悪いんですけどあなたもように見えたので」
 体中に衝撃が走った。手に持ったコップを落としそうになり慌てて手に力を込める。唯理はまじまじと少女を見つめる。
 穢れがないからこそ、本質が見えることもあるってことか? やはり不思議な少女だと唯理は改めて実感する。
 これで知りたかったことは大体知ることができた。
 だからこそ唯理は改めて今回のことに首を突っ込むかどうか思案する。
 だが、結論はすでに明確であった。
「わかった。お前の依頼引き受けるよ。いじめ解決に協力してやる」
「……っ! ありがとう、ございます」
 雨車は立ち上がって頭を下げる。その目には雫がたまっており、弱々しくも美しく咲き誇るデイジーがまぶしかった。
「改めて、よろしく」
 俺に何ができるかはわからない。でも、やれるだけのことはやろう。誓いは口には出さなかった。それでも、唯理の心には確かに刻み付けられていた。
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