いきなりクレイジー・ラブ

桧垣森輪

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1巻

1-3

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 如月くんの身につけているスーツは、仕立てのよいものばかりだ。営業という仕事柄、身に着けている服や靴などを見られることも多いだろうし、人一倍気を遣っているに違いない。
 ならばここは、彼の顔をつぶさないためにも、彼の方針に従おう。
 郷に入っては郷に従え。ちゃんとしたパーティーに出るのであれば、それなりの格好はしなくてはならない。

『……わかった』

 というわけで、私は実家への帰省をキャンセルすることにした。


 よくよく考えてみれば、どうして一か月も先の予定の買い物をすぐしなければならないのか疑問だが、当てを紹介してもらうのだから彼に予定を合わせるべきだ。

『でも……明日は、お姉ちゃんの誕生日なのに』

 ――そう。明日は、私の三十回目の誕生日である。

「もう祝ってもらうような年でもないから」

 弟や妹の誕生日であればなにがあってもけつけるが、さすがに自分の、しかも三十回目のなんて、嬉しくもなんともない。
 だから、今回のことはいいきっかけかもしれない。
 さすがに三十歳にもなって、家族で誕生日パーティーはちょっと……いや、かなりイタい。
 そんな姉の複雑な胸中を知ってか知らずか、突然妹の声がするどくなった。

『ねえ、お姉ちゃん。用事って本当に仕事? もしかして、デートなんじゃないの?』
「バ、バカな! そんなわけないでしょう!?」

 ――なにを急に言い出すの!?

『えー、そうやって慌てて否定するところが怪しいな』

 想定外すぎて動揺しただけなのに、妹はかんぐったようだ。

「本当に、仕事なのよ? デートなんかじゃないもの……」

 仕事を強調したことで、自分で落ち込んでしまう。
 だって、三十歳にもなって、家族しかお祝いしてくれる相手がいないなんて……むなしい。
 そんな私に、妹はさらに追い打ちをかける。

『ふーん……まあ、いいや。お姉ちゃんのを中止にするなら、次の私の誕生日も家族で祝うのはやめて、彼氏と過ごしてもいいよね!?』
「――は? か、彼氏!?」

 突然の爆弾発言に、落ち込んでいた気持ちが一気に吹き飛ばされた。

「あんた、彼氏がいるの!? どこの馬の骨よ、お姉ちゃんは聞いてないんだけど!?」
『聞いてなくて当たり前でしょ、言ってないもん。あー、よかった。これで私も堂々とデートできるー!』

 家族で計画していた私の誕生日パーティーがキャンセルになって落ち込んでいるかと思った妹が、語尾に音符おんぷでもついていそうな勢いで喜んでいる。

「ちょっと、真奈美!?」
『――もしもし、姉貴? 明日帰ってこねぇの?』

 いくら呼びかけても返事をしない妹に代わって電話に出たのは、弟だ。

「ま、真弘まさひろ!? 真奈美、彼氏がいるの!?」

 妹の身に起きている一大事に取り乱す私に対して、電話の向こうの弟から乾いた笑いが聞こえた。

『なんだよ今さら。あいつにだって彼氏の一人や二人くらいいるだろうよ』
「ふ、二人もいるの……!?」

 二股なのかと慌てふためいていると、弟からは冷静に『いや、同時に付き合ってるわけじゃないから』と突っ込まれた。

「真奈美に彼氏がいるなんて聞いてないんだけど? どんな男なの!? ちゃんとしている人なんでしょうね!?」

 可愛い妹が、海のものとも山のものとも知れない男に捕まったのではないかと考えるだけで背筋がこおりそうだ。
 こうなったら、今すぐにでも実家に帰って、どんな相手かしっかり見極めなくては……!

『そんなに心配しなくても、あいつだってわかってるよ。人のことより、自分の心配したら?』
「なんでそんなに冷静なのよ……はっ、もしかして、あんたも……?」
『それは、ご想像にお任せします』
「ちょっと、真弘!?」

 思わせぶりな台詞せりふを残して、逃げられてしまった。
 電話の向こうでは、楽しそうな弟と妹の笑い声なんかがしていて……やっぱり買い物なんてキャンセルして、今すぐ実家に帰らなくては! と思い直す。

『もしもし、真純ちゃん? 明日デートなんですってぇ?』
「お母さん……」

 ヒートアップした私の耳に飛び込んできたのは、どこか間の抜けた母の声だった。

『真純ちゃんにも、やっといい人ができたのねぇ。まったく男っ気がないから、本当はちょっとだけ心配してたのよ? お母さん嬉しいわぁ』

 この、のんびりおっとりとした話し方。私の母は、私とはまるで逆の性格の人間である。
 父と母のめも、交番勤務だった父のもとに落とし物や迷子やらでしょっちゅう母が顔を出していたことらしい。迷子って……子供じゃないんだから。どれだけドジっ子なのよ。
 そのため父が急逝きゅうせいして母が働きに出ることが決まったときには子供ながらに心配した。

「お母さん、私、デートじゃないから……」
『隠さなくてもいいのよぉ。真純ちゃんももういい年なんだから、お誕生日くらい好きな人と一緒に過ごしなさいな。お母さんが真純ちゃんの年の頃には、もう真奈美だって生まれていたんだからね』

 そう。母は二十歳のときに父と結婚した。……っていうかお父さん、交番に来た相手に手を出すってどうよ?
 知り合ったときはいったいいくつだったんだ、なんて質問は怖くてできない。

『それに、真弘や真奈美だってもう子供じゃないんだから、そんなに心配しなくても大丈夫。あの子たち、お姉ちゃんを追い越して結婚するのは忍びないって思っているんだから、なるべく早く安心させてあげてちょうだい? じゃあね』

 ――ブツリ。
 言いたいことだけ言って、母は勝手に電話を切ってしまった。
 この親にして、あの子たちあり……通話終了をげる電子音が、もの悲しさをき立てる。
 私、弟妹にまで心配されていたのか……
 いつまでも小さいと思っていた弟と妹が自分よりもずっと進んだステージにいるということに、ショックを覚えた。
 いつかは自分の家庭を持ちたいとは思っていても、ずっと色恋沙汰いろこいざたとは無縁の生活を送ってきたから、どうやって恋愛を始めればいいのかなんてわからない。とはいえ彼氏がいなくて不自由することなんてないし、本当は、心のどこかで、もうこの先一人で生きていかなくてはいけないんだと覚悟はしていた。
 このままだと確実に弟や妹に先を越されて、二人の結婚式に出る日も近い……?
 未婚でそでは――やっぱり、悲しい。
 でも、本当に明日はただの仕事だもの。それに、如月くんとデートなんて考えられない。だって私のタイプは、三枝先輩みたいな……
 そこで、ハッとした。
 そうだ、そもそもの出かける理由が先輩に会うためのパーティー用ドレスであることを、すっかり失念していた。
 明日買うドレスは、つまりは先輩のためのものなんだ……!
 脳天に雷が落ちたような衝撃を受けたあと、急に視界が開けていくような気がした。
 ――始めればいいんだ、三枝先輩と。
 三十歳の節目を迎える誕生日。その日を、新しい自分に生まれ変わる日にすればいい。
 そう考えると、明日が楽しみに思えてきた。


 百貨店での買い物ならば開店と同時でもいいのに、如月くんは午前中に用事があるとのことで、待ち合わせは午後になった。
 現地集合にしようと、どこに行くのかを何度尋ねても「ヒミツです」とはぐらかされ、仕方なく私のアパートの最寄りの駅で待ち合わせることになっている。
 まあ、なにを着ていけばよいのかと頭を悩ませていたので、待ち合わせが午後なのはありがたい。それは決して、デートの服を選んでいたからではない。
 着飾って「そんなに楽しみにしてたんですかー?」とからかわれるのは嫌だが、貧相ひんそうな格好では百貨店には入りづらい。
 あれやこれやと検討した結果、白のアンサンブルニットに黒の七分袖パンツという無難ぶなんな格好に落ち着いた。髪もいつも通りにひとつに結び、予定の時間よりも少しだけ早く待ち合わせ場所に着く。……規律を重んじる体育会系としては、如月くんを待たせるわけにはいかない。
 駅前には、まだ如月くんの姿はない。辺りを見回すと、ロータリーに一際ひときわ目をく鮮やかなブルーの車が停まっていた。
 車には詳しくはないが、大きくて立派なのでかなりの高級車だろう。その証拠に、通り過ぎる人たちがチラチラとその車に視線を向けている。
 どんな人が乗っているのか気にはなったけれど、のぞき込むのは不躾ぶしつけなので前を向いて通り過ぎようとしたら、小さくクラクションを鳴らされた。
 運転席に座っていた人物と目が合い、思わず目をみはる。
 そこにいたのは、飼い主を見つけた犬みたいな顔の、如月くんだった。
 ブンブンと手を振っていた如月くんは、急いで車のドアを開けて外に出た。

「行き違いにならなくてよかった。おはようございます、真純さん。さあどうぞ」

 間近に来た彼は、はにかんだような笑みを浮かべている。

「お、おはよう……? っていうか、どうして急に名前で呼ぶのよ!?」

 あまりにも自然に言うものだから、見過ごしそうになったじゃない!

「ずっと下の名前で呼んでみたかったんです。今日は休日だし、いいじゃないですか」

 如月くんは平然とそう言うけど、気恥ずかしすぎていきなり受け入れられるものではない。でも今は、ほかにもいろいろ気になることがあり、ひとまずこの話題は横に置いておくことにする。

「それにこの車、どうしたの?」

 近くで見れば見るほど立派な車は、およそ一介のサラリーマンに手が出せるようなものには見えない。

「どうしたって、俺の車ですよ? まあ、買ったのは親父ですけどね」

 質問に答えながら、如月くんは私の背中に手を添えて助手席のドアを開ける。そのエスコートは流れるようにスマートで……大人しく、乗らざるを得なかった。
 外観にたがわず車内は広く、飾りっ気はないが黒のレザーシートがやたらと高級感をただよわせている。
 こんな車をポンと購入できるとは、彼のお父さんはいったいどんな仕事をしているのだろうか?

「如月くんのお父さんって、なにをしている人なの?」
「ああ、えっと……ちょっとした、会社経営? 車は多分、趣味です」

 ――ちょっとした規模の会社を経営しているくらいで買える車には思えない!
 彼の言葉はなんだか妙に歯切れが悪く気になった。けれど私を座らせた如月くんは、さっさと運転席に戻って車を発進させたものだから、私も慌ててシートベルトを着けた。
 高級車は動き出しもスムーズで、音も静かなんだな。車内のBGMは、落ち着いた昔の洋楽っぽいものだ。

「自分で買った物でもないから普段はあまり乗らないんですけど、あれこれ移動するなら車のほうが楽かと思って。でも、運転技術は信用してもらって大丈夫ですよ」

 そう言って如月くんはダッシュボードに置いてあったサングラスをかけた。
 これがまた、彼のはっきりとした顔立ちに似合っている。
 ――もしかして、さっき駅にいた人たちは車じゃなくて車内の彼を見ていたのだろうか。
 今日の如月くんは、白のバンドカラーシャツに紺色のジャケット、黒のスキニーというシンプルなちで、会社にいるときよりも落ち着いて見える。ハンドルを握る手は意外と大きくて、指は細いけれど骨張った感じがなんだか力強く思えなくもない。

「どうかしましたか? なんだか大人しいですね」
「……なんでもないわ。細い腕だなって思ってただけ」

 急に話しかけられてドキッとして、ついにくまれ口を叩いてしまった。

「ひどいなぁ。これでもきたえてるって言ったじゃないですか。今日も午前中はジムに行ってきたんですよ?」

 彼の午前中の用事というのはジム通いだったらしい。きたえているとは聞いていても、ジムに通っているという話は初耳だ。まあ、お互いのことをそんなにいろいろと話した覚えもないから、当たり前だけど。

「もしかして、私の言ったことを気にしてジムに……?」

 ふと、私が先日散々細いだの喧嘩けんかも弱そうだのとけなしたことが原因かと気になってしまった。

「違いますよ、ただの日課です。もう四年も前から、休日には通ってるんです」

 四年前というと、ちょうど彼が入社した頃だ。サラリーマン、特に営業は身体が資本。日頃から運動して体力づくりを欠かさないのは、よい心がけだ。

「そんなこと気にするなんて、真純さんは相変わらず優しいんですね」

 こちらを向かずにクスリと笑った横顔がなんだか大人びていて、不覚にも胸がときめいてしまった。
 相変わらず、というほど普段の私を知らないのでは、と彼の言葉に引っかかるものはあっても、そんな些細ささいなことを気にする余裕もない。

「べ、別にそういうわけじゃないわ。ジムに通って疲れているなら、わざわざ今日じゃなくてもいいんじゃないかと思っただけよ」
「平気ですよ。それに、トレーニングの後はスパに行きましたから汗の臭いも心配いりません」

 ――なんだか、急に女子力が高いな。

「……汗臭いのは剣道で慣れてる」
「そうですね。でも、せっかく真純さんと二人なのに不快にさせてしまうのは、俺が嫌だったんで」

 いつもは彼の軽口を不満に思うこともあるものの……今日の如月くんにそういう雰囲気はない。
 それどころか、会社で見かけるときとはまるで別人のようだ。
 先日の朋興建設への挨拶あいさつのときも思ったが、改めて見ると社内の男性人気ナンバーワンは伊達だてではなかった。端整な顔立ちは、特に面食いでもない私であっても素直に綺麗だと思う。運転する姿は頼もしく、なんだか妙に異性を意識させられるというか……
 ――ちょっと待って。そういえば私、こういうシチュエーションって初めてじゃない!?
 仕事で男性と車に乗ることはあっても、私服で休日にというのは、正真正銘しょうしんしょうめい初めての経験だ。
 それに気がついたら、いくらデートなんかじゃないと自分に言い聞かせていても意識してしまう。
 流されるままについ助手席に乗ってしまったけど、座る位置ってここでよかったの!? 後部座席のほうがよかったんじゃないの!? 

「急に百面相してどうしたんですか? 珍しく、顔に出てますよ」
「な、なにが!?」

 しまった。いつものポーカーフェイスが、崩れかけていたらしい。
 こんなことで動揺しているなどと悟られるのは恥ずかしい。
 ――平常心、平常心。心頭しんとう滅却めっきゃくすれば火もまた涼し。
 心を落ち着かせ、背筋を伸ばした私を横目に、如月くんが小さく苦笑する。

「あれ、もう戻っちゃった。もう少し肩の力を抜いてもいいと思うんですけどね」
「これがいつもの私だから、お構いなく。それより、目的地はどこなの?」
「もうすぐ着きますよ」

 その言葉の通りに、車は高級百貨店やブランドショップの立ち並ぶ繁華街の大通りを流れるように進んでいく。如月くんは、その中でも一際ひときわ大きい老舗しにせ百貨店の地下駐車場へと車をすべり込ませた。
 あまり経験はないのだけれど、普通は入り口で駐車券をもらって、表示に従ってきスペースを探すというのが一般的だと思う。なのに如月くんは、迷うことなく一般の車とは別の方向へと車を向かわせて、警備員に誘導されつつ、広々としたスペースに停車した。

「車の規格が一般の駐車場向きじゃないんですよ。それに、知り合いがいるって言ったでしょう?」

 不審ふしんがるというより不安がっている私に、如月くんはそう説明してくれたけれど、様子が違うのはそれだけではなかった。
 車を降りた如月くんは、これまた一般用とは違いそうなエレベーターに乗り込むと、迷うことなくボタンを押した。
 百貨店のエレベーターは、あちこちの階に停まったり、到着しても人がいっぱいで乗れないこともある印象だったけど、意外なほどにスイスイ進む。

「ねえ、これ何階に向かってるの?」
「十一階です」

 建物は十三階までで、上の二つはレストランフロア。十一階は催事場さいじじょうがあって、ナントカ物産展とか全国ナントカ大会とかをやってるイメージなんだけど、婦人服が売っているものだろうか。

「婦人服フロアって、もっと下の階にあるものじゃないの?」

 一階が化粧品やバッグ類、二階・三階がレディースフロア、上に近づくごとに年齢層も上がって値段も上がるというのが私の百貨店に対するイメージだ。

「カジュアルウェアはそうですけど、今日はパーティー用のドレスじゃないですか」

 なるほど、フォーマルドレスだから高層階にあってもおかしくないのか。
 ニッコリと笑って余裕な如月くんに先導されて降り立った十一階には、大きな催事場さいじじょうがあった。今は大きなもよおし物もなく、閑散かんさんとしている中、如月くんの後を追う。その先にあったのは、「ゲストラウンジ」と書かれた別区画への入り口だった。
 ――もしかしてここは、お得意様専用のVIPルームとかいうところじゃないの!?

「き、如月くん? ここで、合ってるの?」

 もう、不安どころの話ではない。噂には聞いたことがあるけど、株主だとか上位ステータスのクレジットカードを持っているとか、選ばれた人間しか立ち入ることのできない聖域なんじゃないのか。貧乏人の私がひるまないはずがない。

「仕事用のスーツとかを作る関係で、いつの間にか使えるようになっただけです。ここなら周囲を気にせずに買い物できますよ」

 ガチャリと開いた扉の先では、上品なスーツ姿のダンディなおじさまが私たちを……いや、如月くんの到着を待っていた。

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。お久しぶりですね。お父様はお変わりございませんか?」
「ご無沙汰ぶさたしてます。父も相変わらずですよ。今日はよろしく頼みます」

 如月くんが挨拶あいさつすると、おじさまは嬉しそうに目を細めて、それから私に対しても軽く会釈えしゃくした。多分、うちの部長と同じくらいの年齢だと思う。自分より目上の人間にこういう扱いを受けた経験のない私は、やっぱり萎縮いしゅくしてしまう。
 ……如月くんはなんともない様子でおじさまと雑談しているけど、お父様の知り合いのようだから、付き合いも古いのかな。それとも、第一線の営業マンというのは、そういうものなのかしら?
 ラウンジの中には先日の朋興建設のロビーで見たものよりも立派な応接ソファが等間隔とうかんかくに設置されていた。おじさまはなぜかそこを通り抜けて、さらに奥にある個室へとつながるガラス戸の中に私たちを案内する。

「フィッティングがあるから、個室のほうがいいですよね?」

 なんて如月くんが聞いてくるけど、もう、どうでもよくなってきたかもしれない……
 個室には外にあったのと同じようなソファセットがあって、如月くんはそこに腰を下ろすと私にも隣に座るよううながした。
 正直、もうなにも考えられなくて素直に座ると、ほぼ同時にドアが開いてティーセットを持った女性が現れる。目の前に並べられた陶器とうきのカップから上品な紅茶の香りがあふれる。添えられたお茶菓子も、うちの会社が商談時に出すものより何倍も高そうだ。
 ああ、至れり尽くせり過ぎて、ダメ人間になってしまいそう……!

「それじゃ、この前電話でお話しした通りでお願いします」

 一息吐いた頃、如月くんがおじさまに向かって話しかけた。

「それでは始めましょうか」

 おじさまがガラス戸の向こうに合図をすると、女性が二人室内へ入ってくる。なにもかもタイミングが完璧で、まるでお芝居のようだ。
 彼女らはしずしずと入室を済ませると、私の真横に立った。
 彼女たちの手に握られているのは……メジャー?

「え? な、なに!?」

 メジャーを持っているということは、採寸さいすんされるってことだと予想ができる。でも、どうして身体のサイズを測られなきゃいけないの?

「真純さんはここで洋服を買うのは初めてなんだから、きちんとフィッティングをしないとサイズがわからないじゃないですか」

 ティーカップを持った如月くんがにこやかに微笑む。
 言われてみれば、普通の洋服とは違うから、MサイズとかLサイズとかで済ませられないのだろうけれど……

「ここで測るの!?」
「俺は構いませんよ。ああ、でも須藤すどうさんには席を外してもらいましょうか」
「かしこまりました」

 どうやらおじさまは須藤さんというお名前らしい。……ってそういうことはどうでもよくて!

「如月くんがいたら、私が構うの!」

 いくらなんでも、彼の目の前で服を脱いで測るということはないと思う。
 でも、如月くんが近くにいたら、サイズがバレバレじゃないの!
 それはイヤ、スリーサイズを知られるなんて、絶対イヤ。

「冗談ですよ。そのためにフィッティングルームがあるんですから、俺はここで待ってますので気にせずにどうぞ」

 本気であせる私に、如月くんはクスクスと笑う……遊ばれてるわ、完全に。
 個室の中には、きちんと仕切られたフィッティングルームがあって、採寸さいすんはそこでやってもらうことになった。
 でも、このフィッティングルームというのがまた普通の試着室と違う。大人が三人入っても余裕の広さで、パイプハンガーと、ご親切に椅子とメイク台まで設置されている。

「せっかく別室に移りましたので、やはり服を脱いでから測りましょう。ドレスは身体にフィットするものを選んだほうが美しいですから」

 メジャー片手に笑顔で迫られ、仕方なく、下着姿になった。
 女同士だから恥ずかしくはないけれど、私、胸ないのよね……

「あら、お客様。ブラのサイズが合っていませんね。それに今はノンワイヤーのものをお召しですが、ドレス用の下着はワイヤー入りになります。金属アレルギーなどございますか?」
「いや、ありません……」

 ノンワイヤーは、単に楽で値段も手頃という理由で選んだに過ぎません。

「では、ドレスの件もありますのでちゃんとしたものにかえましょう」

 ささっと胸元と腰回りにメジャーを当てた一人がなにかを伝えると、もう一人はそそくさと出て行った。しばらくすると、彼女はいくつかの下着と洋服を手にして戻ってくる。
 ――こうなったら隠すものなどなにもない。
 開き直って思う存分好きにしてもらおう。私は、まな板の上のこいになる!
 かくして下着から総取っ替えされた後、二人に身体の隅々まで採寸さいすんされてから、ようやくお着替えタイムが始まった。驚いたことに、きちんとサイズを測った結果、私の胸のサイズはAからBカップへアップした。
 あとはドレスをちゃちゃっと決めて……と思っていたけど、そこからがまた、長かった。

「お客様は長身でいらっしゃるので、ドレスの丈は長めでもよろしいかと思います」

 フィッティングルームを出て、すぐ傍にある大きな姿見の前に誘導された。

「うん、スタイルは申し分ない。でも、もう少し短いものもあるかな? あと、色も変えてほしい。青とか紺とかも用意してくれますか」
「かしこまりました」

 指令を受けた一人がささっと退室していく。指示をしているのは私ではなく、なぜか、如月くんだ。
 いちいち着替えるごとに、彼女たちは如月くんの前へと私を立たせた。その都度つど彼はあれやこれやと注文をつけて、その服が届けられるとまたフィッティングルームへ逆戻り、の繰り返し。気がつけば、パイプハンガーには赤、黄色、緑、ピンクと色とりどりのドレスが並び、今着ている青色のと合わせれば全部で五着。……私は、地球を守る戦隊ヒーローにでもなるのか!?
 私の意見がまるで無視なのは、この際よしとしよう。なぜなら私は自分のバストサイズさえ把握はあくできていなかった無頓着むとんちゃく女だ。でも、いちいち如月くんの前にさらされるのは嫌だ。その恥ずかしさにはまったく慣れない。
 新しい服に着替えて彼の前に立つたび、如月くんは「綺麗です」だの「似合ってます」だの、うっとりしたような顔でお世辞せじを言ってくれる。ただ、逆に心苦しい。だって、ピンクなんか全然似合ってなかったもの……

「どれもよかったですけど、真純さんは気に入ったものがありますか?」
「……これでいい」

 今着ているのは、マリンブルーのノースリーブワンピース。

「そうですか? ピンクも可愛かったですよ。足ももう少し出してもいいんですけどね」

 ――どこぞのファッションコーディネーターか!?
 それにしてはピンクをすすめてくるとか、三流もいいところだ。

「これがいい。色が好きだから」

 深みのある青や藍色あいいろが一番しっくりくる。剣道の、はかまと同じ色だから。
 結局自分の根底にはそれしかないのかとガッカリもするが、如月くんはやけに嬉しそうな顔で瞳を輝かせていた。

「ですよね。真純さんにはその色が一番似合うと思います。それに俺も、青が好きです」

 青が好き。そういえば彼の車も同じ色だ。
 そんなことを考えていたら、如月くんはおじさまに聞き捨てならないことを言った。

「それじゃ、今着ているもの一式いただきます。このまま着て行くのでなにか羽織はおるものも。それから試着したもので……ピンクも一式そろえて、お願いします」
「ちょ、ちょっと待ってよ!?」


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