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第二話 戦えヒーロー! デパ地下バトル
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「どうして私が、こんなところに来なきゃいけないのかしら」
ああ、前にもこんなことを言った記憶があるなあ。などと思いながら溜め息をつく。
美江は今、とある諸事情によりKTHから少し離れた位置にあるデパートの地下売場にいた。
「まさか、あいつからちゃんと監視しろって言われるとは思わなかった。一体、何を企んでいるのかしら」
実は前日に起きた湿布騒動の後、美江は永山からある話を持ちかけられていた。
それは、怪人が出る場所に大方の見当がついているから先回りしておいて自分の活躍を目に焼きつけておけという、いまいち理解しがたいものだった。
「あいつ、ずいぶん力説してたわね」
永山の話を、忠実に回想するとこうであった。
『あの怪人のジジイは、試食巡りに精根を注いでるって感じだった。そんな奴が、絶対に目をつけそうな場所を俺は知ってるんだ。それはな、デパ地下だ。デパ地下と言やあ、よっぽどケチなところでなけりゃ売り場を一周しただけで軽ーく一食を浮かせられるくらいの試食の宝庫なんだ。は? デパ地下に目星をつけるまではいいとして、どのデパートに怪人が出没するかまではわからないんじゃねえかってか。俺をなめるなよ。この近くには、試食の穴場と囁かれるすげえデパートがあるんだ。奴は、間違いなくそこに現れる。心配するなって、俺の勘がそう言ってるんだ。信じろって、な? だから、俺は明日、そのデパートに先回りして怪人に対して一計を案じようと思う。お前はそれをしっかり見届けて、黒沢に俺の活躍を報告しろ。別に、話を盛れとか言ってねえんだから嫌な顔するなよ。あくまでも、自分が見たままのことを忠実に伝えてくれりゃあいいんだからさ。……ふっふっふっ、黒沢の連絡を出し抜いて怪人をさっさと捕まえりゃ、特別手当は確実だからな』
どこまでも、「金が信念」という言葉が具現化したような奴である。
「でも、あいつの言ってた通りかも。ここ、本当にすごいわ」
美江は感心しながら、改めて周囲を見回す。
広いスペースの中には、ところ狭しとテナントが立ち並んでいる。どれも主に食品を取り扱う、有名店ばかりだ。しかも、どのテナントも店頭にズラッと試食品を設置している。今時不景気だというのにめずらしい。
「で、どこにいるのかしらね。うちのヒーローは」
あの意地汚い怪人がこのデパ地下に目をつける可能性が高いということはよくわかった。しかし、肝心の永山がどこにも見当たらない。いないものは、監視しようがないではないか。
「まさか、謀られた?」
客や店員がごった返しているのを見ているうちに、美江の中である一つの疑念が浮かんできた。
ひょっとして、自分は永山にはめられたのではないか、と。
「いや、それは流石に……でも、あいつならやりかねないんじゃ」
ヒーローとしての仕事についての苦言や、特別手当の請求の妨害を受けたくないがために、自分に嘘の情報を吹き込むことで監視の目からまんまと逃れる。そして、永山自身はどこかで悠々とアルバイト。奴の人間性を考えると、可能性がゼロであるとは言い切れないのでは……。
「んむんむ。このワインもなかなか。値段のわりには、芳醇な香りがフワッと」
「!」
この渋い声、聞き覚えがある。
美江は永山に対する疑惑についての思考を一時中断し、声のした方へと向かった。
「や、やっぱり」
案の定、既に人だかりが出来上がってる。
どうにか野次馬をかき分けて先に進むと、前日に見たおじ様風怪人の姿があった。
「こちらの赤ワインはどうかな。んむ、程良い渋味の調和というものが」
ワイン売り場の前で、小さなプラスチックのコップに注がれたワインの試飲に舌鼓を打っている。
もう何杯も口にしているらしく、そこらの床には空のコップが大量に散乱していた。
「あの店員、あれだけ試飲をがぶ飲みされて文句の一つも言わないのか」
野次馬をしている客の一人が、不審そうな表情をしつつ呟く。
怪人の前には、上にほとんど物が乗っていないお盆を持った男が突っ立っていた。
白のワイシャツにに黒の長ズボン、深緑のキャップに同色のエプロンといった、そこらにいるワインコーナーの店員達と同じような格好をしている。
パッと見ただけでは普通の店員と変わらないように見えるが、キャップを目深に被っている上にうつむき気味であるせいで顔がよくわからない。だが、その口元は微かに笑っているように見えた。
「あれ?」
あの店員、どこかで見たことがあるような。
そうは思ったものの、距離が遠いせいで、視力に自信があってもはっきりとは確認できない。
美江は小柄な体格を活かし、さらに人だかりの奥へと進んでいった。
「ぷはっ」
どうにか最前列に出ると、美江はよく目を凝らして男の容姿をじっくりとらえた。
「なっ……!」
細身の長身に、ちょこんと束ねた後ろ髪。顔こそ隠れていて認識できないが、間違いない。あれは永山だ。
一体どうして、ワイン売り場の店員なんかになりすましているのか。
「お客さん、ワインのお味はお気に召しましたか」
ずっと黙ったまま店員を演じていた永山が、とうとうその特徴的な声を発した。
「んむ。それなりに楽しめる味ではあったぞ。また来ることを約束しようぞ」
怪人はいかにもご満悦といった様子で、口の周りについたワインをペロッとなめる。
それを目にした瞬間、永山はさらに口角を上げた。
「ではお客さん。そろそろ代金の方をお支払いしていただきましょうか」
「んむむ? 君は何を言っているのかね。これはあくまでも試飲だろう。無料ではないのか」
「普通はそう思いますよね。こんなそこらでウロチョロしてる店員と同じ格好の奴が、ワインを入れたコップを乗っけたお盆を持って売り場の前に突っ立ってたりなんかしたら。でも、この顔に見覚えがないとは言わせねえでございますよっと!」「んむむむむっ?」
永山がキャップを放り投げると、怪人はやっとその正体に気がついた。
美江は「声を聞いた時点でで気づけよ」とツッコミを入れたくなったが、ここは空気を読んでグッとこらえた。
「君は昨日の地球人。どうしてここに」
「てめえの思考回路を考えたら、ここに来ることくらい簡単に予測できたんだよ。そうそう、ついでにいいこと教えてやる。てめえがガブガブ飲んでたワインはな、俺が泣く泣く身銭を切って買ったものなんだよ。税込み価格二千五百円のワインが計二本、合わせて五千円だ。さあ、きっちりお支払いいただこうか!」
珍妙な騒ぎに、辺りがさらにざわつき始めた。仕方がないことと言ってしまえばそれまでなのだが。
「ふむ、君は本当にがめつくて野蛮な地球人ですねえ。ならば、わたくしがもう一度お仕置きをして差し上げましょう」
怪人は鼻で笑うと、前日と同じように腕を素早く振り上げた。
「バーカ。何度も同じ手を食らうかよ」
怪人の行動パターンを読み切っていた永山はそれをあっさりとかわし、軽々と後方に飛びのいた。
やはり、この男の運動能力は尋常ではない。
「おや、君は野蛮なくせに学習能力というものが備わっておりましたか。生意気ですねえ」
「うっせーな。てめえなんかさっさと叩きのめしてKTHに突き出してやる」
この会話を皮切りに、地球人VS異星人の肉弾戦が幕を開けた。
「うらあっ!」
まずは永山が勢いをつけ、怪人目がけて飛び蹴りを放った。
「口ほどにもありませんね。鈍いことこの上ない」
怪人はそれを見切り、その容姿からは想像がつかないくらいの鮮やかな動きでよける。
そして、そのまま体勢を整えてから足払いをかけた。
「俺が鈍いだと? ふん、てめえほどじゃねえさ」
だが、永山もまたそれを軽やかにかわしてしまう。
普段の行いはともかくとして、怪人との戦いの時だけは何となくヒーローっぽい感じがする。
「何だこれ。新手のパフォーマンスか? おっさんの方、頭に角みたいな飾りつけてるし」
「いいぞー! もっとやれーっ!」
客達は、その戦いっぷりをすっかり店のイベントと勘違いしてしまっているようだ。そのせいで、何気に売り場が滅茶苦茶になってしまっていることは誰も気にも止めていない。
男はプロレス観戦でもしているかのように盛り上がり、女は比較的端麗な永山の容姿に見とれて携帯電話のカメラ機能で写真を撮りまくっている。
怪人の存在が公になってどうこう騒がれるよりは遥かにマシなのだろうが、これでいいのだろうか。
「食らえっ!」
「ぐふっ」
熾烈な攻防戦の末、永山のハイキックが怪人の頬に激しく命中した。
怪人は衝撃で吹っ飛んでいき、床に無残な姿で転がった。
「ぐう……地球人にしては強い。君はもしや、この地域の」
「そう、俺はこの地域を守る雇われヒーローさ。参ったか」
永山は嘲るように笑いながら、したり顔を決めた。
そのさまはヒーローというよりも、状況が優勢な立場にある時の悪役幹部に近いように見えて仕方がない。
「やはりそうでしたか。流石、仲間をボコボコにしてナーゾノ星に送り返してきただけのことはある。どうやらわたくしは、本気を出して君に勝負を挑まなければいけないようですな」
怪人はゆっくりと立ち上がると、瞳を怪しく光らせた。
身体からもうもうと煙を上げ、その姿を奇怪なものへと変化させていく。
「……」
「あれ?」
以前チンピラ怪人が変身しようとした時は、変身しきる前に不意打ちを加えるといった、ヒーローにあるまじき行動をした永山であったというのに、今回はおじ様怪人が異形なものへと姿を変えていくのを腕を組んだまま傍観している。深読みかもしれないが、何か考えでもあるのだろうか。
「すごい技術だな。どうやってやってんだろう」
「ママー。あの怪獣のぬいぐるみ欲しいー」
誰もが目の前の怪人を本物だとは認識しない中、どこにでもいそうなおじ様は完全に化け物へと変化した。
「どうです? これがわたくしの本当の姿ですよ。見違えましたか」
真紅に染まった身体には、全身を覆うようにうろこがびっしりとついている。
顔は人間に近い容姿をしていた時の面影はなく、頭部は赤いトカゲに角が生えたようなものへと変貌を遂げていた。
二股の尻尾を振るその外見は、まさに特撮作品に登場する怪人そのものであった。
「おー。こりゃあ見違えたな。すごいすごい、驚いた」
永山は巨大トカゲを前に、棒読みに近い無感情な口調で言った。
その直後、活き活きとした目をしながらニタッと意地の悪い笑みを顔に貼りつけた。
「本当、めっちゃ醜く化けやがったな! それだったらな、さっきのクソジジイモードの方がいくらか格好がついてたってもんだ。あっはははは!」
「な……な……何ですと」
真の姿を面と向かって侮辱されたのが余程悔しかったのか、怪人はギョロギョロと動く目玉を光らせながら激昂した。
「君のことだけは、絶対に許しません。その腐りきった性根を、徹底的に叩き直して差し上げます。覚悟しなさい!」
「てめえ如きにできるかなあ。無理だと思うけどなあ」
「無理なものですか。今のわたくしは、先程までとは比べものにならないくらいの強さを誇るのですから。自分が吐き倒した暴言の数々を、深く悔みなさい」
怪人は「シャアアア!」と奇声を上げ、指の先から鋭利な爪を伸ばす。
それを武器に永山に向かって突進しようとした、まさにその瞬間であった。
「うぐぉ……」
ゴロゴロゴロ……。
怪人の腹の中から、雷雲がどこかの空で奏でていそうな轟音が周囲に響き渡った。
それと同時に、怪人は大きく目を見開いて下腹部を手で押さえ込む。
「な、何ですこの痛みは。うう……ああっああああ……」
ゴロゴロゴロゴロ……。
腹から鳴り響く音の大きさは、さらに容赦なく増していく。
「ま、まさかあんた、さっきのワインに何か仕込んでたんじゃ」
美江は状況を察すると、すぐさま永山を問い詰めた。
その返答はというと、実に淡白なものであった。
「当然だ。こいつは怪人の中でもなかなか手強そうだったから一服盛らせてもらった。ただ怪人をおびき寄せるためだけに、店員に化けて酒を飲ませるなんて面倒なことをするかよ」
「一服盛ったって、何を?」
「即効性のある市販の下剤をたっぷりと。この怪人、グルメを気取ってるわりには恐ろしいくらいの味音痴だったみたいだな。はっははは!」
敵に下剤を盛るなんて、ヒーローとしては考えられないような最低の戦法ではないだろうか。この男、やはり骨の髄まで外道要素に溢れている。
「おおおっ……ぐ、ぐぐ……」
地球外の生命体であるナーゾノ星人にも、人間が服用する市販の下剤というものは効果てきめんらしい。怪人は身体中から汗を吹き出してその場にうずくまってしまい、もはや戦える状態ではなくなってしまった。
「ヒーローショー、終わったみたいだな」
「奇抜なオチだったわねえ」
戦いを見物していた客達は、イベントが終了したと思い込んだらしく小首をかしげながら徐々に散り散りになっていった。
「さーてと」
周りの状況などには全く興味を示さない永山は、ゆっくりと怪人の元へと歩いていった。
「ち……地球人というのは何と卑怯な生き物なのでしょう。ぐ……ううっ……」
「おっ。卑怯と表現されるくらい俺の一計は出来が良くて素晴らしかったのか。間接的に褒めてくれてありがとよ、クソジジイ」
「誰が君なんかを褒めますかっ……おおおっ!」
怪人が悪事を働いたがために、ヒーローに退治されるという末路を辿ったということを美江は重々承知している。だが、ここまで苦しむさまを見せられると、何だかかわいそうに思えてならなかった。
「さ、仕事、仕事。〇〇一‐二四と」
永山は服の袖を少しまくり、KTシーバーに数字を入力する。
怪人はそこから放射された光を浴びると、いつぞやの時と同じように小型の荷車に乗せられて縄でぐるぐる巻きという状態になった。
「さっさとKTHに持って行って、仕事を終わらせるとするか。花咲、約束のことは忘れてねえよな。今日の俺の活躍、黒沢に一から十まできっちり伝えろよ」
「あ……うん」
経緯はどうであれ、ヒーローが怪人を倒すのに成功したことには変わりはない。
いまいち気が進まないが、監視役としての職務はしっかりとこなさなくては。
「じゃ、そろそろ」
「お待ち……なさい」
「あ?」
永山は取っ手に手をかけ、KTHへと向かおうとした。
その途端、荷車が押されようとしたところで怪人が苦悶の表情を浮かべながら、蚊の鳴くような声で話し始めた。
「ヒーローよ、わたくしにこんな仕打ちをしておいてただで済むと思ってないでしょうね」
「タダ? 慰謝料でも支払う気にでもなったか」
「ぐ……どこまでもふざけたことを。いいですか、わたくしがナーゾノ星に帰ったら……うっ。わ、我が星の皇帝に君の非道な行いを事細かに伝えます。うぐっ……こ、皇帝は、ナーゾノ星人に害をなす君の存在を放ってはおかないでしょう……」
皇帝? ナーゾノ星には、皇帝が存在しているというのか。
美江は怪人の話に関心を向けたが、永山は興味のなさそうに大欠伸をした。
「へいへい、勝手にしてくれ。そんなことより、絶対に漏らすなよ。金も入らねえのに掃除させられるなんて、たまったもんじゃねえからな」
怪人の捨て台詞を適当にあしらうと、その後も彼の言葉に耳を傾けることなくガラガラと荷車を押していった。
ああ、前にもこんなことを言った記憶があるなあ。などと思いながら溜め息をつく。
美江は今、とある諸事情によりKTHから少し離れた位置にあるデパートの地下売場にいた。
「まさか、あいつからちゃんと監視しろって言われるとは思わなかった。一体、何を企んでいるのかしら」
実は前日に起きた湿布騒動の後、美江は永山からある話を持ちかけられていた。
それは、怪人が出る場所に大方の見当がついているから先回りしておいて自分の活躍を目に焼きつけておけという、いまいち理解しがたいものだった。
「あいつ、ずいぶん力説してたわね」
永山の話を、忠実に回想するとこうであった。
『あの怪人のジジイは、試食巡りに精根を注いでるって感じだった。そんな奴が、絶対に目をつけそうな場所を俺は知ってるんだ。それはな、デパ地下だ。デパ地下と言やあ、よっぽどケチなところでなけりゃ売り場を一周しただけで軽ーく一食を浮かせられるくらいの試食の宝庫なんだ。は? デパ地下に目星をつけるまではいいとして、どのデパートに怪人が出没するかまではわからないんじゃねえかってか。俺をなめるなよ。この近くには、試食の穴場と囁かれるすげえデパートがあるんだ。奴は、間違いなくそこに現れる。心配するなって、俺の勘がそう言ってるんだ。信じろって、な? だから、俺は明日、そのデパートに先回りして怪人に対して一計を案じようと思う。お前はそれをしっかり見届けて、黒沢に俺の活躍を報告しろ。別に、話を盛れとか言ってねえんだから嫌な顔するなよ。あくまでも、自分が見たままのことを忠実に伝えてくれりゃあいいんだからさ。……ふっふっふっ、黒沢の連絡を出し抜いて怪人をさっさと捕まえりゃ、特別手当は確実だからな』
どこまでも、「金が信念」という言葉が具現化したような奴である。
「でも、あいつの言ってた通りかも。ここ、本当にすごいわ」
美江は感心しながら、改めて周囲を見回す。
広いスペースの中には、ところ狭しとテナントが立ち並んでいる。どれも主に食品を取り扱う、有名店ばかりだ。しかも、どのテナントも店頭にズラッと試食品を設置している。今時不景気だというのにめずらしい。
「で、どこにいるのかしらね。うちのヒーローは」
あの意地汚い怪人がこのデパ地下に目をつける可能性が高いということはよくわかった。しかし、肝心の永山がどこにも見当たらない。いないものは、監視しようがないではないか。
「まさか、謀られた?」
客や店員がごった返しているのを見ているうちに、美江の中である一つの疑念が浮かんできた。
ひょっとして、自分は永山にはめられたのではないか、と。
「いや、それは流石に……でも、あいつならやりかねないんじゃ」
ヒーローとしての仕事についての苦言や、特別手当の請求の妨害を受けたくないがために、自分に嘘の情報を吹き込むことで監視の目からまんまと逃れる。そして、永山自身はどこかで悠々とアルバイト。奴の人間性を考えると、可能性がゼロであるとは言い切れないのでは……。
「んむんむ。このワインもなかなか。値段のわりには、芳醇な香りがフワッと」
「!」
この渋い声、聞き覚えがある。
美江は永山に対する疑惑についての思考を一時中断し、声のした方へと向かった。
「や、やっぱり」
案の定、既に人だかりが出来上がってる。
どうにか野次馬をかき分けて先に進むと、前日に見たおじ様風怪人の姿があった。
「こちらの赤ワインはどうかな。んむ、程良い渋味の調和というものが」
ワイン売り場の前で、小さなプラスチックのコップに注がれたワインの試飲に舌鼓を打っている。
もう何杯も口にしているらしく、そこらの床には空のコップが大量に散乱していた。
「あの店員、あれだけ試飲をがぶ飲みされて文句の一つも言わないのか」
野次馬をしている客の一人が、不審そうな表情をしつつ呟く。
怪人の前には、上にほとんど物が乗っていないお盆を持った男が突っ立っていた。
白のワイシャツにに黒の長ズボン、深緑のキャップに同色のエプロンといった、そこらにいるワインコーナーの店員達と同じような格好をしている。
パッと見ただけでは普通の店員と変わらないように見えるが、キャップを目深に被っている上にうつむき気味であるせいで顔がよくわからない。だが、その口元は微かに笑っているように見えた。
「あれ?」
あの店員、どこかで見たことがあるような。
そうは思ったものの、距離が遠いせいで、視力に自信があってもはっきりとは確認できない。
美江は小柄な体格を活かし、さらに人だかりの奥へと進んでいった。
「ぷはっ」
どうにか最前列に出ると、美江はよく目を凝らして男の容姿をじっくりとらえた。
「なっ……!」
細身の長身に、ちょこんと束ねた後ろ髪。顔こそ隠れていて認識できないが、間違いない。あれは永山だ。
一体どうして、ワイン売り場の店員なんかになりすましているのか。
「お客さん、ワインのお味はお気に召しましたか」
ずっと黙ったまま店員を演じていた永山が、とうとうその特徴的な声を発した。
「んむ。それなりに楽しめる味ではあったぞ。また来ることを約束しようぞ」
怪人はいかにもご満悦といった様子で、口の周りについたワインをペロッとなめる。
それを目にした瞬間、永山はさらに口角を上げた。
「ではお客さん。そろそろ代金の方をお支払いしていただきましょうか」
「んむむ? 君は何を言っているのかね。これはあくまでも試飲だろう。無料ではないのか」
「普通はそう思いますよね。こんなそこらでウロチョロしてる店員と同じ格好の奴が、ワインを入れたコップを乗っけたお盆を持って売り場の前に突っ立ってたりなんかしたら。でも、この顔に見覚えがないとは言わせねえでございますよっと!」「んむむむむっ?」
永山がキャップを放り投げると、怪人はやっとその正体に気がついた。
美江は「声を聞いた時点でで気づけよ」とツッコミを入れたくなったが、ここは空気を読んでグッとこらえた。
「君は昨日の地球人。どうしてここに」
「てめえの思考回路を考えたら、ここに来ることくらい簡単に予測できたんだよ。そうそう、ついでにいいこと教えてやる。てめえがガブガブ飲んでたワインはな、俺が泣く泣く身銭を切って買ったものなんだよ。税込み価格二千五百円のワインが計二本、合わせて五千円だ。さあ、きっちりお支払いいただこうか!」
珍妙な騒ぎに、辺りがさらにざわつき始めた。仕方がないことと言ってしまえばそれまでなのだが。
「ふむ、君は本当にがめつくて野蛮な地球人ですねえ。ならば、わたくしがもう一度お仕置きをして差し上げましょう」
怪人は鼻で笑うと、前日と同じように腕を素早く振り上げた。
「バーカ。何度も同じ手を食らうかよ」
怪人の行動パターンを読み切っていた永山はそれをあっさりとかわし、軽々と後方に飛びのいた。
やはり、この男の運動能力は尋常ではない。
「おや、君は野蛮なくせに学習能力というものが備わっておりましたか。生意気ですねえ」
「うっせーな。てめえなんかさっさと叩きのめしてKTHに突き出してやる」
この会話を皮切りに、地球人VS異星人の肉弾戦が幕を開けた。
「うらあっ!」
まずは永山が勢いをつけ、怪人目がけて飛び蹴りを放った。
「口ほどにもありませんね。鈍いことこの上ない」
怪人はそれを見切り、その容姿からは想像がつかないくらいの鮮やかな動きでよける。
そして、そのまま体勢を整えてから足払いをかけた。
「俺が鈍いだと? ふん、てめえほどじゃねえさ」
だが、永山もまたそれを軽やかにかわしてしまう。
普段の行いはともかくとして、怪人との戦いの時だけは何となくヒーローっぽい感じがする。
「何だこれ。新手のパフォーマンスか? おっさんの方、頭に角みたいな飾りつけてるし」
「いいぞー! もっとやれーっ!」
客達は、その戦いっぷりをすっかり店のイベントと勘違いしてしまっているようだ。そのせいで、何気に売り場が滅茶苦茶になってしまっていることは誰も気にも止めていない。
男はプロレス観戦でもしているかのように盛り上がり、女は比較的端麗な永山の容姿に見とれて携帯電話のカメラ機能で写真を撮りまくっている。
怪人の存在が公になってどうこう騒がれるよりは遥かにマシなのだろうが、これでいいのだろうか。
「食らえっ!」
「ぐふっ」
熾烈な攻防戦の末、永山のハイキックが怪人の頬に激しく命中した。
怪人は衝撃で吹っ飛んでいき、床に無残な姿で転がった。
「ぐう……地球人にしては強い。君はもしや、この地域の」
「そう、俺はこの地域を守る雇われヒーローさ。参ったか」
永山は嘲るように笑いながら、したり顔を決めた。
そのさまはヒーローというよりも、状況が優勢な立場にある時の悪役幹部に近いように見えて仕方がない。
「やはりそうでしたか。流石、仲間をボコボコにしてナーゾノ星に送り返してきただけのことはある。どうやらわたくしは、本気を出して君に勝負を挑まなければいけないようですな」
怪人はゆっくりと立ち上がると、瞳を怪しく光らせた。
身体からもうもうと煙を上げ、その姿を奇怪なものへと変化させていく。
「……」
「あれ?」
以前チンピラ怪人が変身しようとした時は、変身しきる前に不意打ちを加えるといった、ヒーローにあるまじき行動をした永山であったというのに、今回はおじ様怪人が異形なものへと姿を変えていくのを腕を組んだまま傍観している。深読みかもしれないが、何か考えでもあるのだろうか。
「すごい技術だな。どうやってやってんだろう」
「ママー。あの怪獣のぬいぐるみ欲しいー」
誰もが目の前の怪人を本物だとは認識しない中、どこにでもいそうなおじ様は完全に化け物へと変化した。
「どうです? これがわたくしの本当の姿ですよ。見違えましたか」
真紅に染まった身体には、全身を覆うようにうろこがびっしりとついている。
顔は人間に近い容姿をしていた時の面影はなく、頭部は赤いトカゲに角が生えたようなものへと変貌を遂げていた。
二股の尻尾を振るその外見は、まさに特撮作品に登場する怪人そのものであった。
「おー。こりゃあ見違えたな。すごいすごい、驚いた」
永山は巨大トカゲを前に、棒読みに近い無感情な口調で言った。
その直後、活き活きとした目をしながらニタッと意地の悪い笑みを顔に貼りつけた。
「本当、めっちゃ醜く化けやがったな! それだったらな、さっきのクソジジイモードの方がいくらか格好がついてたってもんだ。あっはははは!」
「な……な……何ですと」
真の姿を面と向かって侮辱されたのが余程悔しかったのか、怪人はギョロギョロと動く目玉を光らせながら激昂した。
「君のことだけは、絶対に許しません。その腐りきった性根を、徹底的に叩き直して差し上げます。覚悟しなさい!」
「てめえ如きにできるかなあ。無理だと思うけどなあ」
「無理なものですか。今のわたくしは、先程までとは比べものにならないくらいの強さを誇るのですから。自分が吐き倒した暴言の数々を、深く悔みなさい」
怪人は「シャアアア!」と奇声を上げ、指の先から鋭利な爪を伸ばす。
それを武器に永山に向かって突進しようとした、まさにその瞬間であった。
「うぐぉ……」
ゴロゴロゴロ……。
怪人の腹の中から、雷雲がどこかの空で奏でていそうな轟音が周囲に響き渡った。
それと同時に、怪人は大きく目を見開いて下腹部を手で押さえ込む。
「な、何ですこの痛みは。うう……ああっああああ……」
ゴロゴロゴロゴロ……。
腹から鳴り響く音の大きさは、さらに容赦なく増していく。
「ま、まさかあんた、さっきのワインに何か仕込んでたんじゃ」
美江は状況を察すると、すぐさま永山を問い詰めた。
その返答はというと、実に淡白なものであった。
「当然だ。こいつは怪人の中でもなかなか手強そうだったから一服盛らせてもらった。ただ怪人をおびき寄せるためだけに、店員に化けて酒を飲ませるなんて面倒なことをするかよ」
「一服盛ったって、何を?」
「即効性のある市販の下剤をたっぷりと。この怪人、グルメを気取ってるわりには恐ろしいくらいの味音痴だったみたいだな。はっははは!」
敵に下剤を盛るなんて、ヒーローとしては考えられないような最低の戦法ではないだろうか。この男、やはり骨の髄まで外道要素に溢れている。
「おおおっ……ぐ、ぐぐ……」
地球外の生命体であるナーゾノ星人にも、人間が服用する市販の下剤というものは効果てきめんらしい。怪人は身体中から汗を吹き出してその場にうずくまってしまい、もはや戦える状態ではなくなってしまった。
「ヒーローショー、終わったみたいだな」
「奇抜なオチだったわねえ」
戦いを見物していた客達は、イベントが終了したと思い込んだらしく小首をかしげながら徐々に散り散りになっていった。
「さーてと」
周りの状況などには全く興味を示さない永山は、ゆっくりと怪人の元へと歩いていった。
「ち……地球人というのは何と卑怯な生き物なのでしょう。ぐ……ううっ……」
「おっ。卑怯と表現されるくらい俺の一計は出来が良くて素晴らしかったのか。間接的に褒めてくれてありがとよ、クソジジイ」
「誰が君なんかを褒めますかっ……おおおっ!」
怪人が悪事を働いたがために、ヒーローに退治されるという末路を辿ったということを美江は重々承知している。だが、ここまで苦しむさまを見せられると、何だかかわいそうに思えてならなかった。
「さ、仕事、仕事。〇〇一‐二四と」
永山は服の袖を少しまくり、KTシーバーに数字を入力する。
怪人はそこから放射された光を浴びると、いつぞやの時と同じように小型の荷車に乗せられて縄でぐるぐる巻きという状態になった。
「さっさとKTHに持って行って、仕事を終わらせるとするか。花咲、約束のことは忘れてねえよな。今日の俺の活躍、黒沢に一から十まできっちり伝えろよ」
「あ……うん」
経緯はどうであれ、ヒーローが怪人を倒すのに成功したことには変わりはない。
いまいち気が進まないが、監視役としての職務はしっかりとこなさなくては。
「じゃ、そろそろ」
「お待ち……なさい」
「あ?」
永山は取っ手に手をかけ、KTHへと向かおうとした。
その途端、荷車が押されようとしたところで怪人が苦悶の表情を浮かべながら、蚊の鳴くような声で話し始めた。
「ヒーローよ、わたくしにこんな仕打ちをしておいてただで済むと思ってないでしょうね」
「タダ? 慰謝料でも支払う気にでもなったか」
「ぐ……どこまでもふざけたことを。いいですか、わたくしがナーゾノ星に帰ったら……うっ。わ、我が星の皇帝に君の非道な行いを事細かに伝えます。うぐっ……こ、皇帝は、ナーゾノ星人に害をなす君の存在を放ってはおかないでしょう……」
皇帝? ナーゾノ星には、皇帝が存在しているというのか。
美江は怪人の話に関心を向けたが、永山は興味のなさそうに大欠伸をした。
「へいへい、勝手にしてくれ。そんなことより、絶対に漏らすなよ。金も入らねえのに掃除させられるなんて、たまったもんじゃねえからな」
怪人の捨て台詞を適当にあしらうと、その後も彼の言葉に耳を傾けることなくガラガラと荷車を押していった。
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大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
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