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公爵家のカプリース
3 2度目の発作
しおりを挟むアジア人男が窓の外を覗くと、自分の部下と空港警察らしい制服の男達の激しい乱闘が見えた。格納庫には他の機もあるので、無闇に銃を使ったりはしていない。それだけに乱闘は激しさを極めているようだった。
「時間の無駄だ」
男はフン、と鼻を鳴らした。
自分達をさっさと行かせてしまえば怪我をする事も、体力を消耗する事もない。空港だって封鎖せず、いつもと変わらない日常に戻す事ができるのに。
勝手な事を思いながらベッドに戻ると、青年のアンダーシャツの裾を引っ張り、ナイフの刃を当てた。切れ目が入ったらナイフを捨て、力尽くでシャツを裂いた。
上手く裂けた事で、その心地よさと加虐心、征服欲などが、男の気分を盛り上げる。その視界に白い胸が映ると、欲望を抑えられなくなった。
襟元のリボンタイを、白い首に巻いて丁寧に結ぶ。美しい顔によく似合った。
その顔を覗き込むと、いつの間にか、少しだけ開いた唇の奥に、白い歯が見える。
───誘ってるのか、うん?
声なく呼びかけて、堪らずその唇にむしゃぶりついた。
横たわる美青年のベルトを外し、ズボンの前をくつろげる。そこにある確かな感触に、アジア人の男の劣情は激しく揺さぶられた。
───待て待て。まずは、目の保養だ。
白人の美しい造形美を堪能したい。黄色人種の男の、白色人種に対する憧れと劣等感は、征服欲へと変わっていく。
彫刻のように、黄金比で整った顔を伺いながら、男の手が、再びハリーの衣装に伸び、下半身を露わにしようとした時、
「ぅ...ん...」
青年は小さく呻いて身じろぎした。
男は細い目を一層細め、白人の美しい顔を正面から覗き込む。注意深く様子を伺い、ニンマリ笑うと、再び衣装を───。
バンッ、と大きな音を立てて、ドアが開いた。振り返ろうとした男は、次の瞬間にはその場にいなかった。
「...っ!」
アジア人の男には、自分の身に何が起きたのか解らなかった。脇腹に鈍痛と痺れが広がる。次いで打ち付けた体のあちこちにも痛みを感じる。
ベッドの側から奥のドアの方へ体を飛ばされたようだった。距離がない分は壁が受け止め、すぐに1メートル程の高さから床に落ちた。
自分を怒鳴るような輩は、部下にはいない。入って来たのは何者で、ジェンドンは何故そいつを通したのか。そもそも何語を使っていたのか解らない。英語ではないし、フランス語でもない。もちろんアジア人男の母国語でもない。
振り返ると、白人のその男が、横たわる青年にスーツの上着を丁寧にかけていた。
「俺の愉しみを邪魔して、ただで済むと思っているのか?」
英語で云ってみた。
「やめろ。今手を引けば、ただの間違いで済む」
相手も英語で答える。栗毛の短い髪が目にかかるのも構わず、ベッド脇に屈んだまま、アジア人の男を睨みつけ、地を這うような低い声で云った。
白人はゆらりと立ち上がった。天井に頭をぶつけるかと思う程、大きい。見たところ大したケガもなく、ジェンドンや雇った連中を撒いてここまで来たのだから、すばしこいか強いかのどちらかだろう。
「俺は下の連中のようにはいかないぞ」
「どうしても抵抗するなら、容赦はしない」
白人の侵入者は静かに立つ。どれ程腕が立つのか判らないが、黄色味の濃い目は油断出来ない。
アジア人男は格闘に備えて構えた。
「帝弟様!」
ドアがまた勢いよく開き、ジェンドンが入って来た。彼は白人を見るとすぐに飛びかかった。
帝弟と呼ばれた男は、二人の格闘がすぐ終わらないと見ると、狭い室内を身軽に移動し、横たわる青年の側に戻った。顔を覗き込むと、眉根を寄せている。薬が切れかかっているようだ。
───今がいちばんいいタイミングだ。
青年の意識が覚醒しかけたところに愛撫の刺激を与えれば、身体は快楽だけを純粋に求める。自我は邪魔なだけだ。
帝弟は青年に掛けられた上着をどけた。
果たしてどれ程の覚醒具合なのか、感じやすそうなところに触れてみる。頬を撫で、首筋に手を這わせる。体の線を確かめるように、ゆっくりと撫でながら反応を見る。すると青年は何度か肩を震わせ、僅かに身を捩り、まるで男を誘うように赤い唇を開く。
───いい反応だ。見た目以上に上物だな。
帝弟は舌なめずりをし、格闘している二人の様子を一瞬だけ確認しようと───振り向いたところで、頭を鷲掴みにされた。
「......っ」
ジェンドンが相手をしている筈の白人は、低い声でまた何か云った。目付きが、狂気に変わりそうだ。
───こいつを先に片付けないと、落ち着いてコトが出来ないな。
帝弟はやっと、アーロンと対峙した。
誰かが、懸命に呼んでいる。
それとは別に、激しく争う声や物音が、絶えずハリーの意識を刺激していた。せっかく温かい部屋で寛いでいるのに、義務を果たせと急かされるような、残念で煩わしい気分だ。
ただ、呼びかける声は必死で、しかし努めて冷静を装っている。
───らしくないな、アルフレー...ト...!?
ハリーは、ボチェクの腕の中にいた。ペチペチと頬を叩かれている。
「...目をさっ、───ハリー殿下!」
ボチェクの顔が一瞬、ホッと和らいだ。しかし次の瞬間には、真面目なのか面白くないだけなのか、相変わらずの仏頂面で見下ろしていた。
「お気付きになりましたか、殿下?」
たぶん、そんな事を云ったようだった。まだ五感が戻らない。周りもずっと騒がしくて、まるでハリーの覚醒を妨げているみたいだ。
「ア───ボチェクか...」
ボチェクは誰かから受け取ったガウンをハリーの肩にかける。
「ご気分はいかがです、ハリー殿下?」
「...良くない」
ハリーはボチェクの凝視に耐えられず、俯いた。真剣に見つめられるのは、もう嫌だ。
目を逸らすと、騒いでいる男達の言葉が聞き取れるようになる。
「手を離せ、アーロン!」
「やめろ! 殺す気か!」
騒ぎの中心はアーロンらしい。
───何をやってるんだ、あいつ?...殺す気...か!?
言葉の意味が解って、ハリーは喧騒の中からアーロンを目で探す。と、ワーッと声が上がり、人だかりがバラけた。
寝室の向こうの部屋で、背の高いアーロンは、人間の首を掴んで持ち上げている。絡みつく何本もの腕を肩で振り払い、ハリーにもその顔が見えた。
「アーロン...」
ハリーは息を呑んだ。アーロンの顔は表情がない。
───あの瞳!?
ハリーのよく知る、ハリーにしか見せない、瞳の色。
しかしただ驚いてもいられなかった。アーロンが見据える相手は、明らかに四肢が弛緩している。
「手を離せ、アーロン!」
ハリーが叫んだ瞬間、アーロンの手がパッと離れた。ドサリと重量感のある音とともに、上半身裸の男は人形のようにグニャリと倒れた。ヴェルナーが男に駆け寄る。
「意識がありません!」
「蘇生しろ。救護班急げ」
ボチェクの指示のもと、護衛のチームはそれぞれの役割を果たそうと走り回る。その中で、呆然と立ち尽くすアーロンの瞳は、もう元の色に戻っていた。
その瞳で、ハリーを見つけると、
「ハリー...!」
何かに躓き、前のめりにコケながら、ハリーに駆け寄った。が、ヘルムフリートとヴォルフガングに両肩を掴まれて止められる。
「命令違反でアーロンを拘束する。連れて行け」
ボチェクの指示は確実に実行される。ハリーとアーロンは見つめ合ったまま何も交わされず、また離れ離れになった。
アーロンはハリーが入院している間、自宅謹慎の処分を受けていた。
ハリーは、特に外傷はなかったが、薬を使って眠らされた事もあり、数日間、病院に缶詰めにされた。
お陰で数日間、ふたりは会うことが出来なかった。
まあ、実際それは名目上で、今回の件で、いろんな処分と調整が必要だった為、という事もあって、ふたりは別々にされた。ハリーにも云い含めておかなければならない事が山程あったし、アーロンがこれ以上暴れて、こちら側の有利な立場を足元から崩さない為でもあった。
ヴェルナーが立場上こっそり、アーロンを訪ねて教えてくれた。
まずは、首謀者。
「お前が殺し損ねた男、意識を取り戻したぞ」
コーヒーを受け取りながら、ヴェルナーは皮肉混じりでそう云った。無言で、テーブルの向かい側に掛けるアーロン。ここは、彼の自室。
「ハリー殿下のご様子は...?」
先に知りたい件を尋ねる。
「心配ない。お身体のどこにも異常は見られないし、眠らされている間の事は覚えていらっしゃらないそうだ。退屈を持て余してこっそりお出かけにならないように、交代でお部屋に貼り付いてるよ」
安心して穏やかになるアーロンの表情を確認して、小さく肩を竦めたヴェルナーは話し出す。
「アジアで最近クーデターのあった国、覚えてるか?」
「N国だろう?」
「ああ。今は軍事国家になってる筈なんだが...」
アーロンは、プライベートジェット機内の格闘を思い出す。上半身裸のアジア人...。
「よくは知られていないが、あの国のトップは『帝』と呼ばれてるらしい。どうやらあの男は、その『帝』の、腹違いの弟らしい」
ヴェルナーは書類を捲りながら云った。呟くアーロン。
「『帝弟』───帝の弟か...」
その男は、国内では色狂いと噂されていたそうだ。国内の美しい少年を漁るだけの、無能な弟。
「秘書みたいな奴がいたな。ジェンドン、とかいったか...」
「ああ、そいつは腹心の男だ。元は『帝』の側近だったらしいが、有能が裏目に出て、周囲に疎まれるようになった」
謀反を噂され、しかし『帝』に愛されていた為、処刑には至らず、無能な弟に預けられた。どんなに能力があっても、無能な弟は色事にしか興味はなく、そこで手腕を発揮する機会はついぞなかった。
「しかしあの誘拐の手際は、たぶんその腹心の男の能力だな」
「いくら能力があっても、他国の摂政を誘拐するか?」
1つは、調査の環境が整っていない為、ハリーが摂政だという事実が分からなかった。
「帝弟もジェンドンて奴も、事実を知って青ざめてたよ」
「摂政じゃなきゃ、何だと思ってたんだ? まさかまだ───」
「そういう事。あいつら、殿下の事を公爵家の末っ子だと思ってた」
ヴェルナーの呆れ顔に、アーロンも片眉を上げる。
「古い情報だ」
「ああ。ガッツリ情報統制されてる国なんだそうだ」
噂には聞くが、本当にそんな事が可能なのか。アーロンは長い腕を広げる。
「それならどうやって、あのパーティーを知ったんだ?」
「そりゃ、内通者がいたからさ」
思わずアーロンは、ぎゅっと眉間にシワを寄せていた。
「内通者?」
「ヴィンツェンツ=フリートウッド」
ヴェルナーの答は、アーロンもあまり聞きたくない名前だった。
「公爵家の四男か」
「義理とは云え、かつては同じ屋敷に住んでいた兄に誘拐されたなんて、ハリー殿下も気の毒に」
ヴェルナーは知らない。あじさいの城の、地下の件の黒幕がその義兄だった事も、今までに何度か義兄達にハリーが命を狙われていた事も。
「しかし、事情聴取が出来るかどうか...」
「どうした、逃げられたのか?」
この前の事件では、公爵家で普通に日常生活を送っていたが、さすがに今回はマズイと思ったか?
しかしヴェルナーの答えはアーロンの予想を大きく裏切った。
「例のプライベートジェット機のあった格納庫の隅で見つかった」
「何...?」
「虫の息だったらしい。今もまだ、病院の集中治療室の中だ」
息を呑むアーロン。
「意識が...ないんだな?」
「半殺しだ」
頷くヴェルナー。帝弟の雇った連中を連行する際に、格納庫内を捜索した空港警察が発見した。血みどろで放置されていて、当初は遺体だと思われた。
「帝弟の仕業だ」
認めてはいるらしい。ハリーをどうするのか、知った途端にヴィンツェンツが反抗し、警察を呼ぼうとしたので黙らせたという。雇った連中に処分を任せた。生死は問わなかったそうだ。
可愛そうな気もするが、自業自得だ。
「あの連中はどうなるんだ?」
「取り調べが済んだら検察に渡して裁判になると思う。帝弟は既に引渡しの要求がN国からきてる」
「服役はない、て事か?」
この国に死刑はない。もっとも、ヴィンツェンツはまだ息があるし、他にも死人は出ていないので、あまり重い刑罰は期待できないだろう。
「有罪になったらもちろん、判決に従ってもらうさ。ただ、政治的な交渉も水面下では進む筈だから、実際にどうなるかは、その交渉次第だな」
ヴェルナーは頭を振りながら、ため息をついた。
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