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第六話 怪人のエレジー
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怪人とは、秩序を乱し災いをもたらす悪の象徴。
物語に登場する際は決まって悪党として役割を与えられ、その心の中も悪に染まりきっている憎き存在として描かれることが圧倒的に多い。
しかし、全ての怪人がそうである保証はどこにもない。
遊園地での一件以来すっかり求人誌とお友達になってしまった美江は、KTHの丸イスに腰かけながら求人情報を片っ端から読み漁っていた。
「いまいちピンとくる仕事がないわ。しかも、どれも契約社員みたいな非正規雇用の奴ばっかりだし。嫌になっちゃう」
今更語ることでもないかもしれないが、美江には派遣切りに遭い失業したという苦い経験がある。
そんな悲しい理由から正社員にやたらとこだわり、職を探し続けているのだが、どうも巡り合わせが悪い。
既に何社か面接まではこぎつけたのだが、結果は全て撃沈だった。
「だったら、ここでずっと俺の監視役でもやってりゃいいだろ。あれだけの給料もらっておいて、一体何が不満なんだよ」
己の悲運を嘆いていると、耳に入れるのも不愉快な声が飛んできた。
渋々顔を向けると、そこには本来は黒沢の定位置である場所でくつろぐ永山の姿があった。組んだ足を事務机にどっかりと乗せながら、堂々とふんぞり返っている。
「何が不満なのか、ですって? そりゃあ、あんたの存在に決まってるでしょ」
「ほーう。その、目の前に存在している本人に向かってよく言えるな。投てきヒロインの花咲さんよ」
「変なあだ名を増やさないで。プチ火山だけでもムカつくってのに……。で、どうしてあんたは黒沢さんの席でくつろいでるわけ。いつもならバイトでここにいないか、円卓辺りで内職にうつつを抜かしてるかのどっちかのくせに」
「たまにはゆっくり休まないと、過労死しかねないからな。俺だってさ、月に何回かはバイトも内職も控える日を作ってんだよ。無理して身体を壊したら元も子もねえし」
「ふーん、そう。それはわかったわ。で、どうしてあんたごときがその席でくつろいでるわけ?」
「それはな、鬼の居ぬ間に洗濯って奴だ。黒沢さ、どう考えてもしばらくここに顔を出さなそうだろ」
「まあ、確かに」
KTHの主とも言える存在である黒沢はというと、前日から念願の休暇を取って家族旅行に出かけてしまっていた。何でも、今まで休めなかった分を取り返すかの如く連休を本部から強引にむしり取ったとのことで、旅立つ直前には『休みの間くらいは仕事には一切関わりたくない。絶対連絡とかしてこないでね!』と、壊れ気味の口調で言っていた。
余程普段からの疲れを癒したいのか。それとも、妻と子供からの『たまには仕事を忘れて家族サービスしやがれ!』アピールが強過ぎで頭のどこかがぷっつんといってしまったのか。謎といえば謎であった。
……まあ、どう考えても有力なのは後者の方であるのだが。
「でも、あんたが黒沢さんを鬼に例えるなんてね。いつもの馬鹿にしたような態度からは、黒沢さんを恐がっているようには見えなかったんだけど」
「それは言葉のあやってもんだ。今みたいに揚げ足を取られるほど深い意味を込めた覚えはねえんだけど。まあ、しばらくはガーガー言ってくる奴もいないわけだし、ゆっくり休んだ後はのんびりバイトと内職を」
「そうはいかないわよ、永山君」
「?」
話の途中、どこからともなく聞き覚えのない声が割り込んできた。
二人が視線を向けると、そこには小脇にノートパソコンを抱え、グレーのスーツを着こなす女がKTHの入口近くで佇んでいる姿があった。見たところ、歳は四十前後くらい。黒縁眼鏡の奥に光る目はどこか鋭く、冷たい印象を与える。
美江は記憶を可能な限り振り絞ってみたが、彼女が何者なのか全くもって見当がつかなかった。
「あの……えっと?」
「貴女が花咲美江さんね。黒沢さんから話は伺っているわ」
「はあ」
女はどう見ても若くはなさそうなのだが、黒沢のことを敬称つきで呼んだ。絶対にこのタイミングで思うべきことではないだろうが、どうしても気になってしまう。
声が届かないのは承知で、あえて心の中で呟こう。黒沢さん、貴方は一体何歳なのですか。
「ああ、一応自己紹介をしておいた方がいいかしら。私の名前は立花英子。普段はKTHの本部で働いているけど、今回は休暇をとった黒沢さんの職務を代行するためにここに派遣されたの。ほんの少しの間だけれど、よろしく」
「は、はい……」
美江は英子の毅然とした態度に緊張し、つい畏縮してしまった。
いかにもやり手な上司にいそうな、パリッとしたしまりのある雰囲気。比較的砕けた印象が強い黒沢とは、かなり風格が異なる。
「ふーん。貴女が黒沢さんの代役というわけですか。ま、これも何かの縁ですね。よろしくお願いします」
永山はかったるそうに欠伸をしながら、とても目上の相手にするべきとは言えない口調で適当にあいさつをした。
当然それは心証を悪くすることに直結する行為であり、英子の顔つきはみるみるうちに険しくなった。
「永山君。いい加減にそこからどいていただけないかしら」
「あー……ここに座りたいんですか?」
「そんなの聞くまでもないことでしょう。私は、黒沢さんの仕事の代行をしにきたのだから」
「でも、それだったら他の席でも充分に仕事はできますよね? 自分でパソコンまでお持ちになられているようですし」
「貴方が座っているその席には、作業に必要な書類だとかがたくさん備えられているの。私の業務は、貴方の内職と違ってどこでもできるっていうものじゃないの」
「それは嫌味ですか?」
毒を含んだ言葉を耳にするなり、永山の眉がピクリと引きつった。しかし、英子は動じることなく冷淡に切り返す。
「ええ、そうよ。もしかして、今の発言をパワハラだとでも訴えたいわけ? 訴えるのは自由だけど、その時は貴方が行ってきた所業の数々についてしかるべき処置をとらせていただくから。覚悟しておいて」
「わ、わかりましたよ。どけばいいんでしょう」
渋々ながらイスから退くと、悔しそうにしながら英子を睨んだ。永山が屁理屈をこねる前に一方的にねじ伏せられてしまうとはめずらしい。
「最初から素直に応じればいいのよ。……ほら、くだらない話をしているうちに」
英子が事務机にパソコンを置いたのとほぼ同時に、甲高い電子音が流れ始めた。どうやら、こちらの都合もおかまいなしに怪人が出現したらしい。
「情報によると、B区に怪人が現れたらしいわ。永山君、早急に現場に向かってちょうだい」
英子はてきぱきとパソコンを操作しながら、上官だとか司令官だとからしい口調で命令をした。
だが、先程の論戦でへそを曲げたのか、永山は素直に従おうとしない。
「妙に態度が横柄ですねえ。日夜命を懸けて戦うヒーローに対して、それはないんじゃないですか?」
「あら、上司が部下に命令することのどこに問題があるというのかしら。私はKTHの本部に所属する正規社員で、貴方は支部で簡単な契約をかわしているというだけの、いわゆるアルバイト。どちらの立場が上なのかは、明らかよね」
「でも、その権利の弱いアルバイトとやらにやめられて困るのは、KTHの方なんじゃないですか? ヒーローとしての職務をこなせる人材がいなくて困ってるという話は、俺の耳にとっくの昔に入ってきてるんですよ。そんな貴重な人材を粗末に扱って、やめられたらどうしようだとか考えたりしないもんなんですか? 俺はたくさんバイトもしてますし、ここをいつでもやめていいと思ってるんですよ」
来た。伝家の宝刀「ヒーローやめます宣言」がとうとう出た。
この外道ヒーローは、相手の弱みにつけ込んでこの常套手段を必ずと言っていいほど繰り出す。
黒沢なら、これをかまされるなり胃の辺りを押さえて苦しみ始めるところなのだが……。
「あら、貴方こそ、本当はここをやめさせられたら困るんじゃないの?」
「は?」
英子が鋭い切り返しをするなり、永山は一瞬動きを止めた。
どこか動揺しているようにも見えるその様子を見計らってか、英子はさらに追撃をした。
「こっちだってね、人材の教育くらいときちんと推進し始めているわ。もう少し時間をかければ、ヒーローとして使える人材を安定して得ることができる。状況によっては、貴方を切ることも視野に入れることができるわ」
「それは、脅しと判断してよろしいでしょうか」
「脅し? とんでもない。私はただ、事実を話したまでよ。でも、今の言葉の意味を理解できたのであれば、自分がどんな立場に置かれているのかを察するのくらい簡単よね?」
「ぐ……わかりましたよ。行けばいいんでしょう、行けば」
永山は苦々しく口元を歪めた後、ブツブツと文句を垂れながらKTHから出ていった。
この口の悪い男がここまでコテンパンに言い負かされるというのは、どことなく爽快というか、やはりめずらしい。
「黒沢さんは、どうしてあの程度の男にいつも手を焼いているのかしら。理解しがたいわね」
当の英子はというと、涼しげな様子で頬杖をつくばかりである。
どこまでもクールというか、見かけ通りやり手というかといった感じである。
「さて、それはさておき。花咲さん」
「は、はいっ」
先程まで完全に蚊帳の外であった美江は、急に名を呼ばれてビクッと肩を震わせた。
「そんなに緊張しなくてもいいじゃないの。女同士なんだから。貴女、黒沢さんと話をする時もそんなに神経を張りつめているの?」
「い、いえ。あの人の場合はピリッとした雰囲気を持ち合わせていないので全然」
「まあ、確かにそうかもね。昔から、そういう感じの人だったし」
「あれ、黒沢さんと昔からの仲なんですか」
「ええ。新人時代に仕事のノウハウを教えていただいたことがあってね。だけど、その頃からフレンドリーな苦労人って感じだったわ」
「はあ」
少し前から思っていたことだが、今頃黒沢は旅行先でくしゃみを連発しているに違いない。
「さ、雑談はここまでにしておきましょう。花咲さん、貴女も現場に向かって。ヒーローの監視、しっかりとお願い」
「わかりました。では……」
美江はいつもよりもきびきびとした返事をすると、足早にKTHを後にしようとした。
しかしその足は、階段の前でピタリと止まった。
「どうかしたの。何か忘れ物?」
「いえ、そうではないんですけど。一つ、どうしても気になることがありまして」
「気になること? 私に答えられることであれば答えるわ」
「そ、そうですか」
美江はためらいがちに口をもごもごと動かす。そして、ほんの少し勇気を振り絞って言った。
「さっき、永山に対して『貴方こそ、本当はここをやめさせられたら困るんじゃないの?』って言いましたよね? もしかして、あいつが金に執着してる理由を知ってたりするんですか」
以前から気になっていた、ある意味では究極の謎。どうして永山はあそこまで金に執着してるのか。そして、大量に稼いでいると思われる金は何に使われているのか。奴がヒーローをやめさせられて困る理由を知ることができれば、おのずとその答えに近づけるような気がしたのだが。
「ああ、そのこと? 悪いけど、私は何も知らないわ」
「へ?」
期待外れの返答に、美江は思わず間の抜けた声を発してしまった。
英子はそんなことなど気にも止めず、淡々と語り続けた。
「あれは、話のペースをこちらのものにするために鎌をかけただけよ。だって彼、ヒーローなんて仕事、よっぽどお金が必要でなければやらなそうだもの。おそらく、かなりのわけありなんだろうけど、詳しくはわからないわ」
「そうだったんですか……」
鎌をかけるというのは、何て恐ろしい行為なのだろうか。
先日、美江は遊園地で永山に鎌をかけられたせいで現在彼氏募集中の身分であることが露見してしまったばかりである。それゆえに、これを聞くと何とも言い難い気分にかられてしまったのだった。
「どうしても気になるんだったら、本人に聞いてみることね。さ、早く任務に移って」
「はい……」
英子の終始一貫した冷徹な態度に追い出されるようにして、美江は階段を上がっていった。
物語に登場する際は決まって悪党として役割を与えられ、その心の中も悪に染まりきっている憎き存在として描かれることが圧倒的に多い。
しかし、全ての怪人がそうである保証はどこにもない。
遊園地での一件以来すっかり求人誌とお友達になってしまった美江は、KTHの丸イスに腰かけながら求人情報を片っ端から読み漁っていた。
「いまいちピンとくる仕事がないわ。しかも、どれも契約社員みたいな非正規雇用の奴ばっかりだし。嫌になっちゃう」
今更語ることでもないかもしれないが、美江には派遣切りに遭い失業したという苦い経験がある。
そんな悲しい理由から正社員にやたらとこだわり、職を探し続けているのだが、どうも巡り合わせが悪い。
既に何社か面接まではこぎつけたのだが、結果は全て撃沈だった。
「だったら、ここでずっと俺の監視役でもやってりゃいいだろ。あれだけの給料もらっておいて、一体何が不満なんだよ」
己の悲運を嘆いていると、耳に入れるのも不愉快な声が飛んできた。
渋々顔を向けると、そこには本来は黒沢の定位置である場所でくつろぐ永山の姿があった。組んだ足を事務机にどっかりと乗せながら、堂々とふんぞり返っている。
「何が不満なのか、ですって? そりゃあ、あんたの存在に決まってるでしょ」
「ほーう。その、目の前に存在している本人に向かってよく言えるな。投てきヒロインの花咲さんよ」
「変なあだ名を増やさないで。プチ火山だけでもムカつくってのに……。で、どうしてあんたは黒沢さんの席でくつろいでるわけ。いつもならバイトでここにいないか、円卓辺りで内職にうつつを抜かしてるかのどっちかのくせに」
「たまにはゆっくり休まないと、過労死しかねないからな。俺だってさ、月に何回かはバイトも内職も控える日を作ってんだよ。無理して身体を壊したら元も子もねえし」
「ふーん、そう。それはわかったわ。で、どうしてあんたごときがその席でくつろいでるわけ?」
「それはな、鬼の居ぬ間に洗濯って奴だ。黒沢さ、どう考えてもしばらくここに顔を出さなそうだろ」
「まあ、確かに」
KTHの主とも言える存在である黒沢はというと、前日から念願の休暇を取って家族旅行に出かけてしまっていた。何でも、今まで休めなかった分を取り返すかの如く連休を本部から強引にむしり取ったとのことで、旅立つ直前には『休みの間くらいは仕事には一切関わりたくない。絶対連絡とかしてこないでね!』と、壊れ気味の口調で言っていた。
余程普段からの疲れを癒したいのか。それとも、妻と子供からの『たまには仕事を忘れて家族サービスしやがれ!』アピールが強過ぎで頭のどこかがぷっつんといってしまったのか。謎といえば謎であった。
……まあ、どう考えても有力なのは後者の方であるのだが。
「でも、あんたが黒沢さんを鬼に例えるなんてね。いつもの馬鹿にしたような態度からは、黒沢さんを恐がっているようには見えなかったんだけど」
「それは言葉のあやってもんだ。今みたいに揚げ足を取られるほど深い意味を込めた覚えはねえんだけど。まあ、しばらくはガーガー言ってくる奴もいないわけだし、ゆっくり休んだ後はのんびりバイトと内職を」
「そうはいかないわよ、永山君」
「?」
話の途中、どこからともなく聞き覚えのない声が割り込んできた。
二人が視線を向けると、そこには小脇にノートパソコンを抱え、グレーのスーツを着こなす女がKTHの入口近くで佇んでいる姿があった。見たところ、歳は四十前後くらい。黒縁眼鏡の奥に光る目はどこか鋭く、冷たい印象を与える。
美江は記憶を可能な限り振り絞ってみたが、彼女が何者なのか全くもって見当がつかなかった。
「あの……えっと?」
「貴女が花咲美江さんね。黒沢さんから話は伺っているわ」
「はあ」
女はどう見ても若くはなさそうなのだが、黒沢のことを敬称つきで呼んだ。絶対にこのタイミングで思うべきことではないだろうが、どうしても気になってしまう。
声が届かないのは承知で、あえて心の中で呟こう。黒沢さん、貴方は一体何歳なのですか。
「ああ、一応自己紹介をしておいた方がいいかしら。私の名前は立花英子。普段はKTHの本部で働いているけど、今回は休暇をとった黒沢さんの職務を代行するためにここに派遣されたの。ほんの少しの間だけれど、よろしく」
「は、はい……」
美江は英子の毅然とした態度に緊張し、つい畏縮してしまった。
いかにもやり手な上司にいそうな、パリッとしたしまりのある雰囲気。比較的砕けた印象が強い黒沢とは、かなり風格が異なる。
「ふーん。貴女が黒沢さんの代役というわけですか。ま、これも何かの縁ですね。よろしくお願いします」
永山はかったるそうに欠伸をしながら、とても目上の相手にするべきとは言えない口調で適当にあいさつをした。
当然それは心証を悪くすることに直結する行為であり、英子の顔つきはみるみるうちに険しくなった。
「永山君。いい加減にそこからどいていただけないかしら」
「あー……ここに座りたいんですか?」
「そんなの聞くまでもないことでしょう。私は、黒沢さんの仕事の代行をしにきたのだから」
「でも、それだったら他の席でも充分に仕事はできますよね? 自分でパソコンまでお持ちになられているようですし」
「貴方が座っているその席には、作業に必要な書類だとかがたくさん備えられているの。私の業務は、貴方の内職と違ってどこでもできるっていうものじゃないの」
「それは嫌味ですか?」
毒を含んだ言葉を耳にするなり、永山の眉がピクリと引きつった。しかし、英子は動じることなく冷淡に切り返す。
「ええ、そうよ。もしかして、今の発言をパワハラだとでも訴えたいわけ? 訴えるのは自由だけど、その時は貴方が行ってきた所業の数々についてしかるべき処置をとらせていただくから。覚悟しておいて」
「わ、わかりましたよ。どけばいいんでしょう」
渋々ながらイスから退くと、悔しそうにしながら英子を睨んだ。永山が屁理屈をこねる前に一方的にねじ伏せられてしまうとはめずらしい。
「最初から素直に応じればいいのよ。……ほら、くだらない話をしているうちに」
英子が事務机にパソコンを置いたのとほぼ同時に、甲高い電子音が流れ始めた。どうやら、こちらの都合もおかまいなしに怪人が出現したらしい。
「情報によると、B区に怪人が現れたらしいわ。永山君、早急に現場に向かってちょうだい」
英子はてきぱきとパソコンを操作しながら、上官だとか司令官だとからしい口調で命令をした。
だが、先程の論戦でへそを曲げたのか、永山は素直に従おうとしない。
「妙に態度が横柄ですねえ。日夜命を懸けて戦うヒーローに対して、それはないんじゃないですか?」
「あら、上司が部下に命令することのどこに問題があるというのかしら。私はKTHの本部に所属する正規社員で、貴方は支部で簡単な契約をかわしているというだけの、いわゆるアルバイト。どちらの立場が上なのかは、明らかよね」
「でも、その権利の弱いアルバイトとやらにやめられて困るのは、KTHの方なんじゃないですか? ヒーローとしての職務をこなせる人材がいなくて困ってるという話は、俺の耳にとっくの昔に入ってきてるんですよ。そんな貴重な人材を粗末に扱って、やめられたらどうしようだとか考えたりしないもんなんですか? 俺はたくさんバイトもしてますし、ここをいつでもやめていいと思ってるんですよ」
来た。伝家の宝刀「ヒーローやめます宣言」がとうとう出た。
この外道ヒーローは、相手の弱みにつけ込んでこの常套手段を必ずと言っていいほど繰り出す。
黒沢なら、これをかまされるなり胃の辺りを押さえて苦しみ始めるところなのだが……。
「あら、貴方こそ、本当はここをやめさせられたら困るんじゃないの?」
「は?」
英子が鋭い切り返しをするなり、永山は一瞬動きを止めた。
どこか動揺しているようにも見えるその様子を見計らってか、英子はさらに追撃をした。
「こっちだってね、人材の教育くらいときちんと推進し始めているわ。もう少し時間をかければ、ヒーローとして使える人材を安定して得ることができる。状況によっては、貴方を切ることも視野に入れることができるわ」
「それは、脅しと判断してよろしいでしょうか」
「脅し? とんでもない。私はただ、事実を話したまでよ。でも、今の言葉の意味を理解できたのであれば、自分がどんな立場に置かれているのかを察するのくらい簡単よね?」
「ぐ……わかりましたよ。行けばいいんでしょう、行けば」
永山は苦々しく口元を歪めた後、ブツブツと文句を垂れながらKTHから出ていった。
この口の悪い男がここまでコテンパンに言い負かされるというのは、どことなく爽快というか、やはりめずらしい。
「黒沢さんは、どうしてあの程度の男にいつも手を焼いているのかしら。理解しがたいわね」
当の英子はというと、涼しげな様子で頬杖をつくばかりである。
どこまでもクールというか、見かけ通りやり手というかといった感じである。
「さて、それはさておき。花咲さん」
「は、はいっ」
先程まで完全に蚊帳の外であった美江は、急に名を呼ばれてビクッと肩を震わせた。
「そんなに緊張しなくてもいいじゃないの。女同士なんだから。貴女、黒沢さんと話をする時もそんなに神経を張りつめているの?」
「い、いえ。あの人の場合はピリッとした雰囲気を持ち合わせていないので全然」
「まあ、確かにそうかもね。昔から、そういう感じの人だったし」
「あれ、黒沢さんと昔からの仲なんですか」
「ええ。新人時代に仕事のノウハウを教えていただいたことがあってね。だけど、その頃からフレンドリーな苦労人って感じだったわ」
「はあ」
少し前から思っていたことだが、今頃黒沢は旅行先でくしゃみを連発しているに違いない。
「さ、雑談はここまでにしておきましょう。花咲さん、貴女も現場に向かって。ヒーローの監視、しっかりとお願い」
「わかりました。では……」
美江はいつもよりもきびきびとした返事をすると、足早にKTHを後にしようとした。
しかしその足は、階段の前でピタリと止まった。
「どうかしたの。何か忘れ物?」
「いえ、そうではないんですけど。一つ、どうしても気になることがありまして」
「気になること? 私に答えられることであれば答えるわ」
「そ、そうですか」
美江はためらいがちに口をもごもごと動かす。そして、ほんの少し勇気を振り絞って言った。
「さっき、永山に対して『貴方こそ、本当はここをやめさせられたら困るんじゃないの?』って言いましたよね? もしかして、あいつが金に執着してる理由を知ってたりするんですか」
以前から気になっていた、ある意味では究極の謎。どうして永山はあそこまで金に執着してるのか。そして、大量に稼いでいると思われる金は何に使われているのか。奴がヒーローをやめさせられて困る理由を知ることができれば、おのずとその答えに近づけるような気がしたのだが。
「ああ、そのこと? 悪いけど、私は何も知らないわ」
「へ?」
期待外れの返答に、美江は思わず間の抜けた声を発してしまった。
英子はそんなことなど気にも止めず、淡々と語り続けた。
「あれは、話のペースをこちらのものにするために鎌をかけただけよ。だって彼、ヒーローなんて仕事、よっぽどお金が必要でなければやらなそうだもの。おそらく、かなりのわけありなんだろうけど、詳しくはわからないわ」
「そうだったんですか……」
鎌をかけるというのは、何て恐ろしい行為なのだろうか。
先日、美江は遊園地で永山に鎌をかけられたせいで現在彼氏募集中の身分であることが露見してしまったばかりである。それゆえに、これを聞くと何とも言い難い気分にかられてしまったのだった。
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