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1.神と聖女と悪魔
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北の山には、神が在る。
かつて山は、火を噴き大地を焼き、そこにあった多くの命を奪った。
あるとき、どこからともなく降り立った神が、怒れる山の頂に留まると決める。神の力によって山は鎮まり、人々は平穏な日々を手に入れた。
だが、山の怒りを抑えるために、神はその身に宿した力を失い続ける。
神の命が尽きれば、この地には再び厄災が訪れる。
またあるとき、神は言った。
『我が力尽きる前に、ヒトの中より聖なる力を宿した娘を我のもとへと嫁がせよ。我とヒトの力を以て、この地を共に守護しよう』
神と人々は約束を交わし、今もこの地は守られている。
それは古くからの言い伝えであり、現在も残る教義。
神の花嫁は、人々からは聖女と呼ばれた――。
*****
当代の聖女は、北の山を臨む塔の上にいた。
北の山の周囲には草木も生えない。荒れ果てた土地に唯一そびえる塔も、外壁のところどころが崩れ去り一見すると廃墟のようだが、歴代の聖女が祈りを捧げる聖域である。
周囲に生き物の気配もなく、一日に二回の食事が運ばれる以外は誰も近づくことのできない場所で、聖女は神のための力を蓄える。
今宵は見事な満月で、聖女は窓辺にて膝をつき、北の山へ向けて祈りを捧げていた。
「おまえが聖女か」
突然の訪問者に、聖女は目を瞠る。
その男はどこからともなく現れて、聖女と北の山との間に立ち塞がった。
男は見るからに異形の者だった。姿形は彫刻のように整った端正な顔立ちの青年だが、頭には山羊のような二本の角を生やし、背には蝙蝠に似た大きな翼を広げて、月を背にして優雅に浮いている。
「さすがに美しいな。銀の髪に碧い瞳……いかにも聖女って感じだな」
黒い軍服のような衣装とマントを纏い、角の生えた髪の色も黒。黒がその者を象徴するようだが、聖女を見つめる目は、血と同じ赤い色をしていた。
「あなた、悪魔ね?」
凜とした、鈴の音のような声が響く。聖女の澄んだ碧い瞳は、真っ直ぐに男へと向けられている。
神の花嫁には容姿の優れた乙女が選ばれる。当代の聖女も例に漏れず、幼い頃から国一番とも噂される美貌の持ち主だった。
「好きに呼べばいい――だが、おまえにとっては悪魔だろうな。なにせその身を食らう相手なんだから」
ニタリと顔を歪ませた悪魔は、残酷なまでに美しい。しかし聖女は臆することなく、悪魔に向けて口を開く。
「私を食べたいの? でも、無理よ」
「無理なものか。たかが小娘一匹、俺様にかかればちょチョイのちょいだ」
聖女の否定を、悪魔は一笑に付した。
「おまえのその白くて張りのある肌に牙を立てたら、果実のように瑞々しく弾けるんだろうなぁ。噴き出す血は濁りのない赤で、碧い瞳から零れた涙や身体を流れる汗もさぞ甘いだろう――ああ、その綺麗な顔が恐怖と苦痛と絶望に染まるのを想像するだけで、滾ってくるぜ……!」
少々芝居がかってはいるが、期待を抑えきれずに両手を広げて高笑いする姿は、いかにも悪魔と呼ばれるのに相応しかった。
やがて笑い声が止み、辺りは静寂に包まれる。
しばらく両者は睨み合った。
流れる雲が月を遮り、夜が一層深くなる。再び周囲が照らし出されたとき、悪魔は僅かに眉を顰める。
「しかし、おまえ本当に聖女か? ここはたしかに聖なる力で満ちているのに、おまえ自身からはなんの力も感じない」
その言葉に聖女の肩がピクリと揺れる。しかし、次の瞬間には小さく嗤った。
聖女は碧い瞳を不敵に輝かせ、静かに悪魔を見据えている。
小首を傾げていた悪魔だが、聖女の様子にやがて納得したようにパッと顔を輝かせた。
「身体の外に漏れ出さないように蓄えているのか……? なら、相当溜め込んでいるってことだな。それは、ますます楽しみになったぜ」
「……無理よ」
ため息とともに、聖女が警告する。
「ここには誰も近づけない。諦めたほうが身の為よ」
「無理なものか」
たとえどれほどの力を宿していても、所詮はヒトの子。その身を守る兵士もいない状況で、悪魔を退けるのはまず不可能だろう。
――しかし、ヒトの考えていることはわからねぇ。
いくら聖域とはいえ、大事な聖女をこんな場所にひとりきりにするとは、襲ってくれと言っているようなものだ。
だが、襲撃者にとって、これほど好都合なことはない。
「さあ、おまえを食わせろ――!」
悪魔が広げた翼を大きくはためかせる。空気が揺れて、聖女の頬に乾いた風が触れる。
悪魔が聖女に触れようと、手を伸ばした瞬間。
バチィッ――!
悪魔の指先に白い閃光が走り、全身を稲妻が貫いた。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁ……っ!」
悲鳴を上げた黒い塊が、吹き飛ばされて落ちていく。
「……馬鹿ね……」
バカ正直に突っ込んで撃沈した悪魔に、聖女は呆れたため息を吐いた。
――最初から、出オチ感が半端なかった……。
思っていた以上の衝撃には面食らったが、結果は予想通りだった。結界に気をつけながら、出来る範囲で窓の下を確認してみるも、そこにはなにも見えない。
「だから、無理だって言ったのに」
聖女の呟きは、遠くで聞こえたドサッという落下音にかき消され、暗闇の中に溶けていった。
かつて山は、火を噴き大地を焼き、そこにあった多くの命を奪った。
あるとき、どこからともなく降り立った神が、怒れる山の頂に留まると決める。神の力によって山は鎮まり、人々は平穏な日々を手に入れた。
だが、山の怒りを抑えるために、神はその身に宿した力を失い続ける。
神の命が尽きれば、この地には再び厄災が訪れる。
またあるとき、神は言った。
『我が力尽きる前に、ヒトの中より聖なる力を宿した娘を我のもとへと嫁がせよ。我とヒトの力を以て、この地を共に守護しよう』
神と人々は約束を交わし、今もこの地は守られている。
それは古くからの言い伝えであり、現在も残る教義。
神の花嫁は、人々からは聖女と呼ばれた――。
*****
当代の聖女は、北の山を臨む塔の上にいた。
北の山の周囲には草木も生えない。荒れ果てた土地に唯一そびえる塔も、外壁のところどころが崩れ去り一見すると廃墟のようだが、歴代の聖女が祈りを捧げる聖域である。
周囲に生き物の気配もなく、一日に二回の食事が運ばれる以外は誰も近づくことのできない場所で、聖女は神のための力を蓄える。
今宵は見事な満月で、聖女は窓辺にて膝をつき、北の山へ向けて祈りを捧げていた。
「おまえが聖女か」
突然の訪問者に、聖女は目を瞠る。
その男はどこからともなく現れて、聖女と北の山との間に立ち塞がった。
男は見るからに異形の者だった。姿形は彫刻のように整った端正な顔立ちの青年だが、頭には山羊のような二本の角を生やし、背には蝙蝠に似た大きな翼を広げて、月を背にして優雅に浮いている。
「さすがに美しいな。銀の髪に碧い瞳……いかにも聖女って感じだな」
黒い軍服のような衣装とマントを纏い、角の生えた髪の色も黒。黒がその者を象徴するようだが、聖女を見つめる目は、血と同じ赤い色をしていた。
「あなた、悪魔ね?」
凜とした、鈴の音のような声が響く。聖女の澄んだ碧い瞳は、真っ直ぐに男へと向けられている。
神の花嫁には容姿の優れた乙女が選ばれる。当代の聖女も例に漏れず、幼い頃から国一番とも噂される美貌の持ち主だった。
「好きに呼べばいい――だが、おまえにとっては悪魔だろうな。なにせその身を食らう相手なんだから」
ニタリと顔を歪ませた悪魔は、残酷なまでに美しい。しかし聖女は臆することなく、悪魔に向けて口を開く。
「私を食べたいの? でも、無理よ」
「無理なものか。たかが小娘一匹、俺様にかかればちょチョイのちょいだ」
聖女の否定を、悪魔は一笑に付した。
「おまえのその白くて張りのある肌に牙を立てたら、果実のように瑞々しく弾けるんだろうなぁ。噴き出す血は濁りのない赤で、碧い瞳から零れた涙や身体を流れる汗もさぞ甘いだろう――ああ、その綺麗な顔が恐怖と苦痛と絶望に染まるのを想像するだけで、滾ってくるぜ……!」
少々芝居がかってはいるが、期待を抑えきれずに両手を広げて高笑いする姿は、いかにも悪魔と呼ばれるのに相応しかった。
やがて笑い声が止み、辺りは静寂に包まれる。
しばらく両者は睨み合った。
流れる雲が月を遮り、夜が一層深くなる。再び周囲が照らし出されたとき、悪魔は僅かに眉を顰める。
「しかし、おまえ本当に聖女か? ここはたしかに聖なる力で満ちているのに、おまえ自身からはなんの力も感じない」
その言葉に聖女の肩がピクリと揺れる。しかし、次の瞬間には小さく嗤った。
聖女は碧い瞳を不敵に輝かせ、静かに悪魔を見据えている。
小首を傾げていた悪魔だが、聖女の様子にやがて納得したようにパッと顔を輝かせた。
「身体の外に漏れ出さないように蓄えているのか……? なら、相当溜め込んでいるってことだな。それは、ますます楽しみになったぜ」
「……無理よ」
ため息とともに、聖女が警告する。
「ここには誰も近づけない。諦めたほうが身の為よ」
「無理なものか」
たとえどれほどの力を宿していても、所詮はヒトの子。その身を守る兵士もいない状況で、悪魔を退けるのはまず不可能だろう。
――しかし、ヒトの考えていることはわからねぇ。
いくら聖域とはいえ、大事な聖女をこんな場所にひとりきりにするとは、襲ってくれと言っているようなものだ。
だが、襲撃者にとって、これほど好都合なことはない。
「さあ、おまえを食わせろ――!」
悪魔が広げた翼を大きくはためかせる。空気が揺れて、聖女の頬に乾いた風が触れる。
悪魔が聖女に触れようと、手を伸ばした瞬間。
バチィッ――!
悪魔の指先に白い閃光が走り、全身を稲妻が貫いた。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁ……っ!」
悲鳴を上げた黒い塊が、吹き飛ばされて落ちていく。
「……馬鹿ね……」
バカ正直に突っ込んで撃沈した悪魔に、聖女は呆れたため息を吐いた。
――最初から、出オチ感が半端なかった……。
思っていた以上の衝撃には面食らったが、結果は予想通りだった。結界に気をつけながら、出来る範囲で窓の下を確認してみるも、そこにはなにも見えない。
「だから、無理だって言ったのに」
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