涙と花

カイ異

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朽ち行く花の後悔

仕切り直し

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 桜家との対面から数日後の土曜日の昼前、唯理は沈んだ気持ちでスマホに目を落としていた。
 スマホには雨車に調べてほしいと頼んでいた情報が上がっていた。沢谷の出身校と中学時代の友人についての情報にいたっては、突破口にさえなりうるかもしれないものであった。
 おそらく喧嘩別れした後も、事前に指示しておいたことはやってくれたのだろう。そんな律儀さに唯理は余計に悩んでしまう。
 カフェで別れて以降、唯理からは謝罪以外に連絡を入れていなかった。正確に言えば連絡していいのかどうかわからなかった。
 桜家について知るには自分が直接話すよりも、揺さぶった後で一定の信頼がある雨車をぶつける方がいい。
 それに沢谷のからして、なるべく早く解決しなくては何かしらの事態が起こる可能性が極めて高いはずだ。
 だからこそあんな荒療治をしたわけだが、それが雨車を傷つけた免罪符になるとも思えなかった。
 何が正しくてどうすべきだったのか。考えあぐねているうちに時間はあっという間に過ぎていき、気づけば今日になっていた。
 だが、一度関わってしまった以上ここで投げ出すような無責任なことは出来ない。なにより、ある程度状況が分かった今の時点で沢谷と桜家のことを忘れるという選択肢は唯理にはなかった。
 気づくと電話をかけていた。自分しかいない狭い部屋に呼び出し音が響き渡る。唯理は壁に背を預けると向かいの壁にかかった時計を見上げる。
 正直出てくれるかどうかわからなかった。少なくとも俺が彼女の立場だったらこの電話に出ないだろう。
 時計の秒針の動きが遅い。一秒とはこんなにも長いものだっただろうか? 
 あと十秒経っても出なかったら電話を切ろう。
 そう考えてスマホを持つ手を変える。居心地の悪さにすぐに電話を切りたかったが、それでもこの電話がつながれば何か変わるのではないかという期待もしてしまう。
「あと三秒」
 やはりもう話す気は無いのかもしれない。そう考え通話を切ろうとしたその時だった。
『……もしもし』
 一瞬状況が飲み込めなかった。しかし、すぐに雨車が電話に出たのだと理解する。
『唯理だ。少しいいか?』
『大丈夫ですよ』
 声のトーンからして今も怒っているということはなさそうだった。同時に唯理の勘がこの機会を逃してはいけないと訴えかける。
『いじめの件で沢谷が通っていた第三中学校の人に話を聞きたいんだ』
 とっさにこの言葉は違うと思った。桜家の時に無茶をした俺をまた知り合いに会わせたいと思うだろうか? 答えは否に決まっている。ならばほかにもっとかける言葉があるはずだ。
『あの時、カフェでの話し合いの日、俺は二人を傷つけた』
 散々迷った後で唯理はあの日について触れることを決めた。
 スマホからは何の音も聞こえない。やはり顔が見えないのはやりづらい。
『俺がやったことは信頼を裏切ることだったと思う』
『……』
 無言が辛かった。だが、ここまで言ったらもはや止まれない。
『俺は最低なことをした。その事実は消えない。でもこれだけはわかってくれ、俺はあの時本当にこのいじめを解決したいと思って動いた』
『……』
『俺は本当にお前も含めて三人とも助けたいと思ってた。その気持ちだけはわかってほしい。そして、決めてほしい。今後どうするかを』
『今後ってどういうことですか?』
 静かな声だった。感情を押し殺し冷静でいようとする。そんな人の声。
『もう一度俺を信じて協力してくれるか、それとも俺とのことはすべてなかったことにするかだ』
 どうしてもぶっきらぼうな言い方になってしまう自分に嫌気がさす。しかし、大学に行かずアルバイトでは事務的な受け答えしかしない唯理にはほかの言い方など思いつかなかった。
 数秒間の沈黙が続いた。背中に冷たい汗が流れるのを感じる。だが、その瞬間は唐突に訪れた。
『……今日は第三中学の子空いてると思います』
 目の前に雨車がいないとわかっていてもぱっと顔を上げてしまった。胸の内に安堵と歓喜が広がる。
『わかった。午後でいいか?』
『連絡しておきます』
 その後は詳しい時間を決めて通話を切った。それと同時に、午前中にもかかわらずどっと疲れが出てくる。だが、バイトの後とは違うその疲れはどこか心地よくも思えた。
 少なくとも今回は自分の考えをきちんと伝えることができた。その成果が嬉しかった。
 唯理は時計を確認すると午後に向けて支度を始めた。
 
 雨車との待ち合わせの場所は雨車たちの学校の最寄り駅だった。
 沢谷のことをよく知るという中学の同級生は高校進学をきっかけに引っ越したらしく、隣町まで行く必要があったのだ。
 正直貧乏な身でお金のかかる移動はしたくはなかったが、そこは解決のためだと割り切るしかなかった。
 日曜ほどではないがやはり休日の午後ということもあり、駅前にはいろいろな人が集まり、自分の前を過ぎ去っていく。駅内のケーキ屋ではセールを開いているらしく長い列ができていた。
 人々がせわしなく動いている光景は、唯理に祖母との日々を思い出させる。
 あの頃とは違い、今では自分には何が見えているのかがはっきりとわかる。そしてわかるようになったからこそ、祖母の言葉の意味も身に染みて理解していた。
 見たものはすべて流してしまえばいい。その言葉にどれほどの祖母の憂いが込められていたのか知った今では、忘れようもない言葉となっていた。
 知りさえしなければこんなにも心がかき乱されることはなかった。そんな後悔が頭をちらつくたびに祖母の声とともにその言葉が聞こえる。
 だが、今だけはその言葉に蓋をしなくてはいけない。例えそれが自分のの言葉であったとしても。
「お待たせしました」
 午前中にも聞いた声に唯理は振り向く。考え込んでいる間に雨車はすぐ近くまで来ていたらしい。
 淡い桃色のワンピースを纏い、長くまっすぐな髪を制服の時とは違って結ばず背中に流していた。胸元を彩るペンダントは風で小さく揺れている。
 そういえば雨車の私服を見るのは初めてだった。いつもとは違う雰囲気に唯理は一瞬たじろぐがすぐに目的を思い出し切り替える。
「大して待ってないから気にしなくていい。目的地へは一駅でいいんだな?」
 雨車は頷いて肯定を示す。
「なら早く行こう。長話になるかもしれないからな」
 唯理の言葉に雨車は再び首肯し、二人で駅に入っていった。
 
 駅内は外より人がさらに多く、より一層にぎやかだった。時間帯のせいか子供連れもたくさん見られ、時折聞こえてくる会話は微笑ましいものだった。
 だが、自分に母がいればもしかしたらこんな過去が自分にあったかもしれないと思うと多少切なさを感じざるを得なかった。
 二人は無言のまま人波を縫うようにしてホームの端を目指す。
 一駅なのだから正直どの車両に乗っても大差ないとは思うが、やはりできるならば人で混み合った夏場の車両には乗りたくなかった。
 ようやく端にたどり着き列に並んでも二人は無言だった。
 カフェ以降、会話をしたのは午前中の一回だけであったし、完全に仲直りしたともいえない状況だ。お互い話しづらさをひしひしと感じていた。
 唯理自身は普段は無駄な話をするタイプではない。そのため、正直無言自体は特に気にならない。
 しかし、雨車のことは心配であった。前回のことも相まって今かなり緊張しているかもしれない。そう考えてたびたびこっそりと様子をうかがった。
 駅内アナウンスが響き数秒後に電車がホームにとまった。扉が開き降りる人を待ってから中に入ると、ひんやりとした空気に体を包まれる。
「座るか?」
 ちょうど空いていた二つの席を唯理は指さす。
「そうですね」
 二人はそのまま柔らかい座席に腰を降ろす。しかし、すぐそばにいてもどこか隔たりがあるようなそんな感覚が付きまとっていた。
 数秒後にかすかな振動とともに電車は動き出した。
 車内でも二人は無言だった。雨車はスマホで何やら連絡を取っているらしい。
 唯理はやることがないためいつものように考えことをしていた。目的地に着く前に質問内容を決めておきたい。
 電車が一駅に使う時間は大体二、三分である。気づいた時には降りるべき駅に電車は到着していた。
 唯理は雨車の方を見て降りようとしているのを確認すると自分も続いて電車を後にする。
「ここからは歩きで直接家にまで行きます」
「家にまで訪ねて親は平気なのか?」
 素朴な疑問を口にすると、雨車は今から家を訪ねる少女について話してくれた。
 どうやら今日は両親ともに仕事で外出中であり、今は小さい弟と二人きりらしい。となると話を聞く条件というのはしばらくの間ベビーシッターをやることであるようだった。
「ベビーシッターは私がやるので唯理さんは話を聞くことに集中してください」
「さすがにそれは悪いだろ。話を聞き終わったら俺も手伝う」
 そんな会話をしながら唯理は雨車の案内に従って道を歩く。駅の近くは大きな建物があり活気があったが、数分も歩くと古い家やアパートがちらちらと目につくようになった。そのまま住宅街を進むと小さなアパートの前にたどり着く。
「ここが目的地です」
 雨車に言われて唯理は改めて建物を観察する。
 目の前のアパートは水色を基調とした塗装がされていたが、所々にさびや黒ずみがみられた。それに加え所々にもみられた。
 明らかにここは駅とは違いたくさんの人間が集まるような場所ではない。それでもある程度の残滓が見えることに唯理は顔をしかめた。
 花の残滓が見えるということ、それは必然的にそこで泣いた人がいるということを意味する。
 人が多く集まるデパートならば泣き出す子供や出入りする人の量に比例して残滓も多くなる。
 だが、そうでない場所でこの残滓の量は警戒せずにはいられなかった。
 唯理は視線を向ける。こういったアパートは前にも見たことがある。自分の予想が正しければベランダにはあるはずだ。
「確か部屋は一番上の左端だったはず」
 なかなか入ろうとしない唯理を見て、雨車は部屋を伝える。その部屋はくしくも唯理が確認したベランダの部屋だった。
「これは荒れそうだな」
 もはや確信に変わった自分の直感に唯理は一人ため息をつくと、部屋に向けて一歩足を踏み出した。
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